九話 「双方待った!!!」
なぜ自分まで連れてこられたのか。
自分達に武器を向けているオーク達を眺めながら、ルシアは現実逃避気味にそんなことを考えていた。
理由は考えるまでもない。
エルザルート曰く。
「説得要員として便利そうだから」
なるほど、エルザルートは確かに交渉に向かなそうな性格をしている。
話し合いの重要さは理解しつつも、いざとなったら腕力で解決するタイプだ。
エルミリアはどういう性格かわからないが、そこはかとなくエルザルートと同じ匂いを感じる。
アールトンもそういったことは不得手そうだし、元奴隷達は皆農民上がりでそう言った仕事は望むべくもない。
そう考えると、確かにルシアを連れてきたのは正解なのだろう。
しかし、それでもできることなら来たくなかった。
何しろ村の外というのは危険なのだ。
でかくて強い肉食のモンスターが、すごい勢いで襲い掛かってくる。
人間の領域からタイニーワーウルフの村までは、さほど危険とも言えない。
だが、さらに奥へと進むと、状況は一変するのだ。
人間がこの土地に侵攻してこなかったのも納得だし、モンスターが近づかない土地でないと集落を作れない、というのにも合点がいった。
まあ、身を挺してまで確認したいことではなかったのだが。
ルシアとしては、危ないと言われれば自分から近づくことなどしないというのに。
ともかく。
タイニーワーウルフ達やエルザルート、エルミリアが守ってくれているとはいえ、この状況は大変頂けない。
ルシアはかすり傷だって負いたくないのだ。
そんなことを考えていると、周囲が騒がしくなってくる。
どうやら、ノンドが来たようだ。
まずは、エルザルートが話をすることになっていた。
そこでうまく折り合いが付けばいいが、そうならなければルシアの出番、という手になっている。
まあ、正直なところ、エルザルートが上手い事交渉してくれるとは、まったく思っていない。
ゲーム内のエルザルートは、恐ろしいほど交渉ごとに向いていないキャラクターであった。
初志貫徹、こうと思ったら意地でも考えを曲げず、たとえ間違えていたとしても力ずくで「間違っていなかったこと」にするタイプなのである。
相手と穏やかに話し合って折り合いをつける、といった繊細な作業など、望むべくもない。
もちろんそれはゲームの話であって、現実では違うかもしれないとルシアも思っていた。
だが、残念ながら今こうして間近に居るエルザルートは、ルシアの想定の十倍ぐらい脳筋タイプだ。
世の中というのは、実にままならないものである。
「用があるらしいな。エルザルート・ミンガラム男爵」
静かに、しかし低く腹に響くような声に、ルシアはそれだけで全身が緊張するのを感じた。
ルシアは見ただけで相手の力量を感じられるような、特殊能力じみた特技は持ち合わせていない。
だが、ノンドは見ただけでやばそうだと認識できた。
全身からよくわからないエネルギーらしきものが、ゆらゆらと立ち上っているからである。
ゲームとかアニメとかの演出で、よくある感じのアレだ。
魔力なのか、あるいはそれ以外の「気」とかなんとか、そんな感じのものなのかはわからない。
ただ、ビジュアルだけでもすごく強そうだし、何より腹の底から湧き上がってくる、本能的な恐怖心がヤバかった。
できるなら今すぐ逃げ出したい。
もっとも、敵地に乗り込んでいる現状、逃げる場所などないわけだが。
「ギシウ氏族族長、ギシウ・コヴドフ・ラ・ノンド。貴方があの村にちょっかいを出している理由がわかりましたわ。とてつもなく巨大で厄介なモンスターが、数日後ここを通る。その前に移住地を見つけた。違いまして?」
「その通りだ。それがどうした」
「安心なさい! あのデカブツ、領主たるこのわたくしが直々にあなた達を率い、討伐して差し上げますわ!!」
妙なポーズをとりながら発せられたエルザルートの言葉に、オーク達がざわめいた。
驚きや困惑。
ノンドの表情には、静かな怒りがにじんでいるように見受けられた。
「あれがどういうものだか、わかっているのか」
「ええ。わかっていますわ。実際に見てきましたもの。首のない亀のような形状で、全身が岩に覆われている。さながら砦が動いているようでしたわ」
「昼間は常に動き続け、こちらから攻撃しても反撃してくることもない。だが、あの巨大な脚は動いているだけで脅威だ。近づくこともままならん」
「でかいものが動いているというだけで脅威ですわ。しかも、体表が固くてまともに攻撃も通らない」
「岩などの無機物特効、獣特効がある技を使っても、驚くほど効かない」
魔法だけではなく、接近戦で振るわれる技もある世界なのだ。
特定の種族の相手などに、特別に効果がある技もある。
だが、そのどれもが巨大モンスターには効かないという。
おそらく、ノンドは様々な技を試したのだろう。
「よしんば少しは傷つけられ、あの外皮を剝がせたとしても、そこまでだ。夜になれば奴は地面に体を下ろし、広範囲に効果がある、吸収魔法を発動させる」
「そうなれば、近づくこともできなくなりますわね。そして、次の朝には元通り。元気な巨大モンスターが起き上がってくる」
吸収系の魔法の特性だ。
相手の生命力などを吸い上げ、自分の体を修復し、成長させる。
昼は攻撃を仕掛けても蹴散らされ、夜は近づくことすらできない。
改めて考えてみても、厄介な化け物である。
何も知らなければ、ルシアも真っ先に逃げることを勧めていただろう。
しかし。
「理不尽さの塊のようなモンスターですわね」
「その通りだ。私達では、どうしようもなかった。お前でもそうだろう」
「おーっほっほっほ!!! 愚問ですわっ!!! このわたくしを誰だと思っていますの! エルザルート! 覚えておきなさい! エルザルート・ミンガラム男爵でしてよ!!」
耳もつんざけというような高笑いに、オーク達はざわつく。
一緒に来ていたルシアとタイニーワーウルフ達はと言えば、落ち着いたものである。
日に何度も聞かされているので、すっかり慣れたものだ。
「戦いというのは、やる前の仕込みが重要なのですわ。そして、敵を知ること。あなた方はあのデカブツのことをよく知らずに戦った。勝てる道理がありませんわ」
ノンドの表情が、歪んだ。
図星を突かれたからだろうと、ルシアは見た。
さっき言っていたノンドの言葉が、その証拠である。
あの巨大モンスターのことをよく知っているならば、「無機物特効」や「獣特効」などという技を試すはずがないのだ。
「お前は、アレについて知っているのか」
「わたくしというより、わたくしの部下が知っているのですわ。あの巨大モンスターが何なのか。そして、倒す方法も」
言いながら、エルザルートは扇子でルシアを指した。
ルシアはぎょっとして身を隠そうとするが、時すでに遅し。
ノンドを含め、オーク達の視線をガンガンに浴びることとなってしまった。
できれば目立たずに、出番もなく終わるのが理想だったのに。
頭を抱えたいところだが、何とか平静を装おうと努力だけはする。
ここで舐められたら意味がないのだ。
まあ、冷や汗はかいているし、膝は震えているので、もうほぼ意味がないだろうが。
こうなったら、見た目はあきらめるしかない。
言葉のほうではったりを利かせるのだ。
「その子供が、何を知っているというんだ」
「人間というのはオークやワーウルフと違って非力なものが多いですが、その分工夫し、知識を蓄積し、共有することで生きています。長い年月の間に、人間もあの巨大モンスター、グラトニーと対峙してきたんですよ」
思いのほか滑らかに動く舌に、ルシアは自分で驚いていた。
ブラック企業時代から、追い込まれるのに慣れていたのかもしれない。
なんにしても、助かるのは間違いなかった。
これからルシアが話さなければならないのは、ゲームで見聞きした話。
本来なら主人公達が巨大モンスター、グラトニーに敗北した後、「優秀なキャラクター」が調べてくるはずの情報である。
それを、ルシアはこれからさも「自分がどこかから聞きつけてきた話」のようにしゃべらなければならない。
一世一代の「ハッタリ」である。
正直、ゲームの中の情報であり、「この世界」でどれだけ通用するのかわからない。
それでも、エルザルートやタイニーワーウルフ達がグラトニーに接触し、情報を確認してきてくれている。
巨大モンスター、グラトニーは、ルシアの知っている通りの存在だった。
もちろん「絶対」ということはない、が。
七割方も確証があれば十分だろう。
そのうえで、ルシアはそれを「絶対に正しいこと」のように「ハッタリ」を利かせて断言しなければならない。
説得というのはそういうもので、ここはそうする場面である。
「結論から言います。グラトニーは、歩行植物型のモンスターの一種です。意志を持った岩でもなければ、獣でもドラゴンの類でもありません」
何を言っているんだ、というような雰囲気がオーク達の間に流れる。
ただ、一人だけ。
ノンドだけが、全身を凍り付かせていた。
徐々に目を見開いていき、ぶつぶつと何かをつぶやいている。
「そうか。いや、なるほど、そうか。植物、アルキクサや樹木精霊の類か。だが、それで合点がいく。あの吸収魔法もそういうことか」
「植物型の魔物は、吸収魔法が得意なのが多いですからね」
「昼間動いていたのは、日の光を浴びて力を蓄えていたから。夜はそれを温存しつつ、周囲から力を吸い上げて生きながらえる」
「いくら吸収魔法が強力でも、光合成。日の光よりは効率が悪いんでしょうね。ですが、その生態が奴自身の身を守ることにつながったわけです」
ノンドが眉間を押さえながら考え込む様子を、ルシアはじっと見守っていた。
実に絵になる。
顔、外見がいいというのはつくづく得ではないか。
ルシアがそんなことを考えているうちに、ノンドが顔を上げる。
「倒す、といったな。どんな手でやるつもりだ」
「奴は体が特別大きく、片足を失っただけで歩けなくなります。そうなったらその場にしゃがみ込み、日の光の力を集めます。そして、夜になったら吸収魔法を発動して一気に傷を回復。朝になったら、再び歩き出します」
「片足を奪って動きを止めたら、日が沈むまでに決着をつけなければならない。ということか」
やはり、理解が早い。
改めてみるとやはり、ノンドはほかのオークと全く違う特徴を持っている。
色白で小柄、とがった耳。
だが、確かにオークとしての特徴も持っている。
一体どうしてなのか気にはなるが、今はそんなことを気にしている時ではない。
「片足を奪ってか。なるほど。そうか。エルザルートが居れば、それも可能か」
どうやら、ノンドはすでにルシアの考えがおおよそ読めたらしい。
「植物が本体ということは、あの大量の岩は根か蔓で押さえているのだろうな。そういったものを引きはがすのは、力ずくだけでは無理だ。細やかな仕事がいる。タイニーワーウルフの得意分野だろう」
「爪やナイフを使えば、力ずくより楽に確実に引きはがせると思われます。そうなってしまえば、あとは腕力と魔法にものを言わせられるでしょうね」
「動けなくして広げた傷口に、エルザルートが魔法を打ち込めば。より確実に片を付けられる」
ノンドは後ろを振り返ると、オーク達の顔を見回した。
それだけで、集落のオーク全てが緊張するのがわかる。
よほど慕われ、信頼されているのだろう。
オーク達の顔を見れば、ノンドの言葉を待っていることがよくわかる。
ノンドは改めて、エルザルートに向き直った。
「言葉の意味も、言い分も分かった。武器や道具は準備してあるのか」
「わたくしが持ち込んだ道具を使い、タイニーワーウルフの職人に揃えさせていますわ。モンスター素材を使った、対植物型モンスター用のものを、大急ぎで」
答えたのは、エルザルートだ。
「襲撃位置や作戦は」
「あなた方の戦力が正確にわからなかったので、数パターン用意してありますわ。情報を確認すればすぐにでも細部を詰められますわね」
ノンドは「そうか」と呟くと、静かに目を閉じた。
熟考するように黙っているその姿を、その場にいる誰もが、静かに見守る。
やがて、目を開けたノンドは、意を決したように息を吐いた。
「策を成すのに重要な魔法、武器、策、全てお前たちが握っているわけだ。なるほど、共闘するというのであればギシウ氏族がお前たちの下につくのが道理だろう。そして、そうすれば」
巨大モンスター討伐は、成る。
その言葉がノンドの口から出た瞬間、オーク達から喜びの声が上がった。
叫ぶもの、抱き合うもの、泣き崩れるもの。
それらが大げさだとは、ルシアは思わない。
自分の暮らす場所がなくなるかもしれないというのは、大変な恐怖だ。
それが回避できるかもしれないとなれば、喜ぶのは当然だろう。
うまくいくかもしれない。
ルシアは我知らず、悪そうな感じの笑顔を浮かべていた。
これなら、武力衝突無しで取り込めるかもしれない。
多少揉めるかもしれないが、口論がある程度だろう。
ルシアが間に立ってうまく調整することが出来れば、また存在感を示せるはずだ。
荒事ならばどうしようもないが、そういった仕事ならば、まだ何とかできる。
むしろ、得意だといっていい。
ブラック企業の理不尽環境で生きてきたのだ。
双方のわがままを取り持つ、というような仕事には嫌でも慣れてしまう。
これは、いけるのでは。
そんなことを考えていたルシアだったが。
「ゆえに、エルザルート・ミンガラム男爵。一騎打ちを所望したい」
「おーっほっほっほ!! よろしいですわ! 受けて立ちましてよ!!!」
「なんで?」
思わず漏らしたルシアの言葉は、オーク、タイニーワーウルフ双方から上がった雄たけびにかき消されたのであった。
「オークもタイニーワーウルフも、強いものに従うのは同じだ。だが、違いもある。タイニーワーウルフは実際に戦わずとも序列を決める。エルザルートの魔法を見れば、自分達よりも強いと納得できる。だが、オークは違う。実際に戦わない限り、絶対に納得しない」
ノンドが支度を整えるのを待つ間に、ルシアはアールトンに今の状況を聞いていた。
早く状況を把握して、少しでもこちらに有利になるようにするためである。
どういうわけか、アールトンは様々な亜人について豊富な知識を持っていた。
オークという種族が持つ性質についても、かなり詳しい様だ。
「人族がどう思っているか知らないが、オーク族は戦士だ。戦いの中で生き、死ぬ。本来なら氏族の戦士全員が死力を尽くし戦い破れない限り、誰かの下につくことはない」
「でも、一騎打ちって言ってましたけど」
「この氏族がよほど特殊なのか。ノンドがよほど信頼を集めているのか。おそらく両方だ」
「ってことは、どうやっても何かしらの戦いは止められないってことですか」
「一騎打ちを止めれば、十中八九全面闘争になる」
ルシアは頭を抱えた。
エルザルートがここに来るといったとき、もっと必死に止めればよかったのだろうか。
いや、止めたとしても意味はない。
今エルザルートの手元にある戦力では、グラトニーは倒しきれないのだ。
オークを傘下に収めるというのは、勝利に必須の条件なのである。
なにしろ、戦力が足りない。
「どうしても戦わないといけないわけですか」
「そうなる」
「エルザルート様は、勝てるんですかね」
重要なことだ。
正直なところ、ルシアにはまったく判断が付かなかった。
エルザルートが強いというのは、間違いないだろう。
だが、ノンドの方も相当なものらしい。
戦いなどというものとは全く無縁に生きてきたルシアには、どちらが強いかなどまるで判断が付かなかった。
アールトンはチラリとルシアを見ると、わずかに首を傾げた。
「わからない。火力でいえばエルザルートが間違いなく上だ。だが、それだけで決着がつくほどノンドも甘くない」
エルザルートの圧勝だ、と言ってほしかったが、そう上手くもいかないらしい。
思わず、エルミリアのほうを見るルシアだったが、こちらの表情もさえないようだった。
「エルミリアさんは、どう見ます?」
「並のオークであれば、束になってもエルザルート様には敵わないでしょう。ですが、あのオーク。かなり使えるようです」
「じゃあ、危ないかもしれないと?」
「勝負は時の運です。どうなるかはわかりません。ただ、私にはエルザルート様が負ける場面というのは、想像できません」
完全にエルザルート贔屓と思われるエルミリアでさえ、そういうのだ。
これはかなり危ないのではないか。
何か手を打った方がいいのでは。
そもそも、来るのを止めていれば。
様々な考えがルシアの頭をよぎるが、後の祭りである。
そもそも、エルザルートが行くといった以上、ルシアに止められるわけがない。
武器や携帯食料など、遠征の準備をするのが関の山だったのだ。
「どうにもできなかったし、祈るしかない。か」
こんな状況になる前に止めたかったが、出来なかった。
既に起こってしまったことは変えられない。
だが、これから起きることに干渉することはできる。
少しでも状況を好転させる方法はないか。
あまりに非現実的な場面過ぎて停止しそうになる頭を必死に鼓舞し、ルシアは必死に考えを巡らせ始めた。
装具と剣を確認し、ノンドは周りを見回した。
身支度を手伝っているのは、大集落を追われた時から付き従ってくれている、側近中の側近達だ。
凛とした表情のまま、何も言わずにノンドを見守っている。
その顔を見て、ノンドは眉間にしわを寄せ、口の端を釣り上げた。
常にないその表情に、側近達は目を見張る。
「お前達にも、ずいぶん世話になったな」
「ノンド様、何を」
「万が一私が死んだら、ネルディガ。お前が氏族を纏めろ」
ノンドの言葉に、ノンドにずっと付き従ってきたオーク女性、ネルディガは、それまで努めて平静を装っていた表情を歪めた。
あまりに衝撃だったのか、言葉が出てこないらしい。
「負けるつもりはない。だが、戦う以上、覚悟はしなければならない。それがけじめだ」
オークとは、清廉潔白であり、正々堂々とした武人であることを美徳とする種族である。
他種族がどう思っているかはともかくとして、大半のオークがそう考えていた。
ノンドも、それに漏れていない。
「グラトニーを討伐すれば。ギシウ氏族は真に安寧を手に入れられる。それを成すのが、必ずしも俺である必要はない」
「しかし、ノンド様が居なければ皆は」
「俺がやらなければ、戦をするしかなくなる」
オークとは、そういう種族なのだ。
誇りに準じて生きて、死ぬ。
「であれば、私が代わりに」
「氏族長である俺がやらねば意味がない。心配するな。万が一の話だ。俺の実力を疑うか」
凡百な魔術師に負けるほど、ノンドは弱くない。
数人を相手取っても、十二分に切り抜けるだろう。
だが、エルザルートという人間からは、そういったものを上回る恐ろしさを感じる。
一体どうなるのか、側近達にはまるで見当がつかなかった。
この時ノンドは、おそらく自分は負けるだろうと考えていた。
斧を使うのであれば、負けるつもりなど一切ない。
五分以上の戦いができるという自負があった。
だが、今手にしているのは剣である。
何とか相手に手傷を負わせ、惜敗を期するといったところだろうか。
振るわれるのは真剣と魔法であるから、よくて大怪我。
片足か片腕か、あるいは両方を失うことになるやもしれない。
それならばまだいいほうで、十のうち五、六は死ぬことになるだろう。
と、考えていた。
それでよい、とも。
寄せ集めの者達を、なんとかオークとして、「氏族」としてまとめ上げることが出来た。
巨大モンスターの危険にさらされない土地も、手の届くところまで来ている。
ただそのためには、エルザルートの下につかなければならない。
屈辱ではあるが、世の常だ。
タイニーワーウルフも手勢に加えたようなヤツだから、オークのことも無碍にはすまい。
ただ、オークと言う種族が納得するためには、必ず戦わねばならなかった。
このまま手勢すべてで戦えば、どうだろう。
守る戦いというのは非常に不利である。
こちらの集落に攻め込んできた時点で、相手には勝算もあるだろう。
それでお互い潰し合ってしまえば、戦力がなくなる。
巨大モンスターに勝つことなぞ、出来なくなるはずだ。
ならば、一騎打ちで。
勝つことはできずとも、「善戦して」オークの強さを、誇りを、存在価値を示さなければならない。
その上で、エルザルート・ミンガラムという人間の軍門に下るのだ。
本来ならば戦をせねば手に入らないはずの、その選択肢である。
ノンドは、自分の身一つでそれが手に入るならば、これほど安いものはない、そう判断したのだ。
当然、無様に負けるつもりはない。
オーク戦士としての意地と誇りにかけて、精々エルザルートを追い詰めてやろう。
首に届かずとも、せめて一撃見舞わせてくれる。
命を代金に、この先の氏族の安寧を買う。
エルザルートとのやり取りの中で、ノンドが出した答えである。
もっとも、この答えはおそらく、エルザルートは想定していただろう、と、ノンドは思っていた。
だからこそ、ノンドが一騎打ちを申し出たとき、全く動じることもなく応じたのだ。
おそらくオークの気性については、アールトンにでも聞いたのだろう。
そのうえで、こんな手に打って出てきたわけだ。
辺境に飛ばされた、少々おかしな人間貴族かと思えば。
なかなかどうして、こういった知恵働きもできる相手だったわけだ。
最後にそういう実力者とやり合って終わるのも、悪くない。
いや、オーク戦士の最期としては、上等な部類ではないか。
それで自分を慕ってくれている皆の身もたつのであれば、これほど喜ばしいことはない。
ここは一番、一世一代の戦を見せてやろうではないか。
ノンドはそんな、どこか晴れやかな気持ちでこの一騎打ちに臨んでいたのだ。
ちなみに。
エルザルートはそんなことは全く一切考えておらず、ただ勢いに任せて突っ込んできただけなわけだが。
幸運なことにこの時のノンドはそんなこととは想像だにしていなかったのである。
一騎打ちを始める前に、おおざっぱなルールが決められた。
当然、一対一。
どちらかが降参するか、戦闘不能になるか、死んだら終わり。
ルールと呼べるようなものですらなく、ルシアにはびっくりな内容だった、が。
どうも剣と魔法が横行するこの世界では、それが当たり前らしい。
誰も文句など言うこともなく、あっという間に準備は終わった。
「本当にいいんですか、エルザルート様。一騎打ちなんて」
「安心なさい。貴族というのは割と一騎打ちをしがちなものでしてよ。慣れていますわ」
エルザルートの言葉に、ルシアは困惑した顔をする。
そして、エルミリアの方を向いた。
エルザルートの言うことはどうにも極端っぽいので、ほかに意見を求めたのだ。
案の定。
「確かにエルザルート様は決闘慣れなさっておいでです。その他多くの貴族様方とは違って」
という答えが返ってきた。
鋭いところは確かにあるのだが、抜けているところは徹底的に抜けている。
エルザルートというのはそういう人物なのだ。
遠回しな非難とも受け取られかねない言葉だったが、エルザルートはどこ吹く風である。
「あのオーク、かなり使えますわ。わたくしでも怪我ぐらいはするかもしれませんわね。治療用の魔法道具は持ってきていまして?」
「回復の杖を」
サウズバッハ公爵から届けられた品の一つで、魔力さえあれば回復魔法を使える、という便利な品だ。
もちろん、僧侶などが使う回復魔法には数段劣るが、それでも下手なポーションなどよりはよほど効果がある。
ルシアもゲームをやっていた時は、ずいぶんお世話になったアイテムだった。
「十分ですわ。まあ、見ていらっしゃい。どうせすぐに終わりますわ! おーっほっほっほ!!」
エルザルートが歩いていく後姿を、ルシアは心配そうに見送る。
それから、ちらりとエルミリアの方へ視線を向けた。
「実際、どちらが有利なんですかね」
「エルザルート様が一騎打ち、決闘慣れしているのは事実です。魔法使いと戦士が一対一で戦った場合、有利なのは戦士だといわれています。魔法使いは呪文の詠唱が必要ですから、どうしても隙ができますから」
「でも、エルザルート様にそれはない、ですか」
エルザルートの魔法は、ほかのキャラクターの魔法とは少々毛色が違っていた。
ゲーム的には戦闘演出などを差別化するためのものだったのだろうが、こんなところで影響が出るとは。
あるいは製作者サイドは、そんなところまで考えて設定を作ったのだろうか。
そんなことを考えているうちに、エルザルートとノンドの準備ができたらしい。
人垣でできた円の中心で、向かい合っている。
「よく知っていますね」
「狩りをされているところを何度も見ていますので」
戦いを始める合図は、アールトンが出すことになった。
上へ放り投げた木の棒が、地面についた瞬間に始める、ということになっている。
何とか考えをまとめたルシアは、腹のあたりに手をやり、喉を鳴らした。
緊張で、からからに喉が渇いている。
アールトンが棒を放り投げた。
いよいよ、戦いが始まる。
最初に動いたのは、ノンドだった。
棒が地面につくのと同時に、咆哮。
大抵の人間種の生き物は、大きな音を聞くと体を硬直させるものであり、それを狙ったかのような声量である。
ノンドは同じようなことを、タイニーワーウルフの村を襲ったときにもしていた。
あの時は敵をひるませるのと同時に、味方への合図も兼ねたものであったが、今回のこれは種類が違う。
魔力のこもった、物理衝撃を持った咆哮である。
ゲームでいうところの、スキルや技といった類のものだ。
先制の手として、これほど優秀なものも少ないだろう。
攻撃力のある大声だから、避けようもなければ受けようもない。
衝撃もそうだが、大きな音というのは、使われる方からすれば厄介だ。
多くの人種の生き物は、あまりにも大きな音を聞くと身をこわばらせる傾向にある。
むろん、ノンドの咆哮はそれも狙ってのものだった。
エルザルートに向けられて放たれた咆哮は、しかし。
ノンドにとって予想外のものに阻まれた。
エルザルートを球状の光の幕が覆い、咆哮をいなしたのだ。
棒が地面に落ちるのと同時に展開されていた、防御魔法である。
閉じた扇子を体の前に突き出したエルザルートは、表情すら変えていない。
読まれていた。
タイニーワーウルフの村で咆哮を使ったことを、覚えていたのだろう。
だが、それでも構わないと、ノンドは開き直った。
たとえわずかでも、魔法使いに時間をくれてやるわけにはいかない。
相手はその間に、様々な仕掛けを施すことが出来るからだ。
対魔法使い戦において、戦士が尊ぶべきは速さである。
呪文かあるいは別の方式か、とにかく魔法を組み立てる暇を与えず接近し、一撃を見舞わなければならない。
考える時間も有らばこそ、ノンドはほぼ時差無しでエルザルートに向けて突進した。
小細工無し、一直線である。
勝算がなかったわけではない。
咆哮を受け止めた魔法の防御は、青白い光を放っている。
それによって、今エルザルートの視界は塞がっているはずだ。
おそらく真正面から切り込んでくることは、相手も予測しているだろう。
何か対策をとっていると思って然るべきだ。
それでも、ノンドは真っ正直な正面突破を選んだのである。
いきなり視界が塞がったことで、エルザルートは僅かなりと驚いてはいた。
もちろん、こうなることは予想していたし、対策もしている。
エルザルートは特殊な魔法使いであった。
指輪やネックレスといった装飾品に術式を仕込み、それを扇子で制御し、魔法を構築する。
速さと正確性に関して言えば、呪文を唱えるタイプの魔法使いとは隔絶してはいた。
だが、状況に合わせた汎用性や手札の豊富さでは、大きく劣っている。
何しろ、魔法一つごとに一つの装飾品が必要なのだ。
一般的な魔法使い並みに便利な存在になろうとすれば、全身を金属鎧のように着飾らなければならない。
それを嫌い、エルザルートは常に数種類の便利に使えるものと、使いどころは限られるものの圧倒的な性能を持つものを、数種類ずつ身に着けている。
素早さと正確さと引き換えにした、引き出しの少なさ。
これはエルザルートの最大の弱点であり、相手に悟られれば致命的となりえるものであった。
幸いなことに、今のノンドは「まだ」そのことに気が付いていない。
エルザルートは、このオーク族の氏族長を高く買っている。
だから、戦いが長引けばすぐにそのことを見抜かれるだろうと、考えていた。
早く決着をつけたいのは、ノンドだけでなく、エルザルートも同じだったのである。
初手の咆哮は潰したが、視界が塞がれた。
出方を間違えたところではあるが、しかたない。
エルザルートは扇子を開くと、それを横なぎに払った。
射程は短いが、一定範囲を薙ぎ払う風の槌。
エリアルハンマーと呼ばれるこの魔法は、受けた体に傷をつけるだけでなく、吹き飛ばす効果もある。
これならば、よほど突拍子もないところにでもいない限り、無理やり距離を開けることが可能だ。
尤も、相手が普通の使い手であれば、だが。
光が霧散し、視界が戻る。
目の前にいたのは、今まさに大上段から剣を振り下ろさんとする、ノンドの姿だった。
人一人程度軽く吹き飛ばしてしまえる風の魔法を、このオークの氏族長は力ずくで突っ切ってきたのである。
エルザルートの、予想通りであった。
扇を閉じ、剣を天の方へと向ける。
表情を変えぬことを意識しながら、指輪の一つに魔力を込めた。
刹那、扇の先のあたりに、青白い円が現れる。
バックラー程度の大きさのそれは、まさに魔法で作られた盾であった。
ノンドが振るった剣が、まっすぐに盾に叩き込まれる。
オーク族の、それも戦士ともなれば、その膂力は人間のものを軽く上回った。
まして氏族長ともなれば、比べるのも馬鹿馬鹿しいほどの差になる。
その怪力に、勢いまで乗せた剣の一撃は、しかし。
けっして大きくはないはずの魔法の盾によって、はじき返された。
恐ろしく固く大きなものを叩いたかのように、ノンドの剣は大きくはじき返される。
エルザルートが張った魔法の盾は、見た目以上に強力なものであった。
受けた衝撃を反射させることで、魔獣の突進も打ち返せるような代物だったのである。
サイズが小さいのが難点なのだが、性能は折り紙付きだ。
衝撃を反射させる、という特性は、ただ防御にだけ使えるものではない。
一撃が強力であればあるほど、その反射で返ってくる衝撃は大きくなる。
場合によっては、それだけで武器を飛ばされることもあるだろう。
もし取り落とさなかったとしても、体は大きくのけぞることになる。
まさに、ノンドがその状態であった。
表情こそ変えていなかったが、ノンドの目は驚きに見開かれている。
もう一つ驚いてもらおうと、エルザルートは目を細めた。
のけぞったノンドの腹に向けて、エルザルートは渾身の前蹴りを繰り出す。
こう見えて、エルザルートは戦闘を教えるファルニア学園の生徒であった。
魔法だけではなく、格闘の訓練も受けている。
十分に力と体重を込めた蹴りならば、オークとしては小柄であるノンドを突き放す程度は可能だ。
もちろん、さしてダメージはないだろう。
だが、距離を空けるには十分だ。
後ろにたたらを踏むノンドを見ながら、エルザルートは手にしていた扇子を開く。
扇子を開くと攻撃、閉じれば防御の魔法が発動するように調整している。
言葉に出さずとも素早く使い分けができるというのは、こういう時に有効だ。
「吹き飛びなさい!」
言葉と同時に、魔法を発動させる。
小型の竜巻の魔法。
風による破壊力を狙ったものではない。
対象を上空に舞い上げる、ただそれだけに特化した魔法だ。
馬に乗った騎士を上空に放り出すことすら可能なそれは、あっという間にノンドの体を高々と舞い上げた。
もしノンドが持っていたのが、斧であったなら。
重い一撃は反射をものともせず魔法の盾をたたき割り、エルザルートへと一撃を向けることが出来ていただろう。
もちろんそれは避けられるだろうが、今のような状況になることはなかったはずだ。
本来ならば後悔するであろうそんなことを、しかし、ノンドは微塵も考えてはいなかった。
斧は使わない。
そう決めた瞬間から、ノンドは己の中からそういった考えを一切排除していたのである。
なにより、今はそんなことよりも、きりもみしながら天高く放り出された、自分の身をどうにかする方が先であった。
といっても、何ができるわけでもない。
何しろ剣は遠心力でとり落としそうだし、上も下も右も左もわからないほどにぐるぐると視界が回っている。
ノンドはこれまで、多くの戦いを経験してきていた。
魔法使いと闘ったことも、何度もある。
だが、このような手は食らったことがなかった。
どう対処していいのか、すぐには判断ができない。
とにかく、体を守らなければ。
回転のすさまじさで飛びそうになる意識を何とか引き止めそう結論付けると、ノンドは体を丸めようと力を込めた。
それが、どういうわけか上手くいかない。
回転が速すぎて、腕や足が縮められないのだ。
ノンドは力ずく、オークの怪力をもって、何とか体を丸めた。
体が地面に叩きつけられたのは、まさにその瞬間だ。
衝撃を感じたのは、足であった。
どうやらそこから地面に落下したらしい。
一瞬目の前が真っ暗になるが、気力で意識を引き戻す。
転がっていた体を何とか立て直そうと、もがく。
無意識の意地か、剣は手の中にあった。
これは僥倖といっていい。
右腕は動く、左腕も動く。
左足も大丈夫だ。
背中は打っているのか痛みがあるし、額にも傷があるらしい。
だが、そんなものは無視できる。
問題は、右足だ。
確かに足があるのはわかるが、痺れたように動かない。
衝撃による一時的なものなのか、骨でも折れたのかは、わからなかった。
しかし、今動かないのは間違いない。
エルザルートの方を見る。
手に持っていた扇子を上空に放り投げると、それと同時に背後に光の魔法陣が浮かび上がった。
タイニーワーウルフの村で見たものである。
あれは、威力のある魔法なのだろう。
勝負はついた。
足が利かないのであれば、再度突撃を仕掛けることもできない。
とはいえそのことは、エルザルートは気が付いていないだろう。
油断なくノンドを見据え、外さぬようにと狙いを定めている。
これでいい。
ノンドは剣で何とか体を持ち上げ、動く片足で地面をぐっと踏みしめた。
足一本でも、オークの怪力をもってすればとびかかる程度のことはできる。
当然、届かないだろう。
その前に魔法で叩き潰されることになる。
しかし、オーク族の意地は見せることはできるはずだ。
これでいい。
ノンドが覚悟を決めた、その時だ。
「双方待った!!!」
白い髪に、白い肌。
特徴的な外見の少年が、ノンドとエルザルートの間に飛び込んできた。
ノンドの方に背中を向け、両手を広げている。
「ここまでです! 勝負はつきました! エルザルート様の勝ちです!!」
少年の体が邪魔になり、ノンドからはエルザルートの姿が見えない。
立ち上がって少年をどかせようとする。
が、出来ない。
未だ、足に力が入らなかった。
背中からビシバシ飛んでくる怖気に、ルシアの足はガタガタと震えていた。
おそらくこれが、殺気というやつなのだろう。
ノンドがものすごい形相で睨んでくるが、ここは気が付かない振りをするしかない。
「まだっ、負けてなど」
「貴方もう戦えないでしょう! アレだけの高さから落ちたんですよ! エルザルート様の魔法が避けられるんですか! それに」
ルシアはここで、改めてノンドを見た。
やはり、立っていない。
足を負傷したのだ。
これは非常によろしくない。
「その足、動かないんでしょう! すぐに治療してもらってください!」
「いらん! 戦え」
「ここで死なれちゃ困るんですよ!!」
集落中に響くような大声が出た。
ルシア自身、自分からこんな声が出たことに驚いたが、今はどうでもいい。
「どうせ死ぬなら、グラトニーとの戦いでにしてください! これはそのための戦いのはずです!!」
肝心なのはここでの戦いではない。
巨大モンスターを討伐することこそ、今もっとも集中しなければならないことなのだ。
今しているのは、その指揮権を誰が握るか、それを決めるための戦いのはずなのである。
「貴方はここではもう戦えない! 勝負はつきました! ならば、巨大モンスターとの戦いに命を使ってください! 本当に肝心なのは、そちらのはずでしょう! エルザルート様のためにとは言いません! あなたの氏族のために、命を賭していただく! それが、今の貴方にできるけじめのつけ方でしょう!」
ノンドはギリギリと歯を食いしばっている。
もう視線だけで人が殺せそうな勢いだ。
実際、ルシアは半分ぐらい意識が遠のいている。
ぶっちゃけ、生まれ変わる前を合わせても、人生最大のプレッシャーを感じていた。
ブラック企業で勤めていた経験がなかったら、おそらくすでに気絶していただろう。
まあ、そんなことはないのだろうが、そんなどうでもいいことでも考えて気を紛らわせないと、本当に気絶しそうなのだ。
そのプレッシャーが、ふと和らぐ。
ノンドが、視線を地面に向けたからだ。
「エルザルート・ミンガラム男爵」
「なにかしら」
「俺の、負けのようだ」
「そのようですわね」
「ネルディガ」
名前を呼ばれ、側近の一人であるネルディガは「はい!」と叫び、ノンドに駆け寄った。
助け起こそうと手を伸ばすが、ノンドは手のひらを見せてそれを止める。
「俺は、ミンガラム男爵に下る。皆もそうするよう、説得しろ」
「すぐに」
「任せる。エルザルート・ミンガラム男爵。良い戦いだった。申し訳ないが、あとで少々時間を頂きたい。今は、少し眠らせていただく」
言うや、体を支えていた手が崩れ、ノンドは地面に突っ伏した。
オーク達から、悲鳴に近い声が上がる。
すぐさま、エルザルートは後ろを振り返った。
「エルミリア! 回復の杖を!」
「はっ!」
エルザルートが言い終わるよりも早く、エルミリアは駆けだしていた。
手には、件の魔法の道具がある。
いつでも飛び出せる状態だったらしい。
あとは、エルザルートの指示を受けるだけだったのだろう。
ルシアは思わず、地面にへたり込んだ。
しばらく分の勇気をすべて使いきったような気分だった。
エルザルートは扇子で口元を隠しながら、歩いてきてルシアの横に立つ。
「わたくしも、まだ決着はついていないと思っていましたわ。よく足の負傷に気が付きましたわね」
「いえ、ぶっちゃけ気が付いていませんでした」
生の戦いなんぞ、ほとんど経験したことのないルシアである。
そんなことをあの場面で、冷静に分析できるわけがない。
足が動かないっぽいな、と気が付いたのは、ノンドが立ち上がってルシアをどつきに来なかったからである。
「あそこで止めなかったら、エルザルート様すんごい魔法ぶっ放すつもりだったんじゃないですか」
「周りには領民が居ましてよ。さすがにそこまではしませんわ。多分」
「多分て言っちゃってるじゃないですか」
エルザルートはにやりと目を細める。
二人で話していると、エルミリアが近づいてきた。
手に持っていたはずの回復の杖がない。
「エルザルート様。回復は間に合いました。足も動くようです。杖は、オークに預けて回復を続けさせています」
見てみると、ノンドはすでに自分で立ち上がっていた。
いくらかふらついているようではあるが、もう問題ない様だ。
回復の杖、恐るべしである。
「すごいですねぇ、魔法の道具って」
「役に立つものばかりですわ。あなたのお腹の膨らみとか」
言われて、ルシアは思わず自分の腹を押さえた。
服には、確かに不自然なふくらみがある。
「あー、いえ、これはですね」
「身代わり人形。サウズバッハ公爵家から贈呈された品の中にありましたわね」
ゲーム時代にもあった「アイテム」の一つだ。
その名の通り、キャラのHPが0になるとき、身代わりとなって消滅する代わりに、HPを回復してくれる。
文字通り身代わりとなってくれるアイテムだ。
「致命傷を受けるとき、身代わりになって崩れ去る魔法の人形。よく知っていましたわね?」
「いえ、えー、説明書が付いてたんじゃないですかね? それでほら、エルザルート様が万が一の時に、お渡ししなくちゃなぁーと思って、すっかり忘れてましたー。いやー、まいったなぁー、ははは」
乾いた笑いでごまかそうとするが、まぁ、無理だろう。
エルザルートは、楽しげに笑った。
「おかしいと思いましたわ。自らの危険を省みず飛び出してくるなんて、あなたらしくありませんもの。保険があってのことでしたのね」
だらだらと冷や汗を流すルシアだったが、エルザルートの目に非難の色はない。
むしろ、どこか楽しげである。
「そういうものが配下にいると、いろいろと便利なのでしょうね。現にノンドというオークを失わずに済みましたし。ほめて差し上げますわ」
「光栄です」
力なく笑うルシアをよそに、エルザルートはノンドの方に歩き出す。
エルミリアも、そのあとについていく。
「この後も、その調子で励みなさい。あなたの言った通り、本当に肝心なのは、これからですもの」
そう、肝心なのは、これから。
巨大モンスターとの戦いこそが、今最も注力すべき事柄なのだ。
「はい。がんばらせていただきます」
ルシアは力なく笑うと、がっくりと地面に突っ伏すのだった。
旧年中はありがとうございました
今年もよろしくお願いしたします