恋の相談と、勘違い
午後の学園庭園。
秋の陽光がレンガ造りの柱を照らし、白いテーブルクロスの上で紅茶の水面がきらめいていた。
エリオット・フォン・アルトハイム殿下と、レイナ・フォン・シュヴァルツは、穏やかなひとときを過ごしていた。
「殿下、今日の茶葉は特別ですのよ。王都から届いたばかりのアールグレイです」
「さすがレイナ。香りだけで分かるとは、さすが紅茶の魔術師だね」
「殿下、それは褒めていらっしゃるのですか?」
「もちろん。君が選ぶものは、いつも間違いがない」
エリオットの穏やかな笑みに、レイナは小さく微笑んだ。
その視線のやり取りには、言葉より深い信頼があった。
――そのとき。
「れ、レイナ様! 殿下!」
明るい声が芝生の向こうから響いた。
振り向くと、淡い栗色の髪を二つに束ねた少女――ミラ・フォン・リーヴァ男爵令嬢が、
勢いよく駆けてくるところだった。
「おや、ミラ嬢。どうしたのです?」
「はぁ、はぁ……お邪魔して申し訳ありません! あのっ、少しだけお時間を……!」
レイナは少し眉を上げたが、にこやかに応じた。
「構いませんわ。どうぞお座りになって」
ミラはそっと腰掛け、しかしすぐに膝の上で手をぎゅっと握りしめた。
「レイナ様……その……私、好きな方ができてしまったんです」
――好きな方?
レイナの手がぴたりと止まる。
その言葉が、心の奥に重く響いた。
まさか――。
レイナはちらりと、向かいの殿下を見た。
エリオットは穏やかに微笑んでいる。
……まさか、殿下?
胸の奥が、わずかにざわめいた。
笑顔を保ちながらも、紅茶の香りが遠のいていく。
「……それは、どなたかしら?」
なるべく平静を装いながら尋ねる。
「えっと……」
ミラは頬を赤らめ、視線を泳がせた。
レイナの中で、言葉にならない不安が広がっていく。
殿下は誰にでも優しい。
ミラのような明るい子が好意を持つことも、ありえる……。
「まさか……殿下のことでは、ありませんわよね?」
思わず声が少しだけ硬くなった。
エリオットが一瞬驚いたように顔を上げる。
「えっ!? ち、違います! ちがいますっ! そ、そんな滅相もございません!」
ミラは慌てて両手をぶんぶんと振り回した。
「わ、私はただ! お兄様の護衛の方を、その……!」
レイナは一拍の沈黙のあと、深く息をついた。
――よかった。
口元に微笑を戻しながら、
「ふふ、早とちりをしてしまいましたわね。驚かせてごめんなさい」
と小さく頭を下げた。
エリオットは軽く咳払いをして、カップを置く。
「レイナでも勘違いすることがあるとは。珍しい」
「殿下、そういう時は笑うのではなく、慰めてくださいまし」
「はは、それもそうだ」
軽口が戻り、空気が柔らかくなる。
ミラは頬を押さえながら、まだ動揺している。
「本当に申し訳ございません! そんな、殿下をお慕いするなんて恐れ多いです!」
「落ち着いて、ミラ嬢。誰も責めてはいませんわ」
レイナが優しく言うと、ようやくミラも息を整えた。
「……実は、恋のご相談をしたくて。
その方、真面目で寡黙なんですけれど、たまに優しい言葉をくださって……
それが嬉しくて、胸がきゅっとしてしまって」
「なるほど」
レイナは微笑みながら頷いた。
「恋というのは、不思議なものですわね。
理屈ではなく、心が勝手に動くもの。
でも、ミラ嬢のように素直に想えるのは、とても素敵なことです」
「レイナ様……ありがとうございます」
ミラの表情がほっと緩んだ。
その笑顔を見て、レイナはようやく心から安堵した。
ほんの少し前まで感じていた嫉妬が、まるで幻のように消えていく。
エリオットが静かにカップを傾けながら、口を開いた。
「いい相談役だね、レイナ。君は人の心の動きをよく見ている」
「殿下こそ。人の心を揺らす天才でいらっしゃいますわ」
「それは褒め言葉だと思っておくよ」
「ええ、褒め言葉ですわ」
三人の間に、柔らかな笑いが広がった。
ミラは勢いよく立ち上がり、
「本当にありがとうございます! 頑張ってみますね!」
と明るく笑う。
その姿を見送りながら、レイナはふと呟いた。
「殿下……わたくし、驚いたんですの。
一瞬でも、殿下が他の女性を好きになったらって思ったら……胸が痛くなりました」
エリオットは優しく彼女の手を取る。
「そんな日が来ると思う? 君以上の人なんて、この国にいないのに」
レイナは小さく笑いながらも、頬を染めた。
「……もう、そうやってすぐお上手を言う」
風がそよぎ、紅茶の香りが再び戻ってきた。
秋の午後の陽光の中で、三人の心はそれぞれに温かく揺れていた。




