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蒼頡の言霊  作者: 逸見マオ
第8障
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第19話 宵

「西王母様からの御託宣は以上じゃ」

 そう言って一呼吸置くと、黄色い大蛇は二、三度程まばたきを繰り返し、蒼頡に向き直った。

「蒼頡。そなたから女仙に伝えておきたい事がもしあるのなら……今ここで言うが良い。耳の良い御方じゃ。この会話も全て聴こえておるだろう」

 大蛇がそう言うと、黙したまま、蒼頡が頷いた。大蛇の姿を鋭く射抜く蒼頡の瞳は、常人には無い深い威厳を持っていた。その大きな双眸の奥に宿る静かな光は、断固たる決意を秘めた、強い輝きを保っていた。

「ええ。西王母様。承知いたしました。

 この土御門蒼頡が、貴女様の仰る三つの条件を全て、必ずやり遂げてみせましょう。きっと、御満足いただける結果をお届けできましょう。

 無事全ての条件が成就できた暁には、約束通り、ここにいる金烏殿を元の姿に戻し、必ずや故郷である扶桑樹へと帰していただきます」


 蒼頡が、きっぱりと言い切った。与次郎が驚き、目を見開いた。陸吾と鴣鷲の二人は、黙したままであった。


「く、く、く……。ああ……またしても、愉しみが増えたわ。

 では、蒼頡。わしは行く。────また会おうぞ」


 そう言って不気味な笑みをにたりと浮かべると、黄色い大蛇は凄まじい速度で、西の雲の彼方へと、あっという間に飛び去って行ったのであった。


 大蛇の姿が見えなくなると、与次郎は自身の周囲に流れる空気がより一層重くなったように感じた。

 与次郎にとって、西王母が提示した三つの条件は全て、達成することなど極めて難しいものばかりであるかのように思えた。

 陸吾は崑崙の地に帰らないと言っている。狡についても、西王母のところには戻らないと狡自身が言っていたのを、与次郎が蒼頡の屋敷に初めて足を踏み入れたその日に聞いた記憶がある。そもそも二人とも、少なくとも今は、故郷に帰る意志など毛頭無いのだ。二人の気持ちが変わらぬ限り、二つの条件を成就させることは難しい。何より華胥の国に至っては、この世には無い仙界の地であると、陸吾が言う。何処にあるのか見当もつかない。行くことすらも、容易にはできない場所である。それだけでなく、そこにいたはずの聖獣の行方を更に四匹も探し出すなどというのは、与次郎にとっては到底、無理難題としか思えない条件であった。

 しかし、蒼頡は与次郎達の目の前で、はっきりと言い切った。必ず全てやり遂げると、言い切った。蒼頡がそう言うからには、蒼頡ならきっと、西王母が願うこの三つの難題を全て、見事に解決してみせるに違いない。全ては、金烏を元の姿に戻し、扶桑樹に帰すために────。

 与次郎は、どうしても気にかかることがあった。

 もし全ての条件を成就させるとなれば、陸吾と狡は蒼頡の元から離れ、もう二度と、二人には会えなくなるのではないかということであった。そのことを思うと、胸がぐ、と締め付けられた。与次郎は、二人が屋敷からいなくなってしまうことが、純粋に嫌であった。二人が去ってしまうことを思うと何とも言えず、ただ素直に寂しいという気持ちが、胸の内にじわじわと襲いかかってくるばかりであった。


 沈黙を破り、蒼頡が口を開いた。


「……さあ。ではそろそろ、我々の屋敷に帰りましょうか」


 与次郎は驚いた。

 蒼頡のその一言で、重く滞っていた空気が突如、ふわりと爽やかな春風に一変した。


 こうして、蒼頡、与次郎、陸吾、鴣鷲の四人は、烏の怪異が鎮まった黒屋敷を後にし、気絶したままの金烏を連れて、山奥にある蒼頡の屋敷へと、ひとまず帰っていったのであった。





◆◆◆





────金烏が意識を取り戻すと、身体が鉛のように重かった。

 薫風が、人間になった金烏の露出した肌をそよそよと撫でる。鼻腔に充満する畳の香りが、実に心地好い。

 身体は重いが、起きた瞬間の金烏の気分は、悪くなかった。



「……俺は絶対に戻らねえぜ!」


 突如、顔のすぐ側で怒声がこだました。思わず金烏は目を見開いた。広く立派な格天井ごうてんじょうが、視界に飛び込んできた。

 見るとそこは、先程までいたはずの屋敷とは全く別格の、広さ五十畳ほどの荘厳な大広間の中であった。その大広間の真ん中で、金烏は大の字になっていた。

 側には男の姿が三人と、真横に白い女が一人座している姿が、金烏の目に順に映った。


「お。起きましたか。

 体の具合は、いかがですかな」


 横になっている金烏に向かって、蒼頡が爽やかに声を掛けた。

 この男は……。金烏は、気絶する直前の自身の記憶を辿った。 


「おい、蒼頡! 聞いてんのかっ」

 今しがた聞こえた怒声と全く同じ声が、広間の中で再び響いた。


「聞こえておりますよ」

 蒼頡が返した。


「金烏殿がお目覚めになりましたので、今一度、西王母様の御託宣を金烏殿にも聞いていただきましょうか」

 蒼頡がそう言った瞬間、金烏が目をカッと見開き、がばり、と勢いよく起き上がった。金烏が上半身を起こしたと同時に、胸元に載っていた『癒』と書かれた和紙が、畳の上にひらりと落ちた。黒くぼさぼさの髪を振り乱したまま、金烏は蒼頡の顔をじっと見つめた。蒼頡の瞳は、きらきらと大きく輝いていた。


「金烏殿。貴方様を人間の姿に変えたのは、西王母様でござります。

 西王母様は、貴方様が人間の姿から元の姿に戻るために、三つの条件を御提示になりました。

 一つは、私の式である陸吾を崑崙の丘に帰し、荒れた圓囿を再び統治させること。

 一つは、ここにいる私の式、狡を玉山の地に帰し、女仙の娘君である瑤姫の心を救うこと。

 そして最後の条件は、私自身が自ら華胥の国に行き、西王母様が四方位に布陣された四匹の聖獣の行方を探し出して、乱れつつある華胥の国の秩序を元の理想郷へと戻すことでござります」


 蒼頡の言葉を聞いた金烏の心臓が、どくり、と大きく跳ね上がった。


「これら三つ、全ての条件が成就されれば、金烏殿を人間の姿から元の神の姿に戻すと、西王母様はそう仰られました。貴方様は、故郷である扶桑樹に再び帰る事ができます」


 蒼頡がそう言うと、金烏が口を開いた。


「……無理だ」


 掠れた声であった。

 狡と与次郎、傍にいた式神の水仙が、金烏の顔を同時に見た。


「……華胥の国には、常人には行けぬ。決して、行けぬ……」


 金烏が、喉から絞り出すような声で呟いた。


「いえ。行きます。

 西王母様が私に行けと仰ったからには、私なら、行くことが可能だということです」

 蒼頡が、きっぱりと言った。


「金烏殿。私は今言った三つの条件を全て、必ず成就させてみせます。

 貴方様を元の姿に戻し、絶対に、扶桑樹へと帰してみせます」


 蒼頡の力強い言葉に、金烏は押し黙った。行けるわけが無い────信用できぬ。疑いの目を、蒼頡に向ける。人間は────信用できぬ。

 金烏が、蒼頡の双眸をじっと見つめた。


「おい、蒼頡! 俺は玉山になぞ戻らねえって言ってんだっ! 何回言やぁわかる! 何遍も言わすなっ」

 狡が吠えた。怒りで顔が真っ赤になっている。

 与次郎が困った表情で、狡と蒼頡を交互に見た。


「ああ、そうであった。狡────そなた、瑤姫を知っておるのか」

 蒼頡が問いかけた。途端に、狡の顔が曇った。


「……関係無えだろう」

 脅しを掛けるような、低い声であった。狡の機嫌が益々悪くなった。


「ふむ。まあ、取り敢えずこの三つの条件の中でまず最初にやるべきことは、華胥の国に行くことですな」

 蒼頡が爽やかに言った。


「しかし、一体どうやって……」

 与次郎が呟いた。


「何か方法があるだろう。華胥の国について、今一度調べてみる必要がありますね。

……と、その前に」

 蒼頡が、金烏に向き直った。


「金烏殿。貴方様に名をつけなくてはなりません」

 蒼頡が言った。 


「……名だと」

 金烏が、掠れた声で返した。


「はい。これからしばらくの間、人間として生きる貴方様に、名が必要です」

 蒼頡がはきはきとそう言うと、金烏は顔を顰めた。

「……名など……要らぬ。どうでもよいわ」

「では私がつけて差し上げましょう」


 蒼頡が、笑顔で言った。


「そうですね……。

よい』という名は、いかがですかな」

 

 蒼頡が問うと、金烏は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、

「……どうでもいい。好きにしろ」

と言った。


「では、金烏殿。今から貴方様の名は、『よい』でござります」

 蒼頡が、金烏に向かって言った。


「……あの、蒼頡様。何故、『宵』なのでござりますか」

 与次郎が蒼頡に向かって訊ねた。


「ふむ。なぜなら……」



 その時であった。



「よう」


 中庭の方から、耳慣れた声がした。


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