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153話 傷

「失礼します」


 一応最後の診察対象者として救護室の扉を叩く。


「ど、どうじょ・・・ッ!・・・どうぞ」

(どうじょ?)


 入室の許可を得て扉を開けると、口元を抑え軽く涙目のコンタクトに変えた美弥子さんが座っていた。


「どうかしたんですか?」

「ちょ、ちょっと、舌先を噛んじゃって・・・」

「・・・・大丈夫ですか?」


 言いながら対面の椅子に腰かける。


「ちょっと、血の味がするだけよ」

「結構深く嚙み切ったんじゃないですか?見せてみてください」

「えっ?えっと、こ、こぉほ?」


 美弥子さんは言われた通り血色の良い舌先をあらわにする。

 見たところで何もできはしないが、出血を伴う傷が心配だ。


「・・・・」

「あーほんとだ。血が出てますね。舌に塗れる軟膏とかあるのかな?」

「・・・・」

「・・・美弥子さん?」


 彼女の血が滲む舌先から目元へ視線を移すと、何かに耐えるようにぎゅっと瞼を閉じている様子が目に入り、声をかける。


「ふぁ、ふぁい!?」

「あっ、もう舌大丈夫ですよ?」

「あ・・・・そ、そうね」


 ・・・・なんか思わず言ってしまったが、異性に対して舌を見せろというのも何だかおかしな状況だったような気がしてきた。

 それこそ俺が診察するわけでもないのに。


「あー、結構血出てましたけど、大丈夫ですか?」

「え、ええ。問題ないわ。こんなの舐めておけば治るわよ」


 医療従事者らしからぬ民間療法を口にすると診察の準備を始める。

 その舐める舌に傷ができてしまったらどうやって舐めるのだろうか。


「えっと。それじゃあ、始めます」

「お願いします」


 つまらないことを考えていると、準備を終えた美弥子さんが仕事モードへと切り替わる。

 といっても印象が鋭くなったりはせず、彼女はどちらかというと患者に寄り添うタイプだ。

 三日間見てそんな感じだった。


「それじゃ、服を捲ってください」


 指示通りに服を捲りあげると、美弥子さんが息を呑む気配が伝わってくる。


「! この傷跡って・・・・」

(ああ、それに驚いたのか)


 廃棄区画から始まった闘いの日々で負ってきた傷。

 浅いものは大抵一晩のうちに塞がり跡も残らないが、『ゴレイド』や『ヴェムナス』。

 竜種の眷属たちや『アトラゥス』との戦いで負わされた深い傷跡は完全に消えることなく、俺が殺してきた彼らの生きた証の様にこの体に刻まれている。


「こんなに、傷つきながら戦ってきたのね・・・・」

「跡がついているだけで後遺症はないですよ」

「名持の竜を倒した時の傷も、きっとここにあるのよね」


 むしろアトラゥスに付けられた傷の方が多いだろう。

 それだけあの戦いはギリギリだった。


「ナナシさんも、皆も。戦って、こうして傷ついて。それでもまた戦って」

「戦わなきゃいけない理由がありますからね」

「うん。女の子の朱音ちゃんもそう。唯火ちゃんも、片腕を犠牲にしてまで立ち向かった」

「そうですね」


朱音の『限突支援(エクスエール)』により限界を超えた膂力。

唯火がその力をもってして俺をアトラゥスの元へと運ぶために負った代償の傷。

治療に当たってくれた美弥子さんのおかげもあって、ものの二日で完治した。


「あんな腕の折れ方、普通だったら手術をしても後遺症が残るほどの重症なのよ?」


 美弥子さんの言う普通、とはステータスを得る前の人体を差しているのだろう。

 医学に精通し事の重大さをよく理解しているからこそ、たとえステータスの恩恵で治ってしまうとしても気が気でないのかもしれない。


「ナナシさんは怖くない?」

「戦うことが、ですか?」

「ええ」


 戦いの恐怖心、か。

 敵の脅威に震えることはある。

 だがそれは勝利のために経験に基づいてはじき出す目算に体が反応しているだけ。

 そこに義憤や義務感。好奇、時には高揚が織り交ざってはいるが、それは恐怖心とは呼べないだろう。


 美弥子さんの言う怖いとは、怪我をするのが怖い、モンスターが怖い、死ぬのが怖い。


「怖くはない、ですね」

「その先に死が待っているとしても・・・?自分を偽ってその感情に蓋をしているんじゃない?」


 多分それはもう俺の中で薄れゆくある感情。

 あの日、廃棄区画の夜の闇でゴブリン達の返り血を浴びたあの日から徐々に消え去りつつあるもの。


「――――感じなくなりつつある、というのが正しいですかね」


 説明は一言で済む。

『スキル』で得た強さだ、と。


「弱さを失うのも、なんだか悲しい気がするわね・・・」


「・・・・そうですね」


 俺の心の声に反するように、『弱さを失った』と。

 彼女の言葉には素直に共感できた。


 自分から欠けてしまった、かつて持ち合わせたものに思いをはせ、少し寂しくなった。


「―――それで、いいの」


胸板に温かい掌の感触が伝う。


「こうやって、失ったものに自覚を持てるようになれば。ナナシさんはもっと自分を大事にできるわ」


 失ったものを自覚し、割り切ろうとする冷ややかな思考を遮るように温かい、か細い指先がその象徴である傷跡に触れ。


「肝に銘じます」


 これは、すっかりカウンセリングされてしまったな。

 以前唯火にも指摘された、傍目には『死にたがり』に映ってしまう俺の性根。それを見透かされた。


 三日間見ていたわけだがこうして体感すると彼女の優秀さがよくわかる。診察を終えたギルドメンバー達が良い顔で帰っていくわけだ。


「ふふっ。よろしい」


 俺の返答に満足したように言う。


「身体的な面は・・・・全く問題なさそうね。その・・・こ、こんなに逞しい身体なんだもの」

「くすぐったいですって」


 以前俺を茶化してきたような激しいスキンシップとは打って変わって指先が触れるか触れないかでタッチしてくる。


「ご、ごめんなさい。つい、手が」


 同一人物とは思えないほどしおらしい反応だった。


「こほん!なんにしても、ナナシさんの帰りを待つ人もいるんだから、戦いに身を置く時もそれを忘れない事」

「はい」


 締めくくりに向けて言葉を紡いでいく。


「私は、戦いには向かない『職業(ジョブ)』だから。一緒に戦うことができないから、皆が明日も無事で帰ってこられるように。日々を健康に過ごせるようにこんなことしかできないけど」

「『こんなこと』なんて・・・美弥子さんにしかできないすごいことですよ」

「あら、言わせてしまったかしら?・・・・そう言ってもらえると救われるわ」


 俯き足を組み、膝上のバインダーに挟まれた問診票にペンを走らせる。

 その耳は赤く染まっていた。


(・・・・戦いに出られないことを気に病んでいるのかな)


 直接的に力になれないもどかしさはあるだろうが、今も言った通りこれは美弥子さんにしかできないことだ。つまり適材適所。

 俺だけじゃない、きっと唯火も朱音も響さんたちギルドのメンバーたちも同じことを言うだろう。


(そういえば・・・・美弥子さんの『職業(ジョブ)』、聞いたことないな)


 以前、自然治癒を促進させるという回復魔法を施術してもらったことがあるから、そういう魔法使い職なんだろうけど。


(―――『目利き』)






 そういえば、と。

 俺はこの時軽い気持ちで目を凝らした。


・・・・いや、もしかしたらこの女性を知りたいという衝動があったのかもしれない。




「――――――」



 《対象者に無効化されました》



(・・・ん?)



 頭に響く声と、わずかに肩をびくつかせた美弥子さん。


 途端、訪れる。

 周囲の時の流れが緩やかに動き思考が加速する感覚。

 なぜ今なのか?スキルが通らなかったのはどういうことか?

 何のことはない浅い疑問が浮かび上がる中。俺の目に映る女性の手元を見る。


 そこに視線は吸い込まれる。


 すらすらと几帳面に書かれていた字体。インクが描く軌跡は突然跳ねる。

 そこからは――――――




「―――ッ!!?」

「・・・・」



 一瞬だった。



「美弥、子・・・さん?」



 緩やかに流れるはずだった時の中で、その理から抜け出したかのような『速さ』。

 その速さをもって、


 彼女はペン先をこちらの()()()()()()()()()、俺はその腕をつかんだ。



「なにを――――」


「・・・・」



遅れて、眼球を抉られる攻撃を察知した反射だったのだと、理解する。


 一方で、脳内を疑問符が支配する。

 頭の処理が追い付かない。思考が停止したに等しい自失。

 それほどに鮮烈で衝撃で、受け入れられない。



「美弥子さん!!」



 虚ろな、光を失った片方の瞳から頬へと雫を流す彼女から発せられる、



 その『敵意』が、ただただ受け入れられなかった。

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