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蒼頡の言霊  作者: 逸見マオ
第8障
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第2話 黒屋敷


 蒼頡、与次郎、鴣鷲の三人は、朝餉を済ませ身支度を終えた後、山奥の屋敷を飛び出し、あやかしが出るという、江戸郊外にある下屋敷へと向かった。

 蒼頡が、白狐の姿に変化した与次郎の背に跨り、鴣鷲は与次郎の後に付いて、空中を低く飛び進んでいた。

 出発の直前まで「俺も行く」と言い張りごねていた陸吾であったが、

「必要になれば呼ぶから、おぬしはここで待機していろ」

と蒼頡に説き伏せられ、渋々、屋敷に居残ることとなった。


 与次郎がいつものように凄まじい速度で山中を駆けていると、蒼頡が、

「────からすが出たそうだ」

と、与次郎と鴣鷲に向かって言った。


「……烏でござりますか」

 与次郎が聞き返した。


「うむ。

 三日前の晩、屋敷に現れたそうだ。

 からすが現れた直後から、屋敷の周りで次々と異変が起こり始めるようになったらしい」

 蒼頡が言った。


「……いったい、どのようなことが起こったのでござりますか」

 与次郎が訊ねた。


「それが烏が出たこと以外、屋敷の中の事がいっさいわからぬのだ。

 明らかに、様子がおかしい。

 これはおそらく……いや、確実に、もののけの仕業であることには違いない。

 今からその屋敷を訪ねに行き、現地で詳しい者と会って、色々と話を聞くとしよう」

 蒼頡がそう言って、瞳をきらりと光らせた。


「……烏……」

 鴣鷲が真剣な表情で、ぽつりとそう呟いた。




◆◆◆




 道中特に変わった出来事も無く、与次郎達は、異変が起きている江戸郊外の下屋敷へと、徐々に近づいていった。

 与次郎は、背中に蒼頡を乗せたまま順調に野山を駆け進み、鴣鷲も遅れることなく、与次郎の後ろにしっかりとついてゆきながら、空中を飛び進んでいた。

 そうしてもう間もなく、くだんの屋敷に到着する頃合になった。


 屋敷に着く直前、突如、

 "────ごうっ!"

と、嫌な風が、三人の身体を吹き抜けた。

 与次郎、鴣鷲、蒼頡が、その不穏な気を一瞬にして、同時に感じ取った。

 

 やがて、いよいよ目的地の付近まで辿り着いた三人は、その屋敷が目に入った途端、ぴり……と全神経を集中させ、警戒した。


「……なんだあれは」

 与次郎が、思わず声を上げた。

 異様な光景が、目に飛び込んできた。



────黒の大群であった。

 道、門前、木々、塀、屋根、空など、屋敷の周囲に、何百羽もの烏の大群が、あちこちに蔓延はびこっていた。

 かー、かー、がぁー、と、屋敷の周りの至る所で、烏の鳴き声が途切れることなく、響き渡っている。

 遠くから見ると、屋敷の外観は黒壁に黒色屋根の造りであるように見えたが、その黒い色は全て、烏の群であった。


 与次郎は蒼頡を背から降ろし、しゅるしゅると、人間の姿に戻った。

 屋敷の前まで徒歩で進み、烏を刺激しないよう、三人がゆっくりと門前まで近づいてゆくと、門前の周囲にいた烏たちがすぐさま反応し、

「かぁー! がぁー!」

と、与次郎たちを威嚇しだした。


 その時、何匹かの烏が翼を広げ、三人をめがけて空から勢いよく、

"────があっ!!"

と襲い掛かってきた。

 黒く太いくちばしが、蒼頡の目を狙って、一直線に向かってきた。

 すると、鴣鷲が垂衣をぐるんと靡かせ、空中にふわりと浮き上がった。

 直後、襲い掛かってきた烏たちに向かって、

"────ごうっ!"

と突風を巻き起こし、刺すような爆風を、襲い来る烏の群れに浴びせた。

 襲い掛かろうとしてきた烏たちはあっという間に吹き飛ばされ、ひるんで動きを止めた。


 鴣鷲が烏の動きを止めてくれたその隙に、蒼頡はすかさず門戸を“どんっ、どんっ”と力強く叩き、

「もし! 噂をお聞きしてやって参りました、江戸の陰陽師でござります! 門を開けていただけませぬか!」

と、中の者を呼んだ。

 ところが、門番が出てこない。

 与次郎が、“どんっ!”と門に体当たりしたが、門はびくとも動かなかった。

 鴣鷲は、烏の群が怯んでいる隙にひらりと優雅に空を飛び、塀の上から門の内へ、ふわりと回り込んだ。そうして、内側の重たいかんぬきを下から上に押し上げ、"がこんっ!"と外した。

 ぎいい……と軋音あつおんを立て、門が開いた。

 蒼頡と与次郎は、その隙間から滑り込むように、門の中へと駆け込んだ。

 その時、蒼頡と与次郎の顔を目がけて、十羽以上の別の烏の群が、またしても襲い掛かってきた。

 烏が飛び込んでくる寸前、与次郎が素早く門戸を閉め、蒼頡が、鴣鷲が外してくれた閂を、上から下に“がこんっ!”と下ろした。


 門戸に、

“────ばんっ!“

”────だんっ!────どんッ!"

と、烏が次々にぶつかる音が響いた。


"────────ごうっ!"

 鴣鷲が、門の上で白い羽根を舞い散らしながら、襲い来る烏たちに向かって再び爆風を巻き起こした。

 鴣鷲の風によって何十羽もの烏が吹き飛ばされると、蒼頡と与次郎は屋敷の玄関まで急いで駆けてゆき、“どんどんどんっ”と、戸を三回叩いた。


「誰かおりませぬか! 中に入れていただけませぬか!」

 蒼頡が声を上げた。


 そう叫んで中の音を聞き、蒼頡がもう一度戸を叩こうとしかけた、その時。


 錠を外す音ががちゃがちゃと鳴り、玄関の戸が、

"────ばんっ"

と、勢いよく開いた。


 開いた扉の向こうに、三人の男が立っていた。

 槍を持った男が一人、奥に木刀を持った男が一人、貧相な()()の男が一人、身構えながら立っている。

 屋敷の奉公人の男たちであった。


「────早く中へ!」

 扉のすぐ手前にいた、槍を持った男が、蒼頡に向かって叫んだ。

 蒼頡、与次郎、鴣鷲は、言われるがまま、急いで玄関の土間の中へと滑り込んだ。

 槍の男が素早く扉を閉め、錠をかけると、“────どんっ!”と烏が扉にぶつかる音とともに、

「かぁー! がぁー!」

と恨めしそうに鳴く声が、外で響いた。

 蒼頡達は、屋敷の奉公人の男たちによって、無事屋敷の中に入ることができたのであった────。




◆◆◆




 外に蔓延はびこっている大量の烏の群の騒がしさとは打って変わり、屋敷内は昼間でも薄暗く、不気味なほど、しん……と静まり返っていた。


 与次郎は一呼吸置くと、屋敷の中では烏の襲撃が無い様子であることを肌で感じ、ひとまず、ほっと胸を撫で下ろした。

 蒼頡も、ふう……と息をつき、ゆっくりと呼吸を整えた。


……が、すぐに、蒼頡が異変に気付いた。

 屋敷の奥に潜む、血肉を切り裂いてくるような強烈な“おん”の気を、蒼頡は瞬時にその身に、感じ取った。

 与次郎と鴣鷲も、同時にぴくりと神経を集中させ、屋敷の奥の方からくる禍々しい"おん"の気の端切れを、肌でびりびりと感じ取っていた。


 蒼頡の顔つきがみるみる変化し、いつになく、険しい表情になった。

 屋敷内は、先程三人が外で感じていたものとは桁違いの、黒く不快な殺意の靄の渦が、充満していた。


(────中の方が危険だ)

 蒼頡が心の中で、ぽつりと呟いた。

 


「────大丈夫か。怪我は」

 槍を持った男が、落ち着いた頃合を見計らって、蒼頡と鴣鷲に声を掛けた。

 木刀を持った男と貧相な恰好をした平民の男が、槍の男の背中から、蒼頡と鴣鷲の様子を覗き込んでいる。与次郎の姿は、三人の男たちには見えていなかった。


 槍の男と木刀を持つ男は、その姿から、この屋敷に雇われている中間ちゅうげんであると、蒼頡は思った。もう一人の貧相ななりの男は、同じくこの屋敷の使用人で雑用係の、小者こものであろうと思われた。

 


「────ええ、大丈夫です。助けていただき、かたじけのうござります」

 蒼頡が、笑顔で答えた。


「あんたたちは、いったい……」

 握り締めている木刀をさらに強く"ぎゅっ"と握り直した後ろの男が、青ざめた顔で、蒼頡に問うた。


 蒼頡はすー……と一呼吸置くと、穏やかな口調で、

「わたくしは、江戸の陰陽師でござります。

 風の噂で、こちらの屋敷に怪異が出るというのをお聞きいたしましたので、原因を探るために、江戸からやってまいったのでござります。

 こちらの市女笠の者は、わたくしの式でございます」

と、最後に鴣鷲を見やりながら、そう言った。


 すると、

「────……なんと……!

 それはまことでござりますか!?」

と、突如、奥から女の声がした。


 見ると、土間の奥に、女が二人、立っていた。

 一人は初老で、黒髪に白が入り交じっている。

 もう一人は、一見すると齢が十五、六ほどの、若い女中であった。


「……もしやあの……江戸で評判の、名のある陰陽師様ではござりませぬか⁉」

 若い女中が、蒼頡に向かって言った。

 女中の言葉に、その場の空気が一変した。

 小者の男が目を見開いて蒼頡を凝視し、

「……なに⁉ まことでござりまするか!」

と、声を上げた。


 蒼頡は少し間を置くと、

「……ふむ。

 正直、そのような噂には興味がござりませんので……。

 今はとりあえず、外にいる烏の大群と、この屋敷に起こった怪異について、詳しくお聞かせいただきたいと存じますな」

と、目の前にいる五人に向かって言った。


 その時。


「……皆そんなところで、何を固まっているのだ」

 奥からまた、声がした。


 見ると、今度は腰に刀を二本差している、一人の男が立っていた。

 小袖袴の上に羽織を着用し、顔を見るとまだ若く、見るからに若党わかとうであった。


円蔵えんぞう様。

 この屋敷の噂を聞きつけて、陰陽師様が来てくださいました」

 木刀を持った男が、いかにも若党らしき男に向かって言った。


「外の烏のことと、屋敷の怪異について、詳しくお聞きになりたいとのことでございますが」

 続けて槍を持った男が、円蔵に向かって言った。

 

 蒼頡は、円蔵と呼ばれている男の顔を、じっ、と見つめた。


 円蔵という名の若党は、蒼頡と鴣鷲の姿をちらりと一瞥すると、

「……陰陽師……。ふん。

 まあとにかく、そんなところでは話になりませぬ。

 中にお上がりくだされ」

と言って、屋敷の奥の間へと、蒼頡達をいざなったのであった。



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