191話 里の朝
「ん……ふぁ、あ」
瞼に朝日の温かさを感じ、目を覚ますと。
「くぅっ……~~~んはぁっ」
半身を伸ばす気持ちよさに、我ながらだらしない声を漏らし、いまだ覚醒しきれていない意識と視界のまま辺りを見渡す。
ここ数日眠る場所が安定していないせいか起きる度に今自分がいる場所を一時的に見失ってしまう。
学校に通っていた時はこんな生活なんて予想だにしていなかった。
「……あれ?エミルさん……?」
寝ぼけた頭のまま、もはや懐かしいかつての記憶と現状が混じってしまいそうになるが、そこにいるはずの家主の姿が見当たらないことに気づき一気に目が覚めた。
「んん~~~……っ!」
ベッドから降りるともう一度大きな伸びを挟む。
全身の凝りが一瞬で吹き飛んでいく快感は何度経験しても新鮮な気持ちだ。
(やっぱり、ベッドでちゃんと眠れると寝起きが良いな)
テントで寝袋に包まり仲間と身を寄せ合って雑魚寝するのも楽しい経験ではあったけど、快適さは屋内のベッドに遠く及ばない。
「エミルさーん?おはようございまーす……」
別のベッドで寝息を立てる朱音ちゃんとフユミちゃんを起こさないよう寝室のドアを開け、家主への朝の挨拶を口にするが。
「居ない、か。もう、出掛けたのかな?」
朝日が差す居間には誰の気配もなかった。
「あれ?これは……書置き?」
中央の整理された円テーブルの上に一枚の紙片が置かれている。そこに記されている内容は、
「あっ。そっか。毎朝見回りに行ってるって言ってたっけ」
紙面での朝の挨拶と、『交錯の里』周辺の早朝パトロールに出かけるとの旨が記されていた。
部屋の隅を見ると、昨晩彼女がそこに立てかけておいた弓が無くなっていた。
その弓は、ナナシさんによって両断されてしまったようだけど大丈夫なのだろうか。
「さて、私はどうしようかな……」
一人呟きなながらも、足は私たちが持ち込んだ食料袋へと向かう。
一宿の恩を返すには一飯では足りないだろうが、まず一日のスタートには欠かせないモノだろう。
「保存が利かないものから調理しましょうかね。それと、エミルさんが喜ぶように!」
清々しい朝の空気に背を押され、家主不在の厨房で顔を洗い気合を入れなおした。
・・・・・
「ただいまー」
しばらくすると、エルフの少女が帰宅の言葉をつぶやくように口にしながら玄関ドアを開ける。
「おかえりなさい」
「ぅひっ!?」
それに出迎えの言葉で答えると、その場で飛び上がり随分と驚いた様子だ。
「ゆ、唯火さん……そっか。家にいるんだもんね……あーびっくりした」
「ごめんなさい。びっくりさせちゃったみたいで」
「あ、いえ!全然何も悪い事なんかなくて……『ただいま』に反応があるのが久しぶり過ぎて、びっくりしただけです」
話しながらもブーツを脱ぎ揃え、被っていたフードをはだけさせ、腰に付けた複数の巾着を外していく。
装備を外していく様子を見るに、どうやら見回りは終わったようだ。
「あはは。一人暮らしでも、ただいまーって言っちゃうって聞きますしね」
「なんか少し恥ずかしいところを見せました……家族、姉が居た頃のくせと言いますか」
「お姉さん、ですか?」
「あ……いえ、その……」
思わず、といった様子だろう。
聞かせるつもりもなかった、話したくない話の口火を切ってしまった。そんなばつの悪い顔。
「……あれ?エミルさん。その弓直ったんですか?」
「え?あ、は、はい……」
だから私は無理に話を変える。秘密の一つや二つ誰にでもある、私にもある。それを隠す権利もまた誰しもが持つもの。
「見回りがてら、少し遠出しまして。素材を用意して『小人族』の職人の方に直してもらったんです」
「こんな短時間で修繕できるものなんですか。まさに職人技ですね」
「唯火さんもなにかご用向きがあれば取り次ぎますよ?彼らも唯火さんが身に着けてた装備に興味があったようですし」
「今度ご挨拶がてら顔を出してみます」
新調したピカピカの弓を所定の位置に置くと、
「弓と言えば、彼の事ですけど」
「あ、はい。どう、なりました?」
いまエミルさんの口から出る『彼』とはナナシさんの事しかない。
弓を両断された出来事から連想して思い出したように切り出す。
「早朝、各区画の代表と一席設けまして、祖父の書状の内容が周知されました」
「ということは?」
「あそこに書かれた通り、里の外で異種族が彼に危害を加える心配はありません」
「よかったぁ……」
心底ほっとした。
昨日、里に入って早々大立ち回りをしてしまったナナシさん。
理不尽にも彼を放り投げたダイギリさんにも過失はあるにせよ、
『異種狩りの侵入者が女湯を物色。対処にあたった鬼人族の女性を戦闘不能にした』
という悪いところだけ取り上げられた情報は瞬く間に里中へと広まったようで、エミルさんの発言もむなしくその日は里中に厳戒態勢が敷かれたまま一晩を越す。
そして翌今日。早々に各種族の代表さんを交えた会議にエミルさんも参加したようだ。
「最初はかなり雲行きが怪しかったです。やはり『獣人種』の代表が書状の内容に批判的で……」
「飛川さん、でしたよね。『兎人族』の」
里に入ってダイギリさんの次に接触してきた人だ。聞けば人間嫌いの急先鋒だという。
今だ、自分自身異種族としての自覚がない私としては複雑な心境。
「はい。でも、最終的には最前線の現場に赴いていた、キキョウさんとサクラちゃんの証言のおかげで何とか収束しました」
「ちゃんと事実を言ってくれたんですね。あとでお礼に行かないと」
里を出るナナシさんと、それを見届けるエミルさんを見送った後。
私と朱音ちゃんでキキョウさん達に事の顛末を聞きだした。
最初に会った時の快活な雰囲気は鳴りを潜め、どこか呆けたまま聞いた内容は。
『殺気も敵意も、一切発していなかった……こっちが殴っても投げてもされるがまま。唯一剣を抜いたのはあたしが斧を投げた時。けどそれも今思えば、皆の家を壊さないように受け流していたよぅに見えた……そして、サクラを戦いの余波から守った……んだと思う。命を削った大技を、あいつは他人の家の心配をしながら捌いていたんだ……』
『命を削った……?』
ナナシさんに放ったという技の特性を聞くと。
『あの人はそれも見抜いていたんですよね?なら、あなたの事もまとめて救ったんでしょうね』
『……あいつは、何なんだい?』
『ワルイガ=ナナシ。人間の男性で、私たちの仲間です』
いかにも彼らしい対応だと思った。
その行動を擁護するためと、誇らしさから、私は偽らず彼との関係性を話した。
無論、エミルさんにも。
「エミルさんも、ありがとうございます」
「私は別に……唯火さん達が敵ではないことを話しただけなので。お礼ならやはりキキョウさんに」
「それでも、ありがとうございます」
ナナシさん、及び朱音ちゃんとの関係性を説明する際内容を偽っていたことを謝罪した。
けど、既に主従関係でないことは察しがついていたようで大した驚きを見せず、淡々と受け止めてくれた。
彼女の『人間』に対する敵意を思えば複雑な心境だったにもかかわらずだ。
それでも私たちを自宅へ受け入れてくれたこと、書状の内容を通すために尽力してくれたこと、どれだけ感謝を述べても足りないくらいだ。
「まぁ、お礼と言ってもこのくらいしかできませんけど」
身を固めていた装備をすべて外し終え、居間のテーブルに腰を下ろすエミルさんの前に鍋を置く。
「あ。実はさっきからいい匂いがしてて気になって―――」
「? どうしたんですか?」
料理の香りに釣られてか、顔をほころばせるが、その表情は固まり私の事をまじまじと見つめる。
「その、エプロン」
「あっ。ご、ごめんなさい。キッチンの所に掛けてあったので、勝手に借りてました」
「……それ、姉が使ってたものなんです」
それを聞いた私は血の気の引く思いで、しまったと思った。
後悔と罪悪感に駆られながら慌てて止め紐を外しにかかると、
「あ!いいんです!唯火さん!」
「っ!エミル、さん?」
咄嗟に立ち上がりひもを緩める私の手を掴む。
「あの……いいんです。なんていうか、むしろ使ってほしいです」
「えっ……と」
予想していなかった言葉に戸惑っていると。
「なんか、嬉しくて。お姉ちゃんが、帰ってきたようなつもりになれるっていうか……」
いいながら、外しかけた紐を丁寧に結びなおしてくれるその姿は、私が彼女に抱く印象よりも幼く見えた。
「……わかりました。ここでご飯を作る時は使わせてもらいますね」
「なんか、わけのわからないこと言ってすみません……」
一転して、気持ち項垂れた様子になるのを見ると。
「んっ、んんっ……!」
「唯火さん?」
軽く咳払いをした後。
「じゃあ、朝ご飯できてるから。準備手伝ってくれる?エミル」
「あ……うん!」
今だけは、話にも聞いたことのない彼女の姉の真似事でもしてみようと思った。
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「中々乙なもんだな」
アティとの遭遇から一夜明け、目には見えない里周辺を見渡す高台のキャンプから朝日を拝む。
その壮観なる自然の風景は毎度感動を与えてくれるものだ。
「……ん?随分と早いな」
淹れたてのインスタントコーヒーをすすりながら、景色を眺めていると、眼下の里近辺から人影が姿を現す。
まだ日の出から数分と経っていないのに。
「って、あれはエミルじゃないか」
装備者の体格を隠す例のローブをかぶりながら、辺りを注意深く見渡しながら歩いている。
一度正体を見破ると効果は格段に薄れるみたいだな。
「見回り、か」
茂みに隠れた何かを検める様子や気配を探る仕草からそう断定。
ふと、首ごとこちらへ視線を飛ばしてくる。俺の視線に気が付いたり目が合ったというわけでは無いだろうが、位置は分かるんだろう。
「ま。隠れる必要はないからな」
里を出る直前、唯火達と約束した通り、火を焚きわざと煙を立ち昇らせている。
これは、彼女たちに俺の居場所を知らせているためでもあるが、俺を快く思わない『異種族』の彼らの為でもある。
書状のご威光があるとはいえ、突然敵意を抱いている相手と森で出くわしてしまうのはやはり気の毒。こうして居場所を知らせておけば極力会わないで済むことだろう。
「……森の中に入っていったか」
何とはなしにエミルの動向を眺めていると、軽い身のこなしで木を登り、枝伝いにさらに深い山奥へと姿を消した。
「あっちは、俺たちが来た方向とは逆側か」
この山々は深く、広い。
一言に見回ると言っても苦労していそうだった。
「……何の用だ?」
高台の淵からエミルの背中を見送ると、背後の木々から気配。
そして何かが風を切り迫る音。
特段殺意が含まれていない気配が頬を撫で、視界に入ったそれを片手でつかみ取る。
「果物?」
手のひらに収まったのは見たことのない果物だった。
色々、見聞きしてきた知識を蓄積している自覚はあるが、記憶の琴線には一切触れることのない未知の物体。
「―――随分と、一等地に陣取ってるじゃねぇか」
「お前か」
既に聞いたことのある声。面識もある、強者独特の刺すような雰囲気を振り返る。
「こんなところで茶をすすりながら女の尻を目で追ってんのか?いいご身分だ」
「客としてきたなら淹れるぞ?ダイギリ」
「はっ。いらねぇよ。コーヒーの匂いってのはどうにも鼻につく」
そう言って投げつけてきたものと同じ果実に歯を突き立て齧り取る。
リンゴのような瑞々しい音を立てるあたり一応食えるものらしい。
「茶を飲みに来たんじゃないなら……俺と戦うのはまずいんじゃないか?」
こいつは戦いに愉悦を感じ、強さに序列を求めるタイプ。
川原で俺に負かされてから、虎視眈々とリベンジを狙っているのは昨日の里の中での言動で容易に分かる。まさかあの時は、翌朝に会うなんて思わなかったけど。
「爺さんの書状の事か?別に、お前に関して不干渉でいろって書いてあっただけだ。戦うな、とは書いていなかったぞ?」
「いや……戦ったら干渉することになるだろ」
何を言っても自分の考えで動きそうではあるから、何を言っても無駄だろうけど。
「まぁ、今日は違うんだよ。お前に面通ししとかなきゃなんない奴らいるんだ。面貸せ」
「……誰と会えって?」
「ついてくれば分かる」
残った実を一気に頬張ると、余った芯を焚火の中に放り込み背を向け歩き出す。
「勝手なやつだな」
ダイギリにならうように、受け取った果実を齧ると。
やはり食べたこともないような味が口に広がった。
他作者様が書いている作品を読もうものなら筆が止まる。
面白いからそっち見てたくなる。
あぶねぇあぶねぇ




