第18話:スタンピードは絶好の有酸素運動
始まりの街『フルドライブ』。ここは本来、産声上げたばかりの冒険者が女神の加護(スキル水晶)を手に、スライムやゴブリン相手に初歩的な研鑽を積むための、長閑で平和な拠点である。
だが今、その平穏は過去のものとなろうとしていた。
「負荷が、足りない……」
街の広場、いつものように指先一つで上位魔物の眉間を撃ち抜いたミスターは、深く溜息をついた。 あまりの指の筋力に、弾かれた空気は熱を持ち、音速の壁を突破して真空の刃となる。これこそが彼が名付け、女神イリスが「世界観が壊れる」と全力で禁止している禁じ手**『指鉄砲』**だ。
「いい? ミスター、何度言ったらわかるの! 勇者伝説に『指デコピンで魔王軍を全滅させた』なんて不名誉な一ページを刻ませるわけにはいかないのよ! せめて……せめて『天の咆哮』とか、もっと女神の加護っぽい名前にしなさい!」
「名は体を表す。指から出るから指鉄砲。合理的だ」
そんな神学論争(?)を遮るように、街中に魔法拡声の悲鳴が響き渡った。
『緊急! 緊急! 冒険者の皆様、特にミスターパーティは至急、受付に来てください!!』
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ギルドのカウンターでは、受付の姉さんが震える手で地図を広げていた。
「皆さま……事態は深刻です。街の全方位から、数千を超える魔物の群れ――『スタンピード』がこちらへ向かっています!」
それは、遠く離れた玉座で眉をひそめる魔王の仕業であった。 「フルドライブ周辺での同胞の減少ペースが異常だ。何者かがシステムを破壊している。優秀な勇者候補が現れたに違いない……ここで芽を摘み、世界の終わりを早めてくれるわ!」
魔王の冷徹な判断により、これまで見向きもされなかった『始まりの街』は、一転して絶滅の最前線へと変貌した。 逃げ惑う冒険者たち、絶望に暮れる街の人々。 だが、そんな地獄絵図のような報告を聞きながら、ミスターだけは静かに、自分の上腕三頭筋を愛おしそうに撫でた。
「……数千セット、か」
ミスターの口角が、獲物を見つけた野獣のように吊り上がる。 彼にとって、これは「街の危機」ではない。運営が用意した、史上最大の「超高強度・長時間サーキットトレーニング」の会場開放に他ならなかった。
「皆が逃げ場を失う前に、俺が一人で乱入して『殴り合い(トレーニング)』をした方が早い。……よし、イリス、リリィ、シャナ。準備しろ」
「えっ、今から行くの!? 街の防衛設備を固めるんじゃなくて!?」 驚くイリスを置き去りにして、ミスターは既に玄関へと歩き出していた。
「防衛などという静的な運動は、俺の性分に合わん。向こうから来るなら、こちらはさらに速いスピードで突っ込む。……一万回の打撃、一万回の回避。これ以上の有酸素運動が、他にあるか?」
絶望するイリスを、さらに追い打ちが襲う。
「おじさん、それって……私のビッグバンも、たくさん撃っていいってこと!? 火力の調整、もうしなくていいの!?」 「ああ。焼け野原になったとしても、俺が後で土木作業(整地トレーニング)をしてやる」 「やったあ! 全力ビッグバン、一万発いっくよー!」
リリィの瞳が、ミスターと同じ「筋肉だるま」の狂気に染まっている。さらに、冷静なはずのシャナまでもが、短剣の感触を確かめながら不敵に笑った。
「……わかったよ。あたしも、そのデカい背中の後ろで、こぼれた獲物を片付けさせてもらうよ。これだけの数がいれば、罠外しの精度より、捌くスピードの訓練になりそうだしね」
イリスはこの瞬間、悟った。 (……だめだわ。このパーティ、まともな神経の持ち主が一人もいない……っ!) 神として、彼女はここで逃げるわけにはいかなかった。
「ちょっと! 全員やる気満々じゃない! ……もう、勝手にしなさい! その代わり、ミスター! 変な技名だけは絶対に叫ばないでよね! あと、指鉄砲もなるべく控えて!」
ギルドを飛び出した四人の前に、地平線を埋め尽くすような砂塵と、空気を震わせる魔物の咆哮が迫っていた。 絶望に震える街の人々を背に、ミスターは一人、最前線でリストガードを「ミチミチ」と音を立てて締め直す。
「よし……一万セットの開始だ。全筋肉、始動!!」
月光を浴びて膨らみ、血管を走らせるその肉体は、もはや魔王軍以上に「世界の終わり」を予感させる、圧倒的な鋼の暴力へと変貌を遂げていた。




