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第9話:筋肉定食と、乙女たちの溜息(日常)

1. 筋肉の朝は早い

ギルド最上階、「三人気用特別室」の朝は、地響きのような振動と空気を切り裂く風切り音から始まる。 俺がリビングの端で片手倒立伏せ(ワンアーム・ハンドスタンド・プッシュアップ)を敢行しているからだ。この広々としたリビングは、今や俺にとっての「聖域プライベート・ジム」であり、床は俺の体重と重圧に耐えるためのトレーニングマットと化していた。


「……あー、もう。朝から部屋が震度3くらい揺れてると思ったら、やっぱりこれ。ミスター、せめてあと30分、神の安眠を保障してくれないかしら?」


寝癖を爆発させたまま、寝ぼけ眼で部屋から出てきたイリスが、ソファーに力なく倒れ込む。女神の威光は、今日も朝日に溶けて消えていた。


「イリス、筋肉は太陽と共に目覚めるんだ。そしてお前も、寝ている間に凝り固まった筋肉をほぐすべきだ。さあ、一緒にラジオ体操第……」 「やらないわよ! 私は今、二度寝という名の神罰を下す準備をしてるんだから!」


そこへ、隣の部屋からシャナが顔を出した。彼女は職業柄か、俺がトレーニングを始めた瞬間には既に起きていたようだが、その表情は疲弊しきっている。


「……信じられない。あんた、昨日の洞窟探索で一番暴れたはずなのに、なんで翌朝に筋肉をいじめてるんだい。普通は数日動けなくなるはずだよ」 「シャナ、これが『超回復』への最短ルートだ。昨日壊した筋繊維に、今、新しい命が宿っている。この心地よい筋肉痛マッスルペインこそが、生きてる証だ」


「生きてる証が痛覚なんて、あたしは御免だね……」 シャナは呆れながら、俺がキッチンに用意しておいた、不純物を一切取り除いた「純水」を飲み干した。


2. 爆裂少女の調理実習

「お腹すいた……。おじさん、お肉。ジャイアントラビットの残骸、食べたい」


最後に現れたのは、杖をパジャマ代わりのローブの中に抱え、引きずりながら歩くリリィだ。彼女の朝の食欲は、昨日の『ビッグバン』並みのエネルギーを要求してくる。 (……それにしても「おじさん」はやめてほしい。俺はまだ25歳だ。世間的にはぴちぴちの若手のはずなんだが……) 俺は心の中で小さくため息をつき、リビングの大きな机を囲んで朝食の準備に取り掛かった。


「よし、リリィ。昨日教えた『メイラード反応』の復習だ。このエンペラーラビットの極上胸肉に、表面だけ熱を通せ。芯まで蒸発させたら、今日のトレーニング(スクワット)は倍にするぞ」 「う、うぅ……。がんばる。……ちょっと熱めの、春のひだまり……えいっ!」


リリィが指先から、掌サイズの精密な熱球を放つ。ジュワッという快い音と共に、肉の表面が狐色に染まり、香ばしい匂いが部屋を満たした。 「……合格だ。リリィ、お前は魔法の精密操作を、この『調理』という名の修行で覚えるんだ。破壊だけが力ではない」 「わーい! おじさんに褒められた! いただきまーす!」


一方、シャナは俺が作った「高タンパク・低脂質・低GI」を極めた朝食プレートを前に、戦慄していた。 「……ねえ。この、一切の調味料を拒絶したような鶏肉の塊と、茹でただけのブロッコリー……これが、あたしたちの朝食かい?」 「味がないのではない。素材本来の『アミノ酸の旨味』を舌の神経で噛み締めろ。それが血となり、鋼の肉となるんだ」 「あたしはもっと、こう……脂が滴るベーコンとか、バターがたっぷり染み込んだパンが食べたいんだけど……」


「ダメよ、シャナさん。この部屋にいる限り、ミスターの『マッスル定食』からは逃げられないわ……」 イリスが、既に全ての欲望を捨て去った悟りの境地でブロッコリーを口に運ぶ。 こうして、異世界の美食文化を真っ向から否定する、しかし栄養学的には完璧な朝の時間が過ぎていく。


3. 買い出しと、忍び寄る視線

午後。俺たちは消耗品の補充と、さらなるタンパク質(肉)の仕入れのために街へ出た。 俺の後ろには、綺麗なドレス……ではなく、動きやすさと機能性を重視した軽装に着替えたイリス、相変わらず杖を抱えたリリィ、そして街の雑踏に完全に溶け込むように歩くシャナ。 はたから見れば、一人の巨大な大男が三人の美少女(と幼女)を従えている、あまりに奇妙で目立つ一行だ。


「おい、見ろよ。あの背筋……」 「エンペラーを素手で引き裂いたっていう『不動勇者』だろ?」 「隣にいるの、めちゃくちゃ美人じゃねえか。……本物の女神様みたいだぜ」


街の住人たちの囁きが四方から聞こえてくる。 イリスは「ふふん、やっと私の価値に気づいたようね」と得意げに胸を張るが、俺の関心は市場の片隅に並ぶ「新種の魔物のレバー」にしか向いていなかった。


「ミスター、あっちの服屋さん、新作のチュニックが入ったみたいよ! 借金も半分になったんだし、少しくらいお洒落を……」 「却下だ。衣服に金をかけるなら、その分を『ビタミン豊富な卵』に回すべきだ。布切れ一枚で俺の広背筋は飾れんし、隠せもしない」 「この、筋肉ダルマ……!! 25歳ならもう少し色気出しなさいよ!」


憤慨するイリスを横目に、シャナが気配を消したまま、俺の耳元で鋭く囁いた。 「……ミスター、さっきから後ろに数人、あたしたちをつけてる奴らがいるよ。昨日の盗賊団の残党か、あるいはあんたを売って名を上げようって賞金稼ぎか……」


俺は歩みを止めず、背後の殺気混じりの気配を広背筋の震えで感知した。 「……好都合だ。午後のカーディオ(有酸素運動)のメニューが決まらず、少し物足りなさを感じていたところだ」


「有酸素運動って……あんた、街中で暴れる気かい?」 シャナが呆れるが、俺は静かに、しかし爆発力を持って大腿四頭筋を収縮させた。


「暴れはしない。……ただ、彼らに正しい『逃げフォーム』を教えてやるだけだ。追い込みトレーニングの始まりだな」


リリィが「わくわく」と杖を構え、シャナが「やれやれ」と短剣を弄び、ポンコツな女神が「また借金が増えなきゃいいけど……」と天を仰ぐ。 ミスターの日常は、ただの「休息」ですら、平穏とは程遠いマッスル・バトルの熱気に包まれていくのだった。

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