236話 瀕す
「んふふ〜」
(この女……)
自ら『異種刈り』と名乗った、この女。
(警戒は最大限にしていた)
狂化の煙を消しても収まらない胸騒ぎ。自体の収拾が成されていないと本能に訴えかけてくるような焦燥感を抱えたまま、気を張り巡らせていた。
にも関わらず、女が声を発するまでその存在の片鱗も探知することができなかった。
(また、得体のしれないやつが……)
こちらの理外から干渉してくる未知。正直、こうも立て続けだと辟易とする。
そのたびに、思考リソースを割かれ不安の種として胸の中に居座り、悩ませる。
(外見は若い……鎧のない軽装。得物は、組んだ足が無意識に庇う隠しナイフ。肩にかけている木製の杖……人間、か?)
そう思いながらも、脳は戦力分析へと舵を切っていく。
(……おそらく魔法職。この間合いはあっちの距離か)
この状況で、自ら異種刈りと名乗った以上、敵対の意思があることは確定的。
(もう、対話はいらない。まずは先手を――)
『虚空打』の撹乱から、『瞬動必斬』。距離にして20メートル程度のこの位置から最も差す手の速い攻撃方法。
「なんか、むずいこと考えてるね~」
「――な、ん」
どういう、事だ? あの女からは一瞬たりとも目を逸らした覚えはない。
なのに、なぜ。瞬きすらしていない、この今――
「フユミ、ちゃん?」
「フユミちゃんっていうだぁ? かわいいお名前だね。見た目もお人形さんみたいだねぇ」
眠りについた小さな体が。屋根に腰かけた女の膝元に、居る。
いや、現れた……?
「――んん~?」
フユミちゃんの髪を愛でるように梳く女の首が横を向いた瞬間。燃え盛る火球の軌跡が女の頭部を覆い隠す。
「……あぶないなぁ~。火傷しちゃうよぉ」
「く……っ!」
「えっ? 今、当たったんじゃないの!?」
唯火が放った魔石の炎に焼かれたかに見えたが、衣服ひとつ焦げずに飄々としている。
(今一瞬、姿が消えた……?)
高速移動による、残像? あの体勢から? あの女の体にはそんな予兆見られなかったが……
姿を現した唯火と朱音に目を向ける。
(フユミちゃんは、いないか……)
女の手中に居るフユミちゃん自体が、こちらを惑わすミヤコのような催眠か、幻覚の類かとも思ったが。唯火の激昂した様子を見るに、そうではないようだ。
「その子を返して!」
不可解な現象に思考を巡らせていると、唯火の怒号が響き、炎を発さない魔石が空を裂く。
だが、不意を突いたはずの初撃をいなされた今。
これ以上の無策な攻撃は――
「唯火、止せ!」
「キミもかわいいねぇ~。でも、それはやめた方が良いよ」
「! 魔石が消え……っ!?」
再び不可解な現象。直後、背後から突き飛ばされたように、突然、唯火の背が僅かに反った。
「――ぇ」
隣で銃を構えた朱音の頬を鮮血が赤く染め、朱音はその出所へと視線を向ける。
呆けたような声が漏れ出たのは、その一連とほぼ同時で。
その一瞬は、やけに時間の流れが緩慢に見えた。
「痛そっ」
「――――」
背後からまるで虫食いのように斫られ、夥しい出血で血塗られた腹部。
その光景を、木偶のように眺め、唯火が膝をついたその瞬間にようやく、硬直した肉体が動き出した。
『武具投擲・至』
『型無の体』
『弱点直感』
『弱点特攻』
《【槍仕】スキル》
《『飛突閃』》
「剣の投擲ぃ? 今の子見てなかったの~?」
空を裂く超速投擲。間を置かず、疾走。
「隙なんかできないってぇ」
放たれた剣に肉薄するほどの、全力の疾走。
踏み込み一つで斬りつけられるほどの間合いへと――
「来ないでよ」
スキルが鳴らす警鐘。だが――
「ほらぁ、言ったのに〜」
察知と同時に進行方向から脇腹を突く衝撃。
投擲で手元を離れたはずの剣が、俺の体を貫いていた。
「まぁ、ボク的にはこうやって勝手に――」
「――『瞬』」
構わず一歩。体を貫く刀身、突き出る柄を握り込こみ、最高の精度。速度。威力をこめた必殺の型。
「――へ?」
「動――」
瞬きの間にも滑り込む、限界を超える速度を一歩に込めろ。
「必――」
瞬間、疾走、己が肉を切り払いながら繰り出す――
「斬……!」
不可避の一太刀――
「こっわ……」
手応えなく空を裂く剣閃。
「キミみたいにネジ飛んでるやつはどこにでもいるねぇ」
声を視線で追うと、隣家の屋根に、先程同じように腰掛ける女。
「でもすごいね。なんとなくタネに気づいたんだぁ? あの女の子があんなになって切れただけかと思ったけど」
湯水をかけたように腹部に熱が広がる。
「気づいてて、投擲。剣が返されることわかってて、自分の体を鞘に見立てて意表をついて。自分で自分ごと相手を斬る」
傷口に心臓でも生えたのかと思うほど、ドクドクと脈打ち血流が脱落していく感覚。
「冷静だねぇ。仲間があんなになってるのにぃ……ボクは好きだなぁ」
全くの場違いな声色で、女が指を鳴らすと。
「めっちゃ必死なその子に免じて、フユミちゃんは返してあげるね〜」
倒れた唯火たちを振り返ると、困惑し続ける朱音の腕の中に小さな体が収まっていた。
「そ・れ・よ・りぃ――」
気配がすぐ真後ろへ移動し。
「ボクと、来ない?」
「――朱音!」
耳元でささやく女の腕を取り背後から拘束。朱音に呼びかける。
「やぁん♡」
「ワルイガ……っ! 唯火が! 唯火がぁ……っ!」
耳障りな声を上げる女の首を締め上げ二人を見る。
ぐったりと横たわる唯火。取り乱しながらもその上体を抱き、患部を押さえるあかね。
二人も下のレンガ道も血にまみれていた。
「逃げろ! 頼む! 今すぐ唯火を治療できるところへ――!」
「いやぁ、別に逃げなくてもボクなにもしないよぉ。キミたちが勝手に自傷してるだけだよ?」
流れ出た血溜まりに佇む、魔石を見る。
あれは確かに唯火が放った魔石で、この女のもとへ向かっていった。ソレが何故か、唯火を背後から撃ち抜いた。
その事実だけは、この目で見えた。
「抜け穴でねぇ? ボクは■■■■を使うけど、ソレがたまたまそこあるってだけで……あれ? また発音できてなかったぁ? なんかお上りさんみたいで恥ずかしいなぁ」
「お前……なんなんだ」
異様で、異質で、異物。相容れない存在。
「血が! 唯火ぁ! 血が止まらないよ、ワルイガ!」
「んふふ。あ。でもぉ……」
朱音の絶叫、瀕死の唯火。穏やかな寝息を立てるフユミちゃん。
今の俺にとって何よりも優先すべきそれらより――
「そろそろ『撒き餌』の効果が来る頃だから――」
女が紡ぐ言葉に、耳を囚われ――
「結局みんな死ぬかもね」
早く打つ自分の脈動が、やけに大きく聞こえた。




