179話 解毒
殴り飛ばした老体は家屋の壁、梁、柱。すべてを飴細工のように破壊しながら吹き飛ぶ。
その通り道にはぽっかりと風穴が空き、その先で今なお勢いが萎えることなく地を転がり続けるのを睨みつけた後。
(手元には無かったか)
憤怒を物理的にぶちまけ幾分か溜飲が下がる。
老人がいた周辺に素早く視線を巡らすと手近な場所に『解毒剤』は置いていないようだ。
(だったら……)
その確認を一瞬で済ませ、視界の端に横たわる朱音の姿を捉えると怒りは再燃。
殴り飛ばした先に目を向け、身に着けた布切れも相まってボロクズのように地を跳ね回る姿を追う。
(『解毒剤』の在りかを吐かせる)
先に手を出した以上穏便に事が済む事は無いだろう。
激情に任せた愚かな行動とも思わないこともないが、あの老人の歪んだ視線と目があった時。到底分かり合えるとも思えなかった。
今の俺には微塵の後悔もない。
(それに……)
今の一撃は怒りに任せた渾身。『超剛力』の膂力を発揮した拳。
それでも、やつが意識を保っていると、致命傷に至っていないという確信があった。
なぜなら――――
「おじいちゃんッ!!?」
家屋に空いた風穴を抜け、吹き飛ぶ影に追撃をかけようと踏み込むと、横合いから悲鳴のような呼びかけが上がる。
「……エミル?」
思わず動きを停止し声の主を見ると、エルフの少女、エミルがそこに立っていた。
「ナナシさん!」
「兄者!」
遅れてその後ろから唯火とフユミちゃんが追い付く。
「なんで、皆が―――」
ここに居る?そう問おうとしたが、置かれた状況。仲間の危機を前に、その問いは現状必要のないものと判断を下す。
エミルの言葉の真意も、今は捨て置く。
「ま、まって!やめ……!」
森の奥へと飛んだ老人に視線を戻すと、エミルが懇願する様にその間に割り込む。
それと同時に、
「カッ!カカッ!カカカカカカッ!」
愉快さを多分に含んだ耳障りな笑い声が山に響く。
言うまでもなくあの老人のものだ。
「エミール!随分と面白いモノを連れてきたものだ!」
「お、おじいちゃん!大丈――――」
「無駄話に付き合う暇はない」
言葉通り、無駄を省くために分かりやすく剣を抜くことでこちらの意を放つ。
それを見て、敵意を向けてくるエミルを、
「退いてろ」
「ひ……ッ!?…ぁ」
『竜王殺し』の『威圧』をもって無力化。
「ナナシさん!?」
「……兄者、朱音は?」
力なくへたり込むエミル。
その光景に驚きを見せる唯火達。
「『解毒剤』は―――」
震えるエルフの横を通り過ぎ、剣を握る手を怒気とともにさらに握り込むと。
「まぁまて。約束だ、あの『人間』の娘に効く『解毒剤』をくれてやる」
先程とは打って変わってそう言う。
「え……?『解毒剤』って……?」
「っ……朱音!どこにいる!?」
「ま、まってフユミちゃん!」
後ろで、二人の気配が慌ただしくなるのを聞きながら。
「……」
「虚偽かどうかを探る時間などないのではないか?」
俺は一人、老人の真意を測りかねていた。
:::::
「…………」
覚醒。
自分でも驚くほど意識が覚醒すると同時に瞼を見開く。
まるで目を覚ますことを妨害していた何か今しがた消えたかのように。
「ベッド?ん……あた、し」
それでも眩しさに目が眩む事は無かったのは、
「なに、ここ?気味悪い……」
ロウソクの頼りない明りのみが照らす薄暗い影が揺らめく密室だったからだろう。
部屋の景色を見回り一つの結論にたどり着くのに数十秒といらない。
「なんて、悪趣味な部屋なの……」
いまいち役割を果たしきれていない乱雑な本棚。ロウソク台変わりなのか何かの動物の下あごの骨のようなもの。
ところどころに見られる骨は何のものなのか知りたくもない。その他、よく言えばどことなくエキゾチック。
正直に言えば黒魔術みたいなオカルティックで気持ち悪い感じ。
ロウソクの火に揺れる影がそれを助長していた。
「……ワルイガ、は?」
それでも、目に映る光景に反して体は軽く気分も良い。
何気なく髪に触れてみると、三つ編みに束ねた髪は解けていた。
(……髪降ろしてると落ち着かないわね)
変装の三つ編みがちょっとしたイメチェン気分で密かに気に入っていたのもある。
それ抜きにしてもどこかしら結ってないと座りが悪い。
(何か、縛るものあるかな)
ベッドに手を突き軋む音を聞きながら床へと降り、ふと手近なテーブルを見ると。
「あたしの銃……と」
置いてあった愛銃を手に取り、その下にあった布切れ。
最初は何だかわからなかったが、ひどく裂けた形状と赤黒く血濡れた部分を見ると朧げな記憶がその正体を導き出す。
「え?服?あたしの……え!?」
思わず自分の体に手を這わせ検める。
身を包んでいるのは薄く肌触りの良い生地、そしてやけに開放感のある感覚。
袖は妙に長く着物の様にゆとりがある、ただそれ以外がどうにも心もとない。
ワンピース状の丈は短いし、脇下から裾に掛けて肌をあらわにしているスリットが入ってそこを紐が交差していって固定しているだけ。それが両脇とも。
「な、なによこの服!」
落ち着かない。
可愛いと言えなくもないが普段の自分ならまず着ない、というかこんなもの見たこともない。
「ま、まままさか、あいつが着替えさせたんじゃ……」
そんなことよりも、状況把握や優先すべき事柄があるようにも思えるが、今のあたしにはそれが最優先事項だった。
「……下着は、ついてる」
そのことに大いにホッとし、多少冷静さを取り戻すと。
「……とりあえず、出た方がいいよね?」
誰が聞いてるわけでもない問いを口にしながら、不気味な部屋のドアへと向かった。
・・・・・
「………」
「……エミール。すまんが、その戸棚のインクを取ってくれんか」
「戸棚の……あ、これ?」
「そうだ」
老人が住んでいると思われる廃れた家の一室、リビングだろうか?
どでかい風穴が横切るように壁をぶち抜いているから全容がどうだったのかいまいち想像できない。
ともかくそこで、骨ばった細腕が奏でる乾いた筆の音を聞いていた。
「あぁ……また間違えてしまったか。書き直しだな」
エミルの言っていた書状だろう、先程から書いては直し書いては直しを繰り返している。
その度にインクやら筆やら変えているがその意図はさっぱりわからない。
「……エミルさんのおじいちゃん。これで5回目ですね」
「フユよりよっぽど耄碌してる」
ちなみに、老人の正体はやはりエミルの祖父らしい。
それならそうと言っておいてくれても良かったとも思うが、聞いてたところで何が変わったわけでもないかもしれない。
「ああ、そうだな」
「……あ。お茶、おいしい」
「姉者。こんな怪しいものよく飲める……」
「ああ、そうだな」
「「………」」
自分でも自覚はある。
心ここにあらず、無論朱音の容態が気がかりで。
その心境は唯火達も同じだろうが何とか言葉を発し、悪い予感から思考を遠ざけようとしてくれている。
「きっと、大丈夫ですよね。『解毒剤』も飲んだんですから」
エミルの祖父が『解毒剤』をやると言った後、すぐさまそれを二人分受け取った。
まずは毒味のために同じマンティコアの毒に侵されている俺が試し、その効能はすぐに確認できた。そして液状だったそれは、難なく朱音の喉を通った。
だが……
『薬効というのは、異なる成分と交わることでその効能に変化をもたらすこともある。お前の飲ませた『解毒剤』と相性が悪ければ、本来の効果が望めない場合もあることは理解しておけ』
その文言は俺たちを不安にさせるには十分不吉なもの。
俺と違い、朱音は短時間に何度も俺が作った『解毒剤』を摂取している。
爺さんの『解毒剤』が俺に効果があったからと言って彼女もそうだとは断定できなかった。
「傍にいてやりたいが……」
「仕方ないさ。それに、正直できる事は無いからな」
その後、朱音を気味の悪い部屋に押し込め寝かせると、面会謝絶となった。
あの爺さんが頑なにあの部屋への入室を拒んだからだ。
どちらにせよ、今の俺たちにできることは何もないので渋々従うことにした。
「おじいちゃん、そんなにこだわらなくても……」
「何を言う。退屈なこの山での生活、こんな愉快でわけのわからん事そう無い。筆も踊るというものだ」
どうやら六度目の書き直しらしい。
「……やけにテンション高いな。あの爺さん」
「孫のエミルさんに会えてうれしいんじゃないんですか?」
順当な考えだが、そんなタマとも思えない。
先の、懇願する俺と衰弱した朱音を見る目。そこに命あるものへ対する『興味』というか、そういうものが一切感じられなかった。
『人間』の俺たちは、物言う物体、みたいな認識を向けられていたように感じる。
だから、というか……
「朱音にもしもの事があったら……俺は」
「ナナシさん……」
無理やり押し込めた、老人への敵意と殺意が燻り始める。
仲間を、目の前であれほど傷つけられたのは俺にとってよほど大きな精神的ストレスだったらしい。
腕の中で苦しむ衰弱していく様子を思い出すたびに背筋が凍る、心臓が締め付けられる。
それらを、湧き上がる激情で曖昧にしないと今にも――――
「あっ!ご、ごめんなさい、おじいちゃん……インクが」
「カカカッ!構わん。七度目、だな」
「「…………」」
エミルがインクの瓶を倒したのか、その物音で我に返ったように息を吐く。
唯火とフユミちゃんは息を呑み沈黙し、エミルは体を震わせ零れたインクを拭きながらこちらをチラチラとみる。
その中で、今漏れ出たものと同質の殺意とともに殴り飛ばされた当の爺さんだけは、やはり愉快そうに笑っていた。
(……あの時の手応え)
肉に拳を沈めた手応えは感じなかった。
怒りのあまり視野が狭くなっていたから目視で確認はできなかったが、間違いなく何らかの方法で
あの拳打を防いだに違いない。
(結界……俺と朱音を弾いたあの結界が関係しているのか?)
無意識に、思考は殺意の対象を攻略する手立てへと向けられているのに気が付く。
俺を心配そうに見つめる二人の視線で。
「ごめん。ちょっと……苛立った」
そう言って殺意の対象である老人が淹れたあやしい湯呑を手に取る。
存外、香りの立ったそれを鼻腔に感じつつ平静を取り戻そうとすると、
「―――あれ?あんた……」
「……起きたみたい」
背にしたソファの背後から、ノブが捻られ扉が開く音とともに発せられる声。
まず最初に向けられたエミルがその姿に気づくと。
「朱音!」
「朱音ちゃん!」
「えっ?マスターに唯火まで……?わわっ!?」
二人が弾かれたように扉へと駆け寄ると、背後ではがたがたと騒々しい物音。
恐らく勢い余った二人に抱き着かれたんだろうか。
(……間に合った、か)
飲みかけた湯呑を置くと、脱力したように背もたれへ体を預け首をねじって三人を振り返る。
「……あ」
「気分はどうだ?」
そこには案の定二人に抱き着かれ絡まれた朱音の姿。
聞くまでもなくその顔色には赤みが戻り、毒が消えたのだと確信する。
「ちゃんと、『解毒剤』が効いたみたいだな」
「『解毒剤』……」
呟き何かを思い出すように視線を巡らせ、唇へ指が触れると。
血色を取り戻した頬がさらに色づく。
「ノ、ノーカンだから!」
「……ん?」
「き、緊急時!だったんだから……ノーカン……だから」
「「?」」
疑問符を浮かべる二人。
察しのついた俺は短く、
「ああ、医療行為だ。忘れるよ」
それだけ答え、再びソファに体を預けると安堵からくる深い息を吐く。
「……別に、忘れてほしいわけじゃ……ないけど……」
朱音が何か言った気もするが、緊張から解放され、
(本当に、よかった)
いつになく気の抜けた俺はそれを聞き取るに至らなかった。




