役立たずと追放された聖女、実は“本音”を浄化していたらしく、追放した瞬間にパーティが崩壊しました
「フィオラナ。君はもう必要ない」
——その言葉が発せられた瞬間。
彼らの“心”は、静かに濁り始めていた。
だが、このときはまだ誰も気づいていなかった。
それが、取り返しのつかない選択だったことに。
◇
「……はい?」
聖女フィオラナは、スプーンを持ったまま小さく首をかしげた。
王都の朝は穏やかだった。
窓から差し込む光。
温かいスープ。
整った食卓。
——ただ一つだけ。
空気の奥に、言葉にできない“ざらつき”があった。
「君の浄化は非効率だ」
勇者ヴァルグリードは、書類から目を上げずに言う。
「昨日の戦闘、毒霧の処理に三分以上。長すぎる」
「パーティの足を引っ張っている」
「……申し訳ありません」
フィオラナは、素直に頭を下げた。
「もっと早くできるように——」
「必要ない」
言葉は、冷たく断ち切られた。
「後任はすでに決まっている」
「紅蓮の魔導師イグニシアだ」
沈黙。
戦士グレンダムは、パンをかじる。
隠密ヴィリカは、視線すら向けない。
誰も——止めない。
「……そうですか」
フィオラナは一瞬だけ目を伏せた。
だが、すぐに顔を上げる。
そして——微笑んだ。
「それは、とても良い判断だと思います」
まるで、本当に嬉しそうに。
「では、もう私は必要ありませんね」
その言葉に。
ほんの一瞬だけ。
ヴァルグリードの胸に、説明のつかない違和感が走る。
(……なんだ?)
だが、すぐに切り捨てた。
非合理な感情だ。
「退職金として金貨百枚を用意した。受け取れ」
「ありがとうございます」
フィオラナは、深く頭を下げる。
そして去り際。
ふと振り返り、柔らかく言った。
「ヴァルグリード様」
「なんだ」
「心の濁りは、気づかないうちに溜まるものです」
優しい声だった。
「鏡を見るときは、少しだけ“内側”も見てあげてくださいね」
「……問題ない」
即答だった。
「俺は常に最適だ」
「……そうですね」
フィオラナは微笑み、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
その瞬間——
何かが、完全に失われた。
◇
——そういえば。
いつからだっただろうか。
このパーティで、喧嘩が一度も起きていないことに気づいたのは。
意見の食い違いはあった。
戦術の衝突もあった。
だが——決定的な対立にはならなかった。
いつも、気づけば収まっていた。
誰かが仲裁したわけでもない。
無理に抑え込んだわけでもない。
ただ、自然と。
まるで最初から“そんな感情がなかったかのように”。
(……いや)
ヴァルグリードは思考を振り払う。
ただ相性が良かっただけだ。
そう結論づける。
——その違和感を、見ないことにした。
◇
三日後。
「本日よりお世話になりますわ」
紅蓮の魔導師イグニシアは、優雅に一礼した。
その周囲の空気は、熱で歪んでいる。
「期待している」
ヴァルグリードは頷く。
「これで我々は完成した」
ダンジョンへ向かう。
かつて何度も踏破した場所。
——そのはずだった。
「敵影確認」
「イグニシア」
「ええ」
杖が掲げられる。
「《爆炎の旋律》」
轟音。
閃光。
魔物は一瞬で消し飛んだ。
「素晴らしい」
ヴァルグリードは即座に評価する。
確かに強い。
圧倒的な火力。
効率は明らかに向上している。
——なのに。
「……熱すぎるのよ」
ヴィリカが舌打ちする。
「は?」
「周り見えてないでしょ。雑なの」
「結果が全てですわ」
「それがムカつくって言ってんの」
空気が、ぴりつく。
——いや。
刺さる。
言葉が、異様に深く。
(……なんだ、この苛立ちは)
ヴァルグリードは眉をひそめる。
以前なら流せたはずの軽口が——
異様に不快だ。
「無駄な口論はやめろ」
「その言い方よ」
ヴィリカが睨む。
「前から思ってたけど、あんた人のこと部品としか見てないでしょ」
「……それが何か問題か?」
自然に言葉が出た。
そして——
空気が凍る。
「ほらね」
ヴィリカは吐き捨てた。
「やっぱ無理だわ、このパーティ」
◇
違和感は、その日のうちに増幅した。
視界の端が黒ずむ。
呼吸が重い。
仲間の存在が、やけに“邪魔”に感じる。
理由はない。
ただ——不快だ。
「……おかしくない?」
ヴィリカが呟く。
「こんなにイラつくこと、今までなかった」
「気のせいだ」
グレンダムが笑う。
だが、その笑いもどこか引きつっている。
◇
夜。
焚き火の音だけが響く。
誰も、話さない。
話せば壊れると——分かっているからだ。
だが。
壊れた。
「不味い」
グレンダムがスープを吐き出す。
「灰でも入ってんのかこれ」
「文句があるなら食べなくて結構ですわ」
「てめえの性格が一番不味いんだよ」
「……うるさい」
ヴァルグリードが呟く。
「咀嚼音が耳障りだ」
「……あぁ?」
空気が壊れる。
完全に。
「……おかしいでしょ、これ」
ヴィリカの声が震える。
「こんな風に思うはずない」
「……違う」
ヴァルグリードの喉が震える。
「今まで“なかった”んじゃない」
理解してしまった。
「消えていたんだ」
沈黙。
「フィオラナが」
全員の顔が強張る。
「俺たちの“本音”を……全部」
ぞわり、と寒気が走る。
「じゃあ何? あたしたち——」
「今が本来ってことか?」
誰も否定できなかった。
◇
「……正直、思ってたわよ」
ヴィリカが笑う。
乾いた、冷たい笑いだった。
「グレンダム、あんた邪魔だって」
「……は?」
「鈍いし、うるさいし、イライラするの」
「てめえ……!」
「私も同感ですわ」
イグニシアが続く。
「存在が非効率ですもの」
——限界だった。
「死ねよ」
その一言で。
すべてが壊れた。
◇
戦闘は、一方的だった。
理性はない。
連携もない。
ただ——剥き出しの感情がぶつかる。
怒り。
嫌悪。
軽蔑。
それらすべてが、刃になる。
「やめろ……!」
ヴァルグリードが叫ぶ。
だが、自分の内側ですら止められない。
(俺は)
剣を握る手が震える。
(何を切り捨てた?)
効率。
合理性。
最適解。
その言葉で——
何を正当化した?
(あいつは)
思い出す。
いつも、そこにいた。
何も言わずに。
何も求めずに。
ただ——当たり前のように。
(……当たり前じゃ、なかった)
呼吸が乱れる。
「……フィオラナ」
その名前を口にした瞬間。
胸の奥が焼ける。
「戻ってきてくれ……」
初めてだった。
合理ではなく。
感情で、誰かを求めたのは。
だが——
願いは届かない。
すでに、壊れているからだ。
◇
数分後。
そこに“パーティ”はなかった。
ただの残骸。
壊れた人間たちの、末路だけが残っていた。
そして。
最後に残ったヴァルグリードは、膝をついていた。
「……なんでだ」
分かっている。
全部。
「……俺が、捨てたんだ」
◇
数日後。
辺境の村。
「フィオラナ様!」
人々が笑っている。
争いはない。
怒りもない。
不満もない。
——何もない。
「いい村ですね」
フィオラナは微笑む。
「とても静かで」
村人たちは、同じように微笑んだ。
「はい、とても優しい世界です」
同じ言葉。
同じ表情。
まるで、写し鏡のように。
子供ですら騒がない。
ただ——穏やかに笑っている。
どこまでも均一に。
「ここには、“嫌な気持ち”がありませんから」
フィオラナは言う。
その声には、確かな満足があった。
◇
「……フィオラナ」
振り向く。
そこには、ボロボロの男がいた。
かつて勇者と呼ばれた存在。
「助けてくれ」
迷いなく、地面に額を擦りつける。
「俺が間違っていた」
震える声。
「全部だ……全部、間違ってた」
沈黙。
そして——
「……はい」
あっさりと、肯定する。
「間違っていましたね」
その言葉に、彼の肩が震える。
「だから……頼む……」
「ええ、大丈夫ですよ」
フィオラナは、優しく手を伸ばす。
「もう、苦しまなくていいんです」
額に触れる。
その瞬間。
ヴァルグリードの中から——
すべてが消えた。
怒りも。
後悔も。
罪悪感も。
“自分”という重さすら。
「……ああ」
澄んだ目。
何もない瞳。
「フィオラナ様」
穏やかな声。
「とても……楽です」
「それは良かったです」
心から嬉しそうに微笑む。
「本音なんて、ない方が優しい世界になりますから」
その言葉に。
違和感を覚える者は、もういない。
◇
その頃——王都では。
些細な口論が、殺し合いに変わっていた。
家族が。
友人が。
恋人が。
互いに刃を向ける。
誰も止められない。
本音が、溢れ続けるからだ。
◇
王都だけではない。
地方でも。
辺境でも。
同じことが起き始めていた。
誰も気づいていない。
ただ一人の聖女がいなくなっただけで——
世界の均衡が、崩れ始めていることに。
◇
「……ふふ」
フィオラナは空を見上げる。
「世界は、とても優しいですね」
その笑顔は。
救いのようで——
どこまでも、歪んでいた。
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