十話 「ある意味、当たっていますわね。あなたを拾ったわけですもの」
エルザルートとノンドの戦いは、エルザルートの勝利で終わった。
その直後から、ルシアは目まぐるしく働き始めることとなる。
早速、本格的に巨大モンスター、グラトニーとの戦いへ向けて準備が始まったからである。
オーク達の集落にグラトニーが来るまで、おそらく後五日から六日。
となれば、遅くとも四日目には攻撃を開始しなければならない。
かなりギリギリなスケジューリングといっていいだろう。
もしルシアがブラック企業でデスマーチを経験していなかったら、緊張で胃がやられていたかもしれない。
だが、ブラック企業を生き残った社畜というのは、むしろこういう場面でこそアドレナリンが出まくるのだ。
もっとも、あまり褒められたことではないのだが。
オーク達の懐柔は難しかろう、と予測していたルシアだったが、思ったような抵抗はなかった。
むしろ、ルシアにはかなり友好的なものが多かったほどである。
体を張ってノンドを助けた、というのが理由らしい。
こっそり身代わり人形を使ったりしていたからこそできたことなので、若干後ろめたい気持ちはある。
が、緊急の場面であるし、そんなことも言っていられない。
こちらの言うことを聞いてくれるなら、それに越したことはないのだ。
幸いノンドも、ルシアの言葉を聞いてくれている。
では早速とばかりに、ルシアは一騎打ちをしたその日のうちに改めて情報のすり合わせをしてしまおう、とエルザルートに提案した。
幸いなことに、この場所にはオーク族、タイニーワーウルフ共に、主要なメンツが集まっているのだ。
「その方が手っ取り早いですわね。時間もないですし。至急取り計らいなさい!」
エルザルートが妙なポーズで宣言し、さっそく会議の場が設けられることとなった。
場所は、ノンドの住まいだ。
いわゆる竪穴式住居のような構造で、木と藁のような枯草で作られている。
中央の火を囲んで車座になると、ルシアが中心になって話を始めた。
まずは、改めて巨大モンスターの特徴と、その討伐の手順を説明する。
何しろ相手は、とてつもなくデカいモンスターだ。
単純な方法で勝てる相手ではなく、存外複雑な手順を踏まなければならない。
ちなみにこの時まで、ルシアはすべての手順をタイニーワーウルフにも伝えていなかった。
何か意図があったわけではなく、単純に時間がなかったのである。
ルシアは、グラトニーを倒す手段を、その理由も含めてできるだけ丁寧に説明していった。
時間がないのは間違いないが、だからこそ指示を出す人物、ノンドとその側近、アールトンとその直属達には、しっかりと把握しておいてもらわなければならない。
理屈が分かっていればこそ、咄嗟の時の応用というのは利くのである。
何より、どういう相手なのか、どうしてそんなことをするのか、そうするとどうして倒せるのか。
そういった細かい理由がわかってくると、だんだんと闘う不安がなくなってくるものであった。
代わりに「なんだ、勝てる相手なのではないか」という気持ちがわいてくる。
もちろん、侮っているわけではない。
ただただ恐ろしい、避けがたい災害のようだと思っていたものが、「やりようによっては倒せる相手」と認識できるようになってくるのだ。
もっとも、ルシアにはその辺の感覚というのはよくわからない。
想像する程度のことはできるのだが、肌で感じられるものではなかった。
荒事の場に出たことがあるか、といったことが重要なのだろう。
ノンドやアールトンといった純粋な戦士としての面を持つ者達は、話を聞くごとにその表情を変えていった。
自殺にも等しい戦いに飛び込まなければならないといったような悲壮な決意のにじむ顔から、希望や活力に満ちた表情になっていったのだ。
「驚くべきは人間、か。倒す方法や手順を、それほど綿密に記録するものなのか」
「人間は皆さんと違って、体力もなければ魔力もないですからね。創意工夫するしかないんですよ。そのために、過去にあったことはきっちり記録するわけです」
ひどく感心するノンドに、ルシアはしれっとそう言ってのけた。
実際はゲームの知識を、アールトン達からもたらされた情報で補強したものなのだが、そんなことはおくびにも出さない。
怯えや不安が態度に出そうなものだが、どういうわけかこの時のルシアは驚くほど開き直っていた。
土壇場に来て、吹っ切れたのだろう。
あるいは、危険が連続しすぎて麻痺したのかもしれない。
巨大モンスターの討伐手順を確認し終えたら、今度は物資についての相談が始まった。
よく言われることだが、戦いというのはその前の準備が重要だ。
まず真っ先にルシアの頭に浮かんだのは、食べ物のことである。
巨大モンスター、グラトニーとの戦いに備える間、いつも通りの狩りや採集はできない。
武器や道具の準備をせねばならないし、タイニーワーウルフの村と、オークの集落を行き来する連絡要員も確保しなければならなかった。
ほかにも、あれこれとこまごました仕事が大量にあって、手はどれだけあっても足りない。
とにかく重要なのは食べ物である。
絶対に必要な物資だけに、逆にこれさえ効率よく手に入れられさえすれば、いくらでもほかに手が回せるのだ。
とりあえずルシアは、オークの食事について聞いてみることにした。
雑食性でこれといって食べられないものはなく、人間やタイニーワーウルフと同じものが食べられるらしい。
普段は狩りや木の実などを採集して生活している、とのことだった。
これは、と思って確認してみると、山菜などはあまり採集していないらしい。
オーク達もここ数年でこの辺りに流れてきたのだそうで、植生について詳しくなく、食べられる植物などについて知識がないというのだ。
そういうことならばと、ルシアはさっそく手を打った。
タイニーワーウルフの村から元奴隷の子供を二人ほど連れてきてもらい、山菜取りの指導をさせることにする。
この山菜取りに割くオーク族の人員は、非戦闘員の女性や子供、年寄りということにした。
それまで食料の確保は、狩りをしなければならない都合上、戦えるものだけで行っていたらしい。
だが、相手が山菜であれば、護衛は必要ではあるものの、必ずしも全員が戦える必要はない。
オークの集落周辺は全くの手つかずであったから、ルシアの目から見ればいくらでも食べられる草木があった。
これらをかき集め、オークの集落にある備蓄と合わせれば、七日か八日は食いつなぐことが出来る。
ということは、戦闘に秀でた人員は、丸々戦いの準備に注力することが可能、ということだ。
「まさか、この草が食えるとは思わなかった」
「見た目はアレですが、貴重な食糧です。中々美味しいですよ」
感心しきりといった様子のノンドの目の前で、ルシアは手にした草を食べて見せた。
天日干しすると日持ちがし、煮ることで味が良くなるのだが、生でも食べられないことはない。
事情が事情だけに、どうやらノンドはルシアに一目置いてくれているようだった。
話をしっかりと聞いてくれるのはありがたい。
保険があったとはいえ、体を張ったかいがあるというものである。
食料の問題が一応解決したことで、タイニーワーウルフの村とオークの集落も、一気に戦闘準備へと動き出した。
当然、お互いの行き来も多くなる。
ここでルシアが驚いたのは、タイニーワーウルフとオークの間が、比較的穏当な様子なことだ。
「直接接しているのが、戦士だからだ。遺恨は戦場に置いてこなければ、この地では生きていけん」
ルシアが投げかけた疑問に、アールトンはそう答えた。
住める場所が限られているこの場所では、戦いを引きずっていては生きていけない。
心情的に、素早く切り替えられるように常日頃から教えられているようなのだ。
また、タイニーワーウルフもオークも、種族的に上下関係に従う傾向がある。
きちんとそれが定まってしまえば、少々気に食わなくても少なくとも表面上はそれに従うらしい。
「ただ、戦いに参加しないものは、強く教えを受けていない。戦士同士ならば自分の力だという納得もあるが、そうでなければ一方的にやられるだけだ。納得もしづらい」
ただそれは直接戦っているもの同士の話であって、戦闘に参加しない者にとっては少々受け入れがたい。
なるほど、ルシアにも納得できる話だった。
では、どうすればいいのか、という話をする前に、アールトンはさっさと行ってしまった。
どうしたものかと考えるルシアだったが、存外その答えはすぐに思いつく。
ここにはタイニーワーウルフでもオークでもない、第三者が居る。
元奴隷の人間達だ。
彼らが間に立てば、緩衝材として機能するだろう。
また、種族間の橋渡し役になることで、立場も確立できる。
これはなかなかいい考えでは?
ルシアは一人、ほくそ笑んだ。
ついでに、二つの種族が持つ技術なども、教えてもらうのはどうか。
技術交流という名目で、まず元奴隷達がそれぞれの種族が持つ技術を教えてもらうのだ。
その元奴隷達を束ねるのは、むろんルシアである。
種族間折衝や交渉役の地位、他種族の技術まで握ることが出来るかもしれない、一石二鳥、三鳥の手だ。
「上手く図にハマれば、僕の身の安全がかなり保障されるな。でもうまくいくか? とりあえず、山菜取りを教えてる二人に言い含めておこっと」
ルシアは上機嫌で、せかせかと動き始めた。
そんなことをすればますますエルザルートにいいように使われ、余計な苦労などもしょい込むことになると分かりそうなものなのだが。
この時のルシアは興奮状態が続きすぎたために、その辺の感覚がマヒしていたのであった。
オーク族の集落に連れてきてもらった二人は、元奴隷の少年達の中でも、とりわけ臆病で頭がいい者を選んでいた。
臆病というか、周りの状況をよく見て、常に警戒している性質のもの、といった方がいいだろうか。
そういう性質の人間は、周りをよく観察して、合わせることが出来る。
この二人もそうで、タイニーワーウルフ達の中に入ってもすぐに馴染んでいたし、オーク族ともずいぶん打ち解けているようだ。
ルシアは二人に、自分の考えを説明した。
むろん、言い方は二人に合わせてうまく考えてある。
二種族間の間を取り持つことで、巨大モンスターとの戦いを円滑に進めることが可能。
さらにはその後、人間の立ち位置を確保することもできる。
今後、人間がこの土地で生き残っていくには、そういった立場になるのが最良だ。
といった具合である。
「ということは、あの、ルシアさんがそれをまとめ上げる、元締めになるわけですか?」
おどおどとした様子で尋ねてくる二人の様子を見て、ルシアは思わずほくそ笑んだ。
どうやらそれ相応に頭が回るらしい。
こういうタイプは、しぶとく、きっちりと仕事をやり遂げてくれる。
ブラック企業で社畜として生き残れるタイプだ。
いや、それがいいのか悪いのかわからないが、少なくともルシアが考えている仕事にはぴったり合うはずである。
生まれ変わる前のルシアは面倒見がいいタイプで、そういう後輩を励ましたり宥めたりして、うまいこと仕事をさせていたりした。
ブラック企業でそれをやっていたのは、今となっては倫理的にどうなのか、と思わなくもない。
が、この状況ではそれが素晴らしく便利に働いてくれる。
「そういうことです。それが、僕達を助けることになる。そして、エルザルート様の、領地のためにもなる。素晴らしいことじゃぁないですか」
さして時間もかけず、ルシアは二人を言いくるめることに成功した。
最初はおどおどしていたが、「君達にしかできない」「素晴らしい仕事だ」といったようなことを真剣な顔で伝えると、二人とも表情が変わる。
自分達は特別で、多くの人々を幸福にできるのだ。
そういった認識というのは、実に人を強くし、使命感を持たせてくれる。
興奮した様子で「やり遂げて見せます!」などと言っている二人を見て、ルシアは極々真剣な顔で「頼みます」などと言いつつ、心の中ではにんまりと笑っていた。
完全に行動が悪役のそれなのだが、今はルシアも割と切羽詰まっている。
そんなことにはまったく気が付かぬまま、とにかく突っ走りまくるのであった。
食料の次は、武器の輸送だ。
巨大モンスターと戦うためには、とにかく強力な武器が必要になる。
幸いなことに、タイニーワーウルフの村にはルシアが作らせていた武器があった。
モンスターの素材を使った武器である。
タイニーワーウルフには職人もいて、材料も豊富にあるから、すぐに新しいものを作ることも可能だ。
対してオークの集落には、実はあまり良い武器がなかった。
オーク族は力は強いものの、手先はあまり器用ではない。
しかも、集落には職人と呼べるようなものが、ほとんどいなかったのである。
これにはルシアも驚いたのだが、もっと驚くことがあった。
オークの集落にいるものの多くが、女や老人、怪我や病気が元で、戦闘などに参加できない者達だったからだ。
元々は全員がはぐれ者で、それが寄り集まって今の場所で暮らすようになったのだという。
ルシアとしては住民の半分ぐらいが屈強な戦士で、かなり好戦的な集落を想像していただけに、これは意外だった。
それはエルザルートやタイニーワーウルフ達も同じだったようで、大いに驚いていた。
唯一「そんな気はしていた」といったのは、アールトンである。
オーク達から見て取れた焦りや、襲撃のメンツが毎回ほとんど同じだったことから、うっすらとそうではないかと思っていたらしい。
立たされた立場が悪かっただけで、実はアールトンは驚くほど優秀な人物だったのである。
ともかくそんなわけで、オークの集落には使い古した古い武器しか、備蓄がなかった。
誇りともいえる斧ですら戦士全員にはいきわたらないというのだから、オーク族としてはかなり切迫した状況だ。
ルシアはそのことを知るや、すぐさまモンスター素材で作った斧をありったけ持ってこさせた。
足りない分はすぐに用意できるように、そちらの生産に注力するようにと指示も出している。
タイニーワーウルフの武器防具はすでに十分にそろえてあるからこそ、出来ることであった。
オークの戦士達に武器を持たせるというのは、ルシア的には少々不安だったのだが、これは全くの杞憂になる。
すべてのオーク戦士達にとって、タイニーワーウルフの村への襲撃は、気の進まないものであった。
本来の彼らの気質にはまったく合わないことを、氏族のために自分を押し殺してやっていたのだ。
それが今はどうだろう。
巨大モンスター討伐という、聞いたこともない大戦のために準備を進めている。
率いるのは氏族全員が全幅の信頼を置く氏族長ノンドであり。
さらにその上にいるのは、ノンドを一騎打ちで下した豪傑エルザルート・ミンガラム男爵だ。
オーク戦士達の興奮は、尋常ならざるものだった。
爪弾きにされ、集落を追われた自分達が。
心ならずも同じ立場にいるタイニーワーウルフ達を攻撃しなければならなかった、自分達が、物語や伝説にすらないような大戦に臨もうとしている。
この事実は、オーク戦士達を凄まじく奮い立たせた。
戦士達はまるで別人になったかのように活力を漲らせ、その働きぶりにルシアは目を見張る。
もしこの状態のオーク達がタイニーワーウルフの村を攻めていたとしたら。
今頃、村は手もなく乗っ取られていたのではないか、と思われるほどだ。
「戦士というのは、元来そういうものですわ。気力が充実していればこそ、十全に戦えましてよ」
ルシアにしてみれば不思議で仕方ないことだったが、エルザルートに言わせれば当然のことらしい。
戦うというのは命を懸ける、ということである。
通常であれば生き物が避けるべき死に近い場所に行こうというのだ。
どうして戦うのか、なんのために戦うのかというのは、戦闘行動に大きく影響を及ぼすらしい。
言われてみれば、仕事の効率なども、モチベーションの有無に左右される。
ということは、今のオーク戦士達は今は最高のコンディションといっていい。
気力、体力、武器、様々なものが現状考えうる最高の状態になっているのではないか。
そういわれてみれば、ルシアもブラック企業で働いていた時は、休みなどをちらつかされると仕事効率が上がったものである。
なるほど、そういう気持ちの動きなのかもしれない、とルシアは理解した。
そんなことをオーク戦士達に話したら怒られたかもしれないが、まぁ、聞かれることはないだろうし、問題ないだろう。
食料や武器といった物資の準備が進む中、巨大モンスター対策の作戦会議なども行われた。
巨大モンスターは、新たに編成されたタイニーワーウルフとオーク合同の斥候班が見張っている。
常に新しい情報がもたらされ、それに合わせて話し合いが進められた。
この時異質なまでに活躍したのが、ルシアである。
話し合いを先導したとか、調整した、というのももちろんあるのだが、それ以上に役に立ったのがその記憶力だ。
ソレまで当の本人はほとんど気にすることもなかったのだが、何とルシアはソレまで見聞きしたことすべてを記憶していたのである。
何をどこにどれだけ運んだか、どこに何が必要なのか、だれがどんな仕事ができるのか。
それらを一度見聞きしただけですべて記憶し、過不足なく仕事を振り分け、調整してみせたのだ。
さらに周囲を驚かせたのは、周辺の地図を量産してみせたことだった。
タイニーワーウルフの村で“白地図”という魔法道具を使って映し出したあの地図を、何とルシアは完全に覚えていたのだ。
「いえ、あなた、さすがにそれはどうかしていましてよ?」
完全にドン引きしたエルザルートにそういわれ、ルシアはようやく自分の異様さに気が付いた。
これまで生きるのに必死だったので気が付かなかったが、言われてみれば確かにおかしい。
聞いたこともすべてすらすらと思い出せるし、見てきたものなど頭の中に写真か映像のように浮かんでくる。
今までは「ルシア」というキャラクターの性能なのだと思っていたが、作中では「ルシア」の記憶能力についての言及はなかったはずだ。
ということは、これは今のルシアの性能、ということになる。
もしかしたら。
ずっとないと思っていたが、これがいわゆる「転生チート」というやつなのではあるまいか。
そんな風に思い至ったルシアは、頭を抱えた。
ド辺境の農村で生きていくためには、いささかピーキーすぎる能力である。
せめて魔力がすごいとか、魔法がずば抜けて得意だとか、怪力だとか、そっち方面にしてほしかった。
そうすれば、森で食料を探すとき、畑から作物を盗むときなど、いろんな場面で役に立ったはずだ。
思わず地団太を踏んでしまうほど悔しかったが、今は地面を転げまわっている余裕もない。
いざそういう能力があると分かれば、活用しない手はなかった。
ルシアは記憶力をいかんなく発揮して、タイニーワーウルフの村とオークの集落の内情を整えていく。
この間、ルシアはずっとオークの集落にとどまっていた。
最前線になるのはこちらなので、物資を集めたり指示を出したりするのに、都合がよかったのだ。
もちろん、タイニーワーウルフの村の現在の状況も、しっかり把握していた。
記憶している村の様子を、持ち込まれた情報を元に修正することで、それを可能にしていたのである。
その把握能力は、人間離れしたものであった。
あとでわかることだが。
オーク達は最初ルシアのことを、あまり重く見ていなかった。
ノンドを助けてくれた人物で、勇気があるとは思っていたのだが。
戦士としての力を重要視しているオーク族にとって、力強くなく魔法などが得意そうでもないルシアは、頼もしく見えなかった。
どこか、侮られていたのである。
なのだが、巨大モンスター討伐のための準備を指揮するルシアの姿を見て、見る目が大きく変わった。
すべての状況を頭に入れ、的確で素早く指示を出すその姿は、オーク達に歴戦の戦士長を思わせたのだ。
また、年寄りや女子供に至るまで丁寧に接する姿勢は、オーク族の気風に合うものだったらしい。
あっという間に、ルシアはオーク達から一目置かれる存在となった。
もちろん、この時のルシアは寝る間も惜しんで働き続けていて、そんなことにはまったく気が付いていなかったのだが。
食料や武器、防具、備品、情報、作戦、などなど。
おおよそすべての準備が整え終わったのは、巨大モンスター討伐予定日前日の昼間であった。
「終わったぁああああ!!!」
確認を終えたルシアはそう叫びながら両腕を振り上げると、そのままひっくり返って気絶するように眠りに入った。
ただ、その表情はやたらと険しく、最初周りにいた多くの者達は何か考え事でもしてるのかと思ったほどだ。
準備が始まってからこの時まで、ルシアはほとんど一睡もせずに動き続けていた。
一番苦心していたのが、地図の用意だ。
この辺りの土地はモンスターも多く、安全に周囲の地形を把握するということも難しい。
それは普段から狩りをするために外に出ている者達でも、同じであった。
むしろそういった者ほど用心深く、あまり新しい道を開拓しよう、と考えることが少ない。
早々襲ってくるものが居ない地球の森などならいざ知らず、狙ってこちらを襲ってくるモンスターだらけの土地なのだ。
危険を冒すよりは、既に知っている比較的安全な道を歩こう、となるわけである。
あるいは長くこの土地に暮らし、馴染んでくれば別かもしれない。
だが、タイニーワーウルフもオークも、この土地に流れ着いたのは最近のこと。
あちこち探索して回り、周辺を把握するといったことが出来るほど、余力がなかったのだ。
だからこそ、近くに暮らしていながら、タイニーワーウルフはオークの集落の位置を把握していなかったりしたわけだ。
しかし、今回の巨大モンスター討伐では、森の中を縦横無尽に動き回る必要がある。
なおかつ、相手の位置を正確につかみ、共有しなければならなかった。
そこで必要になるのが、周辺の様子を正確に記した地図だ。
もちろん“白地図”を使えば、地形を確認することはできる。
だが、残念ながらあの便利な魔法道具は一つしかなく、絵を映し出しておける制限時間があり、なおかつ発動に大量の魔力が必要だった。
そこでルシアは、この“白地図”で映し出された絵を完全に覚え、用意した皮などに写し描きしていたのだ。
上質な紙などないから、表面がざらざらしたなめし革。
それに、針や炭などを使って描いていったのである。
大方の予想通り、恐ろしく根気と気力のいる作業であった。
精神も体力もすり減らされるし、地味でありながら過酷な仕事といっていい。
そんな仕事を、ルシアは全体の指揮をとりながら進めていたのだ。
普通ならばとてものこと集中が続かないだろう。
だが、ルシアは違った。
追い込まれれば追い込まれるほど、力を発揮するタイプの社畜だったのである。
恐ろしいほどの気迫で嬉々として徹夜作業を続け、十枚の地図を完成させたのだ。
どれも実用に耐えうる品で、タイニーワーウルフとオーク達は目を見張った。
とにかく。
これで、巨大モンスター討伐準備でルシアにできる仕事は、全て終わった。
直接戦いに参加しないので、大仕事が一つ片付いたといっていい。
あとは、ルシアが居なくても作業は進む。
だからこそ、ルシアは心置きなく意識を手放し、そのままぐっすりと眠りについたのだ。
その後、あまりに動かないルシアを見て、周りにいた皆が「死んだんじゃないか」と大いにざわめいたことを知るのは、数日後のことである。
ルシアがようやく目を覚ましたのは、夜半過ぎであった。
手軽に周囲を照らすことが出来る電灯がない生活にも、すっかり慣れたものである。
ルシアはかなり夜目が利くタイプらしく、月明かりがあればさほど明かりに困らない。
そもそも、ルシアは慣れた場所であるならば、暗かろうが視界が塞がっていようが、あまり移動に困らなかった。
事前に覚えて置いた景色で、周囲を予測して動けるからである。
ルシアはあてがわれていたオーク族の建物から這い出ると、周辺を見回した。
篝火が焚かれていて、見張りをしているワーウルフとオークが居るのが見える。
とりあえず腹が減ったので、その見張り達にでも声をかけようか、と思ったとき、ふと別のものが目に入った。
自分が居た建物の屋根の上にいる、エルザルートの姿だ。
月明かりを浴びながら、妙なポーズをとっている。
一瞬自分に見せているのかとも思ったルシアだったが、エルザルートの視線は空に向けられていた。
「あの、エルザルート様」
「あら、あなた生きていましたのね?」
「おかげさまを持ちまして。ご質問をしても?」
「許しますわ」
「それはあの、何をなさっておいでで?」
「月光浴ですわ。月の明かりは魔力を増進させる効果がありましてよ。覚えておきなさい」
聞いたことのない話だ。
いや、夜間の戦闘だと攻撃力が上がる、というキャラクターはいる。
確か月が力を与える、とかいう設定だったはずだ。
なのだが、エルザルートにはそういったスキルも設定もなかったはずなのである。
「はぁ。覚えておきます」
「といっても、効果のほどはわかりませんけれど。勧めてくる知人が居ましたので、試してみているのですわ」
ゲームのほかのキャラクターのことだろう、とルシアは思った。
確か、占い師みたいなキャラクターだったはずだ。
「そういったものは個人の特殊能力か、ただのゲン担ぎのようなものだと思っていたのですけれど。案外そういったものも馬鹿にならないと、最近思うようになったのですわ」
「最近ですか」
「道を歩いていて、最初にあった人物で先々を見る。という占いをご存じ?」
「聞いたことがありませんが」
小学生とかが読む、占いの本とかに載ってそうな気がする。
「わたくしに月光浴を勧めてきた知人というのは、占い師でしたの。その人物が、昔そういう占いがあると言っていたのを、王都からここに向かう道中で思い出しましたので。ですので、物は試しでやってみたのですわ」
「結果はいかがだったんです?」
「最初にあったのは、奴隷商人でしたわね。あなた達を引き連れた連中ですわ」
最初に出会った人物で先々を見る、という占いで、それが奴隷商人だった場合、どんな運勢になるのか。
怖いもの見たさで聞いてみたくもあるが、自分が奴隷だったルシアとしては、正直何とも言えない気持ちになる話だ。
「正直、連中を最初に見たとき、何者なのか図りかねましたのよ。罪人を輸送しているのか、単なる風通しのいい乗合馬車なのか」
一応この国では、奴隷は違法ということになっている。
傍からあの一団を見て、すぐに「奴隷商人だ」という発想には行きつかないのかもしれない。
ただ、見るからに堅気の集団ではないので、普通の人間は近寄らないだろう。
「ですから、声を掛けましたの。あなた達何者ですの? って。そうしたら剣を抜いて罵詈雑言を浴びせてきたので、吹き飛ばしたのですわ」
普通なら、なんてむちゃくちゃな、と思うところだろう。
だが、ルシアは「エルザルートらしいな」としか思わなかった。
既にだいぶ毒されてきた、ということだろう。
「なるほど。奴隷商人と出会った場合は、占いだとどんな感じなんです?」
「さすがにピンポイントに奴隷商人、というのは聞いていませんわね。ただ、珍しい職業のものにあったなら、珍しく貴重な出会いがある。と言われましたわ」
奴隷商人自体が珍しいので、出会った時点ですでにその占いは達成されてしまっているのではなかろうか。
そんな風にルシアは思ったのだが、エルザルートには別の考えがあるらしい。
「ある意味、当たっていますわね。あなたを拾ったわけですもの」
「僕が珍しく貴重、ですか? そんなことないと思いますけど」
「巨大モンスターのことを知っていて、亜人種をあれだけ使い倒せる子供なんて、そうそういてはたまりませんわ」
確かに、客観的に見ると珍しい、という気もしないでもない。
ただ、ルシアには自分が「攻略キャラ」それも「ダウンロードコンテンツ」だという認識がある。
プレイヤーがソフト以外に新たに金を払わないと使えないキャラクターなのだ。
もっと高性能でもいいのではないか、という気持ちもあった。
「わたくしは運が良かったですわね。あなたが居なかったら今回のこと、どうなっていたのか。想像するのも恐ろしい気がしますわ」
エルザルート本体のほうが恐ろしいので、別にどうにかなったのでは。
と思うルシアだったが、口には出さなかった。
言わぬが花というやつである。
「ともかく。そんなことがあったから、月光浴にも少しは効果があるのではないか、と思ったのですわ」
「明日に備えて少しでも魔力を高めておきたい、ということですか」
いよいよ明日は、巨大モンスター討伐である。
今回の作戦は、エルザルートの火力に頼るところが大きい。
案外、プレッシャーを感じているのだろうか。
ルシアからすると、すさまじく意外なことに感じられた。
いつでもむやみやたらと自信満々なイメージがあったからだ。
「そういえば、あなたはまだアレを直接見ていませんでしたわね?」
「ええ。ずっと村にいましたから」
「正直なところを言いますわ。表面の岩をすべて剥がした状態ならともかく、いきなりアレの片足を吹き飛ばすというのは、わたくしでもなかなか骨折りでしてよ」
「骨折り、ですか」
エルザルートの気弱な言葉に、ルシアは驚いていた。
いや、おそらくそれが端的な事実なのだろう。
大きなことを言うし、めちゃくちゃな行動もするが、エルザルートは虚勢を張ったりしない。
その行動や発言は、しっかりと実力に裏打ちされたものなのだ。
「片足をもいだ後は、しばらく動けなくなるでしょうね。ただ、周りはタイニーワーウルフとオークが居ますもの。問題ありませんわ」
「ですね。そのあとも、エルザルート様には御頼りする形になりますし」
今回の作戦のカギは、エルザルートの破壊力だ。
じわじわと攻撃することでも、巨大モンスターの生命力は削ることは出来る。
だが、やはりそれだけでは止めを刺すことは不可能だ。
どうしても、エルザルートの魔法が必要になる。
「ですが、逆に言えば、彼らが居なければ。わたくし一人であれば、巨大モンスター討伐は成せない、ということですわ。タイニーワーウルフ、オーク達の功も大きいですが、それらを取り仕切ったあなたの功績もおおきくてよ」
「ありがとうございます」
できることを、出来る範囲でやっただけのことである。
ルシアとしてはあまり評価してほしくなかった。
面倒なことになりそうな気がするからだ。
「これが片付けば、ミンガラム男爵領は無事、わたくしの支配下になりますわ。住民であるタイニーワーウルフ、オークともにわたくしの下に下り、土地を脅かすものもいなくなりますもの」
「確かに、そうなりますね」
「そうなれば、わたくしは王都へ行かねばなりません。国王陛下に領地平定をご報告し、領地運営を始めることになりますわ。王都と領地を行き来し、土地を治めるわけですわね」
この国の貴族は、基本的に領地にこもりきりというわけにはいかなかった。
王都でお役目を仰せつかることもあるし、エルザルートのような武力を持った貴族は、王国軍人として駆り出されることも多い。
ゲームでの設定を思い出し、「そういうものですかぁ」とルシアは極力、初めて聞いた、というような顔でうなずいた。
「そうなれば、大いに忙しくなりますわ。領地の力を蓄えるほかにも、納税、軍役、他の貴族との付き合い。やることはいくらでもありましてよ」
なぜ自分にそんなことを言うのか。
また、なんで今そんなことを話しているのか。
ルシアは嫌な予感を覚え、冷や汗をかき始める。
「そう、厄介事はまだまだこれから山のようにある、ということですわ。こんな腕力だけでどうにかなる戦で、躓いている場合ではありませんことよ」
「そういうものですかぁ」
「そういうものですわ。何よりルシア、喜びなさい。あなたの予想通り、そういった仕事はあなたにも降りかかりましてよ。何しろわたくし直属の家臣は、あなたとエルミリアしかいないのですもの」
そうなのだ。
今のところエルザルートの部下でそういった人間相手の仕事が出来そうなのは、ルシアとエルミリアしかいない。
もちろん今後新しい人間を雇い入れていくことになるが、エルザルートのことである。
必ずルシアを引っ張り出して仕事をさせるだろう。
そして不幸なことに、「ルシア」の体というのは存外優秀だ。
幸か不幸か基礎性能のおかげで、そういった仕事もおそらくできてしまう。
そして、ルシア自身の「社畜根性」が、命令をされたら仕事をせずにはいられない。
どう考えても、ルシアは今後さらに厄介な仕事をさせられることになるのだ。
「そう。難しくはあっても、不可能ではない。こんなところでデカいだけの歩く植木に邪魔をされてはいられないのですわ。必ずぶちのめして、国王陛下の下へはアイツの首をお持ちしなければなりませんことよ」
「あの、アイツ首ないってことでしたけども」
首なしのカメのような見た目の巨大モンスター、というのが、グラトニーのデザインなのである。
「それもそうでしたわね。でも、討伐の証は必ず必要ですわ。ルシア、討伐が終わるまでに、どこを国王陛下の下へお持ちするか、考えておきなさい」
「え、あー、はい。選定しておきます」
「任せますわ。本当に、忙しくなりますわ。巨大モンスター討伐など、その手始めに過ぎませんわ。こんなところで手間取ってなどいられません。このエルザルートが。エルザルート・ミンガラム男爵が、必ず踏みつぶしてごらんに入れますことよ」
口元を扇子で隠し、体をのけぞらせるエルザルートを見て、ルシアは慌てた。
「あああ、あの、エルザルート様。皆決戦を前に、体を休めているところですので。できればこう、静かにというかなんというか」
「あら。そうでしたわね」
エルザルートは悪戯を咎められたような、バツの悪そうな顔になった。
だが、すぐにくすくすと笑い始める。
指摘されたことも含めて、楽しくて仕方ないといった風な、悪戯に成功した子供のような笑い方だった。