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蒼頡の言霊  作者: 逸見マオ
第7障
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第2話 追憶


 凍える程寒い、冬の夜であった。


 空から、白い雪がとめどなく舞い落ちてくる。


 冷たい夜闇が、雪の中に妖しく溶け込んでいた。



 静寂なその夜の町に舞い散る雪の中を、一匹の巨大な影が、のそり、のそり、と歩いている。

 顔は赤く、頭に猫のような小さい耳が生えている。

 その表情はどことなくひょうきんで、黒々とした大きな丸い瞳は、身体に似合わず愛嬌がある。


 

 それは、体長が十尺以上もある、巨大な白猿の姿であった。


 

 白猿は、自身の身体とほぼ同じ大きさの革袋を右手に持ち、右肩に掛けていた。


 革袋の中身が、歩く度に、


“がこんっ”

“かんっ”

“ぼちゃんっ”


と、背中で音を立てた。

 中身は全て、酒瓶である。

 巨大な革袋の中に、酒の入った瓶子が何十本も大量に詰め込まれ、白猿が一歩進む毎に瓶子同士が軽くぶつかり合い、音を立てていた。

 酒の量はおよそ、一石いっこくである。


 人一人の力では到底持ち歩くことができないが、巨大な白猿は、その一石分の酒が入った革袋を、片手で軽々と持ち運んでいた。

 白猿は満足そうに笑みを浮かべながら、中の瓶子が割れてしまわないよう、ゆっくりと、慎重に歩を進めていた。


 人っ子一人いない雪の夜道をしばらく歩いてゆくと、やがて白猿は、目的地に辿り着いた。


 そこは、請酒屋うけざかやであった。

 

 白猿は、酒屋の周りの様子をちらちらと軽く窺った後、店の裏側に回った。

 音をなるべく出さないよう、店の東側の隙間を抜けて慎重に裏へ回り込むと、そこに、大きな蔵があった。

 白猿は、高鳴る胸の鼓動を抑えながら、ゆっくりとその蔵に近づいた。


 蔵の戸には、蝦錠えびじょうでしっかりと鍵が掛けられていた。


 白猿は、持っていた巨大な革袋を、中身の瓶子が割れないよう、地面にそっと置いた。

 そして、鋭く伸びた親指と人差し指の爪を小さな鍵穴の中にするりと入れ、かちゃかちゃと、錠を開け始めた。

 奥にある中のバネを二本の長い爪で器用につまみ、慣れた手つきで、すぅー……と、さらに奥へと押し出すと、あっという間に、カチャリ、と、鍵が解かれる音がした。

 白猿は辺りを警戒しながら、ゆっくりと静かに、扉を開けた。

 中に誰もいないことを確認すると、そこでしゅるしゅると身体を変化させ、人間の姿になった。

 巨大な白猿の姿から小さくなり、人の姿となって、幽鴳は、蔵の中へと入っていった。


 蔵に入った途端、幽鴳は拍子抜けした。


 酒の匂いはするが、蔵の中には、酒の入った酒樽や瓶子が無かったからである。


 木棚が幾つか並び、上に瓢箪ひょうたんや竹筒、器があったが、中身は全て空であった。

 他にはくわほうき、傘や藁沓わらぐつが、ぽつりぽつりと置いてあるだけである。


 幽鴳は鼻をひくひくと動かし、酒の匂いを辿った。

 蔵の奥に進むと、一番奥の隅に藁が積まれてあり、その藁の中から、酒の匂いがした。

 酒があるのかと藁の中に腕を突っ込んでみたが、何も無い。

 全ての藁をどかすと、地面の土がほんの少し、山になっていた。


 それを見た瞬間、幽鴳はすぐさま近くに置いてあったくわを引っ掴み、床の土をザクザクと掘り起こした。


 すると土の中から、酒が入った瓶子が、ごろごろと幾つも姿を現した。

 万が一蔵の中に盗っ人が入ってきても簡単には見つからないよう、酒屋の主人が地面の中に隠していたようであった。


 幽鴳はその一つを手に取り、瞳をぎらぎらと輝かせた。


「……この匂い……。

 間違いねえ。こりゃあ……。

 伊丹いたみ諸白もろはくじゃねえか……!!」


 幽鴳は、心臓が飛び上がるかというほど激しく高揚し、そう呟いた。



────伊丹諸白いたみもろはく

 濁り酒(どぶろく)が主流だった時代、美しく澄み切った清酒が初めて造られた地が、上方を代表する酒造地のひとつ・伊丹である。

 その伊丹の地で製造された、麹米と清酒用の仕込み米の両方に貴重な精白米を使用した最上酒のことを、伊丹いたみ諸白もろはくという。



「……まさか……江戸でこいつが手に入るとはなあ……!」


 幽鴳は喜びを隠し切れない様子でそう言うと、にんまりと嬉しそうな笑みを浮かべた。



 その時である。


 背中でめら、と、何かが燃えるような音がした。


 すぐさま後ろを振り向くと、蔵の外に、火が見えた。



 幽鴳はまたしても、心臓がどくん、と、大きく跳ねた。


(────まずい。人か)


 諸白もろはくが入った瓶子を握り締め、幽鴳は咄嗟にその場で身構えた。


「……む……?」

 すぐに、別の異変に気づいた。


 火の明かりが、通常の松明よりもかなり大きい。


 その炎は、青かった。



 雪が舞い散る戸の外を、目を凝らしながらじっ、と見ていると、やがてその青い炎が、蔵に近づいてきた。


 直後、幽鴳はぎょっとした。



 蔵の外に、青い炎を纏った髪の無い男の生首が、ぼうっと宙に浮かび、現れたのである。


 炎を纏った生首は、幽鴳と目が合うと、にたり、と、不気味な笑みを浮かべた。


「……なんだてめえは!?」

 幽鴳が思わず声を上げた。


 すると、


“────……ごおおおおおおおっ”


という激しい音とともに、蔵全体が青い炎に包まれ、

突如一気に燃え始めた。


「あ゛!? なんだあ!?」


 幽鴳が叫んだ直後、炎を纏った生首が、外に置いてあった革袋を、目で捉えた。


 生首の男は飛びつくようにして革袋に覆いかぶさると、中に入っていた瓶子を一瓶、自身の長い舌を使って器用に抜き出し、歯で栓を抜き、舌に巻き付けている瓶子の中身を、その場で美味うまそうにぐびぐびと飲み始めた。



 幽鴳は目を見開き、


「あ゛あーーーー!! 俺の酒を……てめえ!!」


と、大声で叫んだ。


 幽鴳が地面をぐんっ、と蹴り上げ戸の方へ駆け出すと、男の顔はすー、と霧のように消え去り、男が飲み干した空の瓶子だけが、ごとり、と地面に落ちた。


 幽鴳が蔵の戸から素早く顔を出し、消えた男の生首を探し出そうと辺りを見渡した、その時。



「火事だあーー!! 火事だぞーー!!」

と、慌てて叫ぶ人の声が、遠くの方から聞こえてきた。


 幽鴳は“はっ”と我に返り、持っていた諸白の入った瓶子を、急いで革袋に突っ込んだ。

 そうして革袋の口の端を引っつかみ、麻紐でぐるぐると袋の口を素早く縛ると、その革袋を頭より高い位置に両手で持ち上げ、炎が広がっていく蔵の中から、矢のように飛び出した。


 ごうごうと蔵を焼き尽くす凄まじい音が鳴り響く中、火事場に集まりつつある民衆に見つからないよう、幽鴳は蔵の北側にある塀と家の隙間の細い通路に回り込み、両手に掲げる酒を落とさないよう気をつけながら、雪がしんしんと入り込んでくるその隙間を、ずんずんと突き進んで行った。


 やがてその細い通路を抜け出し、幽鴳は広い通りにようやく出ることができた。


 周りに人がいないことを確認すると、ふう、と落ち着きを取り戻し、酒の入った革袋を頭上に掲げながら、そのまま遠くへずらかろうとした。



────その時であった。



 突如、一人の男が、闇夜の雪の中で幽鴳の目の前に音もなく立ちはだかり、その行く手を塞いだ。


 初めは暗闇で顔がよく見えなかったが、蔵を燃やす火の勢いが増し、幽鴳の背中で突如、ごう、と青い炎が急激に燃え上がった、その瞬間────。


 炎に照らされたその男の姿を、幽鴳ははっきりと、そので捉えた。


 頭の天辺から足の先まで、全身がぞくりと粟立つのを、幽鴳はその身に感じ取った。



 男は、五頭の牛を引き連れていた。



 目の前に立っていたのは、風折烏帽子を頭に被り、雪のように真っ白い狩衣を着た、瞳の大きな、一人の若い男であった。


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