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【短編小説】境界の守人―対馬退魔譚―  作者: 霧崎薫


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第八章 二つの術、一つの心

 蒼月は、生まれて初めて、舞いながら祝詞を唱えた。


 足が、リズムを刻む。紅蓮が教えてくれた、神降ろしの舞のステップ。しかしそれは、もう朝鮮のムーダンの舞ではない。卜部神道の厳粛さが加わり、新しい形になっている。


 紅蓮は、生まれて初めて、静かに鏡を構えた。


 鈴は鳴らさない。ただ、銅鏡を両手で掲げ、境界神に向ける。その姿勢は、蒼月の結界術の型だった。しかしそれは、もう日本の術ではない。朝鮮の鏡術の力強さが加わり、新しい形になっている。


 二人の声が、一つになった。


「掛けまくも畏き、바다의 신이여(海の神よ)……」


 日本語と朝鮮語が、完全に混ざり合う。


 もはや、どちらがどちらかわからない。


 ただ、境界の言葉。


「筑紫の日向の、금빛 물결 위에(金色の波の上に)……」


 蒼月の周囲に、青白い光が現れる。


 紅蓮の周囲に、赤金の光が現れる。


 その二つの光が、螺旋状に絡み合い、一つの大きな光になる。


 薄紫の、誰も見たことのない色の光。


 その光が、境界神を包み込む。


「禊ぎ祓ひ給ひし時に、정화의 의식으로(浄化の儀式で)……」


 境界神が、動きを止めた。


「何ダ……コレハ……」


 境界神の声に、初めて、困惑が混じった。


「境界ノ術……? 日本デモ朝鮮デモナイ……」


「そうよ」


 紅蓮が、答えた。


「これは、境界の術。日本と朝鮮の間に生まれた、新しい術」


「……我らは、境界を消さぬ」


 蒼月が、続けた。


「境界を、守る」


 二人は、最後の言葉を、同時に唱えた。


「生り坐せる祓戸の大神等、그대를 봉인하노라(汝を封印する)!」


 光が、爆発した。


 海全体が、光で満たされた。


 蒼月と紅蓮は、その光の中で、互いの手を握り合っていた。


 掌が、汗で滑る。


 しかし、離さない。


 離したら、全てが終わる。


 二人の術は、互いを支え合うことで、初めて完成する。


 光が、徐々に収束していく。


 そして、境界神の姿が変わった。


 もう、あの異形ではない。


 ただの、光の塊。


 その光は、優しく、温かかった。


「……我ハ、境界……消エヌ限リ、在リ続ケル……」


 境界神の声は、もう怒っていなかった。


「シカシ……暴レヌ……汝ラガ、鎮メル限リ……」


 光が、海の底へ沈んでいく。


 ゆっくりと。


 まるで、眠りに就くように。


「……定期的に、鎮める必要がある」


 蒼月が、言った。


「毎月、満月の夜に、この術を行わねばならぬ」


「わかってる」


 紅蓮が、答えた。


「それが、私たちの役目」


 二人は、海を見つめた。


 境界神は、完全に消えた。


 海は、また静かになった。


 しかし、海岸には、まだ一人、残っていた。


 玄冥だった。


 彼は、崖の上に立ち、二人を見下ろしていた。


「……素晴らしい」


 玄冥の声は、穏やかだった。


「見事な術だった。私の計画は、失敗した」


「……そなたは、どうする」


 蒼月が、問うた。


 玄冥は、笑った。


「私は、境界を消すことに、人生を捧げた。しかし、それは間違いだったようだ」


 玄冥は、海を見た。


「境界は、消すべきものではない。守るべきものだ。お前たちが、それを証明した」


 そして、玄冥は、崖から飛び降りた。


 蒼月と紅蓮は、止める間もなかった。


 玄冥の体は、海に落ち、波に呑まれた。


 浮かび上がってこない。


 二人は、しばらく海を見つめていた。


 そして、紅蓮が、小さく呟いた。


「……彼も、境界に還ったのね」


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