第8話:増える仲間と、筋肉という名の信頼
1. 英雄の帰還と、鉄格子のない朝
「始まりの街~フルドライブ~」の冒険者ギルド内は、かつてない静寂に包まれていた。 カウンターの上に、ドスンと置かれた巨大なエンペラーラビットの脚と、討伐を証明する禍々しくも美しい主の魔石。 受付嬢の眼鏡は斜めにずれ、背後で酒を飲んでいたベテラン冒険者たちは、持っていたジョッキを床に落とした。その衝撃で溢れたエールが、床を汚していることにも誰も気づかない。
「……エンペラーラビット。この地域の生態系の頂点……。本当に、素手で……? 魔法も使わずに仕留めたというのですか?」 「正確には、素手と、彼女の適切な火加減による表面処理(メイラード反応)の結果だ。最高の状態でタンパク質を確保できた」
俺がリリィの頭をポンと叩くと、彼女は鼻を高くして「えっへん」と薄い胸を張った。 結果、金貨50枚という破格の報酬が支払われ、俺たちの膨大な借金(主に測定器の弁償代)は一気に半分以下まで圧縮された。
「ミスターさん……いえ、ミスター様! あなたの実力、疑って申し訳ありませんでした! 今日からあなた方は『要注意人物』から『期待の新人』へと格上げです!」
ギルドの対応は現金なものだった。 俺たちに与えられたのは、あの窓に鉄格子があり、寝返りすらままならなかった「投獄部屋」ではない。ギルドの最上階に位置する、選ばれた冒険者のみが使用を許される豪華な「三人気用特別室」への鍵だ。 中に入れば、ふかふかのベッドが3つ、可動域を十分に確保できる広いリビング、そして何より――肉を最適な温度で調理するための立派なキッチンが備わっていた。
「やったぁぁ! 広い! ふかふかのベッド! あの硬い石の床におさらばですぅ!」 イリスがベッドの上で無邪気に跳ねる。最近わかったのだが、この女神、見た目は完璧なのに中身が全く神っぽくない。だが、その天真爛漫な姿は、不思議と見ていて飽きない。
「おじさん、ここならビッグバンしても壊れない?」 「いや、それは流石に困る。弁償金が増えたら、俺のバルクアップ計画が遅れるからな。だが……これなら、寝る前にデッドリフトの真似事くらいはできそうだ。広背筋が喜んでいる」
俺たちはようやく、この異世界で「人間らしい」、そして「筋肉らしい」生活の基盤を手に入れたのだった。
2. 招かれざる「瞬発力」の客
翌朝。朝日を浴びながら、俺がリビングで自重スクワットを300回ほど終え、大腿四頭筋が心地よい熱を帯びた頃、部屋の扉がノックもなしに開いた。 入ってきたのは、肌の露出が多い黒のレザーアーマーを纏い、腰に二振りの短剣を下げた女だった。
「……あんたが、あのエンペラーをワンパンで沈めたっていう期待の新人かい?」
女は不敵な笑みを浮かべ、値踏みするように部屋を見渡した。 その視線は鋭く、全身の筋肉は「持久力」ではなく、一瞬の爆発力、すなわち「瞬発力」に特化して研ぎ澄まされている。
「誰だ。俺は今、筋肉との対話の最中だ。インターバルを邪魔するな」 「あたしはシャナ。この街で一番の『鍵開け』と『罠外し』を自負してる盗賊さ。あんたらの噂を聞いてね。……あたしを仲間にしなよ。悪い話じゃないはずだ」
「断る。パーティの人数が増えれば、一人当たりのタンパク質摂取量が減る。これは筋肉の同化における死活問題だ」 「なっ……あたしを食糧泥棒扱いするのかい!?」
シャナが憤慨して短剣に手をかけた時、イリスが必死の形相で割って入った。 「待ってくださいミスター! 盗賊はこの世界の冒険には不可欠なんです! 宝箱の罠解除、鍵開け、索敵……力押しだけじゃどうにもならない、繊細な局面があるんですから!」
「罠? 鍵? そんな不条理、筋肉で正面から粉砕すれば済む話ではないか?」 「それができないから、世の中の冒険者は苦労してるんでしょ!!」
イリスの必死の説得と、リリィの「お姉さん、ポッケの中に隠し持ってるお菓子持ってそう」という謎の直感、そして何より「シャナが自前の食糧を持参する」という条件を呑ませることで、シャナが4人目のメンバーとして加わることになった。 シャナは俺の筋肉をまじまじと見つめ、「……信じられない。魔力もスキルも感じないのに、この密度。あんた、本当に人間なのかい?」と呆れ半分、恐怖半分に呟いた。
3. 初のパーティ・クエスト:盗賊の洞窟
新メンバーが半ば無理やり加わったことで、肩慣らしの依頼を受けることになった。というより、シャナが「手土産代わり」に持ち込んできた案件だ。 それは、街の商路を脅かしている『黒蠍盗賊団』の拠点――通称「盗賊の洞窟」の掃討。
「いいかい、ミスター。あいつらは狡猾だ。洞窟内には無数の落とし穴と、触れれば即死の毒矢の罠がある。あたしが先行するから、あんたは黙って後ろをついてきな」
洞窟の入り口に立ったシャナは、プロの顔で闇を見据えた。 だが、俺の感覚は違った。洞窟内の湿った空気、心地よい冷気、そして静寂。これは……ジムの早朝の空気にも似た、最高の「集中環境」ではないか。
「シャナ、先行は俺がやる。罠など、鍛え上げた広背筋の前では微風に等しい」 「馬鹿言わないで! 毒矢は筋肉じゃ防げな……ちょっと、聞きなさいよ!」
俺はシャナの制止を無視し、堂々と洞窟内へ足を踏み入れた。 数歩歩いたところで、カチッ、という硬質な音が不気味に響く。
「ひゃい! 罠よ! ミスター避けてぇ!」 イリスの叫びと同時に、壁の隙間から十数本の黒い矢が、音を置き去りにする速度で放たれた。
だが、俺は避けない。避ける動きは無駄なカロリーを消費する。 俺は正面を見据えたまま、放たれた矢のすべてを……指先で空中で「摘み取った」。 パキパキパキッ!! 矢は俺の手の中で、まるで乾燥した爪養枝のように折れ、無残に床へ転がった。
「……何よ。今の矢、鉄の矢尻に高度な麻痺毒が塗ってあったはずなのに。……あんたの皮膚、鋼鉄より硬いのかい?」 シャナが戦慄する。 「いや、ただの皮膚だ。それに、この程度の矢は遅すぎる。俺の動体視力に捉えられないものはない」
「デタラメだ……この男、デタラメすぎる……」 シャナの長年の常識が、ガタガタと音を立てて崩れていく。
4. 鉄の扉と、物理の勝利
洞窟の最深部。そこには、盗賊たちが略奪した宝を隠しているであろう、重厚な鉄の扉が立ちはだかっていた。 「ここはあたしの出番さ。この鍵は特殊な魔法錠で、力任せに開ければ中身ごと爆発する仕掛けに……」
シャナが七つ道具を取り出そうとした瞬間、リリィが横から杖を突き出した。 「お姉さん、どいて。中身ごと焼けばいいんだよね? 焼き加減は任せて」 「ダメに決まってるでしょ!? 依頼品を無傷で回収しなきゃいけないんだから!」
「……ならば、俺がやろう。扉なのだから、開ければよいだけだ」 俺は扉の前に立つと、深く息を吸い込み、全身の筋肉を同調させた。 狙うは扉の「ヒンジ」でも「鍵穴」でもない。扉という物理的存在そのものだ。
「――フンッ!!」
俺の拳が、鉄扉の中央を捉えた。 それは破壊というより、圧倒的な「圧力」による空間の圧縮だった。 鉄の扉は、飴細工のようにぐにゃりと歪み、魔法の封印ごと枠から剥がれ落ちた。魔法錠が「不正な開錠」を感知して爆発する暇すら与えない、純粋な物理的質量の暴力による勝利。
中から現れた盗賊団の男たちは、目の前の光景に腰を抜かしていた。 鉄壁と信じていた扉を拳一つで剥ぎ取った、鋼のような細マッチョ。その後ろで呆れ果てている女神、不気味な笑みを浮かべる爆裂少女、そして「もう何でもいいわ」と頭を抱える凄腕の盗賊。
「さあ、ワークアウトの時間だ。お前たちの逃げ足(脚力)と、俺の追い込み、どちらが上か試してみようじゃないか。筋肉の悲鳴を聞かせてくれ」
ミスターの瞳に、獲物を極限まで追い込むドSなトレーナーのような鋭い光が宿る。 こうして、凸凹な4人パーティによる「初の冒険」は、異世界の常識をサイドチェストで粉砕しながら、本格的に幕を開けたのだった。




