外幕 波止場ノ噂、評議会ニ届ク
ヤンセンは、うす汚れた酒場の隅の席で、興奮気味に自分が目撃したことをまくし立てていた。
「お前達、信じられんだろうが、本当だ! あれは海底から現れた化け物だ。鋼鉄でできていて、鯨の何倍も大きく、雷鳴のような音を立てて海を進んで行ったんだ!」
だが、彼を囲む漁師仲間たちはただ冷笑を浮かべるばかりだった。
「おいおい、ヤンセン。あんたは酒の飲み過ぎで頭がおかしくなったのか?」
「いいや違う、俺はシラフだった! この目で確かに見たんだ!」
周囲の漁師たちは互いに目配せしながら苦笑し、ヤンセンを肴に酒を飲み続けている。
そんな騒ぎを、酒場の奥のテーブルからじっと聞いている一人の男がいた。彼はここ港湾都市リントヴァルの評議会の一員である、『黄金の鍵商会』の若き手代、ハインリヒであった。
ハインリヒはこの若さにして辣腕を振るい、商会内部でも徐々に頭角を現しつつあった。野心と冷徹さを兼ね備え、いつか評議会を動かし都市全体を掌握しようという壮大な野望を密かに抱いている。
その彼が、ヤンセンの奇妙な話に興味をそそられていた。
「鋼鉄の化け物、海底より現れる……か」
彼は低く呟くと、席を立ちゆっくりとヤンセンの方へ歩み寄った。
「漁師殿、その話、詳しく聞かせてもらえないか」
突然の申し出に、ヤンセンは驚きつつも目の前の洗練された身なりの青年を見上げる。
「あんたは?」
「私は黄金の鍵商会のハインリヒという者。君の話、なかなか興味深い」
周囲の漁師たちは一瞬静まり返り、戸惑ったように視線を交わす。
「おいおい、本気でヤンセンの与太話を信じるのか?」
周囲の冷笑を気にする様子もなく、ハインリヒはただ穏やかに微笑んで答えた。
「物事は見方次第で真実にも虚構にもなろう。ましてや、未知の海だ。奇妙なものがあっても不思議はないさ」
その言葉にヤンセンは俄かに顔を輝かせ、嬉しげに語り始める。
「そうだ! あれはまさしく異界の魔物だ! 鋼鉄でできた巨大な船で、海中から浮かび上がったんだ……」
ハインリヒは静かに耳を傾けつつ、頭の中で思考を巡らせる。
(鋼鉄の船……だとすれば、どこか遠くの異国か、或いは本当に未知の技術を持つ異界の存在か。いずれにせよ、これは使える情報だ……)
彼の心の内で野心の火が燃え上がる。
――もし、これが真実であれば。
――未知の技術や知識を手に入れられるかもしれない。
――そうなれば、自分がリントヴァルの頂点に立つのも、夢ではない……。
「漁師殿、ぜひ詳しく教えていただきたい。この話、評議会にも報告すべきかもしれない」
ハインリヒの真剣な表情に、周囲の漁師達はようやくざわめきを止め、不思議そうに二人を見つめていた。
その日、リントヴァルの波止場で交わされた奇妙な噂は、やがて港湾都市全体に広まり、その噂を追う者達の運命を大きく変えることになるのだった。