第2話:女神とミスターと、筋肉という名の加護
低木の林を抜け、ひときわ開けた場所にその家はあった。 簡素だが、しっかりと手入れの行き届いた木造の家。 家があるということは、そこに誰かが住んでいるということだ。少なくとも俺と同じ、物理的な実体を持つ存在が。
「文明があり、文化がある。それはつまり、栄養の摂取とトレーニング環境の確保が期待できるということだ」
ボッチとして生きてきた俺だが、この未知の世界では心機一転、堂々と振る舞うことに決めている。俺は迷わず、その家の扉を押し開けた。
「……ごめんください」
ここが俺の第二の人生――いや、「第二の筋生」が始まる場所だ。そう確信して足を踏み入れた俺の耳に、異様な音が飛び込んできた。
「ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ……」
そこにいたのは、俺の想像を絶する存在だった。 まず、驚くほどの美人だ。透き通るような肌、整った顔立ち。 特に目を引いたのは、そのプロポーションだ。女性の肉体は筋肉がありすぎてもしなやかさを失うが、かといって貧弱ではこの黄金比のようなラインは保てない。
(……相当なメンテナンスを積んでいるな。尊敬に値するバルク量だ)
のちに、この考えが「神の奇跡(無課金)」によるものであり、本人の努力は皆無だと知って絶望することになるのだが……今はさておき。 そんな絶世の美貌を持った彼女が、虚空を見つめながら「ぶつぶつ」と呪詛のような独り言を繰り返している。あまりにシュールで不気味な光景だ。
俺は彼女の言葉を聞き取ろうと、静かに歩み寄った。
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……」
……怖い。 美人が狂ったように同じ言葉を連呼している。どうやら俺の存在は、筋肉の欠片も視界に入っていないらしい。
俺は腹筋に力を込め、横隔膜を震わせて声をかけた。 「あの――ッ!!」 「ひゃい!!??」
気の抜けた叫び声とともに、彼女が跳ね上がった。正気に戻り、俺の顔を見るなり、その美しい瞳を驚愕に見開く。
「あなた!? ここまで自力で来られたの!? その……あの……ごめんなさいぃ!」
開口一番、土下座の勢いで謝られた。 「わ、私、この世界と神界を繋ぐ女神イリスと申します。ここは神の力が具現化する世界……。あなたの世界で言う、RPGゲームのような法則で動く世界だと思ってください」
呆然とする俺に、イリスは涙目で説明を続けた。 この世界の平穏を乱す悪を討つべく、異世界から「勇者」を召喚しようとしたこと。しかし、祈りの最中に手違いが起き、召喚のターゲットを間違えたこと。そして、その結果――。
「……つまり、召喚対象リストの隅っこにいた、誰の目にも止まらない『ボッチの俺』が呼ばれたと?」 「……はい、ごめんなさい。もう力も使い果たしちゃって……」
要するに、この女神はドジを踏んで俺を呼び出し、魔力を使い果たし、誰も来ないと思って絶望のどん底にいたというわけだ。
「まあ、会えたんだ。結果オーライじゃないか。よろしく、俺の名は――」
そこで言葉を止める。前の世界の名前に、もはや意味はない。 今の俺を定義するのは、この筋肉だけだ。ならば、それにふさわしい名を名乗るべきだろう。
「ミスター……と呼んでくれ」
「わかりました、ミスター。どうか、この世界を救うために力を貸してください」
深々と頭を下げる美人女神。悪くない。もう少し下げてもらえば、その豊かな大胸筋……いや、胸元がよく見える。 よく見ればこの女神、布面積が絶望的に少ない。ほぼ裸体に近い神聖な装束。 ……眼の保養(ビタミン剤)だ。
「ミスター、この世界は困難に満ちています。私の残された最後の力で、あなたに『神の加護』を授けましょう。何を望みますか? 魔法特化の賢者か、一撃必殺の聖騎士か――」
「いらない」
「え? なんと?」
「だから、いらん。俺には既に、鍛え上げた肉体(加護)がある」
俺の即答に、イリスの思考が停止した。 「……であれば、せめて武道家のような身体能力強化を――」
「それもいらん。俺は、俺が積み上げたこの筋肉が、どこまで通用するかを知りたいんだ」
絶望に染まる女神。だが、俺は一つだけ提案を思いついた。
「ならイリス様。あんたが俺についてきてくれ。最後の力が残っているなら、道中の解説役くらいはできるだろう?」 「え……えええええ!?」
こうして、魔法もスキルも拒絶した筋肉ボッチと、魔力切れのポンコツ女神。 世界の命運を懸けた、あまりにも暑苦しいパーティが結成されたのだった。




