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蒼頡の言霊  作者: 逸見マオ
第8障
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第17話 慚愧


 蒼頡、与次郎、鴣鷲、陸吾の四人が同時に頭上を見上げると、黄色い大蛇が、宙に妖しく浮かんでいた。

 金烏の記憶の中にも全く同じ大蛇の姿がいたことを、与次郎達は思い起こした。

 

「……鯈䗤(じょうよう)殿……」


 与次郎が呟いた。

 にたにたと不気味な笑みを浮かべながら、大蛇は地上にいる蒼頡達を見下ろしていた。


「く、く、く────。

 ふうむ……やはり。気づいておられましたのですなあ……。

 流石さすがは────()()()()について、よく御存知で……」


 陸吾に向かって、大蛇が演技めいたわざとらしい口調で、そう言った。

 

糞爺くそじじいめ」


 宙に浮かぶ黄色い大蛇をぎろりと睨みつけると、陸吾が嫌悪感を剥き出しにして悪態をついた。

 糸のように両目を細めると、大蛇は陸吾の背中で気絶している金烏の姿を、じっと凝視した。


「いやいや。ほんに、稀に見ぬほどの好機であったことよ。まさか金烏が人間に成り変わる須臾しゅゆに立ち合えるとは。

 これほど胸が躍ったのは……何百年振りであろうか。

 いやはや。なんたる幸運!」


 興奮し、高らかにそう声を上げると、大蛇は薄気味悪く、ぐぁっ、ぐぁっ、と嗤った。

 与次郎の全身の皮膚が、ぞわりと粟立った。

 陸吾の表情がみるみる険しくなってゆき、その鋭い眼光が、黄色い大蛇の顔を射抜いた。


「────おい糞爺くそじじい()()()に伝えろ。

 “元に戻せ”と」


 陸吾が、低く響く怒気を含んだ声音で言った。

 

「あの女、とは」

 鯈䗤が聞き返した。

 その瞬間、陸吾の内側からみるみる怒りの渦が沸き起こり、全身の熱がじわじわと上がっていくのが、周囲にいる者達にはっきりとわかった。陸吾の周りに渦巻く空気が次第に張り詰めていくのを、与次郎はその時、肌でしっかりと感じ取っていた。


「とぼけてんじゃねえよ」

 

 陸吾がそう言い放った直後であった。


「……神の化身を人の姿に変える────。

 この世に存在する数多の現御神あきつみかみの内、果たして西王母様以外にいったいどのような高神が、このような御業なぞ……できるというのでござりましょうな」

 

 蒼頡が、静かに言った。

 与次郎と鯈䗤が、蒼頡の顔を同時に見た。


「西王母様……、な……なんと。そんな……。

 西王母様が、金烏殿を人間の姿に変えてしまわれたのでござりますかっ!」


 陸吾の顔をちらりと見やった後、与次郎が鯈䗤に向かって問うた。

 見ると大蛇の黄色い身体は陽に照らされ、ぎらぎらと反射していた。


「……く、く、く……。

 ああ、ああ。まさに。左様であるとも。言わずもがな────。

 そうじゃ。西王母様の御力によって、金烏殿は二度と、扶桑樹には戻れぬ身となったのじゃ。二度とこの地から故郷に向かって飛び立つことのできぬ身となったということじゃ。

 その命尽き果てるまで────“人間”として、地上に卑しく這いつくばり、人として汚辱にまみれながら短い生涯を経て、やがて死に逝く運命へと、成り下がったというわけじゃ」


 鯈䗤が、実に愉しそうな様子で言った。

 

「……扶桑樹に戻れぬ……ですと? 一体、何故なにゆえに。全くわかりませぬ。

 西王母様はいったいなぜ、金烏殿を……」


 与次郎が再び問いかけると、与次郎が皆まで言う前に、鯈䗤がすぐに口を開いた。


「く、く、く────。ああ、教えてやろう。西王母様が金烏殿を人間に変えた理由は、二つある。

 ひとつは、金烏殿が私欲のために西王母様への勤めを放棄し、この地に来たことじゃ。

 もうひとつは、くだらぬ情から“おん”の呪縛に囚われ、その呪縛を自力で解けなくなった結果、一人の人間を死に追いやったことじゃ」

 

「……死に追いやった?」

 与次郎が聞き返した。


「左様。半四郎が自害したのは、半四郎やつが死に至るよう、金烏殿が誘因したからであろうよ」


 鯈䗤がそう言った直後であった。 

 与次郎の目が、ぐ、と大きく見開き、場の空気が氷のようにきり、と張り詰められ、一変した。


「……半四郎殿が────、

……自害した、だと!」


 与次郎が叫んだ。

 陸吾が声を上げる。


「おい、ちょっと待て。聞き捨てならねえぜ。金烏の誘因だと? 糞爺。今確かに、そう言ったな?」


 陸吾の怒気が、じわじわと膨れ上がっていく。目を糸のように細めたまま、大蛇は陸吾を見つめ返した。

 陸吾が言葉を続けた。


「おいおい……。今の言葉……、もう一度言ってみなっ糞爺! 全くもって聞き捨てならねえ。てめえ、半四郎が自害したのは金烏こいつが仕向けたことだと、そう言いてえのか。金烏こいつが半四郎を殺したも同然だと……そう言いてえのか。────違うだろう! なんて都合の良い解釈をしやがる。

 そもそも、金烏こいつをこの国に誘導した奴ぁ、いったい誰だ? 金烏はこの国に来なけりゃあ、西王母へ飯を持って行って扶桑樹に帰る、ただそれだけで済むはずだったんだぜ。

 この国に来るよう金烏こいつに嘘をいてそそのかしたのは誰だ?

……おい。てめえだろう!」


 陸吾が怒りを露わにし、吐き捨てるようにそう言うと、大蛇が首を左右に振りながら、

「いやいや、何を仰るのです。違いますぞ陸吾殿」

と否定した。


「私は決して、唆してなぞおりませぬ。

 仙草欲しさに女仙への勤めを放棄したのは、金烏殿御自身が自らの意思で選んだことで御座りましょう。

 金烏殿は御自分の意思でこの国に来た。そうしてこの国で、一人の人間を殺した。

 全て、事実では御座りませぬか」


 大蛇がそう言って、陸吾と金烏を細い目で見つめた。


 鴣鷲が口を開く。


「いいえ、それは違います。

 金烏様は誰一人、殺してなどおりませぬ。

 確かに金烏様は、半四郎殿を殺そうとして襲い掛かってゆきました。

 しかし、その時与次郎様が身を挺してその最悪の結果を防ぎ、半四郎殿の命と金烏様のとが、両人の前途を守り抜きました。

 金烏様は、人間を殺してなどおりません。与次郎様がそうなる事態を未然に防ぎ、守ったのです。

 その直後、半四郎殿は自ら命を断ちました。それは金烏様が誘引したせいではなく、半四郎殿御自身の意思によるものです」


 冷静に、つきっぱりとした口調で、鴣鷲がそう言った。 


「────金烏が誰一人殺していない、じゃと?」


 大蛇が、ぞっとするほど低い声を出した。

 蒼頡が、大蛇の姿をぐ、と凝視した。


「く、く、く────。因果の法則を知らぬのか小娘。

 半四郎が自害したのは、怨の気によって暴走した神の化身の様々な怪異によって、都度沸き起こる慚愧ざんきの念に半四郎自身が堪えられなかったからであろうよ。

 何とも、憐れではないか。金烏殿がこの国に来なければ、半四郎にわざわざ斬られずに済んだのだ。粂吉に救われることも無かったのだ。

 己の欲に負け、身勝手に斬り殺したはずの大烏を抱えて竹馬の友が目の前に現れた時の衝撃といったら────さて。一体どれほどのことであっただろうよ。

 そうして自身の代わりに濡れ衣を着せられ、身重の嫁共々、旧知の友が処刑される姿を見た時の半四郎の心内こころうちといったら────……常人であれば、日々心穏やかでいられるはずがなかろうよ。

 粂吉という凡夫に恩義を感じ、金烏殿が身の程をわきまえずに同情した人間の怨の気を受け取ってしまったばかりに、半四郎はその神の化身の怪異によって、益々気が狂ったのじゃ。自刃じじんにまで追い込まれてしまうほどにな」


 大蛇が凄まじい剣幕で一息にそう述べると、陸吾が口を開いた。


「確かに、粂吉が半四郎やつに斬られた金烏こいつと出逢わなけりゃあ、今回のような事態は起こらなかったかもしれん。

 しかし因果の法則ってのは、そんな表面的な、薄っぺらいもんじゃねえ。もっと深いところにまで遡って突き詰めていかなきゃならねえ、面倒臭えもんだ。半四郎の生い立ち、親兄弟、生まれてくる以前の祖先がしてきた行為、その古い過去の歴史のほんのちいさく些細な出来事にまで遡って、そこから子々孫々に何百年と根深く影響をもたらしていく、実に厄介なもんだぜ。そもそも半四郎が人斬りにならなければ、こんなことは起こらなかったんだ。因果のことを言うってんなら、そんな根本的なところにまで遡らなきゃなんねえ。

 とにかく、金烏を唆してこの地に誘因したのはてめえだ。金烏が半四郎を殺したってんなら、鯈䗤。この国に金烏が来るきっかけとなったてめえこそが、半四郎を殺した張本ってことになるってもんだ。どうだ? 違うか? おい……答えてみな!」


 陸吾がそう叫んだと同時に、周りに渦巻く大気がごうっ、と振動した。


「ふん。全くもって、話の通じぬことよ」

 鯈䗤が、呆れたような口ぶりで呟いた。


 大蛇に向かって陸吾が今にも飛び掛かろうと軸足に力を入れた、その瞬間であった。

 蒼頡が、口を開いた。


「起きてしまった結果が、次の因果に通じていく。どんな結果になろうと、起きてしまった以上、その事実が変わることはありませぬ。過去にはもう、戻れませぬ。

 だからこそ、人はもがき苦しみながらも、無限に起こり得る因果の世の中で絶えず学び、少しずつ自身が幸せに近づく努力をし続けなくてはなりません。過去は変えられずとも、これから先に進むべき道は、正しい選択を選んでいくことによって必ず良き方向に変えられます。

 これから選ぶ道。わたくしは、金烏殿に元の姿に戻っていただき、故郷である扶桑樹に無事に帰っていただきたいと思うております。そのためには、西王母様の御力なくしては、この願いは決して、叶えられませぬ。

 鯈䗤殿。我々の前に現れたということは、西王母様から何かことづかっているのではござりませぬか。金烏殿を人間の姿から神の姿に戻し、扶桑樹に帰すすべについて……西王母様が、私達に何かお伝えしたき事があるのではござりませぬか」


 蒼頡の問いに、それまで糸のようだった鯈䗤の両目が、ぐぐ、と大きく見開いた。


「く、く、く────。く、が、が、がっ────!

 何もかも、お見通しのようでござりますなあ……」


 にんまりと笑みを浮かべ、鯈䗤が言った。


「いかにも。西王母様から、ことづけを頼まれておる。お伝えしましょうぞ。よくお聴きくだされ。

 西王母様は、こう仰っていた。


『金烏を元の姿に戻したければ、三つの条件がある』と」

 

 大蛇を見つめていた蒼頡の瞳が、ぎらりと大きく輝いた。



「……三つの条件?」


 陸吾が、顔を顰めて聞き返した。





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