233話 潜入開始
(――人影なし、と)
塀の頂上に手をかけ慎重に里の内部を確認。敵意を感知する『索敵』にも、五感の探知にも特に異常はない。
人っ子一人いないという具合に静かだ。
(この静けさが逆に不気味だけどな)
塀を越え里内部へと足をつく。
着地後、すぐ目に付くのは小ぢんまりとした畑。見たところニンジン専用の畑みたいだ。
(慎重に、身を隠してまず偵察だ)
畑を囲う生垣に身を隠しさらに辺りの様子を注視する。
『無空歩行』で空から見渡せば簡単に済むが、異種族の中には竜人族のギネルのように翼を持ち、自在に空を跳び回る種族もいる。
もう、分の悪い空中での立ち回りは御免だ。
(――この辺は大丈夫そうだな)
目につく範囲で異種族の姿は無い。すぐ近くに家があるが、見えない場所まで気にしていたら埒が空かないからな。
(OKだ。皆、一人ずつ順番に来い)
再び塀の頂上へ跳ぶと、森の茂みに身を潜める三人に合図を送った。
唯火たちならスキルの力で塀も飛び越えられるだろうが、物音を極力殺すために塀の上から羽衣を帯状に伸ばして操作し、一人づつ引き上げる。
「――っと。サンキュ」
「羽衣を伝って降りたら生垣に隠れてろ」
「んぃ!? ちょ、ちょっと……耳元でくすぐったいんだけど……」
「……小声なんだから仕方ないだろ」
朱音。
「……どうしたフユミちゃん?」
「なんだか……少し眠い。ハルが、起きようとしてるのかも……」
「このタイミングでか。でも心配するな。フユミちゃんとハルミちゃん。二人のどっちが寝てようが起きてようが、俺たちが一緒にいる」
「……ん」
フユミちゃん。
「殿、お疲れさん」
「ナナシさん、肩から血が……」
「ああ。羽衣で止血してたからな……心配するな、見た目よりは痛くない。またすぐ巻き付ける」
「……傷の死角は、私が守ります」
「頼りにしてる」
唯火を最後に下ろし、皆と合流する。
「この一角は人の気配がない。多少声は出しても大丈夫だ」
ひとまず緊張が和らぐ。
「ここは多分、『獣人種』の方たちの居住区ですね」
「来たことあるのか?」
だとしたら心強い。
耕作の里は中々に広大だ。里での追いかけっこの時はこんな端まで来ていないから、スキルでの地形把握ができていない。
皆がこの場所を知っているなら、隠密行動の精度もグンと上がるはずだ。
「あ、いえ。エミルさんに各種族の居住区の場所と特徴を話に聞いた程度なので……」
「あんまりエミルの家から出てないのよ。まだ外部の存在ってことで信用されてなかったんでしょうね」
「なるほどな」
そんな警戒心の深い彼らの仲間内から、裏切りが出てしまっているかもしれないというのは、皮肉な話だな。
「……そういえば、初めて里に来た時。エミルとダイギリ、意味深な会話してた」
眠たそうな雰囲気をこらえつつフユミちゃんがそんなことを言う。
「意味深?」
「あんたは空にぶん投げられてたから、いなかったわね」
「確か、あの時は……獣人種の人たちと少し険悪な雰囲気になっていましたよね」
「……ふむ」
皆、自然と同じ方向を見る。
そこには里の外に居た時よりもかなり近い距離感で青い煙が立ち上っていた。
もう、すぐ近くの場所で発生している。恐らくは――
「『獣人種』の居住区内で、か」
「それこそ、里に来た時聞いた獣人種の話、思い出しちゃうな……」
「どんな話だ?」
それも、その時不在の俺は知らない話だ。
聞けば――
「『獣』の特徴が顕著に肉体に出る『獣人種』達は、『人間』からまさしく異形の扱いを受けていた。か……」
まぁ、大方想像はつく。
見た目が人間と変わらないハーフエルフの唯火やレジーナというエルフでさえ、実験材料として非人道的な扱いを受けていたんだ。わかり易く形が異なる者には、わかり易く残酷にもなる。
あの久我とかいう男のような、大義と錯覚した目的意識があると、尚の事。
「……今回の件。どんな背景があるにせよ、綺麗に丸く収まることは無いだろうな」
他者を受け入れられない、互いを『異』としてしか見れない者同士の確執。
それは歴史的に見ても悲劇の連続だ。
「嫌なこと言うわね」
「フユミちゃんが身を隠す場所を求めてきたのに。こんなことになるなんて……」
「まったくだ。響さんと聖夜に任されたのに、合わせる顔がないよ」
最早、この場所での安全が保障されてるとも思えない。
「今更だけど、俺たちは相当根深い厄介事に首を突っ込んでる」
事はすでにフユミちゃんを狙っている敵を退ければいい、などという単純な話ではなくなっている。敵側の言動から、里の異種族全体を目的としているのは明らかだ。
「――今なら、俺達は見ないふりして引き返すこともできるぞ」
「それ、聞く意味あります?」
「一応な」
正直、当初の目的を考えるとここに残る利は薄い。フユミちゃん達を匿うなら別の方法で――
「「引くわけないでしょ(です)」」
だよな。そんな気さらさらないのは見ればわかるし、俺を頼って合流した時点で里を救う決意は強く感じた。
「ナナシさんだってそんなつもり絶対ないじゃないですか」
「分かり切ったこと聞かないでよ」
「……だな」
――それでも、聞かずにいられなかったのは。あの青い煙を見た時から徐々に強まる胸騒ぎのせいだ。
「……ごめん、なさい。兄者……眠いの、もう限界」
「っと」
「マスター!? ……寝ちゃってる?」
「ハルミちゃんが目を覚ましそうとか言ってたな。俺が背負うよ」
様々な異種族、思惑が交錯し、全容が見えないままのこの戦い。
「あの煙のせいではないんだ……そういえば唯火は大丈夫なの? 大分近づいてはいるけど」
「うん。ちょっと、嫌な感じはするけど辛くはないよ」
「少しでも異変を感じたら教えてくれよ」
その、終着点になにが待つのか……そんな漠然とした不安。
「――行こう。煙の元へ」
この先に、間違いなくその答えの、一端がある。




