五話 「貴族には二種類いるというのを、ごぞんじかしら?」
モンスターというのは危険な存在であり、それゆえに人間達はそれを自分達の生活圏に近づけないようにして暮らしている。
そのため、国の中央部で暮らす人間の大半は、モンスターを直接見ることもなく生涯を終えることが殆どだ。
だが、辺境部にある農村などだと、そうもいかない。
人間の生活圏以外からモンスターが入ってきて、畑や家畜などを襲うことも、珍しくない。
ド辺境の農村に暮らしていたルシアも、モンスターは何度か見かけたことがあった。
とはいっても、それはあくまで時々の話。
今エルザルートの後ろに積み上がっているような、大量のモンスターを一度に見たことは無かった。
「おーっほっほっほ! 大猟ですわぁー!!」
「あんだけ爆発してたのに、割と傷がないんだなぁ」
積み上げられているのは、エルザルートの狩りの成果である。
タイニー・ワーウルフ達が手分けして運んできたものだ。
思わぬ大成果に、タイニー・ワーウルフ達も元奴隷達も盛り上がっていた。
普通、人間はあまりモンスターを食べない。
見る機会がないので、口に入れるという発想がないらしいのだ。
だが、それは「普通」の場合。
ルシア達のようなド辺境に暮らしていた農民にとっては、モンスターは時々手に入る肉の一種である。
「エルザルート様、モンスターの肉をお食べになったことは?」
「ありませんわね」
ふと気になって訊ねてみたルシアだったが、案の定な答えが返ってくる。
家畜でもない、人を襲うものを好んで食べる貴族など居ないだろう。
いや、案外いるかもしれない。
贅沢をしすぎると、ゲテモノ趣味に走ったりするというし。
脱線しそうになる思考を、頭を振って引き戻す。
何にしても「表向き」だけであれば、モンスターの肉を好んで食べる貴族など居ないはずなのだ。
「では、あのモンスターの肉は、エルザルート様はお食べにならないので?」
「いいえ、頂きますわ。わたくし自身が獲ってきたものでしてよ」
「確かにそうなのですが。あまり貴族の方は、モンスターの肉を食べたりしないものだと記憶していましたので」
「そういう貴族もいますわね。ですが、我がミンガラム男爵領では、今はこれが主要産物ですわ。わたくしがそれを食べずして、誰が食べると言いますの」
「まあ、たしかに」
「貴族とは、民を統べ土地を統べるよう、国王陛下から仰せつかった者のこと。そして国王陛下は国を統べることを、神から命ぜられたお方! つまりこのわたくしが民と領地を統べることは、神のご意志にも等しいことでしてよ!! おーっほっほっほ!!」
話しているうちにテンションが上がってきたのだろう。
エルザルートは決めポーズをとりながら、高笑いを上げる。
タイニー・ワーウルフ達も元奴隷達も、すっかり慣れた光景になったのだろう。
特に気にすることなく、モンスターの解体作業に入っている。
図太いというかなんというか。
その位でなければ、この土地やド辺境では生きて行けないのだろう。
高笑いをする貴族と、黙々とモンスターを解体する住民達。
なんともカオスな光景を前に、ルシアは思わず変な笑い声を漏らした。
エルザルートに割り当てられたのは、アールトンの家の一室であった。
群のリーダーであるためか、建物は村の中で一番立派ではある。
とはいえ、貴族が暮らすようなものではない。
にもかかわらず、エルザルートは文句ひとつ言わなかった。
今も、その部屋で乾燥させた草をシーツでくるんだクッションの上に座り、塩を片手に乗せて焼いたモンスター肉を齧っている。
「愚民の工夫というのもなかなかですわね。焼いた肉に塩を振るのではなく、付けながら食べることで塩の消費量を抑えるとは」
こんな場所では、塩も貴重品である。
多少でも無駄にするのは避けたいので、極力節約する様な使い方をしていた。
何しろ、塩は多くの人種にとって、命に係わる必須栄養素だ。
もちろん、タイニー・ワーウルフや人間にとってもそうだった。
村の備蓄に加え、奴隷商人達の持ち合わせもあったのだが、油断はできない。
オーク達と対立関係にある現状、村に時々現れるという行商人が来るかどうかもわからないのだ。
よしんば来てくれたとしても、取引できるようなものがない。
お金などあるはずもないし、物々交換に使えるような品は、オークによる襲撃のどさくさで、壊れてしまっている。
今から交易品を作るというのも、難しい。
何しろ、何時オークの攻撃が始まるかわからない状況だ。
悠長に家庭内手工業に精を出している暇はない。
「なんにしても、頭が痛いなぁ」
「あら。塩分不足ですかしら?」
「あ、いえ。ちょっと考え事をしていまして」
「そうですの?」
首をかしげながらも豪快に肉を齧り続けるエルザルートに、ルシアはある種の感心を含んだ視線を向ける。
エルザルートが狩りの後に言っていたことは、まぎれもない事実であった。
つまり、王は神の命で国を統べ。
その王の命によって、貴族は民と領地を治めている。
これが地球での出来事であれば、「なんかそんな風に言っているだけなんだな」と思う日本人が多いだろう。
王様が権威付けや箔付のためにそういうことにしているだけであって、事実ではない。
そんな風に考えるものが大半なはずだ。
だが。
幸か不幸か、ここは日本でも地球でもなく、剣と魔法が物を言う乙女ゲーの世界だ。
奇跡もあれば神様も実在している。
ルシアが生前にプレイしたいくつかのルートの一つでは、実際に神様が出てきたりするぐらいだ。
その神様によって、王様は王権を授けられている。
権威付けでも箔付でもない。
まごうこと無き事実なのだ。
元日本人の感覚からすればぶっ飛んでいるとしか思えないエルザルートの主義主張ではあるのだが。
実は全く無根拠というわけではない、むしろある側面から見れば至極まっとうな行動なのである。
王様に王権を与えた神様は、ルシアの記憶によればおおよそこんなことを言っていたはずだ。
民を、土地を、国を守れ。
そのための権限と力を与える。
実際、エルザルートが所属する国の王族は、特別な力を持っている。
神に与えられた、奇跡などに類する力だ。
圧倒的な力、と言っていい。
ゲームの中でも、国王が力を振るって敵が一瞬で壊滅する様な描写が、何度かあった。
神は、民と土地の守護者として、それを治める者として、力と権限を王に与えている。
それもうなずけるような演出であった。
少なくとも王様は、その使命に忠実であった。
慈悲深く聡明で、民と土地のことを常に考えているような、「良い」国王である。
だが、いくら優秀であっても、一人の手で民すべてを守ることができるわけがない。
そこで王は、一部の者に権限を与え、民と土地を守らせることとした。
この「一部の者」というのが、つまるところ「貴族」である。
では権限を与えられた貴族達の全てが、王様の様に素晴らしい存在であるか、と言えば。
そんなわけがない、というのが、実際のところである。
権威を笠に着て好き放題している貴族は、非常に多かった。
奴隷商人達も言っていたが、王都に住んでいるような貴族でも、禁止されている奴隷を売買している位である。
ルシアが住んでいた地方を治めている貴族も、真っ当とは言い難いだろう。
なにしろ、奴隷商人が村を襲っているぐらいだ。
きちんと見回りなり警備なりをしていれば、そんなことは起こらないはずである。
「何だったら、あの奴隷商人の人達、貴族様に袖の下でも渡してたのかなぁ?」
ありそうな気がする。
ゲームである「トキメキ戦略シミュレーション ファルニア学園キラ☆らぶ戦記」のエピソードの中には、悪徳貴族と戦うというものもあった。
その時のセリフに「今この国にいる貴族は、こんな奴ばっかりだ」というのがあったはずだ。
確かにその通りなのだろう。
だからこそ、タイトルに「戦記」なんてつくほど戦が起こるのだ。
世の中の大半を占める「悪徳貴族」。
そんな中で、行動や言動こそかなりアレなものの、「真っ当な貴族」であるエルザルート。
さぞ白い目で見られたのではないかと、ルシアは思う。
実際、ゲームのストーリーでも、そういった演出がなされていた。
特にそれが如実なのが、エルザルートが追放されるルートだ。
方々から煙たがられていたエルザルートは、なんやかんやと理由をつけて辺境に追いやられることとなる。
この、「なんやかんや」というのが、今のルシアにとっては悩みの種になっていた。
シミュレーションパートにやたらと力が入っているゲームではあるが、「トキメキ戦略シミュレーション ファルニア学園キラ☆らぶ戦記」はあくまで乙女ゲーとして売り出されている。
様々なルート分岐が存在し、それぞれにスポットが当たるキャラクターが変化するのだが。
この時スポットが当たっていないキャラクターの状況や立場などが詳しく説明されることは、ほとんどない。
ゲームをそれなりにやり込んだルシアでも、「辺境に飛ばされたエルザルート」が、「なぜ」「どうして」そんな状態になったのか、全く知らないのだ。
あるいはゲームを作るうえでの設定資料などには、そういったものがあったのかもしれない。
だが、一プレイヤーでしかないルシアには、知る術などなかった。
当時は特に気にもしていなかったことではある、が。
その「辺境に飛ばされたエルザルート」と行動を共にしている現状、なぜどうしてそうなったのか。
ルシアとしては、非常に気になるところであった。
「でも藪蛇っぽいんだよなぁー」
触らぬ神に祟りなし、ともいう。
余計な話を聞いて、余計なことに巻き込まれる恐れもあるのだ。
もっとも、いまさら感はある。
「なんですのいったい。さっきからぶつぶつと」
エルザルートに胡乱気な視線を向けられ、ルシアはハッと我に返った。
どうやら思考に埋没するあまり、独り言をつぶやいていたらしい。
まあ、いい機会である。
ルシアは覚悟を決めて、エルザルートに直接訊ねてみることにした。
「あの、実は気になっていることが有りまして」
「なんですの?」
「エルザルート様は、たしか元々公爵家のご令嬢でしたよね?」
かなり位の高い貴族のご令嬢。
それが、エルザルートという「キャラクター」なのだ。
エルザルートは齧っていた肉を派手に引きちぎって飲み込むと、怪訝そうに首を傾げた。
「たしかにそうですわ。あなたよくそんなこと知っていますわね」
ルシアは一瞬、凍り付いた。
言われてみれば確かにそうだ。
ルシアは農村で村八分を喰らっていた、どこにでもいる普通のダウンロードされてなかったダウンロードコンテンツの乙女ゲーキャラである。
どこにどんなお貴族様がいる、なんていうような情報など、知らないのが当たり前だ。
当然、エルザルートがどんな貴族家出身かなんぞ、知ろうはずもない。
混乱しかける頭の中を、ルシアは何とか抑え込んだ。
何とか誤魔化すしかない。
土壇場で上手いこと誤魔化すというのは、ルシアにとって苦手なことではなかった。
ブラック企業勤めの社畜というのは、舌先三寸でいかに状況を乗り切るか、というのが重要だったりする。
上司、顧客、同僚、後輩、そして、自分自身。
とにかくいかにして誤魔化すかということだけに磨きをかけ、それによってかろうじて生きてこられた、といっても過言ではない。
「いえ、以前そういった名前の、大変魔法が得意な貴族令嬢がいらっしゃる。と言ううわさを聞いていたのを思い出しまして。何せ娯楽の少ない生活でしたから、なんとなく覚えてたんですよ」
不自然に笑ったりするわけでも、必死に言い募るのでもない。
さも当たり前のことの様に、平然と話す。
この場合はこの方策が良いだろうと、ルシアは咄嗟に判断した。
「ただ、如何せん日々の暮らしに忙殺されていましたので、ほとんど忘れかけだったんですけどもね。なんとなく聞いたことはあったんだけど、中々思い出せませんで。ソレでこう、ぶつぶつと」
「ふぅん。そういうモノかしら?」
小首をかしげながらだったが、どうにか納得してくれたらしい。
まさか社畜時代に磨いた誤魔化し技術が、死んで生まれ変わってから役に立つとは。
「ともかく、その公爵家のご令嬢であったはずのエルザルート様が、何故ここにいらっしゃるのかなぁ、と思いまして」
「わたくしが元は公爵家の人間であることを知っていたならば、当然の疑問ではありますわね」
乗り切った!
辛く長かった社畜生活は、無駄ではなかったのだ。
あの頃の自分にこれを教えてやれば、きっと喜んでくれることだろう。
「貴族には二種類いるというのを、ごぞんじかしら?」
どうやら、少々込み入った話らしい。
ルシアは気持ちを引き締めると、エルザルートの質問に対する答えを考えた。
ゲームの中では、こういった話があっただろうか。
思いだそうとするが、どうもルシアの記憶にはない。
考え方を変えて、エルザルートが言いそうなことを想像してみる。
だが、ここでふと、答えないというのが正解なのではないか、という考えが頭をよぎった。
何しろルシアは、貴族というものを直接見たことすらない。
転生前の知識や記憶を元に推測することはできるが、それにしても、余りに「この世界の貴族について」知らなすぎる。
ゲームの中で多少触れられてはいたが、そんなものはごく限られた情報でしかない。
あいまいな知識しかなく、「推測」するための材料すら事欠く。
適当な答えを返すぐらいであれば。
「いえ、想像もつきません」
こう答える事こそが、今のルシアに出来る精一杯。
といったところのはずだ。
エルザルートは片眉を上げ、しばらく考えるように押し黙った。
そして、ニヤリと笑みを作る。
「あなたなら、想像することぐらいはできるのではなくって?」
「想像することはできるかもしれませんが、私は貴族様方についてほぼ何も知りませんので。何しろ、ド辺境の農村で村八分だった身ですから。そんな人間が見聞きしたことを元に推測できるものでもなかろうかと思いまして」
「それでも、何か答えることはできたのではなくって?」
「愚にもつかない憶測をお聞かせするよりは、素直にわからないとお伝えしたほうが良いと思いましたもので」
「面白い答えですわ。わたくしが想定していたものとは違いましたが、良い答えですわね」
どうやら、お気に召していただけたらしい。
内心でガッツポーズを取りつつも、ルシアはそれが表情に出ないように気を付ける。
「では、改めて。貴族というのには、二種類いるのですわ。一つは国王陛下から賜った役目を達成することのみを至上とするもの。もう一つは、国王陛下から賜った地位を利用して己の欲望を達成することのみを至上とするもの」
実にエルザルートらしい区分に、ルシアの顔が若干引きつる。
だが、まさにそうなのだろう、とも思った。
ある程度真っ当な貴族が前者。
ずる賢い、創作物などで多く見かける後ろ暗いところがある貴族が後者、ということなのだろう。
ルシア的に、貴族や政治家と言えば、腐敗と堕落の塊、というのがイメージである。
だが、そうではないものも、ごく一部には居るのだろう。
おそらく、エルザルートなどは前者だ。
金や名声や享楽などに興味があるタイプではない。
それよりも、貴族として国王の命を全うすることに喜びを見出すタイプなのだ。
実に厄介である。
「その地位を利用している連中の中に、わたくしを邪魔に思うモノがいるのですわ」
「政敵ってことですか?」
「そんな立派なものではありませんわ。以前連中の商売を、たまたまわたくしが潰したようですの。それ以来、目の敵にされているのですわ」
「いったい、何をなさったので?」
「さぁ?」
「さあって。え、どういうことです? まさか、何をしたのかわからないとか?」
「そのまさかですわ。わたくしが吹き飛ばしたものの中の一つに、そのモノの息がかかったものがあった様なのですけれど。なにせわたくし、色々吹き飛ばしていますもの」
自分で言うだけあって、たしかにエルザルートはゲームでも色々なものを吹き飛ばしていた。
違法カジノに、悪徳金貸し、盗賊団のアジト。
エルザルートが絡むエピソードは、大抵がそういった荒事だ。
破天荒すぎる行動を繰り返すエルザルートだが、彼女は「この国の貴族として正しいか否か」を行動規範としている。
それはある意味、この国の貴族としては理想的な姿だろう。
エルザルートはそれを、他のものにも求めるきらいがあった。
もちろん相手は貴族に限られるし、貴族としての規範から外れることを求めているのではない。
むしろ、規範通りに生きることを求めるのだ。
そんな彼女だからこそ。
ゲームの中の選択肢によっては、主人公と敵対してしまうことも多かった。
自由でのびやかな選択肢を選べば選ぶほど、厳格で過激なエルザルートと対立することになるのは、当然のことなのだろう。
そんなエルザルートだから。
知らないうちに「悪徳貴族」の「商売」を邪魔していた。
なんてことは、たしかに起こりうるのだろう。
「なかなかスパルタンなお話ですね」
「よくあることですわ」
そんなことがよくあってたまるか、と思うのだが、実際によくあるのだろう。
結果、エルザルートは今こうしてここにいるのだから。
「その連中としては、私に王都、中央にいてもらっては面倒なわけですわ。そこで、遠ざける方法を考えた」
無知蒙昧なる亜人種を、王国に住まうものとして正しき姿に教導する。
その建前で、エルザルートを辺境に追いやる、というものだ。
「どうやってそんな」
「表向きは、功が多いわたくしへの報償ですわね。公爵家の人間とはいえ、わたくしの立場では家も継げず、将来はどこかの誰かの奥様にしかなれない」
この国では、女性でも爵位を継ぐことができる。
だが、エルザルートは長子ではなく、兄姉は非常に優秀な人物であった。
つまり、どうやってもエルザルートは実家の公爵家を継ぐことができないのだ。
「それはあまりに勿体ない。ならば、エルザルート様を適当な貴族家の当主に据えて、この土地を平定させよう。ってことですか?」
「おおむねその通りですわね」
めちゃくちゃだ。
確かに爵位を与えるというのは確かに報償ということになるだろう。
だが。
「いくら何でも、たった一人で辺境の土地に放り出すなんて」
「別に放り出されたわけではありませんわ。家臣を集める時間的金銭的余裕もありましたもの。集めなかったのですけれどね」
「何でですか?! いくら何でも、護衛などは雇われていた方がよろしかったのでは?!」
「それも考えたのですけれどね。わたくしを邪魔に思う連中の息がかかったものが紛れ込んだら、厄介ではありませんの」
なるほど、とルシアは思わず手を叩いてしまった。
家臣団を揃えるのは、それなりに手間だろう。
全て実家の公爵家から出してもらうわけにもいかないだろうし、どうしても新たな人間を雇い入れることになるはずだ。
エルザルートを排除しようという連中なら、その中に刺客を紛れ込ませることも出来るだろう。
王都でならともかく、こんな魔境でならいくらでも襲えるはずだ。
と、そこで、ルシアは肝心なことに気が付く。
「いや、それなら家臣の中に紛れなくったって襲えるじゃないですか。ここは亜人が闊歩する危険地帯ですよ」
「亜人が闊歩する危険地帯に入り込んで襲ってこれるような連中なら、どこでだって襲えますわ」
「それもそう、なのかなぁ?」
荒事に疎いルシアには、判断しかねる部分である。
「なんにしても、ここにこうして無事でいるのですから、何の問題もありませんわ」
「確かに、ご無事ではありますね」
「それと、誤解がないように言っておきますけれど。わたくしは今の自分の状況を、けっして悪いものだとは思っていませんわ」
この言葉に、ルシアはぎょっと目を丸くした。
一瞬強がりかとも思ったが、そうでもなさそうなことは勇壮な笑顔を浮かべている顔を見ればわかる。
「領地平定がなるまで、他の土地に行く必要はない。つまり、この土地を治められるまで離れることは許さない。わたくしはそう仰せつかっていますわ」
「じゃあ、王都や別の町に行くこともできないってことですか?!」
要するに、この土地で死ねということだろう。
まさかそんなことを言われているとは、ルシアは思ってもいなかった。
確かにエルザルートはゲームの登場キャラクターであり、ルシアは様々にあるルートでどんな結末になるのかを知っている。
だが、それは大雑把なところだけであり、細部についてはほとんど触れられていない。
まして、メインストーリーから姿を消したキャラのことであれば、なおさらだ。
今のエルザルートはまさにその状況で、ゲームのメインとなる場所からは離れたところにいる。
そもそも論になるのだが、「トキメキ戦略シミュレーション ファルニア学園キラ☆らぶ戦記」は、あくまでも乙女ゲーなのだ。
どんなに戦闘パートが優秀であろうが、主人公とイケメン攻略キャラの恋愛が物語の主軸なのである。
攻略キャラでもない、まして追放されて表舞台から消えたキャラの詳しい動向や境遇など、描写されているわけがない。
めちゃくちゃな、あまりにも酷いと思えるこの状況を、しかし。
エルザルートはきちんと理解したうえで、笑っている。
「逆に言えば、この地を平定して領土復帰をなせば、わたくしを貶めようとした連中の鼻を大いに明かせるということですわ!」
「それは、そうでしょうね」
無理難題をおっかぶせて体よく追放したはずの人間が、それを達成して戻ってきた。
エルザルートをハメた連中からすれば、まさに悪夢だろう。
「そして、わたくしは王国史で初めて、敵対的な亜人種を従えた貴族となりますのよ。エルザルート・ミンガラム男爵の名は、歴史に刻まれることになりますわ!」
「確かに、成功すればそうなるでしょうけども」
それだけ難しい、ということだ。
「なにより。今回の件はわたくしを邪魔に思う連中の画策で始まったことですけれど、最終的には国王陛下の下知により決まったことですわ。確かに難しくはあるが、エルザルートであればやるかもしれぬ。そう、わたくしの目の前でおっしゃいましたの」
エルザルートにとってみれば、それがすべてだっただろう。
あるいは、自分を追放しようとした連中の思惑を潰そう、とも思っていたかもしれない。
だが、国王至上主義者であるエルザルートに、国王自らがそんなことを言ったのであれば。
それまでの考えなどすべて投げ捨てて、必ず成功させようとするはずだ。
いや、実際に、そうしている。
「そう! わたくしを快く思わない連中の罠ではありますわね! でも、ふたを開けてみればどうかしら! ピンチではありません! これはむしろチャンスですわ!」
確かに、この土地の平定をやってのければ、大きな功績になるだろう。
誰も成し遂げたことのない偉業なのだから、当然だ。
ちなみにその達成難易度は、「誰も成し遂げたことがない」というところから察することができる。
「わたくしをハメた連中をぎゃふんと言わせ! このわたくしの優秀さを世界に知らしめ歴史に名を刻み!! 国王陛下も大いにお喜びになる!!! まさに一石三鳥ですわ! おーっほっほっほ!!」
肉を片手に持ったまま、のけぞるようにしてポーズを取りつつ高笑いを決める。
いい加減、ルシアもエルザルートのこの行動に慣れてきていて、驚いたりはしない。
それにしても。
こうしてエルザルートの話を聞いてみると、なかなか感慨深い気持ちになってしまう。
体の良い追放を受けた令嬢。
ダウンロードされなかった攻略キャラ。
どちらがましな立場なのだろう。
いや、今の状況では、どっちもどっちに違いない。
何しろ、こうして一緒にモンスターの肉を齧っているのだから。
そんなことを考えていると、エルザルートが「そうですわ」とルシアの方に向き直った。
「家臣が云々という話をしていて、思い出しました。ルシア。あなた、わたくしの家臣になりなさい」
「はい!? え、いや、僕ですか!?」
おもわず声が上ずってしまったのは、仕方ないことだろう。
一応、ルシアの目標はそこではあった。
今現在自分が置かれた状況を考えれば、エルザルートの配下に収まるのが一番生存率が高いと踏んだからだ。
だが、今の話を聞いて、その考えが少々揺らいでいる。
今のエルザルートは、思う様命を狙われているのだ。
危険な立場にある危険人物の家臣というのは、果たして安全なのかどうなのか。
「ええ。あなたですわ。ミンガラム男爵家、最初の家臣でしてよ」
アールトンは、支配下にある群のリーダーということで、家臣換算には入らないらしい。
一体、どう答えればいいのか。
持ち帰ってじっくり考えたい案件だが、そんなことを許してくれるような状況ではないだろう。
数秒の熟考を経て、ルシアはカッと目を見開いた。
「お役に立てるかわかりませんが、精一杯務めさせていただきます!」
いかにも覚悟が決まった、という表情。
だが、内心はまったくそんなことは無かった。
色々状況が複雑すぎたために、ルシアは考えるのを止めたのだ。
まあ、流されていればなるようになるよね。
それがルシアの基本スタンスである。
だからこそ、地球でブラック企業の社畜をやっていたのだ。
もちろんこの時の答えは後で後悔することになるだろうが、それは後の自分である。
今の自分には関係ない。
こんなことばっかりしているからあとで後悔するのだと、ルシア自身わかっているのだが。
持って生まれた性格と考え方というのは、なかなかどうして変えがたいものなのだ。
実際、本当にこの時の判断が正しかったのかと頭を抱えることになるのだが。
それは少し先の話である。