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「佐伯君は昔からこの辺に住んでるの?」
「……まぁ、そうだね。小さい頃から」
「じゃあ地元民なんだね」
長瀬さんは僕の方を見上げながら笑顔を見せる。ただ、見上げるといっても僕と彼女の身長差はそこまで大きくない。彼女が女子の中でも背が高いということを隣に立って改めて知った。
「引っ越してきて思ったけど、ここはすごく過ごしやすくていいところだよ」
「そうなんだ」
「うん。わたしが前に住んでたところはいかにも都会って感じで、個人的にはちょっと息苦しかったんだよね」
「……都会が、息苦しい」
僕はふと、そう呟いていた。
「そうそう。ビルばかりで殺風景だったり駅とかでたくさんの人が忙しなく動いてたり。そういう様子ってなんか落ち着かなくない?」
「そうだね。それは分かる気がする」
遠い記憶がぼんやりと浮かび上がる。歩いているだけなのに、少し呼吸が浅くなった。
「都会は都会で便利ではあるんだけどね。でもわたしは今の生活の方が性に合ってる気がする」
少し親近感を覚えつつも、意外な一面に驚いた。彼女には都会の方が合っている気がしたからだ。彼女のことをよく知らない僕の完全なイメージではあるけれど。
「地元が恋しくなったりとかはしないの? 向こうに残してきた友達もいるでしょ?」
「もちろんいるけど、今はスマホでいつでも連絡とれるからあんまり苦じゃないかな。頑張れば会いに行くこともできるしね」
彼女はスマホを片手に笑いながら言った。
すると今度はぎゅっとスマホを握り、
「それに、せっかく引っ越したんだからこっちにいる時間も大事にしたいんだよね」
と、噛み締めるように言った。
「そうだ! 佐伯君、連絡先交換しようよ!」
「え? なに、急に」
「連絡先だよ。スマホ持ってるでしょ? ライン交換しよ」
僕はズボンのポケット越しにスマホを触る。
そのスマホにラインは一応入っている。登録されている連絡先は祖父母の二人、あとはニュースやクーポンが届く公式アカウントがいくつか入っているだけだけれど。
僕が固まっていると、彼女はスマホを片手にじっと僕の方を見つめてきた。目を逸らしても、彼女の視線が僕を捉えて離さないのが感覚的に伝わった。
迷った末、僕はスマホを取り出し彼女とラインを交換した。彼女に押し切られたというのもあるけれど、僕も断る理由を見つけることができなかった。
お互いのラインにお互いの連絡先が追加されたことを確認して、彼女が言った。
「これでいつでも話できるね」
「急に電話とかはしないでよね」
「急用じゃない限りはしないよ。するときは事前にメッセージ入れるから安心して」
彼女はそう言って、うれしそうにスマホを見つめた。
「あ、わたしの家もうすぐだ」
目の前に住宅街が見えてきたところで彼女が言った。
「やっぱりここなんだ」
「え? やっぱり?」
「この辺りで一番開発が進んでるところだから、引っ越すのならここだろうなって思って」
「そう言えばお母さんもそんなこと言ってたなぁ。いろんなお店があって生活には困らないって」
たしかにスーパーとかあるから便利だよね、と彼女は呟いた後、今度は、あっ、と声を上げた。
「あれ、わたしの家だよ」
彼女がそう言って指さす方向にはきれいな五階建てのマンションがあった。「あそこの三階に住んでるんだ」と彼女は付け足す。僕は「そうなんだ」と呟きながら、彼女が指さす三階部分を見つめた。外観から整った内装が連想される。きっと毎日あの中ではドラマで見るような温かい一般家庭の日常が繰り広げられているのだろう。
「じゃあ、僕はこれで」
僕は彼女に視線を戻し、軽く手を挙げた。彼女の家に着いたのだから、ここでお別れだ。しかし、僕が家の方向へ歩き出すのを彼女は呼び止めた。
「佐伯君はどこに住んでるの?」
「この住宅街を抜けた先の橋を渡ったところだけど」
「じゃあわたし送ってくよ!」
「え? なんで?」
彼女の思わぬ発言に間の抜けた声が出た。
「もっと佐伯君と話したいと思って。ダメかな?」
「ダメっていうか……」
今日は彼女の突拍子もない発言に驚かされてばかりだ。似たようなやり取りを何回もしている気がする。
「暗くなってくるし、素直に家に帰った方がいいじゃないの?」
付いてきてほしくなくて、僕はあえて彼女を気遣っている風に言った。実際、辺りは日が落ちてきて夕方から夜へと切り替わる準備が始まっている。
「まだ真っ暗じゃないし大丈夫だよ。それに、うちはまだ親が帰って来てないし」
思いのほか彼女は食い下がってきた。焦ったような表情に、なぜか必死さが表れているようにも見える。
正直、長瀬さんと二人でいることについて、僕はあまり抵抗を感じなくなっていた。だから、今抵抗を感じているのは彼女が僕の家に来てしまうことについてだ。それも、自分のことだけでなく彼女のことも考えた結果生まれているものだけれど、彼女は知る由もない。
僕が黙ったままでいるのを彼女は動かずに見つめていた。連絡先を交換した時と同じく、僕の了承を得るまでてこでも動かないという意思が感じられる。彼女の押しの強さを前に自然とため息が漏れた。
「わかった。いいよ」
結局根負けして、僕はしぶしぶ了承した。
このまま立ち往生していても埒が明かない。家の前で立ち話せずにさっさと分かれてしまえば僕の懸念は払拭されるはずだ。
「やった! じゃあ行こう!」
彼女はパッと笑顔を咲かせた。
いったいなにがそこまでうれしいのだろう。
僕はもう一度ため息を漏らし、家の方向へ彼女を先導した。