人間を愛してしまった悪魔のお話し
黒い霧に包まれた空間を見て彼は思う。
この二本の棒はなんだろうか?
それは足だった。
踏み締める大地が欲しい。そう願うと霧は晴れ、乾燥した土地が
地平線一杯に広がっていった。
足を動かし、大地を歩くが何も見えず何も聞こえない。
そう思うと空と太陽と月とが現れた。
一番最初に生まれた淀みの中から転がり落ちた悪魔。
そんな彼は魔界でも絶対的な権力と権威を持ち合わせていた。
悪魔としての自我が芽生え、他人を慈しみ愛でる気持ちなど
持ち合わせず、獣のように生きる彼。
水溜りに移る怪物の姿に恐怖したがそれが自分自身であると
気がついた。
周囲を見渡すが、同じ獣は一つとして見つからない。
いつしか彼が生み出した世界には多くの生物が根付きそのどれもが同じ姿形をした者と感情を共にして心を震わせている。
ふと悪魔は頬を濡らしているのに気が付いた。
「余は、孤独である」
今までは願えば何もかもが勝手に現れてきた。
しかし、彼が願った生涯を共にする伴侶は待てど暮らせど現れない。
寂しさを募らせた彼は何千年もの時を得て生まれ落ちた他の魔族の集落を渡り歩くが、みな彼を恐れて近づかない。
絶望の中で床につき、次に目を覚ました時
彼の前に人間の男が現れた。
人間は言った。
「魔界の統率者、リーブ。どうか私と契約して欲しい。より多くの人を救える力を与えて欲しい。例えそれが道理に反した力であっても、僕は苦しむ人を助けたい」
真っ直ぐ目を見つめて誰かと話したのはいつぶりだったのか。リーブと呼ばれた悪魔は人智を超えた能力をエドワードに与え、見返りにエドワードが死んだら魂をもらう契約を取り交わした。
魔界と異なる世界で霊魂だけの悪魔はエドワードの体内に入り込み共に生きる。
裕福な家庭に育ち何不自由なく育ったエドワード。
彼は父親と同じく、治療を生業とする職に就いた。
父は彼と違って現実主義的な人物で、支払いの良い裕福な家庭を主な対象として診察し、治療を施していた。
息子は父の治療に同行する中で、他人の悲しみや苦しみに触れ自身の恵まれた立場を知り、いつしか修道女に混じり傷病人の治療をするようになった。
勿論父親は良い顔をしなかったものの、いつしか夢や理想を追うだけでは生きていけないのだと気付くだろうと思っていた。
彼は思った。自分に力があればより多くの人を救える。
自分と志を同じにする仲間や組織がいれば、よりもっともっと効率的に人を救えるかもしれない。
(確かに僕は父上の言うように馬鹿なのかもしれない。でも、一人だけでも僕の考えを理解してくれたらそれで良いんだ)
そうして彼は街中の教会で金銭を受け取らない代わりに、食事と寝床の提供を受けて毎日人々へ治療を施すようになった。
回復の見込みがない者へも最期まで励まし、死にゆく人の話を聞いてやり、貴賤無く人々へ施すことを喜びとして受け止める彼。
「何故すぐ死ぬ者のそばに居てやる必要がある?」
「悪魔である貴方にはきっとわからないでしょうけれども、死を迎える時は人生で一度きりしかないんです。」
「…?」
「生まれる時はどんな親子でも母親と一緒でしょう?なら、死ぬ時も誰かがいてくれた方が安心するじゃないですか」
「そういうものなのか。しかし、死にたいと願う者へも治療を施してやるのは何故だ」
「無理やりに生きるよう命じているわけではないんですよ。そんな権限、誰も持ち合わせていない。僕は、どうせ死んでしまうならできる限り苦痛を取り除いてやって、旅への準備をしてから送り出してあげたいんです。それに…誰かが死ぬのはやっぱり嫌です。母上が死んだ時からずっと死が頭から離れないんですよ。」
「何人も目の前で死んでいったのに、慣れないものなのか。」
「ええ。」
「…余は、お前が死ぬ所を想像したくはない。」
「ふふ。僕の魂と引き換えに治癒の力を与えたくせに、そんなことを言うのですね」
悪魔はこの暮らしが一生続けば良いのにと願った。
願っても、叶わなかった。
人の一生は儚いもので、元々病人へ施しをしていた彼は流行病にかかり徐々に弱っていく。
病に伏せる病人の間を走り抜けていた体はやせ細り、手足は冷え、血色は悪く変化していく。
「頼む、余を置いていくな。お前とはまだ話し足りないのだ。治癒の力はどうした」
「実はまだ多く魔力は残っていますよ。」
「なら早く使えばいいだろう!!」
「そんなに大声を出さないで、頭が痛い。何度も試しているんですけどね…どうやら術者には意味がないみたいだ。僕の体に、貴方の魔力が馴染んだ証拠なのかもしれないね。…嬉しいです。」
荒く息を吐きながら目を細めて笑う男へ、悪魔は激怒した。
あれほど命を尊く思っていたくせに自分の命は軽く扱うのか。
何故、そんなにも嬉しそうに笑うのだ。
「どこへ行くんですか?」
「うるさい!使えそうな人間を呼び集めてきてやる」
そういうと悪魔は初めてエドワードの体から飛び立って人間へ助けを求めました。
神父、修道女、通りを通る平民達。
そのどれもが一度は彼の治療を受けたことがある人間たちでした。
彼等は言いました
「それは大変だ。しかし自分にはそんな力など持っていない。もし、彼と同じように力を分けてくれるならすぐに助けに行こう」
悪魔は思いもしなかったのです。
人間の残酷さを。
エドワードがしたように見返りを求めずに人間たちへ魔力を分け与えて弱った悪魔は、これで彼が助かると希望を持ちました。
最早悪魔にとって彼は最愛の伴侶だったのです。
しかし人間達は得た力を利用して悪魔を封じ込めました。
そして、息をするのもやっとな最愛の彼を寝床から引き摺り出し罵倒したのです。
「恐ろしい悪魔憑きだ。」
「こいつがいつも側にいた患者はみんな死んだ」
「何故私の娘を助けてくれなかった!!」
「地獄へ堕ちろ」
いつしか孤独を感じて泣いた悪魔のように、
最愛の彼も初めて接する憎しみと恨みに恐怖して縮こまり涙を流していました。
悪魔は叫び、暴れますが声すら彼には届きません。
高熱にうなされる彼へ何度も暴力を浴びせ、四方八方から聞こえる言葉にくらくらとしながら無理やりに立たせられます。
神父が縄で腕を後ろ手に縛り付け、悪魔が取り憑いているのだと騒ぎ立てました。
それを聞いて更に集まった人々は羊のように従順に従って麦わらを集め始めました。
「教会の力によって悪魔が一人、地獄へ帰っていく。
彼の尊い犠牲に感謝しよう。彼が悪魔を身に封じ込め、そして最後には自ら火刑に処してくれと頼み込んできたのだ!」
「何を言うか!それは望んで余を受け入れたのだ!!誰が殺してくれと頼んだ!!」
いつの世の中も、力や数が多い勢力が正義となります。
目の前で最愛が火刑に処される一部始終を見ていた悪魔は、魂が体から離れていくのを見つめました。
弱々しくこちらへ漂ってくる彼の魂は傷だらけで、差し込むステンドガラスの光を浴び乱反射を繰り返して輝いていました。
両手を広げて抱きしめようとしますが、それすらも叶いません。
悪魔と彼の魂は何度も交わりを求めるように触れ合いますが、
やがて限界を迎えた魂は二つに割れ、天へと昇って行きました。
割れた魂のかけらが人間達に刺さり、魔力となって溶けて行きます。
そうして彼等は魔女魔術師の先祖となり、代々に渡って悪魔達から心臓を狙われる立場となったのです。
封じ込められた悪魔は割れた最愛の魂一つずつに誓いを立てます。
例え月日がかかり、魂が生まれ変わりどんな姿になっていようともまた巡り合い、今度こそ共に生涯を分かち合うと。
また、封印が解けた暁にはこの場にいた人間共の子孫を全て殺してやる、と。
読んでいただきありがとうございました。