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第5話:脱兎のごとき衝撃と、爆炎の魔法使い

「借金返済、そして高タンパクな夕食。これ以上に俺を突き動かす動機はない」


ギルドの測定器(秘宝)を物理的に「分からせて」しまった俺たち――(「なんで私も入ってるのよ!」というイリスの抗議は却下した)――は、現在、借金完済までの監視下という名目でギルド内の一室で暮らすことになった。 暮らし、といえば聞こえはいいが、実態は窓に鉄格子のついた「投獄」に近い。


狭い部屋では十分な可動域を確保したトレーニングができない。このままでは筋肥大が止まってしまう。そんな危機感に背中を押され、俺たちは手続きを終えるなり、さっそく外へと飛び出した。


受付嬢の引き攣った笑顔――もはや「二度と帰ってこないでほしい」という悲痛な祈りすら感じる視線――に見送られ、街の近郊にある草原へとやってきた。 ターゲットは『ジャイアントラビット』。 名前こそ可愛らしいが、その実体は軽トラックほどの巨躯を誇り、鋼鉄のような脚力で獲物を蹴り殺す、草原の殺し屋だ。


「ミスター、気をつけてください! あのウサギのキックは、並の戦士なら防具ごとひしゃげます。私の神聖魔法で守護を……」 「必要ない。筋肉が最大の防具だ。お前はそこで、俺のカーフ(ふくらはぎ)の躍動でも見ていろ」


俺の背後で、イリスが何か補助魔法を唱えようと指を動かしているが、俺はそれを手で制した。女神の加護など、今の俺のパンプアップした精神には不要。 ふと見ると、イリスが「この人、本気で何を言ってるのかしら……」と絶望に満ちた冷ややかな眼差しを向けてきている。 ……ふん、いい。美貌の女神に見つめられながらのワークアウト。モチベーションが上がらないはずがない。


「……来たな」


草むらが大きく揺れ、文字通り「弾丸」のような速度で巨大な毛玉が飛び出してきた。 ジャイアントラビットだ。その太く、筋繊維が密に詰まった後ろ脚。あれこそがこの魔物の生命線にして、最高のプロテイン源。


(……いい脚だ。だが、バルクの方向性が「逃げるため」の逃避筋だな。攻めの姿勢が足りない。俺が真のスクワットを教えてやる)


俺がその脚部を品評し、迎撃のために拳を固めた、その時だった。 遥か上空の空気が、一瞬にして「沸騰」した。


「――闇より深き紅蓮の炎、すべてを無に帰せ! 『ビッグバン』!!」


突如として響き渡った、幼い、しかし冷徹なまでの魔力を孕んだ少女の声。 直後、俺の視界は太陽の核を覗き込んだような「白」一色に染まった。


ドォォォォォォォォォンッ!!!!!


凄まじい爆発音。鼓膜を内側から突き破るような衝撃波。 ジャイアントラビットごと、前方数百メートルに渡る草原が、一瞬にして巨大なクレーターへと変貌した。熱風が俺の広背筋を叩き、地面が波打つ。


「な、ななな、何事ですかぁ!? 今のは神罰!? 世界が滅びるの!?」 背後で女神イリスが腰を抜かして叫んでいるが、俺はそれどころではなかった。爆風の中、俺はただ「獲物の無事」だけを祈って踏ん張っていた。


爆炎が晴れた中心部。 そこには、煤けたローブを纏い、身の丈ほどもある杖を掲げた一人の少女が、フラフラと立っていた。 彼女の名はリリィ。 この世界で最も破壊的な魔法を、最も無邪気に操る魔法使いだ。


「ふぅ……。ちょっと出力を間違えたかも。でも、これでお肉は焼けたかな?」


リリィがひょこひょこと、自ら生み出した地獄の底のようなクレーターを覗き込む。 だが、そこにあるのは「美味しそうな焼きウサギ」などではなかった。あまりの超高熱に、ジャイアントラビットは炭すら残さず、分子レベルで蒸発ロストしてしまっていたのだ。


俺は茫然と、煙の上がるクレーターを見つめた。 「……消えた」 「えっ?」 「俺の……俺の貴重なタンパク質が……跡形もなく消え去った……」


俺は膝をつき、拳を地面に叩きつけた。 せっかくの良質なプロテイン源。脂身が少なく、筋肉の修復に最適だと思われる最高の獲物が、一瞬の閃光で虚空に消えたのだ。これは狩りにおける完全な敗北だ。


「あ、あれ……? そこにいるのは……新手の魔物さん?」 リリィがこちらに気づき、不思議そうに首を傾げる。彼女の視線は、爆風で少し煤けた俺の、はち切れんばかりの大胸筋に釘付けになっていた。


「いや、俺はミスター。冒険者だ。……嬢ちゃん、今のは見事な破壊力だが、料理としては最低の火加減だぞ。筋肉を育てるには、適切な熱通しが肝要なんだ。蒸発させてどうする。それはもはや『無』だ」


「き、筋肉? 魔法の威力じゃなくて、料理の火加減の話……?」 戸惑うリリィ。彼女の常識では、魔法で敵を消し飛ばせば「勝利」だ。だが、ミスターにとって獲物を分子レベルで消し飛ばす行為は「調理事故」でしかない。


「ミ、ミスター、それどころじゃないですよ! 彼女、リリィさん……信じられない魔力です! 彼女がいれば、魔王軍だって一瞬で……!」 イリスが興奮気味に詰め寄るが、俺は興味なさげに首を振った。


「ダメだ。彼女と組めば、俺は一生栄養失調になる。嬢ちゃん、次に打つ時はせめて、中心温度が65度を超えないように調整しろ。それが肉を一番美味しく、強くする温度だ。低温調理こそが筋肉の友だ」


「……ろくじゅうごど? よくわかんないけど、おじさんの体、すごいね。ビッグバンを近くで受けても壊れなかった。……ちょっと、叩いてみていい?」


こうして、魔法という不条理を極めた少女リリィと、筋肉という物理の極地に住む男ミスターが出会ってしまった。 女神イリスの出番など、もはやどこにもない。 ただ一人、消えたウサギのバルクを惜しむ男の溜息と、爆心地で「おじさんの筋肉硬い!」とはしゃぐ少女の声だけが、荒れ果てた草原に虚しく響いていた。

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