十一話 「武器を選ぶ贅沢をするほど余裕はない。使え」
「総員、出撃ですわ!!」
エルザルートの号令で、タイニーワーウルフとオークの戦士達は一斉に動き始めた。
空はまだ暗く、太陽が顔を出す直前といった時間帯である。
目指すのはもちろん、巨大モンスター、グラトニーだ。
オークの集落に集まった戦士達は、全員が固まってグラトニーを目指すことになっていた。
固まって動いた方が、ほかのモンスターに襲われる心配も少ない。
通常ならば、木々が邪魔になって森の中を大勢で進むのは難しかった。
が、今回の移動のために、オーク達がモンスターに襲われながらも無理やりに木々を伐採。
突貫ながら、何とか道のようなものを作っていた。
これを使えば、比較的安全にグラトニーがいる場所を目指すことが出来る。
もちろん、それでもモンスターが襲ってくる危険はあった。
それを少しでも回避するため、タイニーワーウルフが先導役を務める。
彼らは耳も鼻もよく、夜目も利く。
危険察知能力は人間やオークの比ではなく、接近する前に音で威嚇するなどしてモンスターを追い払ってくれる。
また、タイニーワーウルフ達は四つん這いで獣のような速さで走ることが出来、木登りも得意だった。
斥候としての能力は申し分なく、エルザルートとオーク達は走ることだけに集中することが出来る。
おかげで、エルザルートたちは予定より早く、グラトニーを発見することが出来た。
といっても、まだ太陽も少し頭を出した程度であり、姿を目視したわけではない。
夜、歩くのをやめ停止している間に周囲に張り巡らせる、魔法の影響圏を発見したのである。
黒い靄のようなものがうごめきながら、壁のようなものを形作っている。
もし遠くから見ることが出来れば、それが半球状のドームになっていることが分かっただろう。
「うわぁ。でっかいですねぇ」
ルシアは息を切らしながら、げんなりした顔でぼやいた。
なぜルシアがこんなところにいるのか、と言えば、もちろんエルザルートに引っ張ってこられたからである。
現場指揮をする人間が少ないから、という理由で、突然引っ張ってこられたのだ。
アールトンやノンド、エルミリアに助けを求めたのだが。
全員が「居れば役に立つだろう」といったような反応で、だれも止めなかった。
ルシアの優秀さを認めてのことなのだが、ルシア自身にとって見ればいい迷惑である。
ルシアがぼうっと魔法を眺めていると、少し離れたところから物音がしてきた。
見ると、夜通し巨大モンスターを見張っていた数名のワーウルフ達が、合流したらしい。
エルザルートの周りに、アールトン、ノンド、エルミリアといったメンツが集まっていく。
それを眺めていたルシアだったが。
「ルシア、何していますの。早くいらっしゃい」
エルザルートに呼び寄せられてしまった。
どうやら、本当にルシアも戦いに何らかの形で参加させられるらしい。
指示を出しているだけでいい、と言われたのだが、そもそも前線というのはそこにいるだけで危険な場所なのだ。
「特に変化はない。今まで通りだ」
今まで通り、それをわざわざ確認するのは、この後の行動を確定するためだ。
予定通りに作戦を始める。
それを確認し、今回参加している全員に徹底させなければならない。
近くにいたタイニーワーウルフが走り出し、皆に伝えて回り始めた。
「予定通り、ですわね。周りのモンスターの様子はいかがかしら?」
「逃げられるものは、逃げたらしい。巣穴にこもった物もいる。そういったものは、皆魔法に食われるようだ」
斥候の言葉に、ルシアは身震いをした。
目の前にそそり立っている黒い靄でできた壁は、容易く命を刈り取る強力な魔法でできているのだ。
まるでガラスにでも阻まれているように、ある一定の場所から一切こちら側に流れては来ていない。
それが吸収魔法の影響圏であり、それ以上外には行けないのだ、と頭ではわかっていた。
だが、何かのはずみでこっちに流れ出てくるのでは、という気持ちが、拭い切れない。
ルシアがおっかなびっくり吸収魔法を見ている間にも、エルザルート達は話を進めていく。
「あれが歩き出すのと同時に、わたくしが片足を吹き飛ばしますわ」
「その後、俺達タイニーワーウルフが岩を剥がす」
「岩が完全に剥がれ落ちた個所に、俺達オークが打撃を加え、傷口を作る」
「その間に魔力を回復させたわたくしが、魔法で止めを刺す。手順としてはごく簡単ですわね」
言うは易し、の類だろう。
にわかに、周囲が明るくなってきた。
だんだんと見通しが良くなっていき、視界が広がっていく。
少しでも見晴らしのいい場所に行こうと、ルシアは木を上った。
食べ物を盗んだり逃げ隠れする都合上、ルシアは案外木登りが上手い。
一際背の高い木を選んで登りきる頃には、かなり明るくなってきている。
「うそでしょ」
思わず、そんな声が漏れた。
明るくなってきたためか、吸収魔法は弱まり、黒い霧はほとんど晴れている。
おかげで、周囲の状況がよくわかるようになっていた。
森の木々が、巨大な円形に立ち枯れしている。
茶色く、活力のない葉の色と、それ以外の場所の境が、くっきりとわかった。
その円形の中心に、灰色の塊が鎮座している。
塊、というと、少々伝わりにくいかもしれない。
何十、何百という岩の塊を積み上げた、小山のようなものがあるのだ。
石垣みたいだな、などと思っていたルシアだったが、すぐにその印象は覆る。
小山のような岩の集合体が、動き出したからだ。
まるで悪い夢でも見ているような気分だった。
ルシアは圧倒され、そのまま見入ってしまいそうになる。
だが、すぐに自分の頬をひっぱたき、意識を引き戻した。
「動き出したぞー!!」
すぐに動いたのは、アールトンだ。
間髪容れずに、遠吠えを上げる。
すると、あちこちで同じような声が上がり始めた。
タイニーワーウルフの優れた点の一つが、これだ。
離れた位置にいても、遠吠えで情報を伝えることが出来る。
しかも、吠え方を微妙に変えることで、言葉のように大量の情報を伝えることが可能だった。
伝達速度も速く、情報量も多い、文句のつけようがない伝達手段である。
これがあったからこそ、オークの集落にいながら、巨大モンスターを監視している者達と常に情報をやり取りできたのだ。
遠吠えが伝わっていく様子を眺めていたルシアだったが、下から何かが近づいてくる気配に気が付く。
それは、木をよじ登ってくるエルザルートであった。
駆けるような速さで登ってくると、すぐにルシアの隣に立つ。
「あの大きな岩がある場所。周りが比較的平たそうですわね。ルシア、オークを何人か使って、あの辺りを伐採し、臨時の拠点としなさい。指揮は、あなたに任せますわ」
木を伐採して広場を作り、敷物を広げたり、医療食料などの物資を置き、情報が集まる場所とする。
最初から、そういう場所を設置する予定ではあった。
どうやらエルザルートは、その管理をルシアに任せるつもりのようだ。
それなら少しは危険も少ないだろう。
ルシアはすぐに「わかりました」と引き受ける。
エルザルートは満足げにうなずくと、奇妙なポーズを作り大声を張り上げた。
「これより攻撃を開始いたしますわ! アールトン! ノンド! それぞれの配下を率いて、わたくしの後に続きなさい!」
いうや、エルザルートは木の枝を蹴り、中空に身を躍らせた。
そのまま地面に落下、とは、ならない。
エルザルートは尋常ならざる跳躍能力を発揮し、木から木へと伝っていく。
その後ろを、同じくタイニーワーウルフ達は木を伝って、オーク達を地面を蹴って付いていった。
ルシアが登っている木の周囲には、何人かの荷物を背負ったオークと、武器を持ったタイニーワーウルフが残っている。
どうやら彼らが、ルシアの指揮下に入るようだ。
「それにしても、エルザルート様すごいなぁ。よくあんな軽業師みたいなことを」
ルシアのボヤキに、答えてくれるものがいた。
いつの間にか近くまで登ってきていた、タイニーワーウルフだ。
「俺達と狩りをしているうちに、出来るようになったらしい」
「むちゃくちゃだなぁ、あの人」
何とも言えない乾いた笑いが出た。
とりあえず、言われた通りの仕事を終えなくてはならない。
ルシアは思わず、大きなため息を吐いた。
エルザルートは、呪文というのが嫌いであった。
苦手とか、どうかと思うとか、出来れば使いたくない、ではない。
明確に嫌いなのだ。
何しろ呪文というのは難解な言い方をしているものの、「~に力を借りたい」とか「~に願って」といったような、強大な力を持つ何者かに助けを乞うものが多い。
エルザルートには、それが我慢ならなかった。
何かを成すならば己の力、努力、才覚のみでやってしかるべし。
国王陛下以外の誰かに媚びへつらって何かを乞うなど、王国貴族にあるまじき振る舞いである。
ならば、人間の職人が技巧の限りを尽くして作り上げた、魔法道具をもって魔法を振るう。
それこそが魔法を扱う貴族の正しい姿ではないか。
というのが、エルザルートの考えであった。
もっともこの解釈は恐ろしく独特なものであり、少なくともエルザルートの周囲に賛同者は一人もいなかったのだが。
「もうすぐ、完全に立ち上がる。歩き出すまでもう少しだ」
木の上で仁王立ちするエルザルートに、斥候をしていたタイニーワーウルフがそう説明する。
巨大モンスター、グラトニーは、日が昇ってもすぐに立ち上がって歩き出すわけではない。
その巨体のせいなのか、立ち上がるのだけでずいぶん時間がかかる。
おかげで、エルザルートは巨大モンスターが動き出す前に、こうして「砲撃」に適したポイントに陣取ることが出来た。
それにしても、と、エルザルートはまじまじと巨大モンスターを眺める。
岩で作られた砦を、丸ごとゴーレムにした。
そういわれても疑問を持たないであろう巨大さである。
正直に言おう。
これを見たとき、エルザルートは自分ではどうにもできない、と思った。
倒すことが出来る絵が思い浮かばなかったのだ。
ルシアに話は聞いていても、とてものことどうにかできる相手とは思えなかった。
だが、今はどうか。
一挙手一投足を観察し、直接体の作りを確認もした。
その今ならば、わかる。
あれは見上げるほど巨大で恐ろしくはあるが、倒すことが可能なモンスターである、と。
「アールトン! わたくしの攻撃を合図に、攻撃を開始なさい! ノンド! その後をすぐさま追って、あの大木に切れ込みを入れて差し上げなさい!」
タイニーワーウルフの遠吠えと、オークの地面を揺らすような雄叫びが響く。
戦場で聴く味方の声は、気分を高揚させてくれる。
それが頼もしい連中であるとなれば、猶更だ。
既に魔力は練り上げ、魔法の準備は終わっている。
エルザルートの指や首にある装飾品、魔法の発現装置は、既に発動の準備を待つばかりとなっていた。
今発動させようとしている魔法に必要な道具は、合計五つ。
本来これは、五人の魔法使いがそれぞれに身に着け、綿密な魔法操作で起動させ、それぞれの魔力の限りを振り絞って発動させる魔法なのだ。
そんな魔法を、エルザルートはたった一人で起動させ、打ち出そうとしている。
エルザルートが魔法使い五人分と同じ働きをしている、というわけではない。
この魔法道具を使うには、「優秀な五人の魔法使い」が必要になるのだ。
一人で何人分もの働きが可能な「優秀な」魔法使いが、である。
つまり、エルザルートは通常の魔法使い十人、二十人分の働きを、一人でしていることになるのだ。
もっともそのことを知っているのは、この場ではエルミリア一人しかいない。
「さあ、始めますわよ! よおくおききなさい、このデカブツモンスター! わたくしの名はエルザルート! エルザルート・ミンガラム男爵ですわ!!」
それが、明るく輝き始める。
巨大モンスターの上空を、取り囲むようにいくつもの光源が現れた。
それらは光量を徐々に増しながら、巨大モンスターを中心にゆっくりと旋回している。
「このわたくしの前に立ったことを、地獄で後悔なさい!! ジェノサイド・レイ!!」
巨大モンスターが立ち上がり、片足を持ち上げた、その瞬間だった。
旋回していた光源から、真っすぐに閃光が伸びる。
それぞれの光源から伸びたソレは、巨大モンスターの足のうち、地面に接地している中の一本の根元に殺到した。
音もなく突き刺さった柱が殺到したその個所が、一気に赤く、輝くように変色していく。
そして、内部から押しやられるように膨れ上がり。
眩い光と轟音を響かせながら、大爆発を起こした。
根元が吹き飛ばされたことで足はもげ落ち、その重さからか豪快な土煙を上げる。
足を踏み出し、体重がかかったところに、支えを失ったからだろう。
巨大モンスターの体はそのまま地面に倒れこみ、豪快に何かが飛び散った。
正面を覆っていた岩が、衝撃で剝がれ飛んだのだ。
あまりの光景に、タイニーワーウルフ達は身を強張らせ、オーク達は目を見開いている。
だが、それもわずかの間。
真っ先に立ち直ったのは、アールトンだった。
空に向かって遠吠えを発すると、すぐにタイニーワーウルフ達は我に返り、走り始める。
これに呼応するように、ノンドも声を張り上げた。
「後れを取るなっ!! オーク戦士の意地を見せろ!!」
ノンドの言葉に、オーク達も雄叫びを上げて走り出す。
正直、タイニーワーウルフと比べれば、ペースはかなり遅い。
走り抜けるには、木々が邪魔すぎるのだ。
それでも、有り余る筋力で無理やり突き進んでいく。
歯がゆくはあるが、これはこれでいいとノンドは笑う。
タイニーワーウルフが先行し、オークが怒涛の勢いでもって押しつぶす。
役割が違うのだ。
それでも気が急くのは、オーク戦士としての本能のようなものだろうか。
巨大な敵に立ち向かうというのに、気持ちを占めるのは戦いへの高揚感ばかりであった。
片足を奪われた巨大モンスターは、身じろぎもせずに横たわったままになっていた。
足を失ったその断面は、石や岩の灰色と、木の薄茶色でできている。
時折混じる緑は、伸び始めたツルの色だ。
それを見たノンドは、ようやくこの巨大モンスターが植物なのだ、と生で実感したような気持になっていた。
ずっと頭ではわかっていたことだが、外見だけならばどう見てもただの岩の塊である。
こうして足を一つもぎ取って、ようやく中身が見えた。
何十という円を重ねたような内部の模様は、年輪のそれだ。
近づくにつれ、外面、岩や石との境目が見えてきた。
蔓が伸び、そこから細かいひげのようなものが伸びて、岩や石の表面に張り付いている。
見た目もそうだが、蔦植物のようなものなのだろう。
アールトンが木から飛び降りると、目の前には巨大モンスターの体。
ちょうど、足が吹き飛ばされ、巨大モンスターの本体が見えている場所だ。
よく見ると、本体の縁の部分で、何かが動いているのがわかる。
既に蔓が伸び始めているのだ。
アールトンは遠吠えを上げると、すぐさま巨大モンスターにとびかかった。
体を変化させ、爪を大きく、鋭く伸ばす。
大きく腕を振り上げて、巨大モンスター本体と岩を繋ぐ蔓を狙って、一閃。
一部の蔦が、断ち切られた。
その手ごたえに、アールトンはにやりと笑う。
タイニーワーウルフ達はこれまで、ルシアの指示の下、巨大モンスターの痕跡を収集し続けてきていた。
その体から剥がれ落ちた岩から、蔓の一部も手に入れていたのである。
村にこれを持ち帰り、色々と研究をしたのだ。
おかげで、それが驚くほど固く、金属製の刃物でも容易に傷つけられないことがわかった。
同時に、火や氷など、植物が苦手とする種類の魔力をまとった武器であれば、問題なく断ち切れることも。
今のアールトンの爪には、氷の魔力をまとわせている。
その効果で、蔓は思いのほか容易く切り裂くことが出来た。
魔法を多用する植物のわりに、属性に弱いというのはどうなんだ、などとルシアがぶつくさ言っていたが。
正直、アールトンにはそのあたりのことはよくわからない。
対植物モンスター用に武器も用意したらしいのだが、そういったものの大半はオークが使うことになった。
というより、タイニーワーウルフには必要なかったのだ。
タイニーワーウルフは、魔力の扱いも器用なのである。
爪に火や氷の魔力を乗せるなど、タイニーワーウルフからすれば簡単だ。
さらに爪を振るい続け、次々に蔓を切り裂いていく。
岩にへばりついた蔓を、六割ほど切った時だ。
重さに耐えかねたのだろう、蔓が引き千切れる悲鳴のような音と共に、岩が地面に転がり落ちた。
アールトンの身長を軽く超えるような、大きな岩だ。
周りを見れば、次々に岩が落下していくのがわかる。
ほかのタイニーワーウルフ達が動き回っているのだ。
足を吹き飛ばされ出てきた場所以外にも、タイニーワーウルフが取り付いている。
地面に体が叩きつけられた衝撃で、岩が剥がれ飛んだ箇所だ。
「上に気をつけろ! 岩に押しつぶされるな!」
下に人がいないか確認して落とせ、などという悠長なことは言って居られない。
とにかく、少しでも早く岩を引きはがさなければならないのだ。
アールトンも、次の岩を引きはがす作業に入る。
一つ、また一つと引きはがすうち、オーク達が追い付いてきた。
「アールトン!」
ノンドの声に、アールトンは巨大モンスターの体から飛び降りた。
高い位置の岩を剥がしていたのだ。
「順調そうだな」
「オーク族が本体を攻撃を始めるには、もう少しかかる」
「そのようだ。下に落ちている岩が少々邪魔だな。俺達はソレの除去でもしているとする」
「助かる。そろそろそうしなければ、まずいかもしれん。見てみろ」
アールトンが指さした方を見て、ノンドはぎょっとした表情になる。
巨大モンスターの体表面から蔓が伸び、近くを探るように動いているからだ。
蔓植物が伸びる映像などを早回ししたら、こんな具合になるだろう。
「成長速度が異常だな」
「大きさから考えれば、そうでもない。それより、また岩を体に張り付けられても困る」
「そうだな。俺達で対処しよう」
ノンドはその場を離れると、ほかのオーク達に指示を飛ばし始めた。
オーク達はすぐさま、岩に手をかけ運び始める。
自分達の身の丈よりも大きな岩を、たった二人で持ち上げているのだ。
オークの膂力は、やはり生半可なものではなかった。
敵になれば恐ろしいが、味方にすると驚くほどたのもしい。
ここは、ノンドに任せていいだろう。
アールトンはそう判断すると、再び岩を引きはがしにかかった。
エルザルートがエルミリアに肩を貸されて戻ってきたのは、臨時拠点の設営が終わってすぐのことだった。
「もう設営が終わっていますのね」
「周りにモンスターが居なかったもので、作業に集中できましたから。魔法、ここからでも爆発が見えました。相変わらずすさまじいですね。前線から、予定よりもダメージを与えられていると報告がありました」
タイニーワーウルフの遠吠えによる伝達能力のおかげで、すぐに状況が伝わってくる。
エルザルートは用意してあった椅子に、妙に優雅なポーズで腰かけた。
いつもながら余計につかれそうだな、と思うルシアだが、特に何も言わない。
慣れたものである。
そんなことよりも、しなければならないこともあった。
近くに急ぎで作った簡易窯があり、その上には鍋が置かれている。
中に入っているのは、干し肉や山菜などを煮込んで作った、スープだった。
ルシアはこれを皿に盛ると、エルザルートに差し出す。
「ありがとう。まったく、ポーションがないと魔力回復にも困りますわね」
文句を言いながら、エルザルートは手渡されたものを食べ始めた。
スープというよりも、煮込み料理といったような具沢山っぷりだ。
巨大モンスターの足を吹き飛ばしたあの魔法を使うには、いくらエルザルートとはいえ負担が大きすぎた。
特に魔力の消耗は激しく、早急に回復する必要がある。
何しろ、エルザルートはもう一発、大きな魔法を撃たなければならないのだ。
巨大モンスターへの止めである。
「さすがにわたくしもアレだけ派手にぶっ放すと疲れますわね。とはいえ、タイニーワーウルフやオークが準備を終えたのに、まだ魔力が回復していません、では笑い話にもなりませんわ」
「あの、食べながらしゃべるとこぼれますので」
「わかっていますわ! ごほっ! ごふっ!」
「ああ、そんなに怒鳴るから」
魔力を回復する手段で一番手っ取り早いのは、ポーションなどの魔法薬の類だといわれている。
ついで、休憩や睡眠、食事といった一般的な疲労回復方法だ。
魔法の薬などという便利なものは手元になく、睡眠するほどの時間的余裕もない現状、一番効率がいいのは休憩と食事ということになる。
「よその街に行けるようになれば、ポーション系も買えるんでしょうけどねぇ。そのためには外貨獲得手段がないといけないのかぁ。国内なのに外貨っていうのも変なのか?」
「ずっと不思議だったのですけれど。あなた、当たり前のように先のことを考えますのね」
エルザルートの問いの意味を測りかねて、ルシアは「はぁ」と間抜けな声を出した。
「巨大モンスターに勝って当たり前。そう思っているように見えますわ」
そう、ずっと不思議だったのだ。
ルシアは、勝てることを微塵も疑っていないのである。
準備をしている時も、戦うための方法を説明している時も。
常に、勝って当然というような話しぶりだったし、勝った後の準備までしている。
巨大モンスターのことを誰よりも知っているということは、その恐ろしさも知っているということだ。
これまでは実物を目の当たりにしていなかったが、今は違う。
直接間近に居る巨大モンスターの姿を見て、その恐ろしさを再認識している今でも、ルシアの話しぶりは変わらない。
それはなぜなのか。
不思議に思っていたのは、エルザルートだけではない。
アールトンやノンドも、疑問に思っていることだった。
「はい。そう思ってますので」
けろっとした顔でいうルシアに、エルザルートは驚く。
ルシアは「なんでそんなことを?」というような不思議そうな顔で、首を傾げた。
「そろっている戦力や物資を考えれば、負ける確率はごく低いでしょうから。まあ、そういう万が一の事態にも本当は対処した方がいいんでしょうけど。そこまで余力を割く贅沢は、残念ながら今の僕達にはないかなぁ、と」
唖然としつつも、エルザルートは自分の内心の変化に驚いていた。
ルシアにそういわれると、呆れつつも「まぁ、そうかな」という気になる。
実はこれは、すさまじく恐ろしいことなのだ。
熱狂や鼓舞でこれをやってのけるものは、時折いる。
虚言や妄信や虚構を操って信じ込ませるものも、まぁまぁいるだろう。
だが、ルシアは淡々とした事実と行動の積み重ねだけで、それをやってのけた。
戦いに赴く者達に、「勝って当たり前だ」と思わせたのである。
勝てると思うか、負けると思うか。
戦う際にどう考えているかといったことの心理的影響は、すさまじく大きい。
士気に大きくかかわるからだ。
勝って当然と思わせ、実際そうなるように準備を整えて、戦場に送り出す。
そんなことが出来る人間が、いかに稀有なのか。
実戦も経験し、貴族としての立場から様々な教育も受けているエルザルートだからこそ、わかる。
ルシアのやっていることは、名のある軍師がするようなことだ。
幼い奴隷上がりの少年が、エルザルートに魔法を使わせ、タイニーワーウルフとオーク族の兵士を動かし、巨大モンスター討伐を成そうとしているのである。
それも、出来て当然のこととして。
驚くことに、当のルシア本人はそのことに全く気が付いていない。
欠片もそれが異常なことだと認識していないのだ。
むしろ、「できて当然」と思っている節がある。
もちろんまだまだ経験不足や知識不足はあるだろう。
だが、ルシアはまだまだ、少年である。
このまま成長していったら、どうなるだろう。
天才少年も、大人になれば凡人、などということがある。
しかしならがら、ルシアは今の段階ですでに「優秀に」仕事をこなしているのだ。
「やはりあなたを拾ったのは、正解でしたわね」
「はぁ」
困惑するルシアの顔を見て楽し気に笑うと、エルザルートは再びスープをかき込み始めた。
巨大モンスターの表面を覆う岩を剥がす作業は順調に進み、予定よりも若干早く終えることが出来た。
あとはオーク達が攻撃を行い、巨大モンスターの体に切れ込みなり大穴をあけるだけ、なのだが。
ここで、問題が起きた。
巨大モンスターの体から生えてくる蔓の攻撃が、アールトンとノンドの予想を超えて厄介だったのである。
もっともこれは、作戦を立てる時点でルシアが何度もいっていたことではあった。
一定以上岩を剥がすと、巨大モンスターは体から蔓を生やし、岩を元に戻そうとする。
それを邪魔し続けると外敵がいると見なし、蔓を振り回して攻撃し始める、という話だった。
相当な強度があり、力もある蔦であるから、かなり厄介なのだろう。
アールトンやノンド、ほかのタイニーワーウルフやオーク達も、そう予想してはいた。
ルシアも、かなり口を酸っぱくして注意を促していたのだが。
「ここまで厄介だとは」
「本当に植物なのか、あれは」
アールトンもノンドも、辟易した顔でぼやく。
巨大モンスター、グラトニーの蔓は、タイニーワーウルフの体長を超える岩を支えるほど、頑丈で力強い。
何しろ、植物が苦手とする種類の魔力や武器を使わなければ、まともに切断することすらできないのだ。
太さもタイニーワーウルフの太ももほどもあり、かなり質量もある。
そんなものが振り回されるのだから、厄介極まりなかった。
大きいからさほど早くないのか、と言えば、全くそんなことはない。
オーク族が斧を振るうような速さで、その巨大な蔓が出鱈目に振り回されるのだ。
もちろん、よけられないほどのものではない。
蔓の攻撃を搔い潜り、切断することは可能だ。
しかし、切っても切っても次から次に生えてくるのである。
「埒が明かんぞ。本体を攻撃する隙がほとんどない」
一応、攻撃を掻い潜りながら、本体にも攻撃は加えている。
とはいっても、蔓を避けながらなのでどうしても散発的になってしまう。
本体の再生能力はさほどでも無いようで、傷は残ったままになっている。
とはいえ本体があまりに大きすぎるため、さして効果がないように見えた。
「舐めていたわけではないが、まいったなこれは」
ぼやくノンドの横で同じように唸っていたアールトンだったが、不意に聞こえてきた遠吠えに顔を上げた。
「何か、連絡か?」
「ああ。用意させていたものが、もうすぐ届く」
何か特別に作っている、というような話は、ノンドは聞いていなかった。
一体何だろうと思っているノンドに、アールトンは向き直る。
「俺が一気に、あの蔓を纏めて切り刻む。その間にお前が、大きな傷口を作れ」
「俺がか?」
アールトンが一対多の戦い方に秀でていることを、ノンドは知っている。
素早い動きと一撃必殺の爪を用いる、恐るべき戦闘法だ。
そのアールトンができるというのだから、一時的にも蔓をどうにかすることは可能なのだろう。
だが、ノンドの方はどうだろうか。
それほど威力のある技は、今のノンドには扱うことが出来ないのだが。
「いや、俺は」
「アールトン、運んできたぞ」
ノンドの言葉を遮るようにやってきたのは、何か重たそうな荷物を運ぶ三匹のタイニーワーウルフだった。
布に巻かれたそれは、かなりの大きさがあるようだ。
「受け取れ」
何が何だかわからぬまま、ノンドはソレを手に取った。
巻かれていた布を解き、包まれていたものを見て、ノンドは息を飲む。
「これは」
大きな斧であった。
モンスターのものと思われる太い骨材に、丈夫そうな木材を組み合わせて作られたものである。
間に合わせ、適当に作られたものでないことは、ノンドには手に取ってすぐにわかった。
これはモンスターの素材をふんだんに使い、オーク族のために作られた戦斧なのだ。
並のオークでは振るえないであろう程の重さのこれは、ノンドのために作られたものだと分かる。
「おい、アールトン。お前、これは」
「武器を選ぶ贅沢をするほど余裕はない。使え」
その言葉に、ノンドは驚いてアールトンを睨む。
この男は、なぜノンドが斧を持たないか知っているのだ。
「誰に聞いた」
「知らん。そんなことはどうでもいい。今重要なのは、あのデカブツのことだ。どうにかしなければ、俺の村も、お前の集落も危うい」
全く、その通りだ。
返す言葉もない。
ノンドは我知らず、笑い声をあげていた。
ケジメとして斧を持たないと決めていたのだが。
そのケジメをつけるべき相手からこうして斧を押し付けられた。
ならば、すべきことなど決まっているではないか。
理性的に、理知的にと普段から自分に言い聞かせているノンドではあるが、何のことはない。
その体に流れているのは、戦士としての血である。
ノンドは斧の握りを試すように何度か振るうと、片腕で振り上げて肩に担いだ。
周囲にいたタイニーワーウルフや、オーク達がどよめく。
分厚く巨大な斧を片腕で持ち上げたことが、驚きだったのだ。
「斧を振るうのは久しぶりでな。期待はするなよ」
ノンドの言葉に、アールトンは小さく鼻を鳴らした。
アールトンの魔力は、けして多くない。
だから戦闘の時などでも魔力を使うのは一瞬で、なるべく使いすぎないようにしていた。
その制限を全く無視して、一気に魔力を使い切るようなつもりで戦えば、どうなるか。
ただでさえ素早い動きはさらに加速し、鋭い爪による連撃は敵対象を切り刻む。
敵の間を走り抜けながら振るわれる爪は、込められた魔力の色を残像として棚引かせる。
わずかの間に数多くの敵を殲滅させられるのだが、いかんせん消費が激しすぎた。
強化状態を維持するためには、体力も魔力も集中力も凄まじくすり減らすことになる。
ここぞという場面でしか、使用することは出来ない大技であった。
まさに、今のような場面である。
「氷爪襲陣」
呟くと同時に、アールトンは巨大モンスターの体表面を、すさまじい速さで走り回った。
伸びた蔓を足場にし、近くの蔓に爪を振るう。
腕を振るう速度はすさまじく爪が立てる風切り音が絶えまなく鳴り続けているように聞こえる。
爪は氷の青い魔力を棚引かせ、その青白い筋が蔓を斬り飛ばしているかのように見えた。
巨大モンスターの体のあちこちから伸びていた蔓が切断され、空白地帯ができるまで、わずか数秒。
だが、それもやはりわずかの間で、すぐに新しい芽が伸び始める。
その隙を、ノンドは逃さなかった。
巨大モンスターの体を駆け上り、岩の剥がされた中央付近に躍り出る。
そして
「メテオ・インパクト!!」
渾身の力と、渾身の魔力を込めて、力の限り斧を叩き付ける。
小細工など不要だ。
ただただ全力を込めた一撃である。
もっともそれは、亜人の中でも特に力に秀で、何時間、場合によっては何日でも戦い続けることが出来るオーク族の体力を、たった一撃のためだけにすべて振り絞ったものだ。
赤熱したモンスター素材の斧は、言葉通り隕石の衝突のような勢いと破壊力を持って巨大モンスターの体に打ち込まれた。
巻き起こったのは、耳を劈く様な爆音と、目も眩むような閃光と、周囲を一気に舐めるような黒煙である。
それが晴れた後に見えたのは、巨大モンスターの体にできた巨大な傷であった。
オークが7,8人は並べそうなそれは、巨人が振り下ろした斧で作られた傷跡のように見える。
「どうだっ!」
自らの攻撃の勢いで、ノンドの体は巨大モンスターから弾き飛ばされていた。
転がるように地面に着地し、巨大モンスターに向かって吠えるように叫ぶ。
その近くには、こちらは何とか両足で着地するものの、そのまま膝をついたアールトンの姿がある。
「今までの分と合わせれば、十分だろう。早くここを離れるぞ」
「何故だ?」
「忘れたのか。エルザルートが魔法を打ち込む。巻き込まれたくない」
「そうだったな。だが、体が動かん」
「俺もだ」
二人を助けに来たのだろう。
複数のタイニーワーウルフとオークが駆け寄ってくるのを見ながら、アールトンとノンドは大声をあげて笑った。
止めの魔法を打ち込むため、エルザルートは木の上に立っていた。
相変わらず、体幹がおかしくなりそうなポーズをとっている。
その横で、ルシアが死にそうな顔で木の幹にへばりついていた。
理由はよくわからないが無理やり連れてこられたのだ。
どうして、なんで、と聞くのはあきらめていた。
というより、エルミリアに引きずられてこられたので、その気力と体力がごっそりなくなっていたのだ。
「うわぁー。すんごいデカい切れ込み。あれ、アールトンさんとノンドさんでしょうね」
「的には十分ですわね。あそこに魔法をぶち込んで差し上げれば、綺麗に割れそうですわ」
「撤退が始まったようです。現場判断に任せてましたけど、さすがに判断が早いですね」
必要十分と思われる傷がつけられたら、現場判断で撤退することになっていた。
どうやら、アールトンとノンドが、これでいけると考えたらしい。
エルザルートにしてもルシアにしても、実際にどのぐらい傷をつければいいのかなど、わからなかった。
今は、実際に戦った者達の判断が、一番確実だろう。
「ルシア。あなた、タイニーワーウルフの遠吠えが聞き分けられますの?」
「ええ。まあ。覚えましたので」
自分の記憶力の高さに気が付いてからは、ルシアはソレを様々なことに使っていた。
ブラック企業に勤めていた社畜性能の悲しさか、応用の方はあまり利かない。
だが、丸暗記というのもなかなかに役に立つ。
遠吠えをマネすることや、聞いたことがないものを他から推測する、といったことは出来ないが、一度聞いたものであれば意味が理解できるのだ。
「相変らず無茶苦茶ですわね」
「エルザルート様に言われたくないです」
「何か言いまして? 声が小さいですわよ」
「いえ、何も。魔力の方は回復なさったんですか?」
「ボチボチといったところですわね。まあ、そのためにあなたを持ってこさせたのですわ」
激しく嫌な予感がする。
どういう意味か聞こうとするルシアだったが、エルザルートはさっさと魔法の準備に入ってしまった。
両手の指輪、首飾り、腕輪、様々な装飾品が輝き始める。
手に持った扇子を全開に広げ、バランスをとるのすら難しそうなポーズを決めた。
「ふっふっふ、おーっほっほっほ!! いい気味ですわデカブツ! この一撃で止めを刺して差し上げますわ!! よかったですわねぇ、わたくしが男爵で! もしこれが伯爵や公爵だったら、あなた程度最初の一撃ですべて終わっていましてよ!!」
一瞬、どういう意味か、とルシアは首を傾げた。
どうやらエルザルートは、爵位と戦闘能力がイコールだと思っているらしい。
そんなわけないだろう、と言いたいところだが、そうとも言い切れないとルシアは思った。
何しろこの世界の元になっていると思しきゲームは、戦闘要素の強い乙女ゲーである。
登場する名前が呼ばれる高位貴族キャラクターは、ことごとく戦闘力が高かった。
あるいはルシアが知らないだけで、そういう規範があるのかもしれない。
エルザルートは次のポーズに移りながら、手にした扇子を放り投げた。
すると、その背後に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
そういえば、魔法陣というのは本来結界であり、中に入ることで魔法使い自体を守ることを目的としているらしい。
日本で魔法の発動装置のような扱いになっているのは、某有名漫画作品の影響が強いのだとかなんとか。
この世界もやはり、そういった流れを受けているんだろうなぁ。
エルザルートを眺めながら、ルシアはそんなことを考えていた。
現実逃避というやつである。
その間にも、エルザルートの背後では変化が起き続けている。
巨大な魔法陣の周囲に、小さな魔法陣が現れては消えていく。
だが。
その変化が止まり、紫電が走り始めた。
「ちっ! やっぱりダメですわね」
「へっ!? なんです?! 何か問題が!?」
「魔力が足りませんわ。少しだけ足りませんのよ」
ルシアの顔が、さーっと青くなる。
ここで魔法が打ち込めないのは、まずい。
あの巨大モンスターに対する決め手がないのだ。
もし止めを刺せずに夜になれば、あの巨大モンスターは再び吸収魔法を使う。
一度使った後だから、吸収できるエネルギー量は少なくなるはずだ。
それでも、おおよその傷を癒し、足を再生させるぐらいのことは可能だろう。
このままタイニーワーウルフやオーク達が攻撃し続ければ、どうか。
それでは、巨大モンスターは倒しきれない。
目の当たりにしなければわかりにくいのだが、とにかくデカいのだ。
大きすぎるし、その上頑丈すぎる。
大火力の魔法に頼らない方法となると、倒しきるのに二三日は確実にかかるだろう。
だが、巨大モンスターはその間に回復してしまうのだ。
「どどどどどどっどぅどどどっ、どう、するんでぃっ、ですか!?」
ああ、人間ってほんとにこんなドモリ方するんだな。
心の中に自分を客観的に観察する部分が現れてしまうほど、ルシアは動揺しまくっていた。
「あなたでもそんなに動揺しますのね。安心なさい。準備はしてきてありますわ」
「準備?」
「ルシア、それをつけて、わたくしの肩に手を乗せなさい」
「はい!?」
渡されたのは、飾り気の少ない鉄色の腕輪だ。
突然渡された品に、ルシアは困惑した顔を作る。
「良いから早く! 死にたいんですの!?」
「はいっ!!」
ルシアは大慌てで腕輪をつけ、エルザルートの肩に手を乗せた。
その瞬間。
「ごぶっ!?」
全身から力がごっそりと奪われたような、強烈な虚脱感に襲われる。
思わず倒れそうになるが、何とか堪えた。
目を白黒させているルシアをよそに、エルザルートは凶悪な笑顔を作る。
「おーっほっほっほ!! ルシア! やっぱりあなた、魔力量がなかなか多いではありませんの!」
この言葉で、ルシアは自分に何が起きたのか理解できた。
魔力を吸い上げられたのだ。
他人に魔力を譲渡するためのアイテムがある。
生前やっていたゲームのなかに、そういったものがあったのだ。
味方の強力なキャラクターに、魔力を補給するために使うアイテムで、火力でゴリ押したいときなどに使っていたはずである。
ゲーム内のビジュアルでは汎用の腕輪型のものが使われていて、細かい見た目などルシアは全く知らなかった。
だから、最初に見たとき何なのかわからなかったのだ。
「きたきたきたきたぁ!! これだけあれば十分ですわ!! ド派手なのを一発お見舞いしてやりましてよ!!!」
前から思っていたが、どうもエルザルートは言葉遣いが丁寧なのか汚いのか、よくわからない。
まあ、とりあえず気合は伝わってくるな、とルシアはぼんやりする頭で思った。
エルザルートの周りに浮かんでいた魔法陣が、再び動き出す。
様々な色を放ちながら、現れては消え、消えては現れ、くるくると回り続ける。
そのうち、小さな魔法陣がすべて無くなり、残るのは巨大な魔法陣一つとなった。
エルザルートは後ろを振り返りもせず、その魔法陣に向かって手を伸ばす。
「は?」
思わず間抜けな声を出したルシアだったが、咎められるものはいないだろう。
エルザルートはルシアの見ている前で魔法陣をムンズと手で掴み。
「ふんっ!」
気合一声、自分の前に引きずり出した。
その魔法陣ってそんなことできるんだ。
呆然とするルシアをよそに、エルザルートは拳を振りかぶり、片足を高々と振り上げた。
そして。
「消し飛びなさい!! カタストロフ・エクスプロージョン!!!」
まるで野球の投手かのような勢いで、拳を魔法陣に叩き付ける。
拳に込められていたのは、膨大な量の魔力だ。
それを、一気に魔法陣に送り込むことで、魔法を発動させたのである。
拳を受けた魔法陣からはキイインという甲高い音が響き、亀裂が入るように光が漏れ始める。
ガラスが砕けるような音と共に魔法陣が崩壊すると、拳大の光の塊が飛び出した。
放物線を描くように上空を飛んだそれは、アールトンとノンドが巨大モンスターに開けた切込みに吸い込まれていく。
そして、数瞬の沈黙の後。
閃光、衝撃。
あまりの音の大きさに耳がおかしくなったのだろう。
それが爆発音なのだとルシアが理解したのは、周囲にまき散らされた衝撃がある程度収まった後のことだった。
木の枝から落ちなかったのは、半分ぐらい偶然だろう。
へたり込んでから脚を枝に巻き付けるような形にしていたのが、幸いしたのだ。
一方のエルザルートは、爆風にあおられながらも仁王立ちの姿勢を崩さなかったようだ。
ともかく、巨大モンスターの方に目を向ける。
目の前に広がった光景に、ルシアはあんぐりと口を開けた。
土煙と飛び散る木々の破片の中、あの巨大モンスターの姿が見える。
だがそれは、完全に真っ二つに割れ砕かれていた。
「おーっほっほっほ!! 掌の上でなら小さな爆発も、握った手の中でそれをすれば指をすべて失いましてよ! 固さ自慢のデカブツも、中に爆発魔法をぶち込んで差し上げればこんなものですわ!!」
よく耳を澄ませてみると、遠吠えと勝鬨が聞こえてくる。
タイニーワーウルフとオーク達が、勝利を喜んでいるのだろう。
さすがの巨大モンスターでも、真っ二つになってまで生きてはいないはずだ。
「ああー、終わったぁ。これから忙しくなるなぁー」
苦悶の表情でぼやくルシアを見て、エルザルートは胡乱気な表情を作る。
「せっかく巨大モンスターを仕留めましたのよ? もう少し嬉しそうにする場面ではなくって?」
「これからやることが山盛りですから」
巨大モンスターを仕留めたということは、とりあえずこの土地での脅威がなくなったということだ。
同時に、エルザルートがこの土地に住む民、タイニーワーウルフ、オーク、元奴隷の人間達、全てを傘下に収めたということでもある。
これは土地を治めるのに成功した、ということになり。
エルザルートはソレを王都に報告しに行かなければならない。
当然、エルザルート一人が戻るわけにはいかないだろう。
何かしら従者やら兵士やらを用意する必要がある。
となると、その人材を用意しなければならないし、それなりに見える装備も用意する必要があるだろう。
何はともあれ、金がかかる。
それも膨大な額だ。
人を雇うにも、物を用意するにも、先立つものがなければ話にならない。
「そうですわね。王都へ巨大モンスター討伐の報告をするときに持っていく証のことも、考えなければなりませんもの」
そう、それもあったのだ。
口で巨大モンスターを倒したので亜人が領民になりました、といっても、誰も信じてくれないだろう。
討伐した証が必要だ。
だが、あんな首もなく、中身は木材な巨大モンスターのどこをもっていけば、討伐した証拠になるのか。
「あの、エルザルート様。どこかで内務を担当する方をお雇い頂くのがよろしいかと」
「召し抱えようにも、先立つものがありませんわよ」
ズバッとしたエルザルートの言葉にルシアはがっくりとうなだれた。
無い無い尽くしである。
それでも、何か考えなければならない。
生きるというのは何と険しくつらいものなのだろう。
「暗中模索、か」
ぼやきながら顔を上げたルシアの視界の端に、何かが映った。
真上辺りに輝く太陽を反射するそれは、真っ二つに割れた巨大モンスターの体の中にあるようだ。
「なんか、光ってません? あそこの」
「んん? 本当ですわね。まさか、魔石ですの? それにしてはでっかいですわね」
「魔石!!!」
その言葉を聞き、ルシアは一気に立ち上がった。
魔石。
モンスターの体の中にできることがある、魔力の塊であり、それを管理するための器官である。
人間はこれを利用し、道具や武器を作る。
魔石はモンスターが強力なら強力なほど、大きければ大きいほど、それ自体も大きくなる傾向にあった。
巨大モンスター、グラトニーの体内にある魔石となれば、その大きさは無類である。
「あれなら討伐証明部位になるじゃありませんか! なんでこんな簡単なことにすぐ気が付かなかったんだ僕のアホ!」
「あんなもの、さほど目立つものではないのではありませんの?」
通常の魔石ならば、エルザルートの懸念通りだろう。
どんなに大きくても、人間の拳大にしかならない。
だが。
「いえ、でもなんですのあれ。ここからでも見えますわね。どんだけデカいのかしら。あれなら十分見栄えもしますわね」
ゲーム本編でも、巨大モンスターの魔石についてはいろいろと言及されていた。
それが手に入ったから、という理由でストーリーが動くこともあったほどだ。
どうしてそんな重要そうなアイテムのことが頭からすっぽ抜けていたのか、と悔いるルシアだが。
まあ、仕方ないところだろう。
それだけ忙しく働いていたのである。
「そうだ、あれだけ貴重な魔石なら誰だって納得しますよ。大体、巨大モンスター由来のものなんてそうそう出回らない貴重品、んん?」
ここで、ルシアはもう一つ重要なことに気が付いた。
巨大モンスター由来の品などというのは、そうそう出回らない貴重品なのだ。
当然、巨大モンスターの体それ自体も。
「巨大モンスター、グラトニーの体! 超貴重な木材じゃぁないですか!! はっはっは!! これだっ! アレだけデカけりゃ相当な収入になりますよ!」
「面白い男ですわねぇ、あなたも。戦った後に元気になりますのね」
「戦う場所の違いです。命のやり取りではなく、こまごました雑用が僕の戦場ですから」
村の運営から戦の準備、人の手配に説得。
そういった仕事を「こまごまとした雑用」と言ってのける人物を、エルザルートは初めて見た。
やはりこの少年は、とんだ拾い物だったのだ。
エルザルートにとって、このミンガラム男爵領に来た最大の収穫は、初の亜人を治めた領主の称号でも、巨大モンスター討伐の栄誉でもなく。
この少年を召し抱えたという、そのことなのかもしれない。
エルザルートは腹の底からこみあげてくる笑いを、そのまま解き放った。
「おーっほっほっほ! よろしくってよ! あなたに任せますわ! でも、その前に祝賀会が必要でしてよ! 巨大モンスター討伐に貢献した民達に、褒美を与えなければなりませんわ!」
「わかりました、すぐに手配します!」
はきはきとしたルシアの返事に、エルザルートはもう一度高笑いを響かせた。
次回、章の終わりのお話となります
連続投稿も終わりでございます
今回の章のラストラン
お付き合いいただければ幸いです