141話 残滓
思えば、予兆はあった。
領域内で奴の尾の一撃で派手に吹っ飛ばされた時。『竜鱗の羽衣・地』が間に割り込むことで命拾いした。
それは偶然だと思っていたが、今なら確信できる。
《竜鱗の羽衣・『地』:弱点属性以外すべての物理攻撃、属性攻撃への耐性。なお、『竜殺し』属性のみ被ダメージ2.0倍。魔力操作により変形、伸縮、操作可能》
戦いの中で発現しつつあった魔力で無意識のうちに羽衣を操ったんだ。
そしてその直後のアトラゥスのセリフ。
『逃ゲテモ無駄ダ。オ前ノ存在ハ感知デキル』
スキルなのか竜としての特性なのか知らないが、まだ発現しきっていない魔力を嗅ぎ付けていたんだろう。
俺の中に秘められた魔力と戦法の食い違いに奴が違和感を覚えていれば結末は少し違ったかもしれない。
『この人間は無自覚な力を隠していて、戦いの中で覚醒を遂げるかもしれない』
そう勘ぐられていたら——————
「馬鹿、ナ・・・!?」
最後に血を流していたのは俺の方だっただろう。
「やっ、た・・・」
唯火の膂力で得た加速とともに斬り抜くと、その勢いは急速に失われる。
放った斬撃の確かな手応えと同時に体を襲う脱力感。
(ああ・・・・落ちる)
今日幾度となく味わった落下感。
けど、今感じるそれはどこか心地よく、受け身を取る気力も起きずに目を閉じその墜落を受け入れる。
だが、屋上に無防備な背中を打ち付けるよりも早く背中に伝う衝撃。
速度は急速に落ち、大質量の落下音をあげながら静止した。
「ナナシさん!!」
「ワルイガ!!」
先程まで大気を支配していた圧迫感。
それがすべて消え、ビル風だけが心地よく頬を撫でる穏やかな音の世界で俺を呼ぶ声を聞く。
それに答えるように瞼をこじ開けると。
目を潤ませた二人が顔を覗き込んでいた。
「どう、なった・・・?」
どうやら一瞬だけ意識が飛んでいたようだ。
戦いの行く末を二人に問うと。
「「・・・・」」
二人は無言で視線をどこか同じ方へと向ける。
それを見届けるべく体を起こそうと手をついた先は、細かく隆起した岩肌のような感触。
黒鉄の、堅牢な、竜種の鱗。
空を舞い、翼のひと薙ぎで街を崩し、重力を操る異能を持つ、神の名を冠する術にてすべてを無に帰そうとした名持ちの竜。
アトラゥスは——————
「勝った、のか・・・?」
地に伏し沈黙していた。
「「ッ!」」
「——————ぅおっ?」
飛び込んできた二人に弾かれるように竜の体から降ろされ屋上の床を転がる。
「ナナシさん!無事で、よかった・・・ッ!」
「すごいよ・・・あんた、ほんっ~~~とに!すっごい!」
勝利の歓喜からだろう、喜びを全身で表すように抱き着いて来た二人。
随分感情が昂っているようだ。
「・・・・朱音。みんなは?」
俺はというと、先ほどまで瞬間的な時間とはいえ別の次元にいるような体験をしていたのでどこか放心状態だ。
だからまず遅れてくるだろう勝利の余韻を置いといて、気がかりだった負傷したメンバーの安否。
二人の重みを感じながら知りたいことを聞いてゆく。
「大丈夫よ。ちゃんと美弥子さんに預けてきたから、何とかなりそうだって。ワルイガのおかげよ」
「そうか・・・・」
「・・・・でも、あの時。『邪魔だ』って言ったの、根に持ってるから」
「あぁ・・・すまん」
彼らの無事を聞ききほっと息をつくと、ジト目でそんなことを言う。
あの緊急事態だから不問にしてもらいたいところではあるが、もう少し言葉を選べただろうと思い、素直に謝罪した。
「唯火は、大丈夫か?腕は」
見ると、彼女の白い肌をした左腕は痛々しく腫れている。
何度か経験しているからこそその痛みが理解できた。
「正直、すごく痛いです。多分折れてます」
素直に弱音を吐く唯火。
そんな疲弊した彼女に、
「その・・・・ありがとな」
「あっ・・・・」
無意識に頭へ手を伸ばし金糸の髪をとかすように撫でた。
賞賛と労いの気持ちを込めたつもりだったが、『慣れないことをした』と思いすぐにその手を引っ込めた。
「あ、ありがとう、ございます」
「ありがとうなのか」
その反応に苦笑しつつ、床に後頭部を預け空を見上げる。
『黒粛』が姿を現した辺りは雲が散りぽっかりと大穴が開いて、そこから力強い陽光が差し込む。
戦いでボロボロになった街をスポットライトの様に照らしていた。
「そういえば、二人はどうしてここに?」
一番の謎。
アトラゥスに振り回されながらギルドに落ちて『黒粛』が発動するまでの時間にここまで来れるとは到底思えない。
「それは、ですね——————」
徐々に暗雲の切れ間からも陽光が漏れ出している光景を見ながら、疑問の答えを待っていると。
「——————待て。なんだ、あれ」
「「え?」」
街に注ぐ陽光が彩る美しい光景の中に、異様なものが。
ただ一点。鮮やかな世界の中に何も反射しない、何も映さない、何にも塗りつぶされない、いや。
黒に塗りつぶされた黒点が宙に佇んでいた。
「・・・・そうか、そうだった」
二人をやんわり引き離し、俺は無言で剣を拾う。
唯火と朱音はどこか呆けたように座ったまま、フラフラと足を進める俺の背中の向こう。
「グ・・・ゥグ、ル、ゥゥ」
「まだ、息があったか」
対象の討伐を知らせるシステムの声を聞いていないのを失念していた。
横たわる竜を一瞥し、黒点に視線を移す。
魔力を得た今の『目利き』ならわかる。この黒点の性質、特性。
「——————ここを離れるぞ。『黒粛』はまだ生きている」
「それって・・・!」
「ああ。本来の街を呑むほどの威力はないが、正直どのくらいの被害が出るかわからない」
話しているうちにも黒点は大きく、いや、徐々に近づいてきている。
俺たちのいる屋上めがけて。
「その竜に止めを刺せば、止まるんじゃないの!?」
「無駄だ。すでに術者であるこいつとの繋がりはない。この大魔法の残滓みたいなものだ」
「じゃあ・・・・」
「今の俺たちに止める手立てはない」
あの黒点に干渉する方法が俺たちにはまだない。
俺の言葉に二人は立ち上がる。
「よし。もう本当に時間がない、メンバーのみんなを外に——————」
「それは、大丈夫です。このビルには私たち以外誰も居ません」
「どういうことだ?」
「説明はあとでするわ。今はとにかく自分たちが助かることを考えましょう」
「・・・・わかった」
二人の言うことだ、信じよう。
「もうこんなに近く・・・!」
「不気味な静けさだ」
音もたてず圧も放たず、本当にただ落ちて破壊の定めを果たすだけの概念のような存在。
「ど、どうするの!?悠長に階段降りてたんじゃ間に合わないんじゃ・・・」
「俺に考えがある。唯火、アトラゥスから奪われた『火竜の魔石』を取り返せるか?」
「え?あ、はい」
彼女も忘れていたのだろう、慌てて手をかざすとどこからか魔石が飛び込み掌へと収まる。
「よかった。じゃあ二人とも、飛び降りるぞ」
「「え!?」」
::::::::
「あんたほんとに大丈夫なんでしょうね!?」
「あ、朱音ちゃん、落ち着いて」
「大丈夫だ。信じて飛べ」
唯火と朱音。左右二人に肩を借り、屋上の縁から距離を取る。
俺の伝えた脱出方法に苦言を呈すのは朱音。
飛竜の時もそうだったがどうやら高いところが苦手らしい。
「時間がない、頼むぞ二人とも」
「はい」
「う~、もうっ。ほんと竜種なんて嫌い!」
頼もしい返事の唯火と半泣きの朱音、二人の呼吸が合わさる瞬間、
「行くぞ!」
「「——————ッ!」」
片足が使い物にならない俺は二人の肩を借りほぼ担がれているような状態。
そのまま『魔添・駆動』を発動した唯火と、『素早さ上昇』を自らに付与した朱音に引っ張られ、屋上淵までの助走距離を駆ける。
そして、
「今だ!飛べ!」
なるべく高くなるべく遠くへ。
垂直に落下する方が成功率は高まるが、『黒粛の残滓』がどれほどの範囲に影響を及ぼすのかわからないので、なるべく発動地点であるビルから距離を置きたい。
跳躍の一瞬——————
(じゃあな。アトラゥス)
何故、そんな言葉を心中で囁いたのかはわからないが。
死にゆく名持の竜に短く別れの言葉を投げかける。
「——————掴まれ!」
「「っ!」」
十分な高度と距離で見事跳躍を踏み切った二人は伝えてあった通り俺の体にしがみつく。
少々不格好だが四の五の言っても居られない。
「変形、拡がれ!」
首元から羽衣を剝ぎ念じるとともに発現したての魔力を通わせる。
すると、
「よし!」
面積は拡大、形状は変化、パラシュートの様に大きく帆を張らせる事に成功。
だが、
(やっぱり落下は殺しきれない、か・・・!)
三人もの人間をつるした状態でこの高度。
何もなしに飛び降りるよりはずっとましだが、まだ安全域の落下速度ではない。
「唯火!頼む!」
「は、い!」
魔石を取り出し頭上へと追従。
「『炎葬・・・チョット』、です!」
炎を上げる魔石。
それと同時に羽衣に魔力を通しさらに形状変化。
根元をすぼませ花瓶をさかさまにしたような形状に伸ばす。
つまり、
「うわ!うわ!浮いてる!ちょっと落ちてるけど浮いてる!」
「朱音ちゃん、下見ない方が・・・」
竜鱗の羽衣と火竜の炎仕立ての熱気球だ。
「十分に距離はとれたし、大分安定してきたな。二人とも落ちないように気をつけろ」
「・・・・はい」
「そろそろ、魔法が発動する頃かしら・・・・」
そう長くは続かないこの空の旅に少し離れたのか、哀愁を含んだ声で言う朱音。
無理もない、世界が変わって色々あって、ギルドという繋がりをあのアジトのビルで紡いできたんだ。
俺たちよりもずっと深い思い入れがあるに違いない。
「・・・・接触するぞ」
視覚を強化し黒点が屋上に触れる瞬間を視認。
途端、黒い煌めきという矛盾した光が瞬くと、そこを中心に黒点は拡大。
ビルを齧るように破壊しながらゆっくりと下降していく。
「・・・・バイバイ」
擬人化。
というほどのものでもないだろうが、思い出の場所が闇に少しずつ浸食され呑まれる光景に朱音はたまらずそう零す。
暗雲が覆う空に走る切れ目から光の帯が差す街並みと、闇に消えてゆくビル。
美しさと、壮絶さ、儚さが入り混じったそんな光景を。
戦いの終わりを実感しながら、眺めていた。




