133話 VS星竜 制限された一騎打ち
「察シガイイナ」
奴の言う『ブラックホール』。
子供でも知っている、俺自身その時分には科学の本などを読んで想像もつかないスケールに眠れなくなる夜もあった。
そして、あいつにも一度は叩き込まれた分野でもある。
その時は、自信の身で体験したこともないような現象などを文献越しに理解したつもりになって何の意味があるのかと。
そんなものは空想みたいなものだろうと、どこか斜に構えていた。
だが、数多の空想は今や現実になりその存在自体が空想であった眼前の竜は、『重力』を任意に操る力を持つという。
もはや俺の常識など通用しないのは明白。
仮説は様々な工程を飛び越え現実へと顕現するだろう。
(道理で、ずっと嫌な予感がしてたわけだ)
それが今、ここに、完成したとしたら———
「アトラゥス!!」
朱音に去り際受け取った『超加速』をフル稼働し地を蹴る。
温存だどうだの四の五の言っていられない。
「コノ『大魔法』ガ完成セシ時。コノ都ハ無ニ帰ス。住マウ人間タチモ無論ダ。ソレダケノ威ヲ込メテイル」
そう。
そんなものがこの街中で発動したら奴の言う通りの結果になることだろう。
講釈を聞きながらビルの壁面を次々と踏み砕き、少しでも虚をつくために無規則な軌道を跳びながら接近する。
「オ前ニ与エラレタ猶予ハ大魔法ガ完成スルマデノ間、数分」
到底避難など間に合わない。
元より『回帰勢』と呼ばれる街の人たちは行動の抑制に応じないという。
考えてみれば、彼らの存在によって支えられているライフラインの為とはいえ、戦う力も持たないのに逃げもしない彼らを守るためにモンスターと戦うというのはげんなりするものがある。
(・・・とはいえ、この街には唯火たちがいる)
今、この状況を戦い抜くには十分な理由だ。
「コノ魔法ヲ構築中ハ、他ノ『重力魔法』ヲ使用デキズ、『重力操作』モソノ精度ハ著シク減退スル」
わずかな迷いを振り切りると、同じ高度まで取りつき機を伺いながら縦横無尽に壁面という足場を砕き散らす。
(奴の言う二つのスキルの違いが何なのかは知らないが、それが本当なら魔法が発動するまで弱体化するってこと———)
どちらにせよ長期戦はこちらとしても望むところではない。
「術者デアル私ヲ倒セバ大魔法ノ発動ハ阻止デキルダロウ。ドウダ?対等トハイカヌガ同ジ次元ニ立ッテヤッタゾ」
開戦の合図と言わんばかりに腕を掲げると黒球は空高く上り雲に隠れた。
「見セテミロ、オ前ノ力ヲ———」
『立体走行』
『体術』
『洞観視』
『弱点直感』
『近距離剣術』
「『瞬動必斬———』」
「———『星白領域』」
途端、全身を包む違和感。
ついさっき体感した、重力の変動。
「っ!『空ノ式』!!」
足を破壊しないよう細心の注意を払いつつ『超加速』渾身の跳躍。
空を裂く体とともに剣閃を振りぬく。
だが———
「ホウ。弱マッテイルトハイエ、コノ『領域』デソノ速力トハ」
「ちぃッ!!」
その巨躯からは想像もつかない反応速度で身をひるがえし優雅に回避される。
(避けられた!?『超加速』の効果で素早さのパラメーターは4000に肉薄しているのに)
素早さのみで言うなら今この時、奴を上回っているはず。
それでも捕らえられないということは———
「ソノ剣。嫌ナ力ヲ感ジルナ」
「!?」
剣撃を空振り無防備な一瞬の滞空。
背中から圧を察知するがその事象に抗う術を———
「堕チロ」
人間は知らない。
「ぐッ!?お・・・も・・・!」
伸し掛かる重力に潰され詰めた間合いを一気に弾かれながら、何とか体勢を立て直しアスファルトを沈ませ着地する。
最初に受けた内臓が破裂しそうなほどの重圧ではないが、常に全力で踏ん張っていなければまともに身動きもできない。
「ッ!体が軽く?・・・これは」
何とか飛びずさると、重力の圧から解放された。
(そうか。対象の自重を増加させるわけじゃない。あくまで限定的な空間の重力を操作しているんだ)
つまり狙いを付ける必要がある。
広範囲を一気に圧し潰せるなら、さっき奴の周りを跳び回った時にとっくに叩き落されているはず。
それは、高速移動中の俺に重力操作を当てることはできないということだ。
(だったら、もう一度高速で跳ね回って狙いを付けさせない!)
もう一度地を蹴り無軌道に駆け上がる。
「気ヅイタカ。『重力操作』ノ特性ニ。ナラバツイデニ教エテヤロウ」
翼を広げ羽ばたかせると、こちらを誘うように静かに高度を上昇させ。
「今コノ周辺ハ私ノ『特性』ヲ領域化シタ、『星白領域』ニ覆ワレテイル。減退シタ力デハ大シタ効果ハ望メナイガ、領域内ニイルモノハ常ニ増加シタ重力ノ影響ヲ受ケ続ケル」
「種明かしなんて・・・!随分と余裕だな!」
言いながら、負けじと上昇する竜に追いすがる。
「完全トハイカヌガ、自慢ノ素早サハ既ニ抑制サセテモラッタ。ソシテコノ『領域』ノキモハ、領域ノ境界ガ内側トハ桁違イノ力場ニナッテイル。ツマリ私トオ前ハ何人モ侵入不可ナ結界ニ閉ジ込メラレテイルトイウコトダ」
「ちっ!ご丁寧に、どうもッ!」
援軍は望めない。
俺たち二人だけの一騎打ちと言いたいのだろう。
「モウ一ツ。コノ『領域内』デモオ前ノ驚異的ナ素早サハ、僅カニ私ノ上ヲ行ク。ソコデ、私ハ私自身ノ『重力』ノ操作モ行ッタ。飛翔スル私ニトッテ有効ナ形デ。ソノ結果———」
(・・・まさか!?)
言葉を切ると、その巨躯を翻し。
「オ前ト私ノ、速力ハ互角ダ」
「!?」
『超加速』の速力で跳び回る軌道に割り込む形でアトラゥスは急下降し、完全に動きを捕らえられる。
同時に、黒鉄の爪が眼前へと迫り。
(『竜殺し』で受ければ・・・!)
竜種が持つスキル『竜鱗の加護』はレベルの高さと防御性能が比例するだけでなく、反面で『竜殺し』の属性攻撃の体制が減少する。
高位の竜であるアトラゥスであればその反動は計り知れないはず。
(一太刀でも当てれば勝機はある!)
接近戦は望むところ。
だが———
「ヤハリ嫌ナ気配ノスル剣ダ」
「がッ!!?」
途端、迫っていた爪は静止し。
代わりに、今まで経験したことのない衝撃が脇腹に沈み込む。
臓器を守る骨が。
自らを傷つける凶刃と化す瞬間を体の内側に感じた後。
「良イ羽衣ダナ」
止まる呼吸。焦点の定まらない視界。飛ぶように切り替わる景色。
衝突し砕き全身を打ちつけながら。
ビルを三棟打ち抜くように吹き飛ばされた。
「げほッ!ごッ・・・ぁ!ッ!」
瓦礫に埋もれようやく静止し呼吸が再開する。
息とともに真っ赤な血が吐き出された。
痛みに悶絶しながら置かれた状況に目をやる。
ビルの室内に人は、いない。
それ以前にここら一体に人の気配を感じない。
不自然なほどに。
(剣は、握っている———)
次に装備を確認。
どさくさに紛失していたらわずかな勝機も消え失せる。
手放さなかった自分を褒めてやりたい。
(お前はホント、よくやってるよ———)
気休めにでもなればと、内心で自らを賞賛する。
考えてから、同じような状況で、同じようなこと思ったことあったなと。
この場において何の役にも立たない記憶を辿る。
(あれは、確か・・・・あぁ、【魔物使い】のオークにぶん投げられた時だ)
飛ばされてきた方向、大穴の開いた壁の向こうに見える外の景色に目をやりながら、余りに悠長な思考。
走馬灯と呼ぶにも緩慢な、逃避に近いもの。
(あれから、ずっと戦い通しだ)
凝りもせず。
(思えばずいぶん遠くまで来たような感覚だ・・・)
過去の戦い、強敵との邂逅を思い出し。
(今度こそ。死ぬかもな———)
時にしてほんの数秒、寝ぼけたような思考は傷の痛みによって引き上げられる。
「はぁっ!はっ!・・・・この羽衣がなきゃ、やばかった」
役に立たない記憶を辿るのは中断し、現実を、現状を把握する。
(けど、たまたまか?それとも無意識に羽衣で防御したのか?)
爪の刺突をフェイントに使われ、俺の脇腹を襲った打撃は奴の長い尻尾の一撃。
『竜殺し』を通すチャンスに気を取られ、完全に虚を突かれた強烈な打撃を『竜鱗の羽衣・地』が防いだ。
偶然であればかなりの幸運だ。
「なんに、しても。まだ生きてる」
腰に付けたサイドパックに手を伸ばす。
(よかった。砕けていない・・・)
奇跡的に無事だった目当てのものを取り出すとその口を割る。
ギルドからもらった、たった一つの『回復薬』。
蓄えているのは正真正銘この1個。
「いきなり、一度きりの回復手段が削がれちまった・・・・」
急速に引いてゆく痛みに呼吸を整える。
直に内部の損傷も癒えていくだろう。
(しかし、あの反射と機動力。厄介だ)
アトラゥスは速力は互角と言っていたが、空中戦は奴の領分。
(それに、ただでさえ宙を自在に移動できるってのに)
奴の言った『自らに有効な重力操作』。
(それはつまり———)
傷が癒えるのを待ちながら分析に気を巡らせていると。
埋もれた瓦礫達が突如として浮遊し始め。
「———ソコニ居タカ」
崩れ落ちた壁の向こう黒鉄の竜が舞い降り。
敵意を感知する。
「くっ!やっぱり、『重力操作』!軽くもできるか!」
奴が自らの巨躯に掛けた『重力操作』による機動力の上昇。
それが制空権を更に確たるものにした。
(これで弱体化ってんだから気が滅入る)
「答エ合ワセハイラヌナ?」
弾かれるように床を蹴る。
その勢いと強化された脚力で壁を蹴り破り外へと飛び出した。
すんでのところで『重力操作』を受けずに済んだ。
「逃ゲテモ無駄ダ。オ前ノ存在ハ感知デキル」
「逃げてる時間なんてないだろ!」
落下しながら吐き捨てるように言い、着地すると休む間もなく市街を駆ける。
(やみくもに空中戦に持ち込んでもまた返される・・・)
制動の利く地上で距離を保ち即座に策を練らねば。
脇目で。
黒球が昇り姿を消した黒雲の天を見ると。
鼻先を雫が弾く。
雨が。降り出してきた。




