二章 五話 「それは。丸投げだな」
学園から屋敷へと戻ったエルザルートは、待ち構えていたルシアからの報告を受けていた。
速報代わりの手紙では伝えきれなかった内容を、懇切丁寧に説明される。
内容を聞き終えたエルザルートは、渋い顔で唸った。
「要するに、教会を建ててやるから厄介事も押し付けられろ。ということですわね?」
「その教会も厄介事ですよ。当初の予定が崩れますから」
現在ミンガラム男爵領には、四つの拠点があった。
一つは、亜人の領域である森の外側。
人間の領域にある、荷物の集積倉庫、外から来た人間が寝泊まりするための宿などが集まった場所。
そして、タイニーワーウルフの村、そして、オークの集落の跡地。
この二つは、外から来た人間と、ミンガラム男爵領民、つまり亜人との交流の場となっている。
一応、ここにも宿と荷物の倉庫などがあり、肝の据わった商人などは、ここで寝泊まりをしていた。
最後の一つが、ミンガラム男爵領の住民が住んでいる村。
いわば本拠地であった。
「巨大モンスターグラトニーの影響で出来た、モンスターが近づいてこない土地。円形のそれを、壁で囲んで作ったもの。そこを、僕達は村として使っているわけです。そこには、外部の人間は一切入れない。ということになっています」
いくら国王が「国民」として認めたとはいえ、人間と亜人の間にある溝は、未だに大きかった。
エルザルートやルシア、エルミリア、それから元奴隷の女性や子供達ならばともかく、普通の人間が同じ土地で一緒に暮らす、というのは難しい。
であれば、まずはお互いにきちんと住み分けをする。
そうしておいて、元村や集落といった場所を使い、少しずつ交流をはかることで、お互いに慣れていく。
これが、当初の計画だったのだ。
「ですが、その予定が崩れてしまいました。国教の教会ですから、国民が暮らしている場所に建てなければなりません。何しろ、国民のための施設ですから」
荷物の集積場、商人や外部との交渉の場であるところ、元村や集落に教会を建てても意味がない。
教会を建てるとしたら、当然のように住民が住んでいる所になる。
つまり、今現在住民が住んでいる村に建てる、ということになるのだ。
「ですが、教会を維持運営するのは人間です。聖職者だからそれほどの問題は起こさないかもしれませんが、それでも人間ではありますから。タイニーワーウルフさんやオークさん方が気にするでしょう」
タイニーワーウルフにしてもオークにしても、アールトンやノンドのような戦士は気にしないかもしれない。
だが、それ以外の普通の者達は、精神をすり減らすことになるだろう。
元奴隷達と一緒に暮らすことにすら、最近になってようやく慣れたところなのだ。
そこに別の人間を入れるというのは、少なくともルシアには良い事とは思えなかった。
「金銭的な余裕が出来て、教会を建てることが出来るようになるころには、タイニーワーウルフさんやオークさん方も人間に慣れてくる。と、思って気にしてなかったんですが」
「教会は民衆を慰撫するためのもの。という名目ですものね。教会を建てるとするなら、領民が住む村しかありませんわ」
外部と接触するための土地である、村や集落の跡地に建てても、意味がない。
だからこそ、戦神教主導で教会を建てるならば、間違いなく領民が今現在住んでいる村を選ぶだろうと思われた。
「もうすでに建て始めているのかしら?」
「エドワール神父様がおっしゃるには、既に着手されているとか。現状確認のための使者を、ワープゲートを使って領地へ送っています。早ければ明日の夜。明後日の朝には、状況が掴めるかと」
使者に出したのは、タイニーワーウルフのアールトンであった。
アールトンの脚なら、領地と最寄りのワープゲート間の移動時間を、かなり短縮できる。
既に領地に戻っているはずであるノンド宛の手紙を持たせているので、問題ないはずだ。
「ノンドなら、とりあえず無難に状況を治めるでしょうね。その間、貴方はどうしますの?」
エルザルートに聞かれ、ルシアは僅かに悩む。
既に頭の中にあらかたの絵図面は出来上がっているのだが、それを言葉にするのに時間がかかったのだ。
「アールトンさんが戻るまでの間に、必要な情報を集めます。ワープゲートを持つ教会を建築するために必要な資材やら何やら。それだけの格を持つ教会が立つことによる影響。ほかの貴族の反応。まあ、欲しい情報はいくらでもありますから」
「そのあたりの取捨選択についてはまるで分りませんわね。任せますわ。それで、連絡が来た後はどうしますの?」
「状況によりますが、十中八九、僕は領地に戻ることになると思います。状況を収拾して、対応を取らなければなりませんので」
「わたくしも戻った方が良いのかしら?」
「交渉事や、調整がほとんどになると思われますが」
「戦いがないならわたくしが行く意味もありませんわね」
エルザルートは全くの真顔で、そう言い放った。
ルシアとしては肯定も否定もしにくい所である。
助けを求めるように、ルシアはエルミリアの方へ顔を向けた。
そっと目をそらされたのは、気のせいではないだろう。
「エルザルート様は授業がございますので。王都に居て頂かなければ困ります」
「自分は出ないのに、わたくしは授業に出させますの?」
「僕は学園に通ってもよい。という立場ですが、エルザルート様は違います。通わなければならない。ですから」
平民であるルシアと違い、エルザルートが学園に通うのは義務なのだ。
エルザルートは眉をしかめ、大げさにため息を吐いた。
「部下を働かせて自分はのんびり授業を受けている、というのは。少し気が咎めますわね」
「貴族としての義務であればこそ、むしろ自分が学園に通うのと同じように仕事を全うせよ。とお命じ頂ければ」
今回の件に限っては、どうせエルザルートが領地に居たところで戦力にはならない。
それなら、大人しく学園に通っていてくれた方がましだ。
居たら居たで、余計話がこじれそうだし。
などと思っているルシアだったが、もちろん顔には一切出していなかった。
「まあ、いいですわ。筆頭家臣ルシア。仔細、任せますわ。状況を把握し、適切な方法を策定なさい」
「確かに、承りました」
ルシアはそういうと、恭しく頭を下げた。
対策を考えるのはルシアでも、決定権はあくまでエルザルートにある。
主はエルザルートであり、ルシアはその家臣。
方法を考え、準備をするのがルシアの仕事であり。
それを承認し、実行するよう指示を出すのが、エルザルートの仕事なのだ。
「では、僕は早速情報収集に」
ルシアが頭を上げるのとほぼ同時に、ノックの音が響いた。
ドアを開けて部屋に入ってきたのは、タイニーワーウルフのアールトンだ。
「アールトンさん!? どうしたんですか?」
領地に居るはずのアールトンの登場に、ルシアは目を丸くして驚いた。
アールトンはルシアを見据えると、とくに表情を変えることもなく手を突き出す。
そこに握られていたのは、一通の封筒だった。
「ノンドからの手紙だ。そこに俺がここにいる理由が書いてある」
手紙を受け取ったルシアは、宛名を確認した。
ルシア宛、となっており、蝋封もされている。
ファルニア王国風の作法であり、ルシアはノンドの適応能力の高さに舌を巻く。
気を取り直して、ルシアはエルザルートに顔を向けた。
「僕宛ての手紙です」
「早く読みなさい」
エルザルートの許可を得たので、ルシアは手早く封を開く。
使うのはいつも上着の内ポケットに入れているナイフで、護身用のかなり武骨な代物だ。
蝋封だけを素早く器用に剥がし、中身を引っ張り出す。
内容を要約すると、次のようなものだった。
領地に到着したところ、既に教会の連中が待ち構えていた。
とにかく仮設ワープゲートを建設させるというのを宥めすかし、領地に来ていた商人達に相談。
ルシアが来るのを待つほどの時間稼ぎは不可能で、とにかく土地は割り当てなければならない、ということに。
仕方なく、住民達が暮らす場所に土地を割り当てる。
どうせ建築には時間がかかる、と思っていたのだが、予想外の事態が起きた。
教会の人間達は、魔法を使って建築をはじめ、あっという間に仮設ワープゲートが完成。
既に運用が開始されており、アールトンもそれを利用して王都へ戻った。
今は警備の名目で周囲にタイニーワーウルフとオークの見張りを立て、住民を落ち着かせている。
おそらくエルザルートはこの手の問題は苦手だろうから、とにかく早くルシアに戻ってほしい。
「アールトンさんが異様に早く戻ってこれたのは、それが理由ですか」
ルシアは苦虫を嚙み潰したような顔で、そう絞り出した。
なるほど、他領地にあるワープゲートではなく、既に完成しているというワープゲートを使ったからこそ、アールトンはこんなにも早く戻ってこれたのだろう。
手紙の内容を要約して、エルザルートにも説明する。
エルザルートは眉間に眉を寄せ、扇子を口元に当てた。
「面倒ですわね。まだ家々も建て揃っていませんのに」
「こうなったら、善は急げです、が。とにかく情報が足りません。これから情報をかき集めて、夕方には向こうへ飛びます。遅い時間でも、今の村にワープゲートがあるなら、問題ないと思われますし」
「それが良さそうですわね。急な話で大変でしょうけれど、家臣筆頭の責務というヤツですわ。その権限を存分に使い、励みなさい」
「お任せを」
なんでこんなクソめんどくさいことに。
これだからイケメンはろくなことしないんだ。
内心で特大のため息をつきながら、ルシアは改めて恭しく頭を下げるのであった。
「なんでこんなことに」
周囲を見回し、ここがミンガラム男爵領で間違いないと確認したルシアは、膝から崩れ落ちた。
王都の教会のワープゲートを潜り、わずか数秒。
簡素ながらしっかりした作りの建物を出ると、そこに広がっていたのはミンガラム男爵領の景色であった。
「本当に仮設ワープゲートが完成してるだなんてっ」
嘘だと思っていたわけではないのだが、いざこうして確認すると衝撃が大きかった。
このまま現実逃避をして居たいところだが、そうもいかない。
ルシアは両頬を叩いて気合を入れると、領主館へと向かって歩き出した。
亜人の領域である森で危険なものは、なにもモンスターだけではない。
繁茂している植物も、人間にとっては危険な存在だ。
毒を持つ植物、動物を襲う植物などもあるのだが、それよりも恐ろしいのはいわゆる「普通の草木」だった。
何しろ、亜人の領域の草木は繁殖力と成長速度が異常なのだ。
必死になって開墾した土地でも、十日も経てば元の森に戻ってしまう。
切り倒した木ですら、あっという間に同じ太さに成長してしまうのだから、始末が悪い。
なので、畑を作ることはおろか、住むことが出来る土地を確保するのすら難しいのだ。
ただ、幸いなことに、森の中には草木が生えず、魔物も寄り付かない土地が現れることがあった。
例えば今ルシアがいる場所で、ここは巨大モンスターグラトニーがドレイン魔法を使ったことにより、草木や土地のエネルギーが枯渇している。
おかげで、草木が生えず、グラトニーの気配を嫌ってなのか、モンスターも近づかない場所となっていた。
円形のその土地と森の間は、線を引いたようにくっきりと境目が出来ている。
さらに、その間に丸太を並べた壁を作ることによって、防衛力を高めていた。
かなり広い土地を確保できている、のだが。
正直、壁の中の土地はガラガラだった。
土地の広さに比べて、住民の数が明らかに少ないのだ。
住民の数が今の十倍以上になっても全く問題なく収容できる広さがあるのだが、将来性を考えればもう少し土地を確保したいところである。
そこで今は、新しい土地の確保を行っている所であった。
グラトニーがドレイン魔法で土地のエネルギーを枯渇させた、別の場所である。
今壁で囲んでいる土地から目と鼻の先であり、既に壁の建設も始まっていた。
しばらくは使用用途が無い土地のはずだったのだが。
今回の展開次第では、早々に使うことになるかもしれなかった。
「お待たせしました! 状況を教えてください!」
領主館、という名の一般的なタイニーワーウルフ建築に飛び込むと同時に、ルシアは声を張り上げた。
中にいた者達が、一斉に振り向き、安堵のため息を吐く。
一様に疲れた表情をしているように見えるのは、ルシアの気のせいではないだろう。
ただ、一人だけいつもと変わらぬ表情のものがいた。
ルシアに気が付き立ち上がった、ノンドである。
「こっちだ」
ルシアはすぐに、ノンドのもとへ駆け寄った。
挨拶する時間も惜しいというように、すぐにノンドが説明を始める。
「仮設ワープゲートを立てた連中は、俺がこの近くの街のワープゲートに出るのと同時に、接触をしてきた。教会の中で、わざわざエドワール神父からの紹介状を持って、だ」
「周到ですね。そのまま、こちらの領地に?」
「ああ。すぐにもお前に知らせたかったんだが、とにかくせっつかれてな。相手もいささか悪かった」
「相手、ですか?」
「こちらに来ていたのも、神父だ。階級的にはエドワール神父と同格だな」
ルシアは思わず呻いた。
相手がその地位であれば、ノンドは立場的に強くものが言えない。
それこそ、男爵位を持つエルザルートでも、厳しかった。
ちなみに。
何故オークであるノンドがそんな人間の地位云々の力関係をきちんと把握しているのか、といえば。
ノンドが優秀だから、というほかなかった。
王都に滞在している間に、おおよそ領地運営に必要な知識などを仕入れ、把握して退けていたのだ。
どうやら今のような立場になる以前に、何かしらの教育を受けていたらしい。
その下地があったおかけで、スムーズに知識を取り込むことが出来たようだった。
もちろん、当人の優秀さがものを言ったことは間違いないだろう。
あまりの有能さに益々美形が嫌いになりそうだったルシアだったが、今のような状況では只管に有難い。
「兎に角、仮設ワープゲートを建てられる場所を教えろの一点張りだった。近隣領主や、領地に来ている商人連中にも話を聞いたんだが。泣く子と坊主には逆らえん。ということでな」
さもありなんと言ったところだろう。
相手はゴリゴリに建国に関わる神様、それも掛け値なしの「実在の神様」を崇める「国教」なのだ。
おいそれと逆らえるはずがない。
「何とかしてお前に連絡を取ろうとしたんだが、無理だった。どうも連中、事前にお前が知れば仮設ワープゲート建設を中止させられると思っていたらしくてな。俺からの連絡がワープゲートを通れないように、手回しをされていた」
「それは」
ルシアは絞り出すようにそう言うと、低く呻いた。
どうにも教会側は、ルシアを過剰に評価してくれているらしい。
「仮設ワープゲートが完成したのは、ちょうどアールトンがこちらに来る前日だ」
タイミングがいいのか悪いのか。
話を聞いて、ルシアはある疑問を持った。
「建設速度があまりにも早すぎる気がしますが。仮設とはいえ、ワープゲートの建物はかなり立派に見えましたが」
ルシアの疑問も当然で、確かに仮設ワープゲートの建物は立派なものだった。
木材や、土、石などを使った作りであり、「簡素」という言葉は似つかわしくない代物である。
「魔法だ。こちらに来た神父は、魔法使いでな。建築を得意としているんだそうだ」
ルシアが気が付く前に素早く領地に入り、ノンドという現場の指揮官を押さえる。
然る後、情報を封鎖。
相手に抵抗が無意味であることを自覚させ、素早く目的を達成する。
「建築のために魔法を。そこまでするんですか。流石、戦神教。やることがエゲつない」
自分がやられる側でなければ、手放しで褒め称えられるような鮮やかな手口だ。
ルシアとしては是非見習いたいところではあるのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「住民への影響は、どんな具合ですか?」
「タイニーワーウルフもオークも、戦士や狩人といった戦いに携わる者は落ち着いている。戦神の教会、というのも大きいだろうな。ほとんど影響はないと言って良い」
それを聞いて、ルシアは一先ずホッと溜息を吐いた。
戦いに携わるものであれば「戦神」は受け入れやすいのだろう。
何しろ「実在する神様」なので、宗教対立的なものは起こりにくくって助かる。
「ついで問題ないと思われるのは、一般のタイニーワーウルフだ。警戒はしているようだが、過度に反応してはいない」
どうもタイニーワーウルフという種族は、楽観的というか野性的というか、細かいことにとらわれない性格のものが多いらしい。
そのため、書類仕事などには一切向いておらず、アールトン含め領地運営の仕事を任せられるような人材が皆無だった。
こういったある種の無頓着さが、この場合は良いほうに現れているらしい。
「問題は、一般のオーク。それから、人間達だ。どちらも相当に怯えている」
「得体が知れないから、怖い。といったところですか」
人間というのは、理解できない、分からないものを怖がるものである。
今回の教会に関して言えばおそらくそれで、「何がどうだから怖い」という明確な理由があるわけではなく。
まさに「理解が出来ない、分からないから怖い」ということに尽きるだろう。
「オーク族が多く信仰しているのは、安寧と静寂。夜を司る神でな。なので、戦神というのは存在は知っていても、馴染みがない。戦士ならばある程度は知っているが、一般のものから見れば未知の神と言って良い」
「それが突然やってきて、あっという間に教会を建てたわけですからね。そりゃ怯えもしますか」
「まあ、そうなる。それで、一つ疑問なんだが。人間達も妙に怯えているんだが、何故なんだ? 国教なのだろう?」
「ご存じのように、僕たちは奴隷商人に襲われた村の出身なんですが。村は農村で、教会なんてものはなかったんです。なので、未知という意味ではタイニーワーウルフさん、オークさん達とさして変わりませんよ。と、言いたいところですが」
実際の所、「知らない方がマシ」というような事情もあった。
「戦神教はとにかく好戦的ですから。国軍と一緒に戦場に出て、敵陣に突撃したとか。村を焼いたとか、畑を焼いたとか」
「人間達からそういう話があると聞き取りはしたが。事実なのか?」
「教会にはいわゆる武僧と呼ばれるような方々もいらっしゃるそうなので。あながち間違いとも」
実際、ゲーム内での「エドワール神父」は、戦場に出て戦っていた。
魔法は回復中心だったが、攻撃が出来ないわけではない。
周りのキャラクターが「エドワール神父」が戦えることに特にコメントしていなかったことから考えれば、この国に置ける僧侶の扱いというのは、そう言ったモノなのだろう。
「話にしか聞いたことが無い、武力を持つ存在。ということか。なるほど、警戒するなという方が無茶だな」
ノンドは顔をしかめ、考え込むように腕を組んだ。
そんな姿も絵になるのだから、つくづく美形というのは得だと、ルシアは思った。
「それで。エルザルートはどういっているんだ?」
「状況を把握し、適切な方法を策定なさい。とのことでした」
「それは。丸投げだな」
「家臣の仕事というのには、主の前に選択肢を並べることも含まれていますので」
綿密に調べ、様々な角度から物事を考慮し、練りに練ったいくつもの方法。
その中からどれを実行するかを選ぶのは、当主の仕事なのだ。
ノンドもそのあたりは了解しているらしく、ため息交じりにうなずいた。
「兎に角、僕自身も聞き込みをして見ます。ついでに、領地に居る商人達とも2、3打ち合わせしたいこともありますし」
「相変わらず忙しいな。というか、学園は良いのか。一応生徒だろう」
「生徒である前に、家臣筆頭ですから。色々と義務が多いんですよ」
「それはそうだが。あまり無理はするなよ。人というのは案外、過労でも死ぬものなんだぞ」
「ええーーーっと。まぁ、なんか。そうらしいですね」
実際、前世のルシアの死因は、限りなくそれに近いといえるだろう。
心底心配そうな顔で言うノンドの言葉に、ルシアは何とも言えない表情で答えるのであった。
勝手知ったる自領地とはいえ、ルシアが離れている間に状況も色々と変化している。
とりあえず現状を把握し直そうとあれこれ調べていくと、思いがけない問題がいくつも発生していた。
住民間の小競り合い。
教育関連の要望。
オークから「斧をくれ」という催促。
とりあえず狩りをさせろというタイニーワーウルフ達からの突き上げ。
元奴隷の人間達は特に何も言ってはこなかったのだが、だからといって問題が無い訳ではない。
むしろ何も言わずに我慢しているという状況が、よろしくなかった。
領地に出入りしている商人達からの要請も、無視できない。
何しろ現状のミンガラム男爵家は、出入りの商人に依存している状況にある。
彼ら以外に伝手がある商人はおらず、モノを売ることも買うこともままならない。
食料などは特にそうで、ほぼ外からの輸入に頼っていた。
これは、「亜人の領域」特有の事情が関係している。
通常であればどこの領地でもしている様な、農業をすることが不可能なのだ。
どんなに森を伐採し畑を作ろうとしても、十日も経てば元の森に戻ってしまう。
人間が住むことが出来る「草木が生えずモンスターも寄り付かない場所」では、そもそも植物が育たないので農業などできるわけがない。
つまり、自前での食料確保の方法が、ほぼ狩猟採集しか存在しないのである。
要するに、人種が生きていくために必要な、肝心要の食料を、商人達に握られているのだ。
そんな大切な大切な商人達から、「どうしても領地内に土地が欲しい」という声が上がってきている。
今は大変な時期だから、と宥めすかして誤魔化してきたのだが、そろそろ限界が来ていた。
「細々とした問題はその場で解決、あるいは僕の部下に対応するように指示しています。ただ、それでは対応しきれないものをいくつかと、教会への対応。まとめて解決する方法を、エルザルート様にご提案することにします」
「いや、それよりもルシア。お前大丈夫なのか。顔色が悪い、というか全体的に危険そうな感じになっているぞ」
「ええ、全然大丈夫ですよ。きちんと寝てますし」
いくらか痩けた様な頬に、赤くなった目。
明らかに疲れ切った雰囲気を全身から発散させているルシアなのだが、見苦しさはなかった。
むしろ「薄幸の美少年」といった感じになっているのは、「攻略キャラ」としての見た目の良さゆえだろう。
領地に戻ってから、三日あまり。
ルシアは寝る間を惜しんで領地中を駆けずり回り、ひたすら仕事をし続けて来ていた。
おかげでいくつかの問題は、解決の目途が立ってきている。
「まず、オークさん達の斧についてですが。外から輸入するのも難しいので、材料だけ仕入れてタイニーワーウルフの職人さんに作ってもらうことにしました」
この世界のオーク族とは、非常に誇り高い種族である。
特に戦士階級のオーク族は「誇りに生きて誇りに死ぬ」というような気性であり、ルシアが受けた印象は「侍」やら「騎士」に近いというものだった。
そんなオーク族が最も大切にするのが、斧であった。
森を切り開くモノであり、同時に敵と戦うための武器でもある。
オーク族戦士にとって斧とは、侍にとっての刀、つまり魂であった。
領地も安定に向かい始めた今、それを欲しがるのは当然の事だろう。
「タイニーワーウルフさん達からの狩りがしたいという要望については、シフト調整で何とかなりました」
狼の獣人であるタイニーワーウルフ達は、強い狩猟本能を持っている。
走り回って獲物を取ることは、食事の調達であると同時に、楽しみでもあるのだ。
今は村の中などでの仕事も増え、狩りに行くことが出来る人員はかなり限られていた。
これを調整して、希望するワーウルフ全員が狩猟に出られるようにしたのだ。
少々効率は落ちるが、不満がたまることを考えれば何倍もよい。
「で、その他の所ですが、いっぺんに解決することにします。皆さんにも大いに働いて頂きますので、よろしくお願いします」
言いながら、ルシアはぐるりと室内を見回す。
今ルシアがいるのは、領主館であった。
この場に居るのは、ノンドとその側近達、元奴隷の人間が数名。
ミンガラム男爵家の実務を執り行う、家臣達だ。
タイニーワーウルフは、一人も居ない。
種族的に、書類仕事などは苦手らしいのだ。
ルシアの言葉に、ノンドは首をかしげた。
「具体的に、何をするつもりなんだ?」
「都市計画を変更します」
巨大モンスターグラトニーのドレイン魔法によって作られ、既に丸太の壁で囲まれた円形の土地。
今まではここに、住居や店舗、工場などを併設した街を作る予定であった。
だが、ルシアはそれを変更するという。
「円形の土地ごとに、住宅区、中央区と、完全に住み分けをします。現在使っている土地を、中央区。領地運営や、商業生産などに関わるものをまとめて建設します」
エルザルートの館や、戦士達の詰め所。
工場、倉庫、大型商店などなど。
生活の場、というよりも、仕事をするための場所、という形にするのだ。
「ここに住むことが出来るのは、ミンガラム男爵家の家臣や、兵力となる方々。そして、外部からの商人」
武器や魔法の薬など、製造に危険が伴うもの、規制が必要なものなどは、この中央区でしか生産できないこととして、それに従事する人間も住むことが出来ることとする。
「対して住宅区には、ミンガラム男爵領の領民だけが暮らすことが出来ることとします。ついでですから、学校なんかも作りましょうか。これにより、強制的に住み分けを作るわけです」
「なるほど。政治的に重要な意味を持つ教会。外部から招き入れる技術者。領地出入りの商人。そう言ったモノを、中央区にまとめてしまおう。ということか。一か所に居た方が、こちらの目も届きやすく、一般住民との接触も制限しやすい」
感心した様子で、ノンドは何度もうなずいた。
相変わらず、理解が早い。
やはり何かしらの教育を受けているのではないか、と気にはなったのだが。
そっち方面の質問をすると知らない方が精神安定によろしい話を聞かされそうなので、ルシアはあえて無視することにした。
「そういうことです。要するに問題は、一般のタイニーワーウルフさんやオークさん達と、外の人間を接触させることなわけですから。物理的に距離を離してしまえばいいんです」
生活圏が違えば、毎日顔を突き合わせるようなこともなくなる。
それでも近くに暮らしている訳だから、完全に分断されるわけではない。
ある程度の関りは出来るだろう。
「暮らしのための場所と、働くための場所。土地の用途的にはそういった違いになるでしょうか。これなら、こちらでの出入りの管理もしやすく、交流の調整もしやすくなります」
「ということは、今はまだ使っていない、壁を建設中の第二の村を、早々に使えるようにする必要があるわけか」
既に多くのタイニーワーウルフやオークが暮らしている建物があるのだが、それらは未だに仮設のものであった。
本格的な建築は、建材の輸入を待つ予定だったのである。
なので、今ならいくらでも予定変更が効くのだ。
「そういう意味では、今はいいタイミングだったと言えるかもしれません。のんびりやる予定だった土地の確保を急ぎ、民家を建築。並行して、今使っている土地を中央区として作り替えます」
これが普通の領地であれば、簡単にはいかないだろう。
立ち退きだの住民の反対だのの問題が起きるからだ。
だが、ここではそういった問題はまず発生しない。
群れで行動することを基本とするタイニーワーウルフは、指示を出せば必ず従ってくれる。
オーク族はといえば、ノンドのカリスマ性に任せておけばいい。
元奴隷の人間達に関しては、ルシアがしっかりと手綱を握っている。
建築に関しても、やはり問題ない。
圧倒的体力を持ち合わせたオーク族に、細かな細工が得意なタイニーワーウルフ。
この組み合わせによる土木建築の作業効率は圧倒的で、村を囲んでいる壁もあっという間に作ってしまったほどだ。
倉庫や領主館などの建築速度も凄まじく、ルシアは変な笑いがこみ上げてきたほどである。
「ああ、そうだ。今のうちにお話しして置くんですが。中央区には、宰相閣下と教会からの紹介で、錬金術師の方に住んで頂く予定です」
「錬金術師? 調薬や魔法道具の制作などを行うという、アレか? かなり貴重な人材だったと聞いているが」
ノンドの知識量に、ルシアは思わず目を丸くした。
説明が必要だと思っていたのだが、既に知っていたらしい。
錬金術師というのはいわゆる「ゲーム的な」存在であり、「史実」のような金を作ることを目的とした研究者ではない。
魔法の薬や魔法の道具を作る、「魔法の品製造者」といったような存在である。
「出入りの商人方も言っていましたが、ここは人間世界から見れば、貴重な動植物や鉱石の宝庫です。その手の方々から見れば、よだれが垂れるようなところだそうですよ」
ルシアが生前やっていた「乙女ゲー」でも、貴重な素材を手に入れられるのは人里離れた場所であった。
ゲーム的な都合もあるのだろうが、そういった素材は魔力を多く含む土地などでないと手に入らない、などと言った理由もあるらしい。
「以前から、自分の所で抱えている薬師をここに住まわせたい。という問い合わせが、商人方からは上がっていました。ですが、それはこちらとしては正直嬉しくない」
現状、森から素材を取ってくることは、ミンガラム男爵家の領民にしかできなかった。
単純に、あまりにも危険すぎるのだ。
人間の領域にはほとんどモンスターは出現せず、それが大量に存在する森という場所は、それだけで危険地帯なのである。
毒草などの危険な植物も多く、知識と体力のあるものでなければ、そもそも森を歩くことすら危険であった。
「森での採集ができるのは、タイニーワーウルフさんやオークさん達だけ。その前提があるからこそ、商人方にギリギリ足元を見られない取引が出来ていると僕は考えています」
「確かに、そうかもしれないが。それと薬師を住まわせるのが嬉しくないというの。どう関係がある?」
「薬師というのは、付き合いのある冒険者がいるモノなんですよ」
ゲームや漫画、ライトノベルなどでよくある存在である、冒険者。
この世界にはそれが実在していて、危険な場所に立ち入り、成果物を手に入れてくることを生業にしている。
「何も手を打たないまま薬師を呼ぶということは、冒険者を呼び込むことに繋がります。それは、この森で採集が出来るのが領民だけという優位性を捨てることになりかねません」
「冒険者の出入りや、森での採集を規制すればよいのではないのか」
「薬などの材料というのは、採集や運ぶための方法が特殊なものが少なくありません。作る薬、道具によっても、方法が違ってくるそうなのです。ですが、ミンガラム男爵家にはそのノウハウがない」
「対して、冒険者達はそれを持っている。だからこそ、薬師達を呼び寄せる。ということか」
「そうなります。ならば、こちらにノウハウがないのに、それを持つモノを呼び寄せるな。というのはあまりに無責任です。ですから、技術と知識を早急に身に着ける必要があるわけです」
「その講師役が、誘致する錬金術師。ということか」
「理解が早くて助かります。商人方からの薬師誘致の許可を求める声は、以前からありました。今までは何とか誤魔化していましたが、中央区を作るとなるとそれも難しくなってきます。そこで、錬金術師を誘致して、その方から様々なことを教えて頂く」
「こちらが知識と技術を持っているならば、冒険者を呼ぶ必要はない。という大義名分が立つわけか。ルシア、お前いつからそんなことを考えていたんだ」
ノンドから恐ろしいものでも見る様な視線を向けられ、ルシアは苦笑した。
「商人方からの要請は、以前からありましたから。いつかどうにかしなきゃと思ってた時に、宰相閣下と教会からお話を戴いたんですよ」
もちろん、宰相と教会としては、自分達の息がかかったものを送り込みたい、という思惑もあるのだろう。
ミンガラム男爵家への影響力を大きくしていきたいに、違いない。
それもあまりうれしくない事ではあるが、商人達に首根っこを掴まれるのに比べれば、幾分ましである。
まあ、天秤にかけたら若干そちらに傾くかな、程度の違いでしかないのだが。
ノンドは呆れたような感心したような顔で、ため息を吐く。
「早速、取り掛かるのか?」
「まさか。すべてエルザルート様に許可を戴いてからですよ。書類を作ってご説明させて頂いてからです」
「また書類か。そんなもの作らなくても良いのではないのか? 口頭で十分だろう」
「なんてこと言うんですか! 文章で残すのは重要なことですよ!」
鬼気迫る様子のルシアに、ノンドは思わずたじろいだ。
「いや、そうかもしれんが。どうせこの後、休息もとらずに書類を作るつもりなのだろ?」
「はい。時間もありませんし。そのつもりですが」
「過労で倒れるぞ」
「まだそこまで疲れていませんから、大丈夫です。それに、こういうことはきちんとしておかないと。それこそ、後で倒れる羽目になりますから」
ルシアが生まれ変わる前の事である。
当時の上司はずぼらで、必要な書類も記録も、なにも作ってくれない人物だった。
そのおかげでトラブルが続出。
寝る時間もないほどの忙しさで、しまいには家に帰る時間も惜しくなり、職場で寝泊まりしていたものである。
その時は本当に過労で倒れ、病院に運ばれた。
まあ、三日後には職場に戻ることとなったわけだが。
ちなみに、戻ったときにはその上司はいなくなっていた。
どこかに飛ばされたらしいのだが、消息は不明である。
「とにかく、全てはエルザルート様に方策をご提案してからです。許可を得てからじゃないと、何をすることもできま」
「許可いたしますわっ!!!」
ドアが悲鳴を上げるほど激しく開けられると同時に、大音量の声が響く。
声の主は言わずもがな、エルザルート・ミンガラムであった。
部屋の中にいた全員の注目を浴びて、エルザルートは大きくのけぞって笑い声をあげる。
「おーっほっほっほっ!!」
「エルザルート様!? なんでご領地に!?」
ひっくり返りそうになるのを何とか耐えながら、ルシアは悲鳴のような声を上げた。
ような、というより七割がた悲鳴である。
「今日から二日間は学園が休みだからですわ」
確かに明日から二日間、学園は休みであった。
ルシアも当然、それは心得ている。
だからこそ、その休みの間に王都に戻り、エルザルートに事情の説明をしようと思っていたのだ。
「事情はあらかた聞こえましたわ。住宅区、中央区に分けての領地の基盤作り。良い案ですわ。わたくしへの説明は不要。すぐに取り掛かりなさい」
「了解いたしました!」
反射的に返事をするルシアを見て、エルザルートは鋭く目を細める。
「と、言っても。あなたの事ですから、記録などの書類は作ろうとしそうですわね。確かに後々の事を考えれば、資料として必要ですわ。ですが、既に仮設ワープゲートは建っている。対応には速度が必要ですわ」
仮設ワープゲートが出来てから、既に数日が経過しているのだ。
どういった対応をするかを発表することで、少しでも早く領民を落ち着かせることも必要だろう。
「細々したことは、部下に任せてしまいなさい。あなたはミンガラム男爵家、筆頭家臣でしてよ。人を使うのも仕事のうちですわ」
「はっ。そのように」
ついつい自分で何でもやってしまいがちだが、ルシアは紛れもなく筆頭家臣。
ミンガラム男爵家を差配する立場であり、多くの部下を抱えているのだ。
人を使って、効率よく仕事をこなさなければならない。
今のルシアにとって人を使うというのは、権利ではなく義務なのである。
少し働き方を変えなければならないか。
ルシアがそんなことを考えていると、エルザルートは「そうそう」と続ける。
「客人を連れてきましたわ。ルシア、もてなしの準備をなさい」
「お客様ですか? 今どちらに?」
「ここに居ますわ」
エルザルートが横にずれると、ドアの向こうに人影が見えた。
誰だろう、と首を伸ばしたルシアは、そのまま凍り付く。
「やぁ。お世話になるね」
そこに居たのは、三人。
笑顔で片手を上げているのは、ファルアス・アクス。
アクス公爵家の嫡男であり、エルザルートの元婚約者だ。
その横に居るのは、セイヴス子爵家長男、ウィロア・セイヴス。
反対隣りに立っていたのは、エイリス。
乙女ゲーであった「トキメキ戦略シミュレーション ファルニア学園キラ☆らぶ戦記」のヒロインである。
「亜人の領域に興味がある、というから、連れてきましたわ。今までだったらこんなに気軽にこれませんでしたけれど、今はワープゲートがありますものね。あっという間に行き来が出来ますわ!」
エルザルートは再び、のけぞりながら高笑いを響かせる。
連れてくるなら連れてくるでせめて先に言ってくださいよ!
相手は貴族様二人とヒロインなんですよ!?
どんな厄ネタぶち込まれるかわかんないんですからぁ!!
そんな風に叫びたい衝動を必死に抑え込みながら、ルシアは変な半笑いを浮かべるのであった。