二話 「支配してしまえば皆等しく愚民ですわ」
別の亜人により襲撃を受けているらしい亜人の村の真ん中に、破壊的な威力の魔法をぶち込む。
かなりインパクトのある登場に、村の中は一瞬静まり返った。
唯一声を発しているのは、その魔法を放った人物だけである。
貴族のお嬢様然とした服装に、工業用ドリルのような縦ロールの髪形。
どこまでも高飛車そうな顔つきに、まさに印象そのままの高笑い。
誰もが、その人物に注目していた。
「今日からこの土地はこのわたくし、エルザルート! よくお聞きなさい! エルザルート・ミンガラム男爵が治める土地になりましてよ! ゆえに! このわたくしに許可なく騒ぐことは、決して許しませんわっ!!」
正直なところ、亜人達は全く状況が理解できていないだろう。
だが、その突飛な行動と圧倒的な暴力により、エルザルートは一瞬で場の空気を支配したのだ。
さらに言えば、亜人達の注目を一気にかっさらうだけの存在感。
全員の目線を受けても全く動じることのない胆力。
それは、ルシアのイメージにある、「悪い貴族とか悪役令嬢」のイメージそのままの姿であった。
「おーっほっほっほっほっほっほっほっほ!!」
亜人達の呆然とした様子がお気に召したのか、エルザルートは高笑いを響かせ始めた。
腰に手を当て、手の甲を口元に当てる。
まさに絵にかいた様な「悪役令嬢の高笑い」だ。
本来なら、こんなことをしている間に亜人達が動き出しそうなものである。
だが、誰一人動けない様だった。
エルザルートが全身から放つオーラのようなモノに、気圧されているのかもしれない。
ちなみに、「オーラのようなモノ」というのは、実際に体から放出されていた。
光り輝く靄のようなものが、エルザルートの体から発散されているのだ。
必死に木陰に身を隠しながら様子を見守っているルシアも、その輝きに目を見張っていた。
あの光の正体は、おそらく魔力である。
ルシアはこういった現象に、覚えがあった。
「トキメキ戦略シミュレーション ファルニア学園キラ☆らぶ戦記」の中で、魔法を使うキャラクターの背後に出ていたエフェクトが、丁度こんな感じだったのである。
この世界において、多くの人間は魔力を持っていない。
魔法を使うことができるだけの魔力を有しているというのは、それだけで特別なことであった。
ゲームの設定では、エルザルートの魔力量は、かなり高いものということになっていたはずだ。
そして、高い魔力量を持つモノは、それだけで他者を圧倒することができた。
生物としての本能が、強い魔力を恐れるから。
という、設定であった。
そんなゲームの中の設定は、現実でも有効だったらしい。
こうしてエルザルートの全身から迸るような光を見ているだけでも、ルシアは腹の底から湧き上がってくるような漠然とした恐怖を感じていた。
今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られるが、そういうわけにもいかない。
何とか気持ちを奮い立たせて、木の幹にしがみついていた。
少々情けない恰好なのだが、それでもルシアとしては必死なのである。
もっとも、それは獣人達の方も同じだったらしい。
ほとんどの獣人達が、気圧された様子で立ち尽くしているか、あるいは後ずさってすらいた。
だが、良く見渡してみれば、ごくわずかではあるものの、エルザルートから発せられる圧力に耐えているものもいる。
それどころか。
悠然とした態度で、エルザルートへ向かってくる者までいた。
魔力の圧力に耐えることができる、というのは、それだけで強者であることを表している。
それに対抗できる魔力か、あるいは別の力を有しているものでなければ、湧き上がってくる本能的な恐怖に打ち勝つことができないからだ。
「この中で動けるやつがいるのかよ。ヤバいんじゃないか、これ」
ルシアは、血の気が引いていくのを感じた。
おそらく並の人間や亜人では、エルザルートには敵わないだろう。
魔法による圧倒的火力というのは偉大である。
近づく前にマルコゲにされるか、吹き飛ばされるかするはずだ。
例えばここにいるすべての亜人がエルザルートに襲い掛かったとしても、先ほどのような魔法で消し飛ばすことが可能だろう。
いくら頭数を揃えても覆らないほど、魔法攻撃というのは強力なのだ。
ルシアとしても、ある程度安心してみていられる。
だが、もしこの中に「並」でないものが居たとしたら、どうだろう。
例えば、エルザルートのように「ゲームの登場人物」になるぐらい強いものが居たとしたら。
これは不味い状況かもしれない。
ルシアは焦りを覚えた。
もし、エルザルートに危険が及ぶような気配があったなら。
「全力で逃げよう。命あっての物種だし」
ルシアは割かしそういうところはドライだったのである。
何にしても、相手を確認しなければ始まらない。
ルシアは木の幹から顔を少しだけだし、エルザルートに向かっていくものへと目を向けた。
「なん、あれ、は、ど? どうなの? なんだ、あの人の種族。え?」
村の中にいる亜人種は、おそらく二種類だ。
屈強で巨大な緑色の身体を持つ、オークと思われるもの。
もう一つは、二足歩行の大型犬か狼かといったような外見の、ワーウルフと思われるもの。
それ以外のものは、居ないように見えた。
おそらくどちらかがこの村に住んでいて、どちらかが襲撃をかけたのだろう。
だが、この人物はオークにも、ワーウルフにも見えなかった。
一見して人間のようであり、ワーウルフではないと思われる。
人間としてみれば大柄で筋骨隆々とした体格だが、巨躯であるオーク族から見れば小柄で細い体つきだ。
抜けるように白い肌や、尖った耳から、一瞬エルフかとも思ったルシアだったが、この世界のエルフはほっそりした体格のはずである。
一体何者かと首をひねるルシアだったが、すぐに考えるのは後回しにすることにした。
件の人物に、動きがあったからだ。
正体不明のこの人物は、エルザルートから少し離れたところで足を止めた。
エルザルートの方も気が付いたのか、睨みつけるように目を細めている。
この人物は大きく口を開けると、身体をそらせるほどに息を吸い込んだ。
そして。
「ぐるぁああああああああああああああああ!!!」
大音声で雄たけびを上げた。
裂けるように開いた口の中には、上下に鋭い牙が覗いている。
あまりの大きな声に、ルシアは思わず耳を塞いだ。
皮膚や、しがみ付いていた木が揺れているようである。
もしこの場にガラスなどがあったら、あるいは割れていたりするのかもしれない。
あまりに恐ろしい咆哮に、ルシアは恐怖を覚える。
エルザルートに感じたのと、同種のものだ。
だが、間近で聞いているはずのエルザルートは、小動もしない。
全く表情を変えず、咆哮を気にも留めていない様子であった。
咆哮を終えたこの人物は、すっと背筋を伸ばし、エルザルートに向きなおる。
「私はギシウ氏族の族長。ギシウ・コヴドフ・ラ・ノンド」
この名乗りを聞いて、ルシアは必死でゲーム知識を頭の中で手繰り寄せた。
たしかこの世界のオークは、氏族単位で群れをつくり、行動をしているはずだ。
なんで乙女ゲーにそんな設定が付いてるんだよ、そして何でそれをアルバムモードで懇切丁寧に説明してるんだよ、等と生前は思っていたものだったが、今この状況では心底有り難い。
つまりあの種族が分からなかった謎の人物は、オーク族の族長だったのだ。
いやまてよ、とルシアは一人でツッコミを入れる。
オークというのは、緑色の巨躯を持つ、凶悪な顔立ちの種族のはずだ。
間違っても、あんなイケメン細マッチョではない。
ここで、ルシアははたと気が付いた。
そう、ノンドと名乗ったあの人物は、驚くほどのイケメンだったのだ。
「なんてことだ。やっべぇぞこれ」
ルシアは軽いめまいを覚えた。
「トキメキ戦略シミュレーション ファルニア学園キラ☆らぶ戦記」は、戦闘戦略パートに異常なほど凝っているとはいえ、痩せても枯れても乙女ゲーである。
それゆえに、一つの絶対法則が存在した。
美形は強い。
身も蓋もない話だが、乙女ゲーゆえの悲しい法則であった。
転生する以前なら「わっかりやすいゲームだなぁ、おい!」などと言って笑っていられただろう。
だが、いざこうしてこの世界の住民となってしまえば、そんなことは言ってはいられなかった。
おそらく、ノンドは強い。
エルザルートと比べてどうなのかはわからないが、厄介な相手であろうことは間違いないはずだ。
これは、本格的に逃げる算段をした方がいいかもしれない。
ルシアは目立たないように気を付けながら、屈伸を始めた。
急に走ると、アキレス腱とかが危険なのだ。
「エルザルート・ミンガラム男爵。だったか。人族の貴族が、なぜこんなところにいる」
「今しがた言った通りですわ。この土地は、今日この時からこのわたくしが治める土地になりましたの」
「人族の国は、以前からこの土地を自分達の領地だと言ってはいた。だが、特に手は出していなかったはずだ」
なんでオークがそんなこと知ってるんだ。
と思ったルシアだったが、すぐに答えが出た。
ノンドはなんとなく知性派ッぽい顔立ちをしている。
ゆえに、おそらく知性派なのだろう。
外見でそんなことが分かるわけがない、と思うかもしれないが、残念ながらわかってしまうのだ。
乙女ゲーの世界だからである。
ビジュアルが物を言う。
そういう世界なのだ。
「今までは、そうでしたわね。これからは違う。と、言うことですわ」
エルザルートの言葉に、ノンドは鋭く目を細めた。
何かを考えているような顔つきだ。
この隙にエルザルートが襲い掛かるかと思っていたルシアだったが、どうやらそういったことはしないらしい。
悠然と構え、ノンドの様子を見守っている。
ちなみに、ルシアとしては今のうちに魔法で先制攻撃を仕掛け、吹っ飛ばしてくれたほうが有難い。
その方が安心できるからである。
「この土地にも手を伸ばしてきた、ということか」
その時、一人のオークがそっとノンドに近づいていき、耳打ちをした。
ノンドは小さくうなずくと、そのオークはさっと後ろに下がっていく。
「今は、一旦引こう。次に会う時は、それなりの準備をしておく」
そういうと、ノンドはエルザルートに背中を向けて歩き始めた。
ふと気が付いて、ルシアは周りを見回す。
いつの間にか、オーク達が居なくなっている。
驚いて改めてノンドの方へ目を向けるが、こちらもすでに姿を消していた。
ワーウルフ達も、すっかり戦意を喪失した様子で、棒立ちになっている。
どうやら、一段落着いたらしい。
ルシアはこそこそと、エルザルートの元に走った。
「エルザルート様、お怪我は?」
「見ての通りですわ。そもそも魔法をぶち込んで名乗りを上げただけですわよ。どうやって怪我をするんですの」
「まぁ、そうかもしれませんけども」
「先ほどのオーク。あなたはどう思いますの?」
あれオークなんですか?
と言いそうになるのを、ルシアは寸前で我慢した。
質問を質問でかえすのはよろしくない。
「オークと言えば、粗野、粗暴、凶悪と聞いていましたが、そういった印象は受けませんでした。むしろ、かなり優秀そうに見えましたね」
「ですわね。最初の咆哮。アレは私への威嚇かとも思いましたが、狙いはそれ以外にもあったようですわ。浮足立った愚民共に目を覚まさせると同時に、撤退の準備をさせるためだったようですわね」
「そして、自分はエルザルート様の注意を引き付けるおとりになる。あの場面でそれを瞬時に思いつき、なおかつやってのける胆力。かなりの人物だと思いますけども」
そんな風に言ったルシアだったが、そのあたりのことを察したのはエルザルートの言葉を聞いてからだった。
あ、オークいつの間にか逃げたな。
ぐらいにしか思っていなかったのだが、エルザルートの解説を受けてすぐさま頭の中で情報を分析。
さも自分もそう思っていました、みたいな顔で追随したのだ。
ルシアはしれっと周りに合わせることにかけては、かなり自信があった。
エルザルートは答えに納得してくれたらしく、満足そうに頷いている。
「そういえば、襲っていたのはオークの側だったようですね。ということは、ここはワーウルフの村だった。ってことですか」
「襲う? どういう意味ですの?」
「ワーウルフの村を、オークが襲撃をしていた感じだったのでは?」
「この騒ぎはそういうことでしたのね。ただの喧嘩騒ぎだと思っていましたわ」
規模とか争いの様子を見れば、そうは思わないのでは?
と思ったルシアだったが、エルザルートからすればそうではなかったらしい。
「まあ、どうでもいいことですわね。とりあえず静かになりましたわ」
というより、端からあの争い自体にさしたる興味がなかったらしい。
自分に注目が集まらないから、とりあえず止めた。
程度の認識だったようだ。
大物というかなんというか。
呆れているルシアだったが、エルザルートの「来ましたわね」という言葉で、身体を緊張させた。
周りを見回してみると、一人のワーウルフがこちらに近づいてきているのが分かる。
見た目としては、狼か犬が二足歩行になった様な姿だ。
ここで、ルシアはあることに気が付いた。
遠くで見ていたのでわからなかったのだが、ワーウルフ達はルシアが思っていたよりもずっと小さかったのだ。
小さい、とはいっても、ルシアと同じか、少し低い程度の身長ではある。
悲しいかな、それでも十分、世間一般では小さい部類に入るだろう。
ルシアは年齢的に見ても、かなり小柄なタイプに分類されるのだ。
とはいえ、ワーウルフというのは、かなり迫力がある。
見た目でそれとわかる肉食獣ゆえの威圧感、とでもいえばいいのだろうか。
緊張するルシアを一瞥し、ワーウルフはエルザルートの方へ注目を移した。
「俺は、この群を率いているアールトンだ。お前は、人間の貴族なのか」
「その通り。そして、今日からあなた達を統べるものですわ!」
言いながら、エルザルートはポーズをとった。
ジャキーン! とか、ズギャーン! とか効果音が付きそうなほどの決めっぷりだ。
ワーウルフはそれを、じっと見据えている。
狼とか犬系の顔なので、表情を読み取ることができない。
アールトンと名乗ったワーウルフは、しばらくエルザルートを見つめた。
「統べるということは、群のリーダーになるということか」
「違いますわね。わたくしはこの周辺一帯の土地に住むすべての人種を手中に収めるのですわ。あなた達はもちろん、あのオーク達も!!」
背中を極限まで反らせて、手にした扇子を天につき上げる。
腰を言わせそうな格好だが、エルザルートがやるとなかなか様になるポーズであった。
もっとも、見ているのはしらっとした顔のルシアと、別のことを考えているらしいアールトンだけである。
「あなたは、この群れのリーダーなのですわね」
「そうだ」
「では、あなたは今の地位におさまったままでいらっしゃい。その更に上に、このわたくしが立つわけですわ」
「大親分になるということか」
「その大親分というのが何なのかよくわからないですけれども、おおよそそんな理解であっていると思いますわ。ですが、あなた方の文化とわたくしがこれからこの土地に広める文化では、少々違いがあります。細かなニュアンスの違いは、少しずつ学んでいただく必要がありますわ。よろしくって?」
エルザルートの問いに、アールトンは少しの間目を閉じた。
やはり表情から感情などは読み取れないが、ルシアの目には何かを熟考しているように見える。
それにしても、と、ルシアは考える。
あのオーク達といい、このワーウルフ達といい、ルシアが聞いていたものとは、まるで別物のようであった。
ルシアは、亜人種というのを一度も見たことがない。
住む領域が違うから、というのが理由だろう。
それでも、噂程度であれば、聞いたことがあった。
曰く、亜人種はそのすべてが狂暴で残忍。
人間を恨んでいて、見れば必ず襲い掛かってくる。
特に凶悪なのは、オークだ。
粗暴で理性がなく、けたたましく笑ったり、突然怒り狂ったりする。
彼らの種族にはメスはおらず、繁殖のために他種族の女を攫う、のだとか。
以前はルシアもその話を信じていたが、今日のことでおそらく嘘っぱちだと考えるようになっていた。
何しろ、ノンドに耳打ちをしに来たオークが、思いっきり女性っぽかったからだ。
よくよく思い出してみれば、襲撃を仕掛けて来たオークは男女混合だったようで、それぞれに体格や衣装が違っていた。
何より、粗暴で理性がない連中に、あそこまで秩序だった撤退ができるはずがない。
昔聞きかじったところによれば、撤退というのは難しい行動なのだとか。
そのタイミングを的確に見極めるノンドという族長に率いられ、的確に指示を実行しうる練度を持つ連中が、「粗暴で理性がない」ということはありえないだろう。
もちろんそれは、ワーウルフの側にも言える。
冷静な指揮官に率いられた、屈強な種族による攻撃を、それでもなんとか防いでいたのだ。
ある程度以上に対等に戦えていなかったら、先ほどまでここで繰り広げられていた光景にはなっていなかっただろう。
もっと一方的に蹂躙されるような、阿鼻叫喚といった状態になっていたはずなのである。
「わかった。群のほかの者達にも、伝えて置く」
「よろしくってよ」
考察に没入していたルシアだったが、ここではっと気を取り戻した。
これらのことはしっかりと考えなければならない事柄ではあるが、今すぐに必要なものではない。
まずは今やらなければならないことを、きちっとこなす必要がある。
「エルザルート様! 僭越ながら意見具申させて頂ければと」
「なにかしら?」
「この村のこと、住民である亜人種についての話を聞いて回りたいと思いまして。いわゆる、情報収集というヤツです」
「そういえば、そういったことも必要でしたわね」
なるほど、というように、エルザルートは扇子を手のひらに打ち付けた。
そこまで考えが及んでいない、という感じではない。
思いつきもしなかった、という顔だ。
この二つは同じようでいて、案外違うものだとルシアは思っている。
「では、ついでにあのオーク連中のこと、何故襲ってきたかについてもお調べなさい」
ほらきた、と、ルシアは内心でニヤリと笑った。
そういった考え方が無かった、というだけであって、エルザルートはけして住民である亜人種や周辺状況などの情報の価値を、認めていないわけではない。
必要さえ認めれば、すぐさま高く評価する。
案外、こういうことができる人間というのは多くない。
自分が気が付かなかった、気にも留めなかったことが重要だ、と言われると、「お前はそれに思い至らない程度の人間だ」と言われているような気になってしまうのだという。
そう受け取らず、素直に価値を見出せる人間というのは、よほど素直なのか、
あるいは聡明な人物だ、ということらしい。
ルシア自身、何かの本で読んだか、あるいはテレビで聞きかじった知識である。
「わかりました。ほかにも、必要そうなことが有れば聞いて回っておきます。ちなみに、エルザルート様はどちらに?」
「どちらに? どういう意味ですの?」
「まさかここでずっと立ってお待ちになるわけにもいかないものかと。どこか、お休み頂ける場所を手配しなければならないと思うのですが」
「それもそうですわね」
エルザルートはやや困惑したような声で、そう答える。
無理もないだろうと、ルシアはある種の納得を覚えた。
エルザルートは、生まれながらの貴族である。
少なくともエルザルートの国において、貴族というのは「政治」を専門とする人種であった。
その専門ぶりはすさまじく、それ以外のこと一切合切を周りに任せているほどだ。
衣食住はもちろん、生活に必要なことやそれ以外の細かいこと、全てである。
今のエルザルートには、それらの世話をしてくれるものが一人もいないのだ。
そのあたりのことについても、後々考えなければならないだろう。
こういっては何だが、エルザルート自身がそういったところに気が回るとは思えない。
そのあたりのことがごっそり抜け落ちているのが、貴族なのである。
とりあえず今は、情報収集が先決だ。
何がどうなっているのか全く分からない今の状況では、何をどうしていいのか見当もつかない。
「では、俺の家で待っているといい。オーク連中に、少し壊されているが。それほど問題ないだろう」
そういったのは、アールトンである。
群のリーダーである彼の家なら、おそらくこの村で一番立派な建物ということになるはずだ。
それなら、エルザルートが居てもらっても差し支えないだろう。
「そうですわね。よろしいですわ、案内なさい。では、ルシア。一先ず、おおよその話を聞いて回りなさい。あまり細かくやる必要はありません。それを聞いて、何をすべきかわたくしが判断いたしますわ」
「わかりました。なるべく早く、エルザルート様のところへ参ります」
アールトンの家は、他のワーウルフに尋ねればすぐにわかるだろう。
問題は、どの程度情報を集めるべきか、である。
エルザルートを待たせすぎないようにしつつ、出来るだけ有益で必要そうな話を聞き集めなければならない。
存外、難しい注文ではなかろうか。
それでも、ここで手を抜くわけにも、下手を打つわけにもいかなかった。
今一番力を持っているのはエルザルートであり、それに気に入られることが、生き残るには一番有利なのだ。
逆に言えば、エルザルートに気に入られさえすれば、危険な目に合わなくて済むかもしれない。
今はまさに、有能アピールのしどころなのだ。
絶対に生き残って見せる。
固い決意を胸に、ルシアは人の多そうな方へ向かって走り出した。
あちこち聞いて回って、いくつかのことが分かった。
まず、この村の住民である亜人達は、正式には「ワーウルフ」ではないらしい。
その小型種である「タイニー・ワーウルフ」というのが、正式な名前なのだそうだ。
小柄な体とそれに見合った俊敏性に隠密能力、「ワーウルフ」よりもはるかに器用な指先が特徴。
ただ、その小ささ故に、膂力や耐久力では大きく劣るのだという。
彼らは元々少数部族であり、他の亜人と比べて勢力が弱い。
村の人口は全体で100程度。
元々はもっといたのだそうだが、様々な土地を流れるうちに散り散りになってしまったのだという。
今村が在るこの場所に流れ着いたのは、数年前。
主に狩猟採集などを行い暮らしているらしい。
亜人が暮らす地域と、人間の領域の間にあるこの場所は、交易などを行うことが難しくはある。
ただ、その分競争相手もおらず、静かに暮らすことができた。
状況が変わったのは、少し前だ。
近くに集落を持っていたらしいオークの氏族が、突然やってきた。
そして、この場所を立ち退けと要求してきたのである。
「理由は、よく分からないそうです。まあ、わざわざ何でどうしてなんて説明してくれないでしょうから、そういうものなんでしょうけれども」
「この近くということは、わたくしの領地の中に集落があるのかもしれませんわね。早めにそちらも制圧する必要がありそうですわ」
エルザルートの興味が向くのは、まず領地に関することらしい。
「あの、暮らしている種族とかの方は、あまり気にならない感じです?」
「支配してしまえば皆等しく愚民ですわ」
民ではなく、わざわざ愚を付けるあたりがエルザルートという人物だ。
日本でならいろいろと問題になりそうな物言いだが、ここは異世界であり、彼女の領地である。
「えーと。人間との勝手の違いもありますし、今後支配するうえで参考にするのも一手かと」
「それもそうですわね。全く面倒ですわ」
露骨に嫌そうな顔はしているが、納得はしてくれたようだ。
「オーク達の襲撃の目的は、タイニー・ワーウルフ達を追い出すこと、だったわけですわね。ソレで合点がいきましたわ」
「なにか、お気になったことでも?」
「タイニー・ワーウルフに死人が無かったことですわ。襲撃されたにしては、死体が転がっていませんでしたもの。アールトンも、怪我人はいても死人はいなかったといっていましたわ」
「それは。オーク側が、攻撃の手を抜いていたということですか?」
「というより、防御に重点を置いていたようですわね。襲われている側のタイニー・ワーウルフはもちろん、オーク側も相手に打撃を与えるより、自分達に被害が出ないように動いていたようですわ」
「その割には、建物に被害が多かったようですけども。ああ、でもそうか。追い出すだけが目的なら、建物とかにダメージを与えるのも手なのかな?」
住んでいる場所を破壊することで、追い出す。
そう考えていたのであれば、人的被害より建物を攻撃する、というのはわからなくもない。
だが、それならやはり殺してしまうなどした方が早くは無かろうか、と、ルシアは思ってしまう。
「身内が殺されれば、頑なに動かなくなることも考えられますわ。追い出すだけが目的なら、むしろ怪我程度で済ませる方が早い場合もありますわね」
「そういうものですか」
「貴族社会ではよくある手ですわね」
どうも貴族というのは、ルシアが思っていたよりもずっと物騒な生き物らしい。
「えーと、とりあえず、当面の活動はどういたしましょう?」
「襲撃をしてきたオーク族の住処を見つける必要がありますわね。わたくしの領地内であれば、制圧する必要がありますわ」
言いながら、エルザルートはポーズをとった。
とりあえず何か言う時はカッコイイポーズをとる、というのがエルザルートの生態らしい。
「その前段階として、村の復興などされるのも一手かと思いますが」
「それもそうですわね。制圧には人手も必要でしょうし」
「いきなり動員するおつもりですか」
かなり物騒なお貴族様である。
だが、貴族にも元は山賊や海賊だったものもいるらしいので、そんなものなのかもしれない。
「あ、そうだ。なんであっさりエルザルート様を受け入れたのか気になったので、これも聞き込んできたんですが。彼らは、強い力を持っていて群れを率いる意思を持つモノに従う文化があるんだそうです。生物的な特徴なんですかね?」
力が強いものにしたがう、序列社会なのだろう。
エルザルートのことをすぐに認めたのも、それが原因らしい。
最初に魔法をぶち込んだことで、力の差がはっきりしたわけだ。
「そういったことは学者に任せておけばいいのですわ。とりあえずあなたは、村の復興を手伝いなさい。とりあえずそこから手を付けなければどうにもなりそうにありませんわ。一番被害が少ないというこの家で、これなのですし」
そういうと、エルザルートは扇子でルシアの後ろを指した。
ルシアが振りむいた先にあるのは、壁に空いた巨大な穴だ。
「わかりました。元奴隷の女性や子供の方は、どうしましょう?」
「元奴隷? ああ、居ましたわねそういえば」
どうやらエルザルートは、本気で忘れていたらしい。
興味がないものには徹底的に興味がないタイプのようだ。
ルシアは若干の頭痛を覚え、頭を押さえた。
「あの元奴隷達もここへ連れてきて、復興を手伝ってもらうのもよいかと思うのですが。いかがでしょう?」
「そうですわね。あなたにお任せしますわ。元奴隷達に指示を出して、復興を手伝わせなさい」
「わかりました。寝泊まりする場所の確保も、させて頂ければありがたいのですが」
「構いませんわ。元奴隷達の面倒は、あなたが見なさい。細かなことは私の指示を仰がずとも、決めて構いませんわ。問題が出たらすぐに知らせなさい」
「有難うございます。では、すぐにとりかかります」
ルシアは内心で、ガッツポーズをとった。
このままなし崩し的にエルザルートの直属の文官的な立ち位置に滑り込めれば、ルシアの身は安泰だろう。
安全な後方で、公務員的な仕事をするのだ。
そうすれば、衣食住に困ることは無いはず。
生まれ故郷の村では叶わなかった、安心安全な快適生活にありつけるのだ。
そのための労力であれば、いくら割くこともやぶさかではない。
とりあえずの目標は、食いっぱぐれの無い生活、だろうか。
農村に居た頃は村八分にあっていたので、食べるのもやっとだった。
今のような立場を確立していけば、きっと腹いっぱい食べられるはず。
なんだったら、他の者達より少々取り分を多くしたって、バレないかもしれない。
「ごめんね皆。でも、若い男子って食べ盛りだから」
誰にともなく言い訳をしつつ、ルシアはスキップをしそうな勢いで部屋を出ていった。
そんなルシアの背中を目で追いながら、エルザルートはあごに扇子を当てる。
「あの子供、思った以上に使えますわね」
エルザルートは、自分に庶民の常識がないことを、よく理解していた。
生まれながらにして貴族であり、貴族に必要な教育しか受けてきていない身である。
ましてエルザルートは、長子であるわけでもなく、家を継ぐ予定も全くなかった。
領地経営などする予定もなく、民の暮らし方や生活などについて学ぶ機会など、皆無であったのだ。
しかし。
「ルシア、と言いましたかしら。あの子供をわたくしの使用人にすれば、いろいろと便利かもしれませんわね。丈夫そうですし、戦場でもしっかりついてこられるでしょう」
エルザルートは貴族である。
当然、戦場に出るときも身の回りのことをする人間が必要であった。
あの子供、ルシアはかなり気が回るようだし、そういった立場に置いても十分働いてくれるだろう。
「仕事ぶりによっては、手勢を任せる将にしてもいいかもしれませんわね」
兵士をまとめられる役割がこなせる配下は、今後必ず必要になるだろう。
そういう人材として、エルザルートはルシアに目星をつけたわけである。
そんなこととはつゆ知らず。
ルシアは任された仕事を全うしようと、大いに張り切っていたのであった。