170話 霧
川原で一晩を越すと。
「ものすごく濃い霧だ」
テント目が覚めテントから出ると視界一面が真っ白に塗りつぶされていた。
そして同時に違和感に気づく。
(こんなの濃霧のわりに湿度が低い)
霧なんてのは要するに地面近くにある雲だ。つまりその正体は水蒸気の水粒。当然湿気を含んでいる。
「……もしかして、何かしらの『スキル』か?」
吸い込んでも特に害はなさそうだから霧状の毒という線はない。
「数歩先も見えない濃霧……」
山の天気は変わりやすい。気温の変化が激しい早朝は特に。だけどただの自然現象とも思えない。
(ダイギリたちと接触してすぐこれか)
順当に考えるなら、『交錯の里』関係者による進路妨害。というのが当たりっぽいな。
こうしたからめ手を即日使ってくるってことは、やはりあの『鬼人族』達は『交錯の里』の最大戦力だったのかもしれない。
「てことは、案外ゴールは近いのかもな」
とはいえこの視界の悪さ。
方角は来た道を脳にマッピングされてるから問題ないとしても、進んだことのない道をこの濃霧の中進むのは困難を極めるだろう。
(速めに出発した方がよさそうだ)
気配と手探りでフユミちゃん達が休むテントへと向かった。
………………
「うーわ。何にも見えないじゃない」
「雲の中にいるみたいですね」
「……でも、この霧少し変」
三人に声をかけると、ちょうど身支度を整えているところで、少しだけ待つと姿を現した。
誰もいなくなったテントを畳み、『隔絶空間』に放りながら。
「気づいたかフユミちゃん。多分、誰かの妨害だと思う」
「……昨日の『鬼人族』の人たちでしょうか?」
「それかその関係者だろうな。迷う心配はないが、こう視界が悪いと歩みも遅くなる。食事を済ませたら早々に出発しよう」
………
「でも、進むのは大変だけど。追手に見つかる可能性は大分低くなったわね」
先頭を俺に、フユミちゃん・朱音・唯火の順で縦一列となり進む。この霧の中はぐれないように一本のロープを四人で持ちながら。
「確かにな。怪我の功名というか、いい隠れ蓑にはなる」
「フユミちゃん。足元気を付けてね?」
「大丈夫。この靴、とても歩きやすいから」
キャンプを張っていた川原から森の木々をかき分け北上。
後方にある川原が南だから方向は問題なし。
「……なぁ。少し静かすぎないか?」
慎重な歩みを止めずに口を開く。
足元に落ちた枝を踏み折る乾いた音がやけに響いた。
「朝だからじゃない?動物とかもまだ寝てるんでしょ」
「何か気になることがあるんですか?」
気にしすぎか?耳を澄ませる癖があるから、こう周囲の物音が殆どしないと逆に落ち着かない。
昨晩も眠りながら川の音をずっと聞いていたからか余計にだろうか。
「……川の音」
「わぷ………どうしたの兄者?急に立ち止まって」
俺が突然足を止めたものだからフユミちゃんがぶつかってしまった。
「急に川の音が聞こえなくなった」
「どうしたの?そりゃ離れていってるんだから当然でしょ?」
「まだ数百メートルと進んでないんだ。『五感強化』なら十分に聞き取れる」
「確かに、昨日もキャンプ地から大分離れた場所で聞き取ってましたもんね」
「ふぅん……それで、何が気になるの?」
「何がということもないんだが……」
朱音の言う通り聞こえないからどうだという話ではある。
「あんたもずっと警戒してるみたいだから疲れてるんじゃない?流石に」
「大丈夫ですか……?」
「少し、休憩する?」
俺の不調からくるものと思ったのか、それぞれに心配の言葉をかけてくれる。
けど彼女らが心配するような体の不具合は感じられない。MPも全快してむしろ調子が良いくらいだ。
「―――いや、悪い。何でもないんだ」
先を急ごう、と話を切り足を踏み出す。
と、
「っつ!?」
太ももに短い衝撃。
「兄者?」
「なに?まだ何か―――」
「動くな!……狙われてる」
太ももに目を向けると、棒状のものが刺さり、その端には羽が生えている。
弓矢による狙撃。
「くっ……敵意が全くしなかった」
「! 兄者!血が!」
矢を引き抜きながら状況を把握する。
正確には敵意を感じなかったわけではない、手を伸ばして届くような距離にまで接近してようやく感知できた。普段なら弓の射程距離程度なら弓弦を引いた瞬間に反応できるはずなのに。
「ナナシさん!何が起きたんですか!」
「足に弓矢の狙撃を喰らった。音も殺気も感じない」
「ウソでしょ……この霧でどうやって……」
そう、朱音の言う通りこの弓の狙撃手は濃霧が漂う最悪の視界の中で俺を射抜いて見せた。そしてどういうわけか俺の索敵範囲が極端に狭まっているうえに遠くの音が聞こえない。矢が空を裂く音を捉えることもできないのだ。
「皆。背中を合わせるんだ」
四人がそれぞれ四方を見張るように背中合わせになる。
「ふー……」
「「「………」」」
剣を抜き集中力を高めると、三人も息を潜め沈黙。
そして狭まった感覚に侵入する気配。
「ふっ!」
朱音の左肩を射ようとしていた矢を今度は剣で迎撃する。
先程と違い完全な臨戦態勢なら何とか反応できる様だ。
「あ、ありがとう。ワルイガ」
「礼はあとにしろ……狙撃手は一人だな」
縮小された守備の間合いの中、一瞬だけ捉えられる殺気が最初のものを同質だった。
わざわざ狙撃ポイントを変えて狙ってきたの頭数を知られないための策か。
「まずいですね。相手にはこちらの位置がわかってるみたいです」
「ああ。それになんだか敵意も雲がかっているみたいに感じ、るっ!」
三つ目の矢を叩き落す。今度は俺の正面に飛び込んでくる矢。
「当てる気はあるけど、正確には狙えないって感じか」
何にしてもこの『霧』がこちらの索敵範囲に障害をもたらしているのは明らか。
「『霧』のジャミング、みたいなものか。そしてその中で狙撃手はこちらを認識できる………」
可能性としては――――
「皆、じっとしてろ!」
唯火の足元を狙う四発目を弾くと、羽衣を操作、三人だけを包むようドーム状に展開させる。
「兄者!」
全方位を守る盾を残し、俺は直上へと跳躍。『無空歩行』を一度挟みさらに高度を上げると。
「ッ!」
飛び込む光景に目を細める。
「やっぱりそうか……!」
上空、木々よりも高いその位置には視界の晴れた青空と山々に注ぐ陽光。
そして眼下には、
「山全体に霧が発生してたんじゃない、俺たちの回りだけ霧を発生させてたんだ」
地上に残してきた唯火たち、先ほどまで俺もいたその場数メートル程度範囲だけ『濃霧』に包まれていた。そして、今さっき弾いた矢の射線、その先に。
「――――あいつか!」
木々を背にローブで身を隠す人影を見つけた。




