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164.5話 香水

「ふぅ・・・」


 とある高層ビルの一室。


「・・・匂い、落ちちゃったか」


 その広い浴室で、浴槽に湯を張らずシャワーを浴びながら独り言ち。


「気に入っていたけど・・・・残念」


 キュッ。と、金切り音を浴室に響かせながら降り注いでいた湯を止め、凹凸の豊かな肢体に雫をなぞらせながら浴室を後にする。


「なんの・・・香水だったのかな」


 バスタオルを手にするとリビングへと足を向けながら慣れた手つきでその体を包む。


「思い出せないわね・・・どうにも」


 そのあまりに無防備な姿のまま街並みを一望する大きな窓の前へと立つ。

 物思いにふける時の女のルーティーン。



 ・・・



「『催眠』を解除してから二日も経つのに・・・・記憶が一向に統合されない」


 こんなことは初めての事だ。確かに『自己催眠』の期間としては今まで最長だったかもしれないが、この事態は想定外。

 とはいえ、困るようなことはない。果たすべきことを果たしたという結果がわかっていれば支障はない。

 せいぜい困ることと言えば――――


「ほんと。どこの香水使ってたのかしらね、『美弥子(わたし)』は」


 このくらいのものだ。

 どうにも自分であり自分でなかった、催眠状態の自分の好みが気になる。

 ユニオンというギルドを名乗る彼らの元を離れてから、自らに掛けていた催眠が解けてから、唯一私がその期間そこにいたことを証明するのが役目を果たさなくなった白衣。私にとって、一度きりの使い捨てでしかないマジックアイテム。

 それに染み付いた香水の香り。


「・・・あんな匂いの、持ってたかしら?」


 部屋の数少ない戸棚を漁る。この無駄に広い部屋には最低限のものしか置いていないので家探しはすぐに終わった。


「やっぱり無い、か」


 いくつか持っている香水を試しに嗅ぎまわっていたら少し気分が悪くなった。

 換気のために壁のボタンを押すと窓の上部が自動で開き、室内の気圧が変化するとともに風が吹き抜ける。


(・・・・匂い、か)


 塗れた髪を撫でる風に目を細めながら思う。


 自分の趣味でない香水、それなのにどうにも好ましいそれ。

 その香りのしみ込んだ、役に立たなくなった白衣をあの後も身に着けてしまうほどに。

 

 (『美弥子(わたし)』は、何を思ってその香水をつけてたのかな・・・・)


 けど、その香りも当然消えつつあり、


「・・・・何をしてるのかしら。私」


 無意識のうちにハンガーラックに掛けていた白衣に鼻先を埋めていた自分に気が付く。

 そして、その香りの中に、別に染みついた匂いを探して――――



「――――どうかしてる」



 何かを掴みかけたような感覚を感じるとともに、白衣をラックへと無造作に放り投げる。

 だが白衣は届かず床に落ちた。


「匂いが、なんだっていうの・・・?」


 誰に言ったのか、自分か、『美弥子(わたし)』か、それとも・・・・


「・・・・」


 思わず床に落ちた白衣を拾い上げ、今度はきちんとシワを伸ばすようにハンガーに掛け目につく場所へとひっかけた。

 何故か誰も見ていないのにせかせかとした動きで。今の行為を、見られてはいけないと思った。


「な、なんなのかしら。別に誰が見ているわけでもないのに」


 いや、それ以前に白衣をハンガーに掛けるだけの行為に何を思うところがあるのだという話だ。


「もう・・・ホント変ね・・・」


 再び変わらぬ姿で窓際へと立ち街を見下ろす。

 こうしていれば気も落ち着く。

 白衣が何だというのだ、それに誰も見ていやしない、こんな高所なのだから人の目など届かない。

 でなければこんな格好で窓の前になど立たない。


 もしそこに何者か立つというなら、それは鳥か、亡霊か、もしくは―――――




『こ――は―――けて―――る――な―――ちゃ―』


「・・・・・」



 分厚い窓に背を預け、窓をノックする人影。

 そう、こんな高層ビルの壁面に訪問してくる者なんて、鳥か、亡霊か――――



「何してんのよ。アラサー白髪(しらが)



 黒装束の変人くらいだ。






 ::::::::






「いやごめんってー。お風呂上りとは思わないじゃん?」


 窓の外にいた変態を、数秒間ゴミ以下の存在を見る気持ちで見ていると、どうやら中に入れてくれとのことなので仕方なく入室を許可した。

 もちろん髪を乾かし着替えるまでビル風が吹く外で待たせてやってから。


「何の用?あなた、入ってくる気なら影から入ってこられるでしょう?」


 入浴前に淹れておいたコーヒーをカップに注ぎながら要件を問う。

 私は少し時間をおいてから飲むタイプなのだ。


「いや、さすがに僕も女の子の部屋に不法侵入しないって。窓ノックするときも部屋の中は見てなかったでしょ?あ、砂糖多めで。僕苦いの苦手で」

「これは私のよ」


 客でもない侵入者に出す茶などない。


「僕、歓迎されてない?」

「これでも飲んでなさい」


 図々しくソファに座るシキミヤめがけて、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを投げてよこした。


「つれないねぇ」

「早く用件を言いなさい。でなければ帰りなさい。窓から」


 カップに口を付け湯上りの一杯を流し込む。

 この男の来訪がなければもっと気分のいいひと時だったろう。


「そんなこと言ってぇ。実は気になってんでしょ~?ある単語出したら急に入れてくれる気になったみたいだし」

「・・・・あなた、カラスみたいな見た目してるけど。飛べるかどうか試してあげましょうか?」


 苛立ちと殺意を隠さず言葉にする。


「・・・・相変わらず、キレがあるねぇ。ミヤコちゃんは」


 シキミヤも同質のものを放つと、部屋に充満していた緊迫が相殺されたように散り散りになってゆく。


「オッケー。じゃ、本題だけど・・・・」


 組んだ手に顎を乗せ。


「『連中』がロリッ娘マスターに()()()()の怪物。『ヒュドラ』を放った」

「・・・・随分と大胆なことをしたものね。で?どうなったの?」


 にやりと口の端に嫌な笑みを浮かべ、指を一本立てると。



「ナナシが倒した。単独で、『ヒュドラ』を」

「――――そう」



 どこか言い含めるような文法と言いぶり。

 私は口元を隠すようにカップを傾けた。


「いやぁー。こんな美弥子ちゃん見れただけでもわざわざ言いに来た甲斐があったよ。どういうわけか知らないけど」

「何を言っているのかわからないわね・・・・ていうか、それだけ?」

「うん。こんだけー」


 そう言うと、用件は本当にすんだのかソファを立つ。


「じゃ、僕はこれで――――」

「待ちなさい。出るなら窓からにして。あなたが中を通るとビルが荒れるわ」

「ちぇー」


 いかにも不満げに眉を八の字にする。蹴り飛ばしてやりたい顔だ。

 と、渋々窓に向かう背中越しに。


「あ。そうだ。これ忘れもん」

「・・・・これは?」


 こちらを見もせずに放ってよこしたのは、


「香、水?」


 小さな小瓶だった。


「そうなの?わかんないけど、ミヤコちゃんが『ユニオン』に潜ってる時の忘れ物。『痕跡』。らしくないよねぇ。一応回収しといたから、あとは好きにして」

「・・・・」


 ほいじゃ。

 と言い残しシキミヤは窓の外へと身を投げ出した。



「・・・・やっぱり、見たこともない香水ね。デザインから何まで私の趣味じゃない」


 意識して、冷たく批判する。このリビングに鏡を置いて居なくてよかった。

 そこには多分矛盾したものが映されているかもしれないから。


「――――」


 空気に溶け込ませるように一噴きすると。


「――――あぁ・・・」


――――――やっぱり、鏡を置いていなくて良かった。


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