第13話 讐
役人に捕まった翌日、市中を引きずり回され目も当てられぬほどの拷問を受けた粂吉は、その日の夜に、役人によって三畳程の狭い牢屋の中に閉じ込められた。
顔は紫色に腫れ上がり、首は折れ曲がるかというほど地面に向かってがっくりと項垂れ、意識は朦朧としていた。
全身の痛みとともに、未だに信じることのできない昨日の現実が、粂吉の脳裏にまざまざと蘇っていく。
夕べ酒を酌み交わした時の半四郎の嬉しそうな表情を思い起こした後、暗闇の中に刀を持って佇む同じ人物の恐ろしい鬼のような姿を、粂吉は込み上げる吐き気と同時に思い返した。
(────……どうして……)
ぐるぐると記憶が交差する。頭がふらふらと揺れ、眩暈がする。
幼い頃の半四郎の姿が、瞼の裏に現れる。
いつだったか。まだ自分より背の低かった半四郎が、どこかから長い棒切れを拾ってきて、粂吉の前で夢中になって振り回していたことがあった。あの頃の楽しそうな姿が、眩暈とともに記憶に蘇る。
直後、脳裏に嫁の顔が過ぎった。
「────……」
胸がぎりぎりと締め付けられる。腫れ上がっている目頭が熱くなった。
粂吉のいる狭い牢の中に、小窓がある。北側の壁の高い位置に穴が開けてあり、木の格子がはめ込まれている。
その木格子の隙間から、消え入りそうなほどの細い月と満点の星々が、暗く冷たい牢の中を、僅かに照らし出していた。
すると、小窓から漏れる夜の光が消え、ほんの一瞬だけ闇になった。
粂吉はそれに気が付かなかった。
“────ばさりっ”
外から大きな羽の音がした。
粂吉の身体が、ぴくりと動いた。
「────……があっ────!」
微かな鳴き声が聞こえた。
腫れ上がった顔をゆっくりと上げると、小窓の木格子の隙間から、粂吉の目の前に、黒く大きな羽根がひらり、と落ちてきた。
「……あ……」
粂吉が、腫れ上がった瞼から覗く瞳を、きらりと輝かせた。
骨が折れてしまっている腕を毛虫のようにずるりと這いずらせると、粂吉は目の前に落ちた黒く大きな羽根を、震える指先で、そっと摘まんだ。
「……」
摘まんだ羽根をしばらく見つめた後、粂吉の目から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。
「────……っう、ううっ……────」
止め処なく流れる涙を拭う力は、粂吉にはもうほとんど残っていない。
(────っ……。そうか……。烏は────)
助けた烏に深傷を負わせた犯人が誰であったのかを、粂吉はここで悟った。
「────……おお……っ!
……うおおお……っ!」
粂吉の慟哭が、夜の牢獄に虚しく谺した。
────長い夜が明け、牢門が開く。
役人によって、粂吉は牢の中から無理矢理引きずり出された。
いくら無実だと言い張ったところで、役人どもは粂吉の言い分に全く聞く耳を持たなかった。粂吉を辻斬りの真の犯人だと決めつけ、拷問を繰り返した。粂吉を辻斬りの張本とすることで、騒動が起こっていた付近の住人たちを安心させるのと同時に、辻斬りを捕らえたのは自分たちの手柄だと主張し、得意気になっていた。粂吉は絶望した。
そうして粂吉は三日三晩、役人たちから拷問を受け続けた。
────五日後の朝。
役人によって、遂に粂吉は処刑場へと、引きずり出されて行った。
処刑場に着くと、自分の目を疑った。粂吉は、信じられないものを見た。
上半身を固く縛られた状態の嫁が、処刑場の真ん中の位置で両膝を付いていた。着物はぼろぼろで、顔は腫れている。横に、役人が刀を持って立っていた。
粂吉の全身から、血の気が引いた。
嫁の横に乱暴に投げ出され、地面に無理矢理膝を付かせられた粂吉は、肩を震わせている嫁の姿を、震えながら凝視した。
処刑場の周りに、見物人がわらわらと集まってきていた。
粂吉はなりふり構わず、大音声で絶叫した。
「おれじゃねえ……信じてくれ……! おれは殺してねえ……!
おれは……やってねえ……!
────おれじゃねえんだ……ッ!」
拷問され痛ましいほど腫れ上がった顔と傷だらけの身体で、粂吉が震えながら、ひたすらに叫び続けていた。
「たのむ……嫁だけは助けてやってくれ……。腹ん中に子がいる……。たのむ」
腫れあがった瞼で、粂吉は役人に訴えた。しかしその望みは一欠片も叶わないことを、粂吉は痛いほどその身に感じていた。ここで、死ぬ。無実である自分と、何の罪も無い、愛しい家族達が。
────絶望しか無かった。
粂吉は、集まっている聴衆を一瞥した。
瞳孔が開く。
────半四郎と、目が合った。
それは一瞬であった。
粂吉は、嫁とともに、斬首された。
見るに堪えない、痛ましく悍ましい、悲惨な処刑内容であった。
首はしばらくの間、晒しものとなった。
それは、粂吉と嫁の首が晒されてから、三日後の夜のことであった。
夜空には暗雲が立ち込めており、美しい十日月が、その怪しげな雲の隙間から見え隠れしていた。
“────……ばさりっ……────”
大きく不気味な羽の音が、静かな夜の空気を裂く。
蛆が湧き始めている粂吉の頭頂部に、一羽の巨大な烏が、静かに、厳かに降り立った。
足が三本ある。金色に光る、巨大な烏である。
粂吉の生首から、黒く邪悪な“怨”の気が、じわじわと漏れ出ていた。
その黒い靄が、美しく巨大な三足烏を、みるみる包み込んでいく。
やがて烏の全身が、黒く厚い靄で見えなくなった。
“────ばさりっ”
烏が突如天に向かって真っ直ぐに、黒い靄から勢いよく飛び出した。
粂吉の生首から飛び立った烏の全身は、気づけば闇夜の如く、深い漆黒の色に移り変わっている。
「────があああああああああああああッ!」
“怨”の気に包まれた神の化身が、闇に浮かぶ不穏な雲に隠れた月に向かって、烈火の如く、咆哮した。




