私の推し
問題。
今の私の感情を簡潔に十文字以内で述べよ。
好みのタイプの男子がいます。見た目も性格もかなりタイプ。ある日、そんな彼が友だちと一緒にいるところに遭遇しました。そしたら彼の友だちがイケメンでした。目が秒で焼けました。そのまま全身灰になるかと思いました。
模範解答。
「選べるわけないじゃない」(字余り)
こんな一ミリも生産性もない自問自答を何度も何度も頭の中で繰り返す。だって仕方ないじゃん。タイプ過ぎるんだもの。
就職活動を終え、メンタル的に余裕のある今の私にとってこの状況は歴代トップレベルで幸せなのだ。恋愛的イベントはまだなにも発生していないけれど、私、久本 葵は毎日が最高です。
もともと、タイプは全て二次元だった。なんなら私の中高の青春は全て画面越しの恋と言っても過言ではない。
きっかけはアニメだった。主人公ではなくサブキャラ。パワータイプよりも知性派。陽キャラよりもどこか影のある掴めないキャラ。気づけばそんなキャラばかりを好きになり、そんなキャラのアクスタばかりが勉強机を埋めていった。
高校進学とともにアルバイトを開始。その頃から二次元アイドルにのめり込む。
Shooting StaRsのJupiteRはまじで神。もう歌声が神かがかってるし、ビジュアルも後光がさして眩しいし、全てが最高。なにがどう素晴らしいか話しだしたらたぶん本が五冊ぐらい書けるけど、私みたいなモブキャラがそんなことするなんておこがましいから却下。でもJupiteRが神なのは間違いない。
動画配信サイトでJupiteRを見てすぐに信者になった私。一目でもう貢ぐしかないと思ったし、即ファンクラブに入ったし、JupiteRの活動を邪魔する奴は排除するしかないと誓った。その決意は今も変わらない。
近所のハンバーガーチェーンで可能な限りシフトを詰め込んで、稼いだお金は全てJupiteRに捧げた。
「推しは扶養家族」
ファンクラブのオフ会で知り合った社会人女性の言葉だ。この言葉は家族から愛を与えられなかった私にはあまりにも刺さりすぎた。誰にも愛されないのなら私が誰かを愛すればいい。推し活こそ私の全てとなるきっかけとなった。
この言葉を私に授けてくれた女性は独身で給料の全てを推しに捧げていた。高校生の私にはその人が輝いて見え、師匠と崇めた。師匠の背中はいつも大きくて、そんな背中を見て、いつか私もそうなりたいと思いバイトに打ち込んだ。
勉強そっちのけで推し活に勤しむ私を親は止めなかった。なんなら見ようともしなかった。
子どもの頃からできのいい兄。それに比べて何もかもが中の中の私は、親に期待されたことがない。
褒めてもらいたくて努力をした時期もあった。でも、どれだけ結果を出しても
「お兄ちゃんはもっと上手くできていた」
「頑張ってその程度なの?」
「できて当たり前でしょう?」
としか言ってもらえず諦めた。諦めて興味がないことを頑張ることをやめた。
親は下がる私の成績に興味がなく、勉強をしなくても小言すら言われなかった。
「お前は好きに生きればいい。お兄ちゃんに迷惑をかけなければ」
中学三年の誕生日。父に言われた言葉だ。ちなみに「おめでとう」の言葉はなかった。もちろん母からも。まあ、物心ついた時から言われた記憶がないので、今更なにも思わなかったけど。
一度だけ、どうしてうちはこんなんなんだろうと気になり聞いたことがある。聞いた相手はおばあちゃん。私のことを唯一かわいがってくれる母方のおばあちゃん曰く、私が生まれた当時はこんなふうになるとは考えたこともなかったらしい。
「ごめんよ、気づいた時には二人ともあんたを見なくなってた」
「前はこんな感じじゃなかったの?」
「もちろん、葵のことを二人とも大切にしてたよ。お父さんなんて『葵のためにいいフランス人形を買ってやるんだ!』ってズレたことを言ってたよ」
「フランス人形?」
「情操教育にいいって聞いたんだってさ。色んな骨董屋を回ってたよ。ちょっと変だとは思ってたけどあの目は真剣だったね。いいのが見つかったって聞いたことがあるんだけど、家にフランス人形はあるかい?」
「さあ、私フランス人形なんて覚えてないけど……処分されちゃったのかな」
「どうだろう。なかなかの値段だって言ってたから、そんな簡単には捨てられないと思うけど。一回聞いてみたら?」
「……うん」
大好きなおばあちゃん。そんなおばあちゃんにこの会話の後「役に立てなくてごめんね」と言われた。
おばあちゃんは何も悪くない。でも、謝らせてしまったことがショックだった私はこのことについて考えることをやめた。もちろん、父にフランス人形のことは聞いていない。
親にリミッター機能がない私は高校三年間はバイト漬けの生活をするつもりだった。毎日バイトをしてJupiteRを養う毎日。そんな毎日が続くと思った。けど、高二の夏に世界が変わった。
師匠が破産した。
師匠はJupiteR以外にも何人も推しがいた。そして、推したちを扶養するために借金をしていたらしい。借金をしてまで推し活をするなんて素晴らしいことだと思ったけれど、結果、サラ金にまで手を出して、首が回らなくなったんだとか。
師匠から一度お金の相談を受けたことがある。師匠のことは尊敬している。けど、師匠は師匠であって私の推しではない。扶養家族でない人にお金を渡すのはいかがなものかと、返答に悩んでいるうちに音信不通になった。全く連絡が取れず心配していると、実家に帰ったという風の便りを耳にした。でも、詳しくはよく知らない。
消えた師匠を見て、私は『大学に行ってでっかい会社に入る。そして、たくさん給料を稼いで推しを養う。でも、推しは増やし過ぎない』と決意した。
破産しないよう無理のない範囲で長く養う、それが私の生きる道だと決めた。
もちろん大学に行ったからといって大企業に就職できるとは限らない。それは百も承知だ。でも、確率は上がるはず。そう考えた私は泣く泣くJupiteRの推し活をセーブして勉強に集中。結果、金相場のような右肩上がりで学力が伸び、隣の県の国立大学に入学することができた。
私に興味のない親は、私が大学に受かったと報告しても、一人暮らしをすると言っても「あ、そう」としか言わなかった。アメリカの大学に通い、一時帰国していた兄も「そんなところ行くんだ」と冷たく笑うだけ。そんな家族を見て私の家族はJupiteRだけだと改めて感じた。
大学入学後は一人暮らしと同時にまたバイトに打ち込み稼いだ。下宿先の近所にある弁当屋『かもめ亭』でのバイトは稼げるし、残ったお弁当が安く買えるので食費も浮くという素晴らしい勤務先だった。
ローカルチェーンのかもめ亭。全国チェーンのお弁当屋さんには圧倒的に知名度で負けるけど、味は全然負けてない。なんならかなり美味しい。こっちに引っ越してくるまで知らなかったけど、この辺りではかなり有名らしい。人気商品は唐揚げ弁当で私もよく食べる。
ほぼ毎日シフトを入れていたため、すぐにバイトリーダー的なポジションになった私。でも、三年の途中から就活が終わるまではしばらく休ませてもらった。店長や周りのバイトは嫌そうな顔をしてたけど、これまでの貢献度を考えればこの程度のわがままはかわいいものだ。就活とその気分転換の推し活に集中するため、私はわがままを押し通させてもらった。
就活に苦戦したもののなんとかメガバンクに内定を獲得。それと同時にバイトに復帰。私の推し活の未来はこれで安泰たと思っていた。そんな時だ。三次元に推しが爆誕した。




