175話 試しの回り道
「なぁ。さっきまだ先は長いって言ってたけど具体的にはどのくらいなんだ?」
先頭を行くエミルに最後尾から質問を飛ばす。
「具体的な距離は言えない。外界から里の具体的な位置は里の中でも極一部の人数しか知らないの」
「『外界』?」
「山の外側の事をそうして呼びます。里で暮らす大部分の人は限られた範囲を生活圏にして暮らしていて、そすることで秘匿性を高めているんです」
フユミちゃんの一件以来か、牛しぐれ煮が効いたのか分からないが、多少はエミルの俺へ対する態度が軟化した気がする。
教えても問題ない情報だからというだけかもしれないが、こうして『交錯の里』の情報もわずかながら話してくれた。
「エミルもその極一部の一人なのか?」
「そうだけど……教えないし、あと気安く呼ばないでと言ったでしょ」
名を呼ばれるのは変わらず嫌っているが。
「皆、申し訳ない。フユのせいで遠回りすることになって」
「そんな!私の配慮が足らなかっただけで、フユミちゃんは何も悪くないですよ。ほら、あなたがどうでもいい事聞くからフユミちゃんに気を使わせたじゃない!二人の従者なら大人しく従っていなさい」
そう、俺が距離を訪ねたのはフユミちゃんの体力を考慮して肉体的負荷の少ないルートへと変更したからだ。先ほどの休憩で体力は回復したようだがまたすぐに疲れは蓄積する。
曰く、
『当初のルートだと普通に進んで2時間。特別な移動法なら20分程度でたどり着けるけどこれは『エルフ』の私にしかできない』
そして、比較的道がなだらかな遠回りルートは半日は要するとのことだ。
「悪い、フユミちゃんそんなつもりじゃなかったんだ。気にしないでくれ」
「ん」
「……というか、二人の従者だっていうのに少し馴れ馴れしいんじゃない?」
ふむ。ようやくそこを突いてきたか。
「あまり手綱を引きすぎても実力が発揮できない。これが一番適切な距離感」
「な、なるほど……完全にこの男の精神を掌握している、ということなんですね」
よくわからない理論だがエミル的には納得できたらしい。
フユミちゃんもよくよくアドリブの利く。
「なんにしても、こっちのルートを通るのには他にもきちんとした目的があるので、本当にフユミちゃんが気にすることなんてないんですよ………あなたたちは心の準備をしておいた方がよさそうですけど」
「……ふんっ」
俺と朱音、二人へと向けられたエミルの言葉にそっぽを向く朱音。
「エミルさん。その、こっちのルートにいる『ご意見番』の方っていうのは本当に里の外に住んでいる方なんですか?」
抱えているものを口にすることで少しは気持ちが安らいだのか、見た目には平静な唯火の問い。
「はい。とても変わり者で、同じ異種族でもあまり群れたがらないというか、一人が好きな方なんです」
「そのご意見番に、俺たちの品定めをしてもらうって言って話だよな?」
「そう。よく考えてみれば『人間』なんて連れて行ったら唯火さんたちの立場まで悪くなる。でも『ご意見番』のお墨付きがもらえればその問題は解決するから。こっちのルートを選んで正解ってこと」
せいぜい無礼を働いて嫌われないようにね、と。
「……もしお眼鏡にかなわなかったら?」
「あなたたちはこの山から出てもらう。最悪、その場でご意見番に……」
「消される、か?」
「あなた達の運次第」
そう突き放すように言う様子は、やはり根っこの部分で俺たちを到底受け入れられない感情があるように見えた。
・・・・・
「……そろそろかな」
そう言ってエミルは立ち止まると。
「ここから先はあなた達だけで行って」
「俺と朱音だけで?」
指さす方を見ると、不自然にそこから霧が立ち込め始めている。
「この先にその『ご意見番』がいるっていうの?」
「そうよ。あと、一応忠告しておくと、この先にいるのは彼だけじゃない」
「他にも『異種族』が?」
「いいえ。いるのは、モンスター」
彼女の言葉に反応したというわけでは無いだろうが、そうとも取れるタイミングで辺りを震わす咆哮が響き渡る。
「この声は………」
「『マンティコア』。頭部と胴は獅子。背に翼を持ち、尾にはサソリの猛毒」
「……強いのか?」
「私なら逃げる。危険なモンスター。そんな中に唯火さんたちを連れていくわけにはいかない」
「『人間』のあたしたちなら、ここでモンスターの餌になっても問題ない。ってわけね」
「人聞き悪いわね、あなた達次第って言ったでしょ?」
「なんで、そんな化け物が野放しになってるんだ?」
おまけにこの先には『ご意見番』がいるという。そいつは平気なのか?『交錯の里』は襲われないのか?
「『ご意見番』が飼っているのよ、番犬として。この霧の結界から外は出られないからその範囲でね」
と言っても制御できているわけじゃないから、同じ異種族でもマンティコアが怖くて中に入れない、という。
「なるほど。それは確かに変わり者だ」
モンスターの入手経路も気になるところだが。
「そういうこと。どうする?『ご意見番』にあって運を試す?それとも、このまま里に同行する?その場合高い確率であなた達は冷遇されることになるけれど」
「ナナシさん………」
唯火もフユミちゃんも心配顔だ。未知の土地で未知のモンスター、か。
「……行くしかないだろ。俺たちも一緒に里に入れるならそれに越したことはない。正直なところ、二人だけ里に置いていくのは不安だからな」
「………そ。最後のは心外だけど、その忠誠心は認めてあげる」
「忠誠じゃない。仲間よ」
「………はいはい。それが唯火さんたちの恩情ね。おめでたい」
この娘も随分と慎重に人を値踏みするものだ。
「そのマンティコアってのは倒しても、文句言われないよな?」
『隔絶空間』から荷物を取り出しながらエミルに問う。
正当防衛でマンティコアを飼っているという『ご意見番』の評価が下がってしまえば元も子もない。
「さぁ?それも運次第でしょうね。その後の心配より生き残れるかの心配をした方がいいんじゃない?あの怪物はダイギリでも戦いを避けるから」
「その『鬼人族』君なら、ワルイガがのしたけどね」
「……ふんっ」
返す言葉に今度はエミルがそっぽ向いた。
なんで朱音が得意げにどや顔してるんだか。
「兄者。さっきから何を出してるの?すり鉢に……すりこぎ棒?」
「ん?ああ、ちょっとした準備だ」
ひそひそと俺の元へしゃがみ込むフユミちゃんにそう返すと、
「というか姉者、これ使うの?」
「えっ?ゴマとか擦りたての方が香り立つから……」
「まぁ……なんにしてもありがたい。少し借りるぞ」
「は、はい。構いませんけど……」
この先いちいち『隔絶空間』を開いている余裕があるかもわからないし何よりMPを無駄に消費したくない。
必要な荷物を手頃なバックパックに詰め込み携帯する。
「朱音も、予備の弾倉持っておけ」
「ん。ありがと」
モンスターに対して朱音の持つ並の拳銃ではダメージはほぼ見込めないが、ワンアクションで鉛球を当てる牽制は時に攻撃以上の意味を持つ。
「準備万端って感じみたいだけれど、本当に行くのね?」
『隔絶空間』を閉じた向こう側に立つエミルが最終確認と言った風に言う。
その返答として、
「エミルも、俺達二人を『ご意見番』の所に向かわせていいのか?仲間なんだろ?」
『人間』を敵視し同じ『異種族』への仲間意識の強い彼女なら、まず印象の悪い俺を向かわせるようなことはしないとも思えるのだが。
「問題ない。もしあなたが彼と戦う気だとしても、手も足も出ないだろうから」
「……なるほど、な」
マンティコアなるモンスターを飼うというそいつは、その化け物を超える化け物。
ということか。
「ナナシさん。朱音ちゃん。気を付けてください」
「二人とも、待ってる」
「ああ。すぐ戻る」
「唯火。マスターをお願い……行ってきます」
「………」
最早エミルに対する体裁を捨て俺たちの身を案じる二人。
その見送りの様子を、『エルフ』の彼女はなんとも読めない表情で見ていた。
「そうだ、忘れてた……もし『ご意見番』に会えたらこの書状をわたして。私からのものだと分かるサインがしてあるから。万が一あなた達を彼が認めたならそこにその旨を綴ってくれる」
「それを持ち帰ればいいってことだな。わかった、ありがとう」
「ベ、別に。唯火さんたちの同行者だからここまで面倒見てるだけだから」
それでも、『人間』と行動を共にするということは、里の仲間から一定の反感を得るに違いない。
それを推して書状を用意してくれたことには感謝しかない。
「これ持ち帰ったら少しはあたしたちの事認めなさいよ?」
「……そこに『ご意見番』のメッセージが書いてあったらね」
少し離れた距離で睨みあう二人。
種族の違いというより、なんとなくこの二人は反りが合わなさそうだ。
「よし。それじゃ行くわよ。マンティコア退治」
「……『ご意見番』に会いに行くのが目的だぞ?」
『異種族』に『人間』を認めてもらう試練が始まる。




