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二人を繋ぐ〝あしながおじさん〟

 ――最初のページに収められているのは、愛美が初めて送った手紙だった。便箋二枚分に書かれた手紙と、封筒も一緒にファイルされている。どのページも同じだった。


「……あ、この手紙も取っておいたの? 『シュレッダーしちゃって』って書いたのに」


 ページをめくっていた手をピタリと止め、愛美は頬を膨らませた。そこに収まっているのは、〝構ってちゃん〟になっていた愛美が出した一通。さんざん憎まれ口を書き綴ったあの手紙だった。


「ごめん、愛美ちゃん。でも、俺にとってはこれも君の大事な成長の一部分だから」


「わたしにとっては、書いたこと自体が黒歴史なのに」


 その次のページは、インフルエンザで入院していた時に病室から出した――正しくはさやかに出してきてもらった手紙だった。



****


『拝啓、あしながおじさん。


 わたしってホントにバカですね。自分でもそう思います。

 先週出したあの最悪な手紙のこと、なかったことにしてもらえませんか? あれを書いた時のわたしはもうネガティブモード全開だったうえに、喉が痛くて熱っぽかったんです。

 具合が悪かったなんて自分では気づいてなくて、あの手紙を出した翌日に四十度の高熱を出して付属病院に運ばれました。インフルエンザに感染してて、そのせいで高熱が出てたみたいです。

 感染症なので個室に入院してて、今日で一週間になります。やっと熱が三十七度台まで下がったので、ベッドを起こしてもらって、点滴も外してもらいました。手紙を書きたいってお願いしたら、「また熱が上がるかもしれないから、あまりムリに長く起きていないようにね」って看護師さんから言われました。

 わたしはどうしてあんな手紙を書いちゃったんだろうってずっと後悔してて、おじさまが許して下さるまで病気もよくならない気がしてます。まだ喉が痛くて、お粥もあまり喉を通ってくれないくらいです。

 あんなことをしちゃったから、バチが当たっちゃったのかな。こんなわたしですけど、どうか許して下さい。

 ちょっと頭がボーッとしてきました。今日はこれ以上書けそうにありませんので、これで終わります。 かしこ


二月二十七日       入院中の愛美より』


****



「――純也さんは、こうやって全部の手紙をちゃんと読んでくれてたんだね。だから、わたしがインフルエンザで入院してるって分かって、お見舞いにあんなキレイなフラワーボックスを送ってくれたんだよね。丁寧な手書きのメッセージカードまでつけて」


「うん。君が入院してるって知って、俺は居ても立ってもいられなくなった。絶対に君からの手紙には返事をしないって誓ってたけど、その誓いをあの時だけは自分で破ったんだよ」


「ねえ純也さん、そういえばずっと疑問に思ってたんだけど。どうして純也さん、あのカードを書いた時は筆跡が違ってたの?」


 先週純也さんから送られてきた手紙の筆跡は、比べてみたらあのカードのそれとは違っていた。それには一体どんなカラクリがあるんだろう?


「実は俺、両利きでね。左手と右手で筆跡を使い分けられるんだ。普段字を書くときは右手で書いてるんだけど、あのカードの時だけはとっさに左手で書いちゃったんだよ。まあ、筆跡で見破られるとは思ってなかったけど」


「そういうことだったんだ……」


 分かってみれば単純な理由だったけれど、愛美は納得した。それにしても、まさか彼が両利きだったなんて。


 その後も、彼は愛美から届いた手紙を一通も漏らさずファイルしていた。バレンタインデーに、久留島さんに贈ったマフラーに添えた手紙もその中に含まれている。


「そういえば、久留島さんがあのマフラーをすごく喜んでたよ。今年の冬も使ってた」


「そうなの? よかった。今年のバレンタインデーは何もできなくてごめんね」


「気にしないでよ。あの頃は愛美ちゃん、忙しかったもんな。それは俺もちゃんと分かってたから何も言わなかったんだ」


「そっか。気遣ってくれてありがとう」


 実はそのことを気にしていた愛美は、純也さんにそう言ってもらえてホッとした。

 バレンタインデーの頃といえば、ようやく出版されることが決まった最新作――〈わかば園〉が舞台の長編小説の執筆が佳境に入っていた頃だった。学年末テストもあったし、愛美はその頃ものすごく忙しかったので、彼もそのあたりの事情を察してくれていたんだろう。


 ――すべての手紙に目を通し終えた愛美は、アイスティーを一口飲んだ後に口を開く。彼にどうしても訊ねたいことがあったのだ。


「ねえ、純也さん。あなたは女の子が苦手だったんだよね? なのに、どうしてわたしを援助することにしたの? どうしてもわたしを助けたかった理由があったはずだよね?」


「その理由は……これだったんだ」


 彼はリビングの本棚から、一冊の文庫本を取り出して愛美に差し出した。それは愛美も幼い頃から大好きで、今も愛読書となっている作品。翻訳した人こそ違っているけれど。


「これって……、『あしながおじさん』! わたしも同じ本持ってるよ。……でも、男の人でこの本を読んでる人って珍しいかも」


「やっぱりそう思うよな。でも、俺も子供の頃からこの作品が好きで、愛美ちゃんほどじゃないけど何冊か集めて読み比べをしてたこともあったんだ」


「そっかぁ」


 純也さんも読書が好きだということは前に聞いていたけれど、『あしながおじさん』を愛読していたことまで共通していたなんて。愛美は彼に対してさらに親近感が湧いた。


「でね、いつからだったか、自分とジャービスを重ねるようになったんだ。境遇も似てるしね。だから、俺も彼と同じようなことができるかもしれないって、大人になってからは考えるようになって。それでわかば園の理事を引き受けて、施設に毎月寄付をしたり、子供たちの進学を支援したりするようになった。……そして、中学卒業後の進路に悩んでる君のことを知って、『この子が俺にとってのジュディだ!』って思ったんだよ」


 彼はそこまで話すと、愛美に向けてニコッと微笑んだ。


「俺はジャービスに……、君にとっての〝あしながおじさん〟になりたかったんだ。それが、君を援助しようって決めた理由だよ」


「それじゃ、わたしは純也さん……あなたにとってのジュディだったってこと?」


「うん、そういうこと」


 愛美が自分自身をジュディと重ねていたように、彼もまた彼自身を〝あしながおじさん〟=ジャービスと重ねていたのだ。二人を繋いでいたのは、やっぱり『あしながおじさん』だった。


「……なんだ、わたしと同じだったんだね。実はわたしも、ジュディと自分を重ねてたの。あなたが茗倫女子に進学させてくれるって分かったあの日まで、『こんなこと、自分に起こるわけないよなぁ』って思ってたんだ。こんなの、物語の中だけの話だって」


「そうか……。まあ、現実にあのとおりのことが起こるなんて思わないよな」


 そう、純也さんが学校を訪ねて来るまでは、愛美もただの偶然だと思っていたのだ。


「ところで、俺からも一つ、君に訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」


「うん。なに?」


「ジュディは〝あしながおじさん〟のことを老紳士だと思ってたのに、君は最初から若いって信じて疑わなかったろ? あれはどうして?」


 確かに、物語の中でジュディは、最後の最後まで〝あしながおじさん〟のことを老紳士だと思っていた。ジャービスの家で、彼が正体を明かすまでは。


「それはね、初めてあなたのシルエットを目にした時に、『あれ? この人、まだ若いんじゃない?』って思ったからだよ。だからずっと、『〝あしながおじさん〟は若い人なんだ』って思ってきたの。純也さんがその正体だって分かった時、『ああ、やっぱり』って思った。っていうか、何となくは正体にも気づいてたんだけどね」


 それは、愛美が小さい頃から『あしながおじさん』の物語を読み込んでいたからかもしれない。だから自然と、純也さんのことをジャービスと重ね合わせて「この人が〝あしながおじさん〟なんだ」と思ったのだろう。


「それに、純也さんがウッカリしすぎてたせいでもあるんだよ。うまく正体を隠してたつもりでも、しょっちゅうボロ出しまくってたから。自覚ないでしょ?」


「あれ? 俺、そんなにボロ出しまくってたかな……」


「ほらね、やっぱり自覚ないじゃない」


 純也さんが頭をポリポリ掻くのを見て、愛美は愉快そうに笑った。


「そういえば、久留島さんってすごくいい人だね。わたしもあの人には感謝しかないよ。表立って動けないあなたの代わりに、わたしのために色々してくれて。ジュディは秘書のグリグスさんのことを嫌ってたけど、わたしは久留島さんのことキライになれないな」


 多分、ジュディもただグリグスさんのことを誤解していただけで、彼もいい人だったんだろう。あの物語の後、誤解は解けたんだろうか?


「ああ、久留島さんは俺の父親代わりみたいな人だからね。母同様、父にもいい感情は抱いてこなかったから。彼がいてくれなかったら俺の仕事は回らないし、心の支えでもあるんだ。色々と相談にも乗ってもらったりしてるし」


「それは、純也さんの人柄がいいからだと思うよ。あなたが純粋に困ってる人を助けたいって思ってるから、あの人もそれを応援してくれてるんだよ。わたしの件だってそうだったんじゃない? あの人はイヤな顔をすることなく、喜んで協力してくれたんじゃないかな?」


「君の言うとおりだよ。彼は俺が『協力してほしい』って頼んだ時、二つ返事で引き受けてくれた。『純也様のために、私ができることなら何でもお手伝い致しますよ』って言ってくれてね。嬉しかったなぁ。……色々と無茶なことも頼んでしまったけど、彼は一度も嫌な顔を見せたことがなかったよ。彼には本当に感謝してる」


「そうなんだ……。純也さんと久留島さんとの間には、しっかりした信頼関係があるんだね」


 久留島さんが純也さんの頼みごとを快く引き受けてくれるのは、純也さんが彼への感謝の気持ちをいつも忘れずにいるからだろうと愛美は思った。


「――あのね、純也さん。そろそろ本題に入ろうと思います。……わたしがあなたからのプロポーズをお断りした、ホントの理由なんだけど」


「……はい。どうそ」


 ずいぶんと前置きが長くなってしまったけれど、愛美はやっと重い口を開くことにした。これを話さないことには、今日ここへ来た意味がない。……でも、その間に愛美の方の疑問は解決したのだけれど。


「わたし、もちろん施設出身だったことに負い目もあったんだと思うけど。ホントの意味で経済的にも自立しないと、純也さんの結婚相手としてふさわしくないって思ってたの。だから、純也さんに負担してもらった分のお金を全額返してやっと、あなたと対等な立場になれるから、それからじゃないと結婚できないって思った。……でも、そんなんじゃいつになったら結婚できるか分かんないよね」


「……ああ、そうだよな。じゃあ、それがプロポーズを断った本当の理由?」


「うん。でもね、わたしはジュディと同じだから、大好きな人と家族になりたい。ジュディがジャービスのことを大切な人だと思ったみたいに、わたしも純也さんのこと、わたしのこれからの人生にとって大切な人だと思ってる。だから……お断りしたことは撤回させて下さい。これからもずっと、あなたの側にいたい。それがわたしの本心です」


 言葉を大事にする作家という職業ながら、愛美はつっかえつっかえ自分の想いを彼に伝えた。でも、十九歳の彼女にとってそれが精いっぱいだ。


「…………それは、俺と結婚してくれるってことでいい……のかな?」


「うん。改めて、あなたからのプロポーズをお受けします。これからもよろしくお願いします」


「ありがとう、愛美ちゃん。本当にありがとう! いやぁ、嬉しいよ! よかった……」


 愛美は今度こそ、嘘いつわりのない自分の本当の気持ちで、彼にプロポーズの返事を伝えることができた。そして、彼女にはもう一つ、彼に伝えたい想いがあった。


「純也さんにはこれからも、わたしにとっての〝あしながおじさん〟でいてほしい。だから……、また時々は手紙書いてもいいかな? ジュディみたいに、〝あしながおじさん〟宛てで」


「もちろんいいよ。ただし、表書きはちゃんと俺の名前にしてね。郵便局員を困らせちゃダメだぞ?」


「分かってます」


 純也さんは多分、愛美をからかっているんだろう。だから、口を尖らせながらも愛美は笑った。


「愛美ちゃん、俺の方からまた会いに行くよ。そうだ! 今年の夏はまた千藤農園で一緒に過ごさないか?」


「うん、いいね! 実は春にね、さやかちゃんと多恵さんと夏野菜の苗を植えたの。だから一緒に収穫しよ。大学の夏休みは少し長くて二ヶ月もあるから、一緒にのんびりできるね。あとは……純也さんのスケジュール次第かな」


「それはもちろん、久留島さんと相談して、長く休暇が取れるようにうまく調整するよ」


「よかった」


 去年の夏は家庭教師のバイトを引き受けたので、半ばケンカ別れのような形で彼と別々に過ごすことになってしまったけれど、今年の夏はまた彼と一緒に過ごせる。それも、婚約者として。幼くして両親を亡くし、親戚にも裏切られてしまった愛美にとって、初めて本当の意味での家族となる人ができたのだ。


「……じゃあわたし、そろそろ帰るね。純也さん、今日は忙しいのにわざわざ時間を作ってくれてありがとう」


 愛美がふとスマホで時刻を確かめると、もうここを訪れてから一時間以上も経っていた。それを「長居」と言うかどうかは微妙なところだけれど、忙しい彼の時間をこれ以上奪ってしまうのは申し訳ない気がした。

 それに、まだ外は明るいけれど、寮へ帰りつく頃には薄暗くなっているだろうし。


「もう帰っちゃうのか。じゃあ、久留島さんに連絡を入れておくから、ちょっと待ってて。エントランスまで見送りに行く間、彼には留守番しててもらわないと」


「えっ、見送りにも来てくれるの? 確かジャービスは……あ、そっか」


 彼はあの時体調が悪かったので、ジュディの見送りができなかった。でも、純也さんはただ多忙なだけで体調に問題はないので、こうして愛美を見送りに出ることができるんだと愛美は気づいた。



   * * * *



「――じゃ、僕は彼女を一階のエントランスまで送ってくるから。留守を頼む」


「久留島さん、今日はおジャマしました」


 純也さんに電話で呼び戻された久留島さんが帰ってくると、愛美は彼にペコリと頭を下げた。


「いえいえ。どうぞまた遊びにいらして下さい。道中お気をつけて」


「はい、ありがとうございます。それじゃ、失礼します」


 靴を履いて玄関の外に出ると、優しい純也さんはエレベーターへ向かう間、小柄な愛美のために歩くスピードを合わせてくれた。


「……あ、そうだ! あの小説ね、九月に発売されることに決まったんだよ」


 数日前に編集者の岡部さんから電話で聞かされた嬉しい報告を、愛美は彼にした。


「そうか、九月か。おめでとう、愛美ちゃん。ということは、今はゲラのチェックで大変なんじゃないか?」


「もう二冊目だから慣れた。絶対にいい本になるはずだから読んでね。見本誌が届いたら、一冊送るよ」


「ありがとう。でも、ここはスポンサーとして売り上げにも貢献しないわけにはいかないから。自分でも買わせてもらうよ」


「スポンサー……?」


 愛美は小首を傾げたけれど、彼女が作家デビューできたのはひとえに純也さんが金銭面で援助してくれたからでもあるので、そういう意味ではあながち間違ってはいないのかもしれない。


(〝パトロン〟って言い方しないのが彼らしいかも)


「……愛美ちゃん、何を笑ってるんだ?」


「ううん、何でもないよ」


 ひとりニヤニヤしていた愛美は、純也さんにツッコまれたけれど笑ってごまかした。


「純也さん、ホントにありがとう。わたしの保護者になってくれて、スポンサーにもなってくれて。今のわたしがあるのはあなたのおかげです」


「何だよそれ? まるで、これで別れみたいじゃないか」


「ううん、そういう意味で言ったんじゃなくて。これからもよろしくお願いします、わたしの〝あしながおじさん〟」


「……ああ、そういう意味か。こちらこそ、これからもよろしく。俺の……いや、令和のジュディ・アボット」


 二人はエレベーターの中で微笑み合い、固い握手を交わした。

 愛美によって純也さんが心の支えであったように、彼にとっても愛美が心の支えとなっていたのだ。女性が信じられず、女の子が苦手だった彼を変えてくれた唯一の女の子、それが愛美だったのだから。



「――純也さん、お見送りありがと。また会いにくるね。メッセージも送る」


「うん。じゃあ、気をつけて帰るんだよ。珠莉としゃかちゃんにもよろしくな」


 エントランスを出たところで、愛美は純也さんが手配してくれたタクシーに乗り込む。純也さんはタクシーが来るまで愛美と一緒に待ってくれていた。

 愛美は来た時と同じように電車で帰ろうとも思ったのだけれど、せっかくなので純也さんの厚意に甘えることにしたのだ。


「はい。じゃあ……またね」


「またね、愛美ちゃん。手紙待ってるよ。――じゃあ運転手さん、お願いします」


 タクシーの自動ドアが閉まり、走り出すと、愛美は窓からマンションの方を振り返った。そこには、いつまでも愛美の乗ったタクシーに向かって手を振り続ける純也さんの姿があった。


 三年と少し前、〈わかば園〉を巣立った日。あの時は園長先生と弟妹たちが愛美のことをこうして見送ってくれた。そして今日は、愛美のいちばん大切な人が見送ってくれている。


「運転手さん、窓を開けてもらっていいですか? ――純也さーん、またねー!」


 愛美は運転手さんに窓を開けてもらい、純也さんに手を振り返した。「さよなら」ではなく、「また会おうね」と伝えるために。


****


『拝啓、あしながおじさんの純也さん。


 ホントは「純也さん」だけ書こうと思ったけど、やっぱりあなたはわたしにとってずっと〝あしながおじさん〟なのでこういう書き方にしました。

 そして、メッセージでもいいかなと思ったけど、長くなりそうなので手紙を書くことにしました。


 昨夜はよく眠れましたか? わたしはあまりにも幸せすぎて、胸がいっぱいでなかなか寝つけなかった。今でもあれは夢だったんじゃないかって思ってるくらい。

 女の子が苦手だった純也さんがどうしてわたしの保護者になってくれたのか、昨日やっと分かったよ。あなたはずっと、あなたにとっての〝ジュディ〟になりそうな女の子、自分が信用するに値する女の子に出会えるのを待ってたんだって。それがわたしだったってことだよね?

 わたしがあなたのことを「辺唐院家の御曹司」としてじゃなくて、一人の人間として、一人の男性としての辺唐院純也さんを好きになったって聞いて、嬉しかったんじゃないかな。だって、わたしには打算なんて一ミリもないし、あなたからの愛に対して何の見返りも求めたりしないから。これからもずっと、わたしはあなたに無償の愛を注いでいくつもりだよ。だから安心してね!


 昨日、初めてあなたの住むタワマンへ行った時、わたしはあまりの立派さに圧倒されて、なかなかエントランスまで踏み入れる勇気が出なかったの。それで、しばらく周りをウロウロしてたら久留島さんに呼び止められて。「失礼ですが、相川愛美様でいらっしゃいますでしょうか?」って。わたし、あのお声だけで彼が久留島さんだってすぐに分かったよ。いつか電話を下さった時の、あの優しい声だったから。

 久留島さんとはエレベーターの中で色んな話をしたけど、真剣な顔になってこう言われたの。「純也様はこのごろ大変多忙でございまして、本日もその中でやっとお時間を作られたのでございます。ですので、あまり長居されないとこちらとしても助かるのでございますが……」って。あの人、ホントに純也さんのことをお父さんみたいに心配してくれてるんだなぁって、わたしも感動しちゃった。

 もちろんわたしも寮の門限があるし、長居するつもりなんてなかったから「もちろんです」って答えたよ。

 実際に入ったあなたの部屋は、いかにも男の人のひとり暮らしの住まいって感じだった。広い間取りだけどインテリアはシンプルで、すっきり片付いてて、でもちゃんとそれなりには生活感もあって。でも、わたしにはあの部屋であなたと一緒に生活する自分の姿が簡単に想像できたの。「ああ、これがこの人と結婚するってことなんだな」って。今まで施設とか寮で共同生活をした記憶しかなくて、普通の家庭での生活なんてお休みの間の一時的なものしか経験したことなかったのに、ヘンだよね?

 そういえば、昨日わたしが着ていった服、あなたに告白した時のと同じコーデだって気づいてた? あれ以来、わたしの夏のお気に入りになったんだよ。一昨日の夜から何を着ていこうか迷ってたんだけど、「やっぱりこれしかない!」って思って、あのコーデに決めたの。でも、純也さんは一言もコメントしてくれなかったよね……。何か悲しい……グスン。

 それはさておき、純也さんはやっぱりわたしからの手紙、全部取っておいてくれてたんだね。しかも、さやかちゃんが言ってたとおりにファイルしてた(笑)。中には処分しておいてほしかった手紙もあったけど、嬉しかったです。あの手紙が全部、あなたの宝物になってるんだと思うと……。

 一緒に過ごした一時間が楽しすぎて、帰るのが名残惜しいくらいだった。ホントはエントランスまで見送りに来てくれた時にキスしてほしかったけど……。

 タクシーの窓を開けて手を振り返した時、わたしはなぜかわかば園を巣立った日のことを思い出したの。あの時に手を振り返した相手は園長先生とか弟妹たちだったけど、今度はホントに家族になる人なんだって思うと何か感慨深かった。

 またあなたのお部屋に遊びに行くね。今度はあなたの好きなチョコレートケーキでも買っていこうかな。久留島さんと三人で、あなたの淹れてくれた美味しい紅茶と一緒に食べたいな。

 夏休みは、千藤農園で何をして遊ぼうか? またあの山に登る? また渓流釣りにも連れて行ってね。あと、バイクでツーリングもいいな。それからキャッチボールも。今度はちゃんと熱中症対策もしてからやろうね。雨の日には一緒に読書をして、わたしはあなたが本を読んでる横で執筆の仕事をするの。多分、編集者さんがもうすぐ新しい仕事を依頼してきそうだから……。

 夜は一緒に星空観測かな。またホタルを見に行ってもいいよね。わたしの両親に、あなたと結婚することを報告したいから。他にも一緒にやりたいことがいーーっぱいありすぎて、ここには書ききれない!

 夏休みが始まる日は、純也さんが寮の前まで迎えに来てね。あの車にバイクもちゃんと積んで。

 それから、またあの左手で書いた個性的な字の手紙も送ってほしいな。でも、さすがに長文は書くの難しいかな?

 それじゃあまたね、純也さん。わたしはあなたのことが、これからもずっとずっと、ずーーーーっと大好きだよ!!


六月二十六日   令和日本のジュディ・アボットこと相川愛美より


P.S.   そういえばこれ、わたしが初めて書いたラブレターだ。ジュディもそうだったけど、どうして書き方知ってたんだろう? なんか不思議だよね。』



                     ……おわり

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