177話 霧薙ぐ
気休めにと、朱音の服の腹回りを裂き肌を露出させ服の切れ端で患部を覆い、羽衣を帯び状に変形させ朱音の腹へ巻き付ける。
出血自体の対策と、血が衣服に染み渡り体温の低下を招くのを防ぐためだ。
(朱音の容態に気を配りつつ『ご意見番』を探す)
「はっ…はっ……」
浅い呼吸を繰り返しぐったりとした冷たい身体を抱きかかえ立ち上がると、視界の端から飛び込む影。
「そう簡単にはいかないか……!」
剣の腹で飛び出してきた攻撃を受ける。
間違いない。さっき朱音が倒れた直後に見たサソリの尾。毒針の刺突。
(今の攻撃、やっぱり直前まで『敵意』に気づけなかった)
サソリの尾を払い弾くと再び霧の中へと消える。
そして気配は完全に途絶えた。
思った通り、結界の内部は一定の範囲で探知機能を削ぐ、エミルの『ブロウミスト』の効果と同じ状況下らしい。
(なのになんで敵はこっちの位置を正確につかんでいる?朱音の乱れた呼吸音か?)
いや、どんなに聴覚を強化してもあちらの音は一切聞こえない。相手も同じはずだ。
そもそも朱音が毒針を受けたのは平常時。到底聞き取れるとも思えない。
(となると、こちらよりも優れた探知機能があって、それだけは結界内でも機能する……)
『『マンティコア』。頭部と胴は獅子。背に翼を持ち、尾にはサソリの猛毒』
「……嗅覚、か?」
獅子。ライオンは草むらに潜み、狭い視覚と鋭い嗅覚で獲物を見つけると聞く。
ネコ科の嗅覚は確か人間の2倍という話だ。スキルで強化したこちらの五感よりも十分優れていると言ってもいいかもしれない。
「なら、こいつで攪乱くらいには……」
先程解毒薬を調合した時半端に余ったすり潰したキノコ。臭いがきついので『隔絶空間』に収納しておいたそれらを取り出しばら撒く。
が、
「ちっ!効果なし、か!」
三度目の尾の刺突。その攻撃は突然視界に現れ、その一瞬では斬り落とすのは困難な速度。
受けると同時に尾はしなり剣撃の間合い外へと逃れ霧に隠れると、すぐさま次の刺突を放ってくる。
数十とその防勢を続けると、攻撃の波は一時引く。
「うぅっ……!」
「! 朱音!『解毒剤』だ……」
その隙に、ニ度目の『解毒剤』を摂取させる。
「っは……ぁ……っ」
「……埒が明かない」
受け続けることは可能だ。長期戦に持ち込めば必ずボロを出させて勝つことはできる。
だが、朱音にそんな時間は残されていない。
「……勝負に出ないとな」
もう一度『隔絶空間』を開き、今度は採取しておいた毒々しい色のキノコを取り出す。
そして、一切加工のされていないそれを頬張った。
(エミルの毒矢。あの毒はもらって以降悪化はしていたが【薬剤師】を獲得してから明らかにその症状は緩和されていた)
『精神耐性・大』の成せる業か。皆に悟らせずにやせ我慢はしてたけど、あの毒は死に至らないまでも確実に免疫のない人体を行動不能に至らしめるものだったと、今になって思う。
何故そんな強い毒を『解毒薬調合LV.1』程度でああも簡単に打ち消せたか?
それは、俺の中に『耐性』があったから。
『状態異常耐性LV.1』
このスキルによる毒の中和が進んでいたからだ。
そして加工前のこのキノコたちは『有毒』。意図的なそれの摂取、つまり―――
《熟練度が規定値を超えました》
《『状態異常耐性LV.1』⇒『状態異常耐性LV.2』》
スキル熟練度の獲得。
それと同時に残り少なかったキノコを平らげる。
(気休めかもしれないが、縋るしかない)
直後、牽制の様に放たれた刺突を受け、弾くと。
「朱音。降ろすぞ」
彼女を地べたへと寝かせる。万一の事があってはならない。
「……ワル、イ、ガ?」
「少しの間だ」
それだけ言い残し尾が消えた先を振り向くと、繰り返される直線的な刺突。
迫る一刺。
(もたもたしている時間はない……確実。確実にこいつを仕留める!)
いまだその姿を見せないマンティコア。霧の中から放ったサソリの毒針。
俺はそれを、
「……捕まえたぞ」
受けた。
剣ではなく、黒鉄の左腕でもなく、肉体で。
弾くのではなく無防備な腹部へと毒針が食い込み痛覚を感知したと同時に、その尾を腕の膂力で拘束した。
尾を戻し引き抜こうとするが抜けない、その尾の動きに動揺しているようなものを感じる。
そしてどうやらそれなりに知能は高いらしい。力負けする気もないが、強引に尾を引き寄せ迂闊に間合いを詰めさせるのを危惧しているんだろう。
だが、
「好都合だよ」
更に傷を深めるように引き寄せると、ミスリルガントレットを装備した左腕を突き出す。その先は尾が伸びる霧の中。まだ見ぬ異形へ。
「―――『放魔』」
左腕に宿っていた魔力を解放する。その力は『重力』。
名持の竜、『アトラゥス』が操りし圧し潰す力。死闘の中で蓄積していたそれを解放。
「……ふっ!」
霧の中に伸びる尾は地へと磔にされ土は沈む。
傷口から抜き出た痛みとともに駆け出した、圧により地が陥没する領域を避けて。
絶対に逃がすことはない、絶対に外すことはない。
このサソリの尾が伸びる先で、
「終わりだ。マンティコア」
地へ伏し、回避も防御も適わない隙を晒しているのだから。
『高速走法』
『型無の体』
『洞観視』
『弱点直感』
『型無の剣』
解放された魔力は消え、重力の拘束が解かれる刹那。
「『瞬動必斬・三叉』」
四肢の双眸がこちらの姿を認識する前に、起き上がる動作を取らせる前に。
超速三連の斬撃で、その巨体を細切れに分割した。
・・・・・
「はぁ…はぁ…」
乱れた息のまま、力なく伸びた尾を辿ってその場へと戻る。
こうしてみると異様に長い尻尾だ。もし翼での飛行を織り交ぜられた戦いだったらもっと手こずったかもしれない。
「流石に、効くな。この毒は」
乱れた息は技の負荷からくる疲労ではなく毒の影響からくるもの。
実際のサソリの毒は致死に至ることなど稀な程度のもののはずだが、モンスターのそれは規格外ということだろう。
《熟練度が規定値を超えました》
《『状態異常耐性LV.2』⇒『状態異常耐性LV.3』》
(……ありがたい)
毒が強い分熟練度も溜まりやすいのか。
明らかに、体内の毒が中和されていくのを感じる。
「朱音!マンティコアは倒したぞ!」
この猛毒に抗う術を持たない朱音の元へと駆け寄りその体を抱き起す。
「よか……た……くっぅ…」
「……『解毒剤』だ」
「んっ…ぅ……」
幾分かマシになる呼吸。これであとは残り二つ。
「毒、の……せい、かな……す、ごく……ドキドキ、する」
「……余計に喋るな。息を整えろ」
「冗談の、通じない……やつ…」
再びその体を抱きかかえ立ち上がる。
邪魔者は倒した、あとはマンティコアの飼い主を探すだけだ。
「とはいえ状況が好転したわけじゃない」
依然としてタイムリミットは迫っている。秒針が加速する様に、間隔が短くなる朱音の呼吸に焦りが募っていく。
(考えろ。闇雲に駆けまわったって時間を食うだけ)
『ご意見番』と俺たちをつなぐのは……マンティコア。
あのモンスターの存在だけが俺たちの共通点。片や飼い主、片やそれを殺した人間。
「……結局、あいつはなんで俺たちの居場所が分かった?」
視覚も聴覚も嗅覚も敵意も。一定の範囲であらゆる気配の探知を阻害する霧の結界。
その中で、なんであのモンスターだけ……
「いや。マンティコアだけじゃない」
もう一人いる。この結界の中で一日の長、いやそれ以上の優位に立つ存在。
エミルの『ブロウミスト』と似通った特性を持つこの結界なら、
「『術者であれば結界内の気配を感知できる』」
マンティコアを番犬代わりに飼うというそいつなら、その役割を果たさせるために任意の対象に対して、結界による認識の阻害の強弱をある程度操れるんじゃないか?
「……結界内に侵入直後から俺たちの存在に気づいていれば、悠長に『解毒薬』を作る間もなかった」
結界内の全てを見通せる特性を持つならもっと早くマンティコアを差し向けていたはず。
そうしなかったということは術者が通常の範囲で認識できる中でしか、侵入者を感知できない。
もしくは、離れた距離ではぼんやりとした気配は感じられるが正確な位置は把握できない、か。
(どちらにせよ、マンティコアへの認識阻害を和らげるにはある程度距離の制約があるはず)
つまるところは―――
「いるな。近くに」
だがマンティコアを倒した今、警戒して身を隠してしまうかもしれない。
この霧の中逃げ回られたら見つけるのにどれだけ時間がかかるか……
「くそ!この霧さえなければ……!」
『ご意見番』の後姿を捉えたような気もするが、依然として最大の障害である『霧』の結界が尚の事忌々しく感じる。
「どうする……」
「……ワルイ、ガ」
焦燥する中、力ない呼びかけが響くように耳に飛び込んできた。
「こ、れ……もう、いい、よ」
絶え絶えに言いながら、刺された脇腹に手を置く。
「なに、言ってんだよ?」
「もう、いい、から」
魔力で操作したのだろう。腹に巻き付けた羽衣がはらはらと解け、肌と痛々しい傷口が露わになる。
「おい馬鹿!なにやって……!血だってまだ止まってないんだぞ!なのにこんな……諦めるような……!」
朱音の行動に思わず声を荒らげ、俺は大いに動揺した。
そんな様子を見て、薄く笑いながら続ける。
「馬、鹿は……あんた、よ……これ、を……これ、で……」
「何を……」
震える手で握られた羽衣を眼前にまで掲げる。
朱音の手ごとそれを握ると、彼女の鮮血が滲んでいた。
「……『超剛力』」
「!」
そう呟くと、体が付与の光に包まれる。
「吹っ…飛ば、せ」
(! そうか……!)
この結界は自然現象の『霧』としての特性を多分に含んでいる。
霧。その正体は雲と一緒だ。雲は、流れる。
そう、『風』によって。
「そうだな。吹っ飛ばせばいいんだ」
「……ほん、と。鈍感、ね」
再び朱音を下ろすと、受け取った竜鱗の羽衣を展開する。
こいつは形状、面積だけじゃない。持ちうる上限下限の中でその硬度を変えることもできるんだ。
「さながら、『亀甲竜』ってところか」
『竜』の名を含む多肉性の観葉植物。その葉の形を模した巨大な扇。
空を薙ぎ風を巻き起こすにはおあつらえ向きの形状。
「―――っ!!」
振りかぶると、大きな空気抵抗。それを薙ぐとなると更なる摩擦が生まれる。
常人の力では緩やかに振るわれるだけの動作、だが。
『超剛力』によって得られた膂力はその空気抵抗をものともせず空を薙ぐ。
そして生じるのは、
「晴れ、ろ……っ!」
木々を揺らす突風。そのさざめきとともに、
辺りを覆う『霧』は、流され散らし、消し飛んだ。




