240話 催眠の力
「――ったく」
「おっ? 助けないんだぁ? 切り替えはっやぁ〜」
地面から反り立つ蟲の腹。
ミヤコの姿は見えないが――
「かまってられるか」
そもそも、何を呆けていたか知らないが、こんな蟲にやられるようなタマじゃない。
今俺が駆け寄ったところで、あちらからしても余計なお世話だろう。
「冷た〜い」
軽薄な調子を崩さない女の横を走り抜け、散り散りに逃げた獣人種たちの気配を追う。
「お前の相手をする気もない」
「ツレないねぇ。でも――」
女が言葉を区切ると。
「――!」
「邪魔は困るんだよね」
気がつけば、声が耳元から発せられる距離に迫られていた。
(いや、こいつがこっちに接近したわけじゃない――)
この感覚。
「流石にわかってきたぁ?」
こちらを挑発、またはイタズラでも告白するような気軽さで舌を出し。
「この状況で、ボクがいてぇ。そんな思いどおりになると思う?」
「!」
次の瞬間には、おそらく後方。
コンマ何秒か前にいた場所から数メートル離れた後方の宙を落ちていた。
すかさず、下方の地中から攻撃の気配。
「付き合ってよぉ。時間稼ぎ♡」
土を破り、クチバシのような蟲の顎が迫る。
「――軽い女ね」
迎撃のための抜剣の瞬間。
下方の蟲は――
「――ほえ? 共食い?」
同じくディグワームに突進され、巨体を転がされた。
「口も軽ければ尻も軽い。男相手に色目ばかり」
「え~っ? 別にキミのカレシってわけじゃないんでしょ~? いいじゃん。てゆーか、食べられてなかったんだぁ」
転がった先で共食いを開始した蟲を横目に着地。
(今のは、偶然?)
女と対峙するミヤコを見る。
「私がこんな蟲に? 冗談……蟲のエサとしては、贅沢にもほどがあると思わない?」
「うわぁ、自意識過剰ぅ~」
蟲に喰われるようなタマでは無いと思っていたが、まさか……
「エサにするなら――」
地中から続々と現れるディグワーム。
「……ううーん。虫クン達の熱視線を感じるなぁ」
そのすべての個体の意識が、ある一点に集中しているのを感じた。
「――あなたみたいなのがお似合い」
ミヤコの言葉と同時に、女へと突進する数多のディグワーム。
「キモぉ~い……」
躱す女。
その回避先へ間髪入れず蟲の突進。
「どんなスキルを使おうが、任意発動の範疇。考え事が多いと、他の事に気を回す余裕もないんじゃない?」
「……虫を操作、かぁ。意外とせこい」
(操作……『催眠』)
次ぐ猛攻。回避に次ぐ回避。消えては現れる女の姿。
流石にこう何度も目にすれば、あの女の使うスキルにも見当が付く。
「『転移』、か」
「――そこ。何呑気に眺めてるの」
先程呆けていたのを棚に上げてよく言う。
「どうせ付け焼刃の共闘してもお互い邪魔になるだけ。あなたはさっさと自分の目的果たしてくれば?」
ここから消えろと言わんばかりに、しっしと手を払う仕草。
(あの女の足止めをしてくれる。ってこと、だよな?)
ミヤコの口から共闘という言葉が出たのも大分意外だった。
今この状況に置いてこちらの邪魔をするつもりは無いどころか、本当に手を貸してくれるらしい。
「……なに? 私の目的が読めないことに、こだわってる暇あるの?」
「――いや」
現状、不確定要素だったミヤコが姿を現して。なおかつ、こちらについてくれている。
彼女の『催眠』は敵に回せば厄介でややこしいことこの上ないが、味方となれば心強い。
「――待って」
「? なん――」
転移の女をミヤコに任せ、獣人種たちの元へと向かおうとすると、呼び止められ振り向くと――
「っ! お、おい……!」
鼻先が同士が触れそうになるほどの至近距離に、ミヤコの顔があった。
「何動揺してるのよ。変な勘違いしないで」
「いや、別に……」
「ただ――」
『美弥子さん』として接していた時よりも、冷たい印象の目元。
けれど、同じ紫紺の瞳。そこに映る、自分。
「少し、体を騙してあげる」
(! しまった! 催眠……!)
対象を思いのままに操るミヤコの力。
共闘というのはブラフで――
「――『痛みは忘れなさい』」
一度は殺し合った『到達者』を前に、自分の迂闊さを呪いながら脳内に響くような声を聞くと。
「……これは」
真っ先に体に起きた変化へ意識が向く。
「傷、が……?」
先刻、女に斬りかかった時、深々と自ら切り裂いたわき腹の傷。
損傷は最小ながらも頭痛までしてきそうなその痛みが、消えた。
不可解な現象に、患部へ手を伸ばすと。
「傷が治って……は、いない?」
裂かれた肉は依然としてバックリと開き、出血も止まりはしていない。
痛みだけが、何事も無いように消えた。
「やせ我慢でそんな深手を庇いながらじゃ、支障が出るでしょ。『催眠』で痛覚を寝ぼけさせたの」
「そんなことが――」
可能。なのだろう。
体感してしまっては、口から出そうな無意味な問いかけも引っ込んでしまった。
「でも、御覧の通り。傷はそのままだから、調子に乗って動きすぎればどんどん開いていくでしょうね」
「……なるほどな」
正直、数が多くともディグワーム程度が相手なら、傷の痛みを抱えながら立ち回ったところで問題はない。
けど、あの女クラスを相手取るとなると、僅かな隙、誤差も致命的なものになる。
これは暗に。獣人種たちを追ったその先も一筋縄ではいかない、と。ミヤコの忠告めいた施しなのだろう。
「……てっきり、催眠で操られるかと思ったよ」
「あなたを? ……そうね。できるならそうしてるけど、一度催眠を破った同じ相手じゃ、そんな強い支配を強いる催眠は効かないからね」
以前にも聞いた話だ。
同じ様な口上ではあるが、今回は半ば捲し立てるように。何かの言い訳みたいに言い連ねている。
……善意なのか、罠なのか、ただの気まぐれなのか。
シキミヤとは別のベクトルで掴み処の無いヤツだ。
「――悪いな。助かる」
「助かるって……話聞いてたの? 傷なんか一ミリも塞がってないし、動きすぎれば知らないうちに死ぬかもしれないのよ? そもそも、痛覚は人体において重要なリミッターで――」
……なんというか、ミヤコの行動と言動が矛盾、とまではいかないが。
噛み合っていないぎこちなさを感じる。挙動の端々からも、逡巡や戸惑い。自己矛盾のサインがまざまざと読み取れる。
「……もしかして、なんか照れてるのか?」
「はぁ!?」
こちらの言葉に、
『あの女よりも先に、お前を始末するぞ』
とでも言いかねない剣幕で睨みつけてくるミヤコ。
「いや……いや、なんでもない」
「……」
傍目には明らかな否定と取れたが……矛盾したものを抱えているのは変わらないようだ。
なんにしても、本人に分からないような精神状態が、俺に分かるはずもない。
知ったところで、どうという事でもない。
(なまじ、他者の精神分析が可能な分、妙な勘繰りを入れすぎるのは悪いクセなのかもな)
今はミヤコの感情の機微に脳のリソースを裂いている時ではないだろう。
「さっさと行きなさい!」
「わ、悪い」
現状において至極真っ当なセリフで怒鳴られ、
獣人種たちの後を追って駆け出した――




