205話 黒の少女の礼
「おっと。言っておくが、衣を一新したからと言って、私に『目利き』の類は止めた方が良い」
「抜け目なく釘をさしてくるな」
覗き込みこちらを見下ろす深紅の瞳は、逆光にあって僅かに光を帯びてるように見えるほど透き通っていた。
「油断も隙もなさそうな相手には、常に枷を掛けなくては」
(恐ろしい子だな……)
彼女の言う通り、そこまで太々しく忠告されると無理を通して『目利き』を掛けようとは思わない。
リスクとリターンの天秤がどう傾いてるのか、たったの一言でまるで判別がつかなくなっている。
昨晩はあのボロボロの外套に、『目利き』に対するカウンター効果みたいなものが付与されていると踏んでいたが、それを脱ぎ捨て尚俺の前に現れた以上ただのハッタリと断定するには早計だ。
「心配しないでも、小さな女の子相手にそう気張ることもないよ」
「解釈違い。気負わせたいだけ」
……かわいくない子供だな。
マジで何者なんだろうか。
「で?どうしたんだ?昨日の今日で。もう食料が尽きたのか?」
昨晩彼女に抱いていた印象とは若干異なる様子に調子を狂わされる。
見た目の年齢相応の無邪気さと純粋さを垣間見させていたが、今はまるで別人のようだ。
(ま。どっちがホントの顔だか知らないが)
そこまで勘ぐって。
『気負わせる』という彼女の策略にまんまとハマっていることに気づき、内心で自嘲しつつ、服に着いた砂埃を払って立ち上がる。
「そんなわけない。あれだけもらったのだから三日くらいは持つ」
「……カップ麺、30食分くらい渡したような気がするんだが」
多分連れがもう一人いるような口ぶりだったから、一人一日3食としても五日間はしのげると思うんだが……昨日の狼や鳥、竜が食べるとも思えないし。
もしかして、アティは3食以上の換算なのだろうか。
「この身体、成長期?のようでな……食事はまめに取らないといざという時力が出ない」
(……本当に3食以上で計算してるっぽいな)
まぁ、もう彼女にやったものだ。
どう食べようが勝手だろう。
「? その目線はどういう意図だ?」
「いや、なんでも」
見かけに寄らない食欲と、相変わらず自分の体なのにどこか他人事な言いぶりに少し奇異なものを見るような目線を向けてしまった。
「まぁ、いい。今日は昨日の礼をしに来た」
アティがそう言うと、森の茂みから一匹の孤狼が顔を出す。
その口には解体された動物の腿らしき大きな肉塊が咥えられていた。
「礼って、これか」
「んむ。昨晩の牡鹿だ」
狼は俺の前までくると、肉塊をボトリと落とした。かなり肉厚で、見るとしっかりと血抜きの処理もされているようだ。
「いいのか?」
「貸し逃げは許さないぞ」
カップ麺がジビエに化けたか。
もとより見返りを求めていたわけでは無いが、なかなかいいものに化けたもんだ。
「それにしても、よく仕留められたな」
あの夜の森でアティの前に気配もなく突然現れた牡鹿。
恐らくスキルを自覚して使えるタイプの獣だ。あのデカブツとはくぐった修羅場が違うだろうが、そこらの獣よりかはレベルも上だったろう。
山に住む獣本来の特性も相まって、気配を探るの困難だと思うが……
「魔力は覚えたからな。臭いも」
言って、すり寄る狼の鼻頭を撫でる。
獣には獣ってわけか。
(それにしても、魔力、ね)
気配というか、戦闘中対峙した相手の魔法的な脅威がどれほどのものか程度なら、俺にもわかる。
感覚で言と、サーモグラフィーみたいなぼんやりとした気配を感じるみたいな。
その応用で任意の場所に『現象転移』を発動させることができる。
(けど、アティの言う魔力を覚えたっていうのは……)
俺が割って入ったせいで逃げた牡鹿は、相当距離をとって身を潜めていたはずだ。
この広い山で、あの鹿の魔力を何らかのスキルで感知して、そして狩る実力。
(この狼も一緒だったんだろうけど、やっぱどう考えても只もんじゃないよな)
カレーを食べて何らかのスキルが暴発した、あの周囲を見えない何かで抉る力。
あれだけを見ても強力な職業持ちに違いない。
「―――計りかねてる。という顔だな」
名前以外まるで正体が掴めない少女。
こちらの疑惑と好奇の視線に気が付き、狼を撫でるのをやめこちらに向き直った。
「別に、もう。敵対するような意思はない」
(もう……?)
『敵対』というワードと、妙な引っ掛かり。
俺の重心は反射的に、最速で剣を抜ける脱力した構えを取っていた。
「……少し、遊びが過ぎたか」
彼女はゆらりと一歩下がり、その背後に回り込んだ狼の背に腰かける。
俺の、予備動作抜きでの一足の間合い。その紙一重範囲外。
(……子供相手に、何やってんだ)
背後の茂みの竜、上空で旋回する猛禽が気配を強めだしたのを感知すると。
ふと、今の自分を客観で見る。
「悪い。ケンカするつもりは無いんだ」
あえて柔らかい言葉を選んで言う。
「いや。それでこそ、というものだ」
何か意味深な物言いは変わらずだが、兎にも角にも俺は剣を離れたところに転がして焚火の前に座り込む。
「腹減ってないか?ちょうどうまそうな肉が手に入ったし、少し焼こうと思うんだが」
険悪、とはいかないものの、妙な空気感にしてしまった身として、調理器具を見繕いながら仲直りの提案に食事に誘う。
昼時は過ぎてるが、彼女の腹なら大丈夫だろう。
……この回復薬を作るのに使った鍋は使わない方が良いか。
「いや、せっかくだが、連れを待たせて―――」
やんわりと断ろうとしたのだろう。
だが、言葉は途中で途切れ、
「ん?どうした?」
「……それ」
顔を上げると、俺が持つ鍋と、地面に落ちた薬草を指さす。
「その薬草、それにその匂い……」
「ああ。これか。『回復薬』を調合していたんだ」
回答を聞くと、口元に手を当て思案する仕草。
その様子を見て俺は……
「―――その『回復薬』、私に譲ってくれないか?もちろん対価は払う」
なにか、厄介な事が起こる予感がした。




