第20話:英雄の帰還と、最強の「婚約」負荷(オーバーロード)
一万の魔軍を「有酸素運動」として片付けた翌日。 フルドライブの街は、一夜にして伝説の地へと変貌していた。ギルドには朝から冒険者が詰めかけ、街の入り口に刻まれた無数のクレーターは、早くも「聖地」のような扱いを受けている。
そんな喧騒を余所に、ミスターたち四人はギルドの奥、重厚な扉に閉ざされた応接室に呼び出されていた。
「ミスター殿。貴殿の働き、もはや一冒険者の枠に収まるものではありません。……この地の領主様、そして王家もこの事態を重く見ておられます」
ギルドマスターが、かつてないほど緊張した面持ちで、金縁の豪華な書状を差し出した。
「貴殿を『救国の英雄』として爵位を授けると共に、このフルドライブを含む一帯を治める領主・バレンティ公爵の愛娘、セシリア様との**『婚約』**を命じたいとの要請です」
「……婚約?」 ミスターは、まるで「明日から毎日スクワット一万回だ」と言われた時のような、無機質な反応を返した。だが、その背後にいた三人の反応は劇的だった。
「……はぁぁぁあぁ!? こ、婚約って何よ! 誰が許可したのよ!」 イリスがテーブルを叩いて立ち上がった。その瞳には、女神の神々しさではなく、縄張りを荒らされた猛獣のような鋭さがある。
「おじさん……結婚しちゃうの? 私たちと一緒に、ご飯食べられなくなるの……?」 リリィは今にもビッグバンを暴発させそうなほど杖を震わせ、今にも泣き出しそうだ。
「……ちょっと待ってよ。ギルドの英雄だからって、勝手に個人の人生(筋肉)を売り飛ばすなんて、盗賊の理屈でも通らないよ」 シャナは冷たい手つきで短剣の柄に触れ、応接室の空気を凍りつかせる。
三人にとって、もはやミスターはただのリーダーではない。凄惨な過去や孤独を「トレーニングの一環」として笑い飛ばし、全肯定してくれる彼の存在こそが、彼女たちの魂のスタビライザー(安定装置)になっていた。この心地よいバランスを奪われることは、彼女たちにとって死活問題だった。
ギルドマスターは命の危険を感じ取り、冷汗を流しながら続けた。 「セシリア様は『あの鋼の肉体に守られたい』と、ミスター殿の写真(魔法記録)に一目惚れされたそうで……。もし受け入れれば、一生分の高級鶏胸肉と、王室御用達の最新トレーニングルームが約束されます」
「高級鶏胸肉……だと?」 ミスターの眉がピクリと動く。その刹那、三人の乙女たちの背筋に戦慄が走った。
「ダメよ! 絶対にダメ! ミスター、あんたのスタビライザーは私なの! どこの馬の骨かもわからないお嬢様に、あんたの筋肉を管理させないわ!」
イリスが、これまでにない必死さでミスターの腕にギュッとしがみついた。 その瞬間、ミスターの鋼のポーカーフェイスがわずかに揺らいだ。腕に伝わる女神の柔らかな感触、そして彼女の切実な体温。 (……まずい。これは、筋肉の収縮では制御できない熱だ) ミスターは、いつの間にかイリスをただの「ポンコツ女神」ではなく、一人の女性として意識してしまっている自分を、自覚せざるを得なかった。
「私も……おじさんがいないと、火加減がわからなくなっちゃうもん!」 「……ミスター、わかってるよね? あんたを一番近くで支えてきたのは誰かってさ」
リリィが反対側の腕に抱きつき、シャナも背後からその広大な背中に顔を埋める。美女三人の、殺気にも似た「絶対密着」。 25歳の日本人男子として、これは一万の魔王軍の突進よりも、はるかに回避困難な「感情の圧力」だった。
(……くっ、内臓筋への負荷が尋常ではない。心拍数が最大酸素摂取量を超えようとしている。腹圧が……維持できん……!)
理性が紙切れのように薄く引き伸ばされる中、ミスターは残された全神経を総動員して、言葉を絞り出した。
「ギルドマスター。俺の肉体は、特定の個人の所有物ではない。……俺は、この三人の『負荷』があってこそ、この世界で完成するものだ」
ミスターは静かに、だが鋼の意志を持って告げた。 「俺が求めているのは安寧な生活ではない。絶え間ない研鑽だ。……公爵令嬢には伝えろ。『俺を満足させるだけのものが、貴女の元には足りない』とな」
「「「…………!!」」」
その言葉に、イリスたちは一瞬だけ頬を赤らめた。「私たちがいないとダメ」とプロポーズ同然の言葉を投げられたと思ったからだ。だが。 「……って、結局は筋肉の話じゃないのよーーー!!」 結局、美女三人の一斉ツッコミが応接室に響いた。
「……わかりました。ですが、公爵令嬢はかなりの『筋肉愛好家』。一度、直接お会いしたいと仰るでしょうな……」
ギルドマスターが去った後、ミスターはそっと胸元を押さえた。 (……あぶない。また『巨木』が英雄として立ち上がるところだった。この三人の密着度は、これまでのどのトレーニングよりも理性を削り取ってくる。……だが、嫌いではないこの負荷(感覚)は……新たな修行の形かもしれん)
ミスターは、まだしがみついて離れないイリスの頭を、不器用な手つきで一度だけポン、と叩いた。




