第九章 新しい境界
季節が変わり、また朝鮮通信使の船が対馬に来る時期になった。
蒼月と紅蓮は、卜部神社の境内で、準備をしていた。
今夜は満月。境界神を鎮める儀式の日。
あの事件から、半年が経った。
対馬藩は、二人を正式に「境守」として認めた。日本と朝鮮の境界を守る、特別な役職。
蒼月は、もう紅蓮の術を「邪道」とは呼ばない。
紅蓮は、もう蒼月を「化石」とは呼ばない。
二人は、対等な協力者になった。
いや、それ以上の何かになりつつあった。
「ねえ、蒼月」
紅蓮が、亀甲を磨きながら言った。
「あのね、実は最近見つけた呪文があってね……」
紅蓮は、いつものように饒舌だった。
しかし、蒼月は、もう黙っていなかった。
「……聞こう」
そう言って、蒼月は、小さく笑った。
紅蓮は、その笑顔を見て、嬉しそうに笑い返した。
「でしょ? だからね、これが面白くて……」
紅蓮の話は、いつまでも続いた。
蒼月は、それを聞きながら、海を見た。
対馬海峡。
日本と朝鮮の間。
境界。
その境界は、消えない。
しかし、境界があるから、繋がれる。
蒼月は、そう思った。
紅蓮の声が、風に乗って、海へ流れていく。
蒼月の沈黙が、その声を受け止める。
二つの異なるものが、一つの調和を作る。
それが、境界の意味だった。
夜が来て、月が昇った。
蒼月と紅蓮は、海岸に立った。
二人は、同時に術を始めた。
蒼月の青白い光と、紅蓮の赤金の光が、螺旋状に絡み合う。
そして、薄紫の光になる。
境界の色。
その光が、海を照らす。
海の底から、境界神が応える。
穏やかな、光の波動。
暴れない。
ただ、そこに在る。
境界として。
蒼月と紅蓮は、儀式を終えた。
そして、並んで海を見た。
紅蓮が、蒼月の手を取った。
蒼月は、その手を握り返した。
温かかった。
「蒼月、ありがとう」
「……何が」
「一緒に、ここにいてくれて」
蒼月は、何も言わなかった。
しかし、その手の力が、少しだけ強くなった。
二人の影が、月明かりの中で一つになった。
境界は、消えない。
でも、境界があるから、繋がれる。
それが、二人が学んだことだった。
そして、それは、対馬という島が、何百年も守ってきた真実だった。
風が吹いた。
海の匂いと、山の匂いが混ざった、対馬の風。
その風に乗って、紅蓮の笑い声が響いた。
蒼月も、小さく笑った。
二人の声が、海峡を渡っていく。
日本へ。
朝鮮へ。
そして、その間の、境界へ。
永遠に。
(了)




