十二話 「あれはルシアじゃないと止められんだろう」
王都、中央通り。
華やかで広いその道を、折り目正しい隊列を作って進む者達がいた。
しわぶき一つなく粛々と行進する様は、まさに歴戦の勇士といった姿である。
だが、沿道からそれを見守る人々の目にあるのは、必ずしも好意的なものだけではなかった。
行進をしているのは、間違いなくこの国の兵士達だ。
にもかかわらず、向けられる表情には困惑や驚き、中には、明らかな恐怖に染まったものもあった。
自分達にとって全く危険がないはずの、自国の兵士達。
なぜそれに、そんな表情を向けるのか。
それは、一糸乱れぬ手本のような行進を見せる兵士達が、一人残らず多くの国民が考える「人間」ではなかったからである。
屈強な体をそろいの軍服で包み、驚くほど立派な武器を携えて進む兵士達は、いわゆる亜人。
それも、オークとタイニーワーウルフの混成という、見たことも聞いたこともないものだったからだ。
王都に住む多くの民にとって、亜人というのは敵である。
中でもオークと言えば、野蛮で狂暴、人間とは決して相いれない化け物のような存在として知られていた。
同じくワーウルフも、人間を食らう残忍な獣と言われている。
隊列を作っているのは、正確にはタイニーワーウルフといういささか異なる種族なのだが、大半の王都の民にとっては同じようなものであった。
王都の民を恐怖させたのは、それだけではない。
隊列のほぼ中央付近。
亜人達が引く荷車の上にあるのは、人の身の丈にも近い巨大な魔石。
国王陛下に献上されるとされるそれは、ただそこにあるだけだというのに異様なほどの圧力を感じる代物だった。
その前に、一人の人間が立っている。
ひらひらとした高級そうなドレスをまとった貴族と思しき女性が立ち、至極機嫌よさげに笑っているのだ。
「おーっほっほっほっほっほ!!! よぉーくその目に焼き付けておきなさいっ! これがこのエルザルート! エルザルート・ミンガラム男爵の軍勢でしてよっ!!!」
エルザルート・ミンガラム男爵。
たった一人で辺境に赴き、亜人達を平定。
それだけでなく、災害級の巨大モンスターを討伐。
建国以来成しえなかった、亜人達の手にあった国土の回復を成し遂げた、軍閥貴族である。
その存在は、多くの民が耳にしていた。
体よく辺境へ追いやられた、間抜けな貴族令嬢として。
数日前まで、その名前は時折酒場でも笑い種として聞かれていた。
平民の多くが、エルザルートがどんな人物であるか詳しくは知らない。
だが、噂によれば傲慢で鼻持ちならない貴族令嬢だったというではないか。
それが辺境に追放されたというのだから、いい気味だ。
普段から貴族のことを嫌っていた多くの平民達は、大いに溜飲が下がる思いをしていた。
ところが。
そのエルザルートが亜人を平定し、国王陛下に謁見するため王都に戻ってきたのだ。
亜人は恐ろしい。
自分達とは違う化け物に、出来れば石でも投げつけたい気分のものが大半だろう。
だが、そんなことが出来るものは一人もいなかった。
国王陛下がエルザルートに下した命令は、「領地と民を平定しろ」といった内容である。
エルザルートが平定したのは「国王陛下が認めた民」なのだ。
つまり、あの亜人達に石を投げ蔑むことは、国王陛下に弓引くことになりかねない。
「おーっほっほっ、ちょっと! そこの平民のボウズ頭! そう、あなたですわジャリガキ! 今わたくしを指さしましたわね! こういう時は指さすのではなく、万歳をなさい! 全身を使って敬意をこめて、国王陛下万歳と唱えますのよ!!」
今の国内に、エルザルートを「追放された間抜けな貴族令嬢」だと思っているものは、誰一人いないだろう。
その評価はすでに、「前人未到の偉業を成した軍閥貴族」あるいは「亜人の軍勢を率いる化け物の棟梁」といったものに置き換わりつつある。
様々ある評価の中で共通しているのは「こちらを食い殺す機会を虎視眈々と狙う恐ろしい存在」と考える見方だろう。
人を容易く引き裂く化け物である、亜人達。
それらを己の力のみでひれ伏させ従えた貴族の少女。
もはやエルザルートに向けられる目は、侮りや蔑みが含まれるものではない。
エルザルート・ミンガラム男爵の名を口にする者達の心にあるのは、恐怖や脅威といった種類の念である。
「そう、その調子ですわ! 国王陛下万歳! 王国軍万歳! 国王陛下に栄光あれ!! もっと力の限り声をお上げなさい! 根性が足りていませんことよ! なかなか良い声量ですわ! おーっほっほっほ!!!」
そんなことと知ってか知らずか。
エルザルートは行進の最中であっても、微塵も自分のペースを崩さず、絶好調であった。
「俺が言うのもなんだが、あれは大丈夫なのか」
「大丈夫じゃないですけど、まぁ、いつも通りなんで大丈夫です」
中央通りに詰めかけた民衆の少し後ろ。
ひきつった表情で聞いてくるノンドに、ルシアは疲れ切った顔で答えた。
その近くには、どこかぼうっとした顔をしているアールトンと、エルミリアもいる。
四人は、町中に溶け込むような、一般人のような恰好をしていた。
多少顔などを隠しているので、どこにでもいる人間のように見える。
なんで彼らがこんなところにいるかと言えば、護衛の為であった。
行進を邪魔しようとするものなどが出ないように、民衆を見張っているのだ。
たとえ行く手を阻もうと誰かが飛び出してきたとしても、タイニーワーウルフやオークにあっという間にとり押されられるだろう。
エルザルートも、嬉々として魔法で吹き飛ばすはずだ。
だが、出来ればそういったことは起こらないほうがいい。
飛び出しそうなものや、邪魔をしそうなものなどを先に見つけ、制圧する。
そのために、こうして行進から少し離れて見張っているのだ。
「本当に、よくあれだけのものを揃えましたね」
「そのおかげで連日寝不足ですよ」
エルミリアの呆れと感心半々といった言葉に、ルシアは力なく笑いながら答える。
その凄惨な表情に、ほかの三人は痛ましいものを見るような顔になった。
「巨大モンスターを討伐したときは、これ以上のことはないだろうと思っていたが。お前の場合そのあとの方が大変だったからな」
「正直なことを言いますと、はじめの頃、なぜお嬢様はこんな子供を拾ってきたのか、と思っていましたが。途中から、ああ、居てくれてよかった。と思うようになりました」
しみじみというエルミリアの横で、アールトンはしきりに頷いている。
「皆さんと違って、戦いでお役に立てませんので。このぐらいはしないと」
「お前の働きをこのぐらいと称されると、ほかのものの立場がないぞ」
呆れかえったようなノンドの言葉に、ルシアは乾いた笑いを返す。
一体、どんなことがあったのか。
ことは、巨大モンスター討伐後にさかのぼる。
巨大モンスター、グラトニーを無事討伐。
タイニーワーウルフとオークの和解も成立し、領地もある程度安定した。
これでほっと一息つける、といった雰囲気が漂う中。
ルシアにとっての戦いは、ここからが本番であった。
真っ先にルシアが取り掛かったのは、巨大モンスターの遺体周辺の確保である。
枯れた木を伐採し、それを利用して大掛かりな柵を作るように指示したのだ。
なんでそんなことを、と首を傾げる皆に、ルシアはこう説明した。
「巨大モンスターが夜に吸収魔法を行った周辺には、しばらくはモンスターが近づきません。つまり今のうちに頑丈な柵で囲ってしまえば、安全な拠点を確保できるということです」
これには皆が「なるほど」と唸った。
幸い、周囲には枯れたことで程よく乾燥した、木材として手ごろな木がいくらでもあるし、モンスターに襲われる心配もない。
「調べてもらった限りでは、グラトニーが夜に吸収魔法を使った中心点には、ほとんどモンスターが近づかないんですよね。何か原因があるみたいなんですが。ぶっちゃけ、これが森の中にあるモンスターが近づいてこない場所の正体の一つだと思うんですよ。もちろん、ほかにもそういった場所ができる理由はあると思いますけどね」
ほかの場所にはほかの原因があるだろう、と前置きしたうえで。
ルシアは、タイニーワーウルフの集落とオーク族の村がある場所にモンスターが近づかないのは、定期的に巨大モンスターが周遊してきていたからだろう、と考えたのだ。
そういった場所はある程度時間がたつと森にのみ込まれ、元のような形に戻っていく。
この二つの場所は、たまさか何らかの理由で、モンスターが近づかない要素が残った場所なのだろう、というのである。
「まあ、それはともかく今は新しい拠点づくりです。今後の予定に絶対に必要な場所ですから、今のうちにできるだけ広く場所を確保してください」
ルシアの号令一番、エルザルートまで駆り出されての作業が始まった。
少しでも急ぐ必要があるとなれば、土木工事にも使えるエルザルートの魔法を使うのも当然だろう。
そういった作業をすることを、エルザルートは全く嫌がらなかった。
軍人としての教育を受けているからなのか、貴族としての教養なのか、こういった作業の重要性をよくよく理解しているようなのだ。
そうなると、当然タイニーワーウルフやオーク達も張り切ってくれる。
作業は恐ろしいほどのペースで進んでいった。
それに並行して、ルシアはタイニーワーウルフとオーク達を引き連れ、近隣の領主邸に乗り込んでいった。
最近近所の領地を治めることになった、「ミンガラム男爵家」の使いです、今後ともよろしく。
というような挨拶をするためだ。
なにしろ土地を平定したわけであるから、今後は近所付き合いもしなければならない。
と、いうのは、建前である。
もちろんそれも重要なのだが、ルシアの狙いは別にあった。
良心的な商人を紹介してもらおう、と考えたのだ。
目的は当然、巨大モンスターの素材の販路を確保することである。
とにかく何をするのも金が要るというのは、この世界でも同じであった。
無事に領地平定が終わったと報告しに行くのにも、膨大な金がかかる。
その費用を捻出、あるいは準備を整えられる人材を確保するのも、今のところルシアの仕事なのだ。
なので、ルシアは近隣の領主達に、良い商人を紹介してくれるよう、念入りにお願いして回ったのである。
お願いする際、「お金がなくて困ったら、ちょっとうちの領民が領地で悪さをする恐れもある。まあ、うちの領民亜人種なんですけど」といったようなことをそれとなく伝えると、皆快く協力してくれた。
皆一様に青ざめた顔をしていたが、きっと体調が悪かったのだろう。
とにかくこれで、商人達と顔合わせをする段取りが付いたわけである。
商人達との最初の顔合わせは、近隣の領地内で行われた。
ミンガラム男爵領には、まだ商人を招けるような建物がなかったからである。
おっかなびっくりといった様子で現れた商人達は、しかし。
提示された商品を前に、目の色を変えた。
滅多に手に入らないモンスター素材。
それも極上のものを大量に手に入れられるとなれば、目敏い商人であるなら、放っておくはずがない。
わずかではあるものの、実物を持ち込んだのも有効に働いた。
知識のあるものならば、巨大モンスター素材の恐ろしさは一目でわかるものらしい。
ここで「ぜひ実物を見たい」と提案してくる商人もいた。
ルシアにとっては、想定内のことである。
もちろん可能ですよ、と笑顔で答えつつ、条件を出した。
「我が領地は大変に危険ですので、いらっしゃる際は必ず護衛を雇われるのがいいでしょう。もちろん、現地に明るい者が良いと思います。何しろ、我が領地はもともとは亜人の領域、歩き方を知らなければ半日も無事でいられない場所です」
現地の地理に明るいもの。
タイニーワーウルフかオークのことである。
要するに、ミンガラム男爵領の民を雇い、金を落とせというのだ。
渋るものもいるか、と思ったルシアだったが、全くの杞憂であった。
むしろ「そういった方を紹介して頂ければ、これ以上ありがたいことはありません」というようなことを、全ての商人が言ってのけたのだ。
流石、近隣領主達が紹介してきた商人達、そのあたりのことはきちんとわきまえているらしい。
ただ、同時に「道中で襲われ、討伐したモンスターの扱い」についても、全員が素早く質問してきたのには舌を巻いた。
モンスターと戦う機会も少なく、モンスター素材を手に入れるのも少々難しいこの国である。
ちょっとしたチャンスも見逃さないしたたかさは、商売相手としては非常に頼もしい。
ルシアが商人達を案内したのは、タイニーワーウルフの村であった。
とはいっても、この時にはすでに、大半のタイニーワーウルフは別の場所に移っている。
巨大モンスターの遺体近くに作っている、新しい拠点である。
旧タイニーワーウルフの村は、ほかの領地や商人との交渉の場所、出島的な役割を担う場所になる予定なのだ。
そんな場所に、ルシアはたっぷりと領地の特産品を用意し、商人達を出迎えた。
すなわち、モンスターを使ったあらゆる商品である。
毛皮や骨に、植物系モンスターから採れる素材など。
肉や果実といった、食材に至るまで。
もちろん、それらを加工した武器や保存食も用意した。
繰り返すが、この国の中央部にはモンスターがほとんど出現しない。
当然モンスターと戦う機会は少なく、その素材が出回る機会はごく少なかった。
そんな国にいる商人達にとって、この場所は宝の山だ。
ルシアはこういった素材を見せることで、「この領地には巨大モンスター以外のうまみもあるぞ」と示したわけである。
その目論見は、まったく図に当たった。
元々好意的で取引に乗り気だった商人達が、一気に「エルザルート・ミンガラム男爵」の味方に傾いたのだ。
商人というのは、利を与えてくれるものの味方なのである。
ここまで商人達に手厚くしたのには、資金を手に入れる以外にも理由があった。
彼らはその商売柄、とにかく顔が広い。
金で解決できることであれば、伝手を頼って大抵のことはやってのけてくれる。
揃いの軍服や、王都までの道中に泊まる宿の確保。
巨大モンスターの魔石を運ぶ手段の手配に、王都での拠点の準備。
タイニーワーウルフやオークに、行進の仕方を指導してくれる人材の確保まで。
商人達にとって、ミンガラム男爵領は既に重要な取引相手になっている。
なので、そういった面倒な注文にも、嫌な顔一つせず、むしろ積極的に手伝ってくれた。
少しでも役に立って、よい関係を築こうと考えてくれたのだろう。
ルシアの狙い通りである。
金とコネ。
この二つがそろえば、あとは放っておいても話は進んだ。
あれよあれよという間に段取りが整っていき、今日この日。
国王陛下へ領地平定のご報告、となったわけである。
「正直、ここしばらくの記憶が曖昧になってます」
冗談の類ではなく、本当に曖昧になっていた。
社畜時代からそうなのだが、本当に忙しく遮二無二働いていると、記憶が飛ぶことがあるのだ。
もしかしたら、折れそうになる心を平常に保つための防衛機能かもしれないと、ルシアは思っている。
「恐ろしいことを言うな。まあ、これでしばらくは安心できるんだろ?」
ノンドに聞かれ、ルシアは「そうですね」とうなずいた。
「ようやく緊急の仕事が全部終わりましたし、あとはじっくり腰を据えて安定に向けて仕事ができますよ。エルザルート様はファルニア学園へ戻られますけどもね」
領地を平定させたことで、エルザルートは元の学園に戻ることになったのだ。
乙女ゲーの舞台である、ファルニア学園にである。
「今後は仕官する方も増えるでしょうし。僕のすることなんて何にもなくなるでしょうねぇ。そうしたら、どこかの職人さんに弟子入りしようと思ってるんですよ」
「絶対にそんな暇無いと思うぞ」
普段無口なアールトンの言葉に、ノンドとエルミリアは大きくうなずくのだった。
実際、アールトン達の考えは正しかった。
エルザルートは前代未聞のことをやってのけ、追放されたはずにもかかわらず王都へ戻ってきたのである。
それも、亜人という絶大な戦力を手中に収めて。
のんびりしている暇なんぞ、あるわけがない。
エルザルートが学園に戻れば、「ゲームの攻略キャラ」や「ゲームの主人公」にも影響があるだろうし、追放しようとした勢力も動き出すはず。
まだ直接かかわってはいないが、「ゲームに登場する主人公達の敵」とも、無関係ではいられないだろう。
「それより、そろそろ止めたほうがいいんじゃないか? えらいことになっているぞ」
ノンドに言われ、ルシアは行進しているエルザルートの方を向いた。
そして、ひきつった顔で凍り付く。
「国王陛下万歳! 王国万歳! おーっほっほっほ!!! この勢いで国王陛下の威光を国中に! 世界中に知らしめますのよ!!」
行進はいつの間にか止まっており、エルザルートを中心に万歳の大合唱が巻き起こっていた。
すさまじい熱気は、王都の空を焦がす勢いである。
「あれはルシアじゃないと止められんだろう」
「どうにかしてこい」
「お任せします」
「なんで僕なんですか?! ちょっ、エルザルート様!?」
ルシアは血相を変え、人込みをかき分け始めた。
どうやら、エルザルートとかかわっている限り、ルシアの苦労は尽きないようである。
と、言うわけで、この章はこれで終わりでございます
楽しんでいただけたでしょうか