216話 それぞれに
~『濃霧の結界内』~
「この音は……」
「ちょっと、おじいちゃん。私にかまってる暇なんてないんじゃない?」
深い霧の結界に包まれているはずの森は、老人と女を中心に木々が薙ぎ倒されすっかり見通しが良くなっていた。
「受け売りだけど。常時発動してる『結界』って、常に魔力を注いでるんでしょう?ここの霧もそうだけれど、戦闘にそんな魔力注いだらほかの所の結界も消えちゃってるんじゃないの?」
「必要だからそうしたまでだ」
忌々しげに言う老人。
「それは光栄ね。でも私は一人で動いてるけど、連中は群れで来る。『異種族』の人達が危ないんじゃなくって?」
「なら、貴様が儂の孫娘を返せば済む話だ」
「いやよ。そうしたら、私があなたに殺されちゃうもの」
「ガキが……」
ふと、老人は思案顔になる。
「……とはいえ、異種族達を見殺しにするのも契約に反する」
「だったら―――」
「『獣』を放つか」
懐から細く短い棒状のものを取り出し、それの端に口先を添えると。
「なにそれ?笛?」
「狩人気取りの余所者には、手の付けられない『獣』もいると教えてやらねばな」
老人がひと息すると、きわめてか細い。
それでいてどこまでも届くような笛の音を響かせる。
「……で。こっちは引き続き、ってことね」
場を支配し始めるプレッシャー。
老人が放つそれを全身で受け、心底面倒臭そうに女は引きを吐く。
「貴様相手に『獣』では荷が勝ちすぎている。直に叩くしかあるまい」
「どうしろってのよこれ。到底話なんてできそうにないじゃない。聞いてた以上のへそ曲がりね……」
「安心しろ。用件は、屍に聞いてやる」
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~『交錯の里・エミル宅』~
「いやもうこれ、流石に……」
「異常、ですよね」
「……エミルが、心配」
朝食を終え、里回りをパトロールするというエミルさんを見送った後。
私と朱音ちゃん、フユミちゃんの三人で庭先を借り巻き割のお手伝いをしていると、
今朝から鳴り響く轟音が明らかに激化していた。
「この騒ぎにに巻き込まれていないといいんだけど」
「少し様子を見に行く?」
と言っても、結界を開けられるエミルさんが居ない状態では、私たちは里の外に出ることはできないんだけど。
『おぉー---い!』
次ぐ戦闘音のような轟音に胸のざわつきが加速していくのを自覚していると。
「この声……」
「キキョウさん?」
「え゛」
こちらに向けられた呼び声に振り返ると、鬼人族の女性、キキョウさん。
その後ろに、同じく鬼人族のサクラさんを連れてこちらに駆け寄ってきた。
「マ、マスター?」
「……苦手」
初対面でキキョウさんにもみくちゃにされたのがよほど嫌だったのか、朱音ちゃんの後ろに身を隠すフユミちゃん。
「ふぅ。よかった、三人とも一緒だったかい」
「はぁ、ふぅ。お、おはようございます……あれ?エミルさんは一緒じゃないん、ですか?」
朝食後、里の外へパトロールに出掛けたことを伝えると。
「そうかい。まぁ、あの子なら大丈夫だろう」
「ダイギリ君も一緒、でしょうか……?」
見ると、二人とも軽く息を弾ませてる。
どこか不穏な様子に朱音ちゃんとフユミちゃんを一瞥し。
「あの、何か、あったんですか?」
『何か』があったのはこの鳴り響く音を聞くだけで想像はできる。
問題は、その内容。
「……実はね―――」
キキョウさんの口から言葉が遮られるように、
「なっ、なに!?」
「更に大きな、衝撃」
地響きと共に轟く爆音。
「……今のは近いねぇ」
「やっぱり、も、もう里の位置は……」
キキョウさんとサクラさんの声を意識の端で聞きながら、胸の焦燥を駆り立てる地響きに息が詰まりそうで、なんとなく空を見上げてみると。
「―――空に、人?」
私の呟きに皆が空を見る。
「……ホントだ。飛んで、る?」
「落ちてるように見えるけど」
「キ、キキョウさん」
「……ちっ」
キキョウさんは苦い表情浮かべながら、懐から細長い円筒状のものを取り出しそれを覗き込む。
どうやら望遠鏡のようだ。
「―――! あいつは……!」
「や、やっぱり『異種狩り』ですか?敵ですか?」
宙を落ちていく人影を望遠鏡越しに覗き込むばかりで、狼狽えるサクラさんの不穏な問いかけには答えないキキョウさん。
「『異種狩り』?それって……」
「ハルミと姉者を利用しようとした、『探求勢』の」
「……」
私にとっては胸を抉る嫌な思い出。
『屍人迷宮』で感情を吐き出し、区切りはつけたつもりだけど、そう簡単に消える傷ではない。
そして―――
「キキョウさん!サクラさん!『異種狩り』にこの里の場所がバレたんですよね?」
その痛みに、うずくまっているような場合でもない。
「私も、皆さんと戦います」
「姉者……」
「そこは『私達』って言ってほしいけどね」
「「……」」
望遠鏡を覗いたまま私の言葉を聞くキキョウさん。
おろおろしながら彼女の反応を待つサクラさん。
ややあって―――
「―――案外」
望遠鏡から目を離し、こちらを見る。
唇の端を不敵に吊り上げながら続け。
「あたしらの出番はないかもねぇ?」
そう言うと、望遠鏡をこちらへ。
「……っ!」
その言葉と、行動で私は察し、キキョウさんが見ていた方角へと望遠鏡を向ける。
「唯火?何が見えるの?」
「……姉者。もしかして」
ああ、もう―――
「いつも、私のずっと先にいるんですから」
そう、いつだって。
あの背中に、守られて、救われて―――
「追いかけてばかりです。ナナシさん」
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「手こずった」
ガントレットに宿るアトラゥスの魔力。
地へ落ちる強大な攻撃力。
空中を縦横無尽に跳び回る敵相手へ確実に命中させるには、直下に背中を晒すこのタイミングしかなかった。
「充魔ゼロ。とうとう使い切ったか」
魔の重力波を放つ強力な手札。
決着を急いだとはいえ、戦いがこの後も控えている可能性の高い状況。
(使わされた……使わざるを得なかった)
突然現れた『探求勢』の者と思しき襲撃者。
雑兵と呼ぶにはふさわしくない強さだった。
「―――ん?」
落下しながら何度か『無空歩行』を挟み、徐々に眼下の森へと高度を落としていると。
「あれは……」
視界の端にチカチカと光る光源。
(反射?鏡……望遠レンズのものか?)
こちらを見ているのかは定かではないが、一瞬、街で何者かに狙撃されたことを思い出す。
(……いや、この距離で落下する標的を狙撃なんて不可能)
なにより、反射の光が明滅する場所。
「『交錯の里』……!」
まだ多少距離はあるが、空での戦いでかなりの距離を戻っていたようだ。
だが、里を覆う結界によって外からは視認することすらできないはず。
それが見えるということは……
「やっぱり、こっちの結界も消えてるか」
元より、『竜人族』の姉弟に案内された集落の結界が消えたという時点で懸念していた事態ではある。
里に残してきた唯火達が気にかかる―――
「―――いや」
俺が今取るべき行動は里に向かうことじゃない。
ガントレットの放魔により一帯が開けた地上へ降り立つと。
破壊された一帯の、その中心―――
「お前達は……」
まくれ上がった土に身を沈め、ピクリともしない襲撃者に返ることのない問いを投げかける。
「何者で、目的はなんなんだ……?」
地に足がついた安堵でかすかに緊張が和らぎ、代わりに、切り裂かれた肩に痛みが再来した。
「っく……アティたちは完全に見失ったな」
大まかな方角は分かるが、森の中彼女の足に追いつくのはもう無理だろう。
敵の数は未知数だが、アティに関しては先に行かせたギネルが合流して注意喚起を促してくれるのを祈るしかない。
「と、なると」
意識を周囲に向けると、森の奥からこちらへ向かう無数の気配。
統率が取れ、対象を仕留めるにあたっての、明確な敵意。
「騒ぎに駆けつけた異種族、じゃ……」
群れた敵意の一角から、膨れる殺意。
足元で土に沈む、名も知らぬ襲撃者の首根っこを掴み感知した方へ突き出すと。
「ぁぎゃっ!?」
「……ないよな」
「「「……!?」」」
盾にするように立たせた肉体の肩が矢で射られる。
同時に、気配の群れに動揺を感じた。
「弓兵、か。というか、お前生きてたのか。大した生命力だな」
「ぐ、ぅ……!」
まぁ、息があるのを知っててこうしたんだが。
「さっきの質問の続き―――」
「殺、せ」
その声を合図に、放たれる無数の矢。
「「「!」」」
盾にした男と、俺を狙ったそれらを、展開した羽衣ですべて遮る。
「で、でめぇ―――がはっ!?」
「全く。味方でも躊躇なく、か」
剣の柄で鳩尾を突き完全に意識を刈り取る。
気配達の反応と、こいつの指示慣れした声色。
この襲撃に関与した中で、こいつの格が上に置かれているのは間違いない。
(このタイミング、敵の現れた方角。戦闘の時間経過。この襲撃の最前線は、現状、多分ここだ)
確証はない。
もっと広域に、一斉に敵が現れているかもしれない。
確証がないからこそ―――
「災いの種は、全て摘む」
今。
「俺のするべきことは」
今度こそ意識を手放した男が、倒れ込むのを合図に。
「迎撃だ」
再び、群れ成す敵意との戦闘が始まった。




