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蒼頡の言霊  作者: 逸見マオ
第8障
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第8話 辻斬り


 奉公人が鼠の死骸を発見してから僅か二日の間に、斬られている鼠や野良猫の死骸が屋敷の近辺で次々と発見されるようになった。

 屋敷の者たちや付近の住人たちに不安の色が拡がってゆく中、ついに人々が恐れていた事態が起こった。

 屋敷近くの草の茂みの中から、隣の村の若い女の遺体が、痛ましい姿となって発見されたのである。

 女は肩から胸、腰にかけて、身を斜めに深々と斬りつけられていた。心臓に達するほどの、深く鋭い傷であった。

 役人が駆け付け、周囲の住民たちに一気に緊張が走るようになった。



────辻斬りが出たのだ。


 鼠や猫は、同じ人物に試し斬りされていたに違いない。



 そんな噂が一斉に周囲に広まり、付近に住む住人達は外出するのを恐れた。屋敷の奉公人らも同様であった。

 辻斬りの噂が広まってゆく中、一人の使者が屋敷にやってきた。帰ってくるはずであった屋敷の主が噂を聞き、辻斬りが捕まるまでは、危険を避けるためしばらくこちらには戻らないという報せを、小助が受けた。



 辻斬りの話が出るたび、おむらの頭の中に、円蔵と半四郎の顔がちらついた。

 もしやあの二人のどちらかが、他の者が気づかぬうちに刀を持ってこっそりと屋敷を抜け出し、鼠や猫を斬り、ついに村人までもあやめてしまったのではないかと考えた。


 斬られた女の遺体が屋敷近くで見つかってから、六日後。

 またしても、屋敷近くの田んぼのあぜで旅の男が倒れているのが発見された。男は喉元をぱっくりと斬られ、絶命していた。

 付近の者たちがいよいよ落ち着かなくなってきた、そのさらに八日後。事件は、急展開をみせた。


 辻斬りが、現行犯で役人に捕まったのである。


 時刻は、夕闇が過ぎ去った宵の、星が輝き始めた頃合であった。

 場所は、殺された女の遺体が初めて発見されたのと同じ現場である。



 屋敷近くにある草の茂みの中から、村の若い女の叫び声がこだました。

 周囲を警備にあたっていた役人たちが声のした方へ駆けつけると、女の遺体と血塗ちまみれになった刀とともに、一人の男が、その場に座していた。


 そこにいたのは、屋敷の南東にある小村で百姓をしている、粂吉くめきちという男であった。


 粂吉は半四郎と同郷であり、竹馬の友であった。

 そのため半四郎が奉公している屋敷にたまに訪れ、互いの近況をよく語っている姿を、他の奉公人たちがしばしば見かけていた。

 粂吉は人知れず屋敷に入り込むと、円蔵の刀を盗み出し、その刀で犯行を繰り返していたのであった。


 粂吉は無罪を訴えたが叶わず、嫁いできたばかりであった嫁とともに死罪となり、役人に捕まってから五日後、首を斬られた。


 死刑執行の当日、屋敷の者や村人たちが見物に訪れた。

 円蔵や半四郎、九重郎、小助やおむらも、処刑現場を見に行っていた。


 役人は粂吉と嫁の首を斬る直前、右手に持つ刀を高々と掲げ、


「見よ! これが粂吉こやつが罪も無い女や旅人を斬り殺した刀である!

 今からこいつで、この極悪非道な罪人の首を斬って晒す!」

と、見物人達に向かって声を上げた。


 その刀を見た瞬間、おむらは思わず目をぐんと見開き、役人の持っている刀を凝視した。直後、心臓が口から飛び出るかと思うほどばくんと跳ね上がり、思わずその口を細い手で抑えた。


 間違いない。役人が掲げたその刀は、円蔵が不要になったといって半四郎に譲っていたあの本差と、全く同じものであった。


 おむらの胸に、強烈な違和感が走った。



「おれじゃねえ……信じてくれ……! おれは殺してねえ……!

 おれは……やってねえ……!

────おれじゃねえんだ……ッ!」


 拷問され痛ましいほど腫れ上がった顔と傷だらけの身体で、粂吉くめきちが震えながら、ひたすらにそう叫び続けていた。



「たのむ……こいつだけは助けてやってくれ……。腹ん中に子がいる……。たのむ」



 腫れあがった瞼で役人に訴えたが、粂吉のその望みは叶わなかった。粂吉は集まっている聴衆を一瞥し、最期は嫁とともに、斬首された。

 見るに堪えない、痛ましくおぞましい、悲惨な処刑内容であった。

 首はしばらくの間、晒しものとなった。



 処刑が終わってから、おむらは心の中でもやもやと渦巻く違和感を拭い切れないでいた。



(間違いない。……あの刀は……円蔵様が半四郎様に渡していた本差だったわ……)



 それからしばらくの間、半四郎の様子がどうもおかしいことに、おむらは気づいていた。屋敷内で、半四郎はおむらとも他の者とも一切、目を合わせなくなった。その目は泳ぎ態度は落ち着かず、顔は青白く痩せ、次第に生気が無くなっているようであった。


(やはりおかしいわ……)


 おむらが半四郎に対してそう感じるようになった三日後の夜────昨晩のことである。

 おむらはそのもやもやとした胸の内を、小助に打ち明けようとした。

 しかし話は中途半端に終わってしまった。


 小助に打ち明けることは叶わぬまま、円蔵の部屋で、くだんの怪異が起こったのである。









◆◆◆








 事が終わり円蔵が完全に気を緩めた時、おむらは裸で一目散に納屋の入口へと駆け出し、入口に立っていた半四郎の脇から器用にすぱんッと、外へ飛び出した。


 不意を突かれた円蔵と半四郎は驚き、途端に焦った。


 おむらは、口にある手ぬぐいを縛られている両手でぐんっとはずすと、裏庭に通ずる屋敷の勝手口に向かって、わき目も振らず一直線に走っていった。


 

 直後、鋭い激痛がおむらの背中に走った。骨肉を引き裂かれる、凄まじい痛みである。甲高く悲痛な叫び声が、庭中に響き渡った。


 おむらはその場に力無く倒れ、涙を流したまま即死し、絶命した。


 倒れたおむらの後ろに、半四郎が立っていた。

 半四郎はおむらの背に刀を振り下ろし、その刃に、おむらの鮮血をべっとりと染み込ませていた。


 ふう、ふう、と、息を荒げる半四郎の瞳孔は開いている。

 どくどくと鳴り止まぬ鼓動が、耳の奥で響く。

 人を斬るという、なんとも言えぬ高揚感と背徳感────。

 半四郎は酔い痴れていた。


 円蔵が、

「おい、誰か来るかもしれねえじゃねえか! ずらかるぞ半四郎!」

と、小声で叫んだ。



 しかし半四郎の耳に、円蔵の声は届いていない。

 


(ああ……。

 もっと────斬りたい────)

 



 血塗ちまみれの刀を持つその手が、全身が、喜び打ち震えている。

 半四郎は刀を持つことで強大な力を持った感覚に陥り、愚かなことに、人を斬り殺す力を持つ自分自身に、恍惚と酔い痴れているのである。


 円蔵が、

「半四郎ッ!」

と再び声を上げた。






────────その時であった。




 





“────ばさりっ────”









 空から、羽の音がした。





 直後。







“────────かあああああああああああああああッ‼────────”







 耳が壊れるほどの大音声だいおんじょうであった。

 円蔵と半四郎の耳元に、割れんばかりのからすの鳴き声が突如(こだま)した。


 心臓が爆発するかというほど二人は驚き、半四郎は持っていた刀を思わず手から離した。


 

 すると、金色に光る三本足の大きな烏が、円蔵と半四郎の頭上に姿を現した。

 

 倒れているおむらの背の上にゆっくりと降りると、金烏きんうは半四郎を凝視した。



 烏と目が合った瞬間、半四郎はわなわなと激しく震え出した。


「────お……おまえは……!」

 半四郎が、烏に向かって叫んだ。



 金烏が再び、つんざくほどのおぞましい鳴き声を上げた。


 同時に、口から血塗ちまみれになった一本の刀を、その悍ましい鳴き声とともに、ゆっくりと吐き出したのである。


 吐き出された刀は、“がらんっ”と重厚な音を立て、地面に落ちた。



 円蔵と半四郎は、言葉を失った。




 金烏が吐き出したその血塗ちまみれの刀は、粂吉くめきちが斬首された時に使われた、円蔵が半四郎に譲ったはずの、あの本差であった。






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