第15話:筋肉定食と、乙女たちの炭水化物革命
ギルド最上階の特別室。朝の光が差し込む広々としたリビングに、ミスターの野太く、張りのある声が目覚まし時計代わりに響き渡った。
「いいか、朝食は一日の代謝のスイッチを入れる、最も重要なセッションだ。リリィ、火加減はどうだ! 予熱は完了しているか!」
「おじさん、バッチリだよ! 鶏胸肉の外側だけを爆速で焼き固めて、中の肉汁を一滴も逃さない『ビッグバン・ロースト』!」
キッチンのコンロ前では、リリィが愛用の杖を構え、精密な爆裂魔法を極小規模で連続展開させていた。それはもはや、異世界の常識を超えた超高性能ガスバーナーの極致である。
「いいぞ、メイラード反応を促進させつつ、タンパク質の熱変性を最小限に抑えろ。シャナ、野菜のカットは!」
「……やってるよ。言っとくけどさ、あたしの短剣は高感度の罠を外すための精密機器であって、ブロッコリーを一口サイズに刻むためのもんじゃないんだからね」
文句を言いながらも、シャナは盗賊特有の、目にも止まらぬ高速の運剣を披露していた。まな板の上で、ブロッコリーが寸分違わぬサイズに次々と切り刻まれていく。
そしてテーブルの中央には、ミスターが独自配合で錬成した、見た目だけは禍々しい「特濃・謎ドリンク」が人数分、冷ややかな威圧感を放ちながら並べられていた。
「さあ、食え。今日の一日の筋肉を決定づける、黄金のPFCバランスだ」
席についたイリスが、テーブルの上に並べられた「茶色(肉)と緑(野菜)」だけのストイックすぎる食卓を見つめた。フォークを握ったまま、彼女の肩がプルプルと小刻みに震えだす。
「……ねえ、ミスター。一言、いいかしら」
「何だ、イリス。ビタミンが足りないか? 必要なら卵をあと三つ追加してもいいぞ」
「そうじゃないわよ! 毎日毎日、鶏胸肉、ブロッコリー、卵! たまには……たまには女神らしく、甘くてふわふわした、あの王都名物の『ハチミツたっぷりパンケーキ』とか食べたいわよ!!」
「パンケーキだと?」
ミスターは、まるで「猛毒を皿に盛れ」と言われたかのような、信じられないものを見る目でイリスを凝視した。
「あんなものは精製された糖質の塊だ。血糖値を急上昇させ、インスリンを過剰分泌させ、脂肪合成を加速させるだけの『バルクアップの敵』。いわば、肉体への背徳行為だぞ」
「そんなの知るかーーー!!」
イリスが、女神の威厳をかなぐり捨ててテーブルを叩いた。
「いい? 私たちは絆を深めた仲間でしょ!? 仲間の精神的な健康を維持し、ストレスホルモンであるコルチゾールを抑制するのも、スタビライザーである私の役目なの! 今すぐ炭水化物を出しなさい! あと生クリームも!」
「おじさん……実は私も、ちょっとだけ……お砂糖が恋しいかも……」
「あたしも……。最近、体が塩気より甘いもんを欲してんだよね。指先の感覚が鈍っちまうよ」
リリィとシャナまでが、イリス側に寝返った。三人の乙女たちの切実な視線が、ミスターの強固な大胸筋に無言の圧力をかけて突き刺さる。
「……くっ。……女子のメンタル維持、か。それも一種の『アクティブリカバリー』として計算に入れるべきか……」
ミスターは腕を組み、かつてないほど深刻な顔で悩み始めた。
「……わかった。ならば、俺が理想的なパンケーキを作ってやる」
「え、ミスターが作るの?」
「ああ。イリス、ギルドの倉庫から『大豆粉』と『天然甘味料のラカント草』、それから『低脂肪のヤギミルク』を持ってこい。シャナ、卵白を角が立つまで最速で泡立てろ。それが生地の膨らみ(バルク)と食感の要になる」
乙女たちは、ミスターが語る謎の理論に首を傾げつつも、久しぶりの「甘いもの」という響きに興奮し、指示通りに動いた。
「シャナ、もっと速く混ぜろ! 筋肉を連動させるんだ!」
「わ、わかってるよ!」
リビングには、普段の戦闘以上の一体感が生まれていた。
数十分後。 食卓に並べられたのは、見た目こそ「パンケーキ」の形をしているが、どこか質感が「高密度の防音スポンジ」のような、圧倒的な存在感を放つ代物だった。
「……これ、ちゃんと甘いの?」
シャナが恐る恐るナイフを入れ、一口食べる。それに続き、イリスもリリィも、祈るような気持ちで口に運んだ。
「「「…………美味しい(意外と)!!」」」
「大豆の香ばしさと、卵白による高密度の食感。そしてラカント草による、血糖値を乱さない上品でクリーンな甘みだ。これなら筋合成を妨げず、精神の安定も図れる。『正解』の甘味だ」
ミスターは満足げに頷き、自分も特大の一切れをガブリと口に運んだ。
「……ふん。たまには『チートデイ(計画的な暴食)』も悪くないな。肝臓のグリコーゲンが満たされていくのを感じる」
「おじさん、これなら毎日でも食べられるよ!」
「バカ言え、これはあくまで例外だ。明日はしっかりサバの塩焼き(オメガ3脂肪酸)に戻すからな。サバの脂は血管の掃除屋だ、忘れるなよ」
「えーーー!!」
不満を漏らしながらも、三人は笑顔でパンケーキ(高タンパク・低脂質版)を頬張った。 ミスターの極端な「筋肉哲学」に振り回されつつも、彼女たちの日常は、確実に甘く、そして力強いものへと変わっていた。
「……ところでミスター。あなたの分だけ、パンケーキの厚みが私の三倍くらいあるんだけど? 皿から溢れてるじゃない」
「俺の基礎代謝をなめるな。この質量を維持するには、これくらいの炭水化物は一瞬で代謝エネルギーとして消える」
「……ただの食いしん坊じゃない!」
笑い声が、朝の特別室に響き渡る。 剣術も魔法もスキルも届かない、しかし何よりも尊く幸せな「肉体(日常)」のひととき。
食べ終わった後の彼らの皿には、一切れの残しもなく、ただ充実した「満足感」だけが盛り付けられていた。




