屋根裏の格子のうちに、ナナは住まっていた
物心ついた女の子が始めて双子の妹を見つけたとき、己れを鏡でも見るような気分よりも、向こう側の世界を見つけたときの身体が半分吸い込まれていくような感覚になるのではと、そんな甘美で痛い感じを思い描きながら、書き進めました。
朝を迎える少し前の、静かさの中でお読みいただけたら幸いです。
7月5日、夜明け前にナナの処へいく。昨夜もいってしまい、梯子段から屋根裏の蓋をあけたら、すぐの半畳向かった先で三つ指ついて待っている。梯子段を上がる音を聞いて急ごしらえにそんな真似をしたんじゃない。その証拠に、臥所のものは奥に畳まれたまま。
おねだりのときは、いつもこう。それが鎌首上げて出てきたら、ずっと三つ指ついて、わたしを待つ。ナナの鎌首がそれを始めたら、わたしにも伝わる。ナナは、わたしがそうなるのをしっているから、それを始めたら、あきらめてやめるような真似はけっしてしない。わたしが耐えられないから、我慢できないから。いつもこうして納屋の屋根裏の隠し部屋に、ひとり住み続けているたったひとりの妹を、そのままにしておけないのは、二人ともようく分かっていること。だって、わたしたちは同じ顔した姉と妹だもの。
そこに辿り着いたのは私だったけど、それが先に分かっていてずっと待っていたのはナナの方だった。「おねえちゃん」と、息ひとつ足踏みしないでナナは真っ直ぐに私をそう呼んだ。忘れてしまっている幼いじぶんの、鏡に向かって投げつけた大声がコダマになって帰ってくるように、手を掴まれて吐息が顔いっぱいにかかった。わたしの匂い、幼い日のわたしの匂い、布団を被り暗闇に逃げたときに感じていたわたしの匂いがした。平らな鏡の中だけの景色と少しだけ奥行きが膨らんだいつものかたち、その両方が行きつ戻りつしてくる。
お姉ちゃんって呼んでくれたので返事をしたいけど、「いもうと」って呼び名はつながらないので、最初に「名前は」って聞いてみた。そしたら、「なまえ? なまえって何っ」って、少しどろんとした声が帰ってくる。「わたしは加奈、お姉さん、お姉さんのカナ」って繰り返したら、「わたしはナナ、おねえさんのナナ」ってオウム返ししてくる。
妹はあなた、あなたはいもうと、姉はわたしと、指差ししながらそればかりを繋げていると、
「アネはワタシ、カナ。アナタはイモウト、イモウトのワタシはナナ。ワタシはナナ、ナナはイモウト、イモウトのナナ」を、すっと平らにになるまで、何度も何度も飲み込んでた。
あのときはまだ格子の中を潜る術をしらなかったから、腕をこうして中に挿し込んで掌を触れあったり、顔を撫でてみたり、お互いがそんなことしか出来へんかったけど、弾左衛門さんの処のお嫁さんみたいに、「そのこと」忘れて二の腕の掴まれるとこまで近づくと、だれ彼構わず首ぃ絞めて、ー 三太郎さん、三太郎さーん、なんで、うちにこないなヒドイ目ぇばっかりあわせるん、早く来て、此処からうちを出してちょうだい、わたしにこんな酷いことするひと達、みんな追い出してちょうだい、おん出るのイヤや言うたら、秘伝銘刀村正の二尺八寸振りかざして、そこの首ちょん斬ってちょうだい と、強力の男三人がかりで首に食い込んだ爪を剥がすまでやめんような意固地な真似は、ようようにせぇへん。
せやから、おとうはんもおかあはんも、うちが夜中にコソっと臥所抜け出してナナの処にいっとるのジャマせんと、そのことには何も触れんと、今も三度三度のお給仕のときかて穏やかなまんまや。大人のやってることやから、子どもに悟られんよう行き届いた気配ぃ携えて娘の一度や二度のオイタで翻るような底の浅いものやないろう。それとも余計な口出しして、ずっと腹の中に閉じ込めておったもンをアレヤコレヤ開けるのがおっくうなだけやろうか。広いゆうても同じ屋敷の中やもの、みんな一緒に寝起きしてるんやもの。赤子やった娘がヨチヨチはじめて、あちこち覗いて、いずれはコツンと出くわすくらいな了見、とうに出来てたやろ。そうでなかったら、とうにうちらのどちらか一方を遠い処に、二度と戻って来れん処に放っておいたはずや。格子を外す鍵の在りかを、それとのうゆっくりした所作で、何度も何度も繰り返しておったンは、教えてあげようとする気配りや。ほんに、気の長い、そして優しいお人たちや。そないに先回りばっかりしてくれはったのに、うちらそれに気づくの遅かったなぁ、奥手やった、赤い印があって、お赤飯炊いてもろうたあとのガサガサゴソゴソの虫が這い出るみたいに、目には見えん小さな音の出処探して、ようよう繋がりよった。
結局は、こうなってしまう。「後生や、後生や」と、ニコニコ顔で拝み屋のマネしてくる。
昨晩してあげたばかりやもの、おとうはんもおかあはんも知ってて知らんふりしてるにしてんのに、あまりに当てつけるような真似しとると、もう足も向けられんようになる。それが、互いの分というもの、親子にせよ姉妹にせよ、それが・・・・・もう、こちらの小言なぞ聞いてはおらん。ションない、「根負けや」の顔つくるまで待ってもくれず、ナナは身につけとるもン皆んな脱ぎ終えて、ひとつひとつ格子から投げてよこす。
立ち上がったナナの生えはじめた斑の毛が目の前にやってくる。両手で隠さんといかんのに、ナナにその様子はない。否が応でもじっと見てしまう。斑の縞の数までうちと同んじ。上のスマした顔とは違うて、手も添えられず剥き出しなのを恥ずかしがってる。それが、ナナの顔よりも、うちには、親しい気がしてくる。
ナナの恥ずかしがり屋さんをそのままにはしておけず、うちも脱いで同じ斑をみせてあげたら、ナナの目もそこにいく。「新しく生まれた顔もそっくりやねぇ」と、無垢な顔から声が出ると、やっぱり愛おしくて可愛い。鍵を格子に入れ、外に出たナナの代わりに中へ入る。
鍵を掛けると、ナナは無垢な顔した妹ではなくなり、無用の心遣いばかり並べてるさっきのうちの顔まで似せている。
ー さっきの恥ずかしがり屋さんも拵えものやもしれんー
もう薄い斑の毛しか生えとらん同じ女子とは思えんかった。箸の流れてきたのを話したから、その行方を辿ろうと企んどるのやもしれん。うちがあんな話しせんかったら、此処まで大胆が疼くこともなかったやろう。
ー 箸がながれて来てん、朱塗りの箸が。此処いらのおひとのものやあらへん、都の、貴い方の、追わなあかんご事情があって、この山里の奥の奥に、秘そみ暮らしておられる方・・・・・・・ううん、もう何代も何代も秘そんで暮らされて、おのれが何者で、どのような所以で遊離しておるかさえ、お忘れになられたお方。それでもなお、ううん、それやからこそ、お逢いすれば必ずわかる。白檀よりもかぐわしい、観音さんの立ち姿よりも神々しい見目麗しいのんが、みえてくる、みえてくる。女子に生まれたんなら、そうしたお方のお情けを頂戴したい、恥ずかしゅうて眼開けられんように両の目を、そのかぐわしい小袖で無理矢理に見ぃ開かされて。もうこの世のほかのもん皆んな見えんようになっても、ええ。あなた様のお顔だけずっと瞳の奥におったら、それだけで・・・・・・
おとうはんとおかあはん、捜しよる、家のもん皆で捜しよる。歳が明けたら婿はんになるって一遍だけ逢うたあの大きな牛みたいなお人も一緒になって探しよるやろな。せやけど、居らんよ。どこ探しても居らんよ。うち、あのお方のお顔しか見えん処に居るんやもの・・・・・・あー、瞼が白々してきた。もう目を開けんといかんのは分かってるんやけど、怖い。開けて、あの方のお姿を目に入れてしまうのが、踏み出して、もう戻れん処まで来てしまった己れに向かい合うのが、怖い。でも、白々は、朝は待ってはくれない。廻って耳の中にも入り込もうと段々に大きゅうなる。しらじらの後ろにあの方のまっ白なお姿が見えてるのも、そんときはうちも一緒に見られてる、いま、もう、見られてる。恥ずかしい。でも、嬉しいが勝って、まだまだ己の身体が云うことを聞いてくれない。・・・・・・せやけど、さっきまで繋がった二人して同じじもん見てた眼が、こうして離れると、あの方が違うもんを見始めたのがわかって、戻った身体が傾いでいくよいな心持ちになる。一人だったのが二人になって、それがまた一人づつに戻ると、二つに剥がされたことの切なさ寂しさが井戸の奥底の冷たい水になって、背中の窪みを道筋にして流れてく。
うちはこないに腕いっぱい抱えとるのに、あのお方は、うちの背中につけた掌のあとそのままにして、その両のてのひら懐手にして、うちを眺めとる。眺めるって言いようが、何かに扱われてるみたいで追い出したいのに、それがどんどん溜まっていく。
時の歩みが異なるからと、あの方は往ってしまわれた。
わたしは脱いだ衣を着るより、ない。拠の入った糸が胸をなぞると、濁音が聞こえて、夕べまでとは違う身体を知られたような気がする。あのお方の去ったこの丘で、そのことを知るのは浅葱色した藍染のこの単衣だけ。
それなのに、今宵に限って夜陰での目当てが、腰で結んだ降ろし髪でなくこの単衣でああったような。今宵のため、おろしたてのこの単衣を羽織って、この丘に来たのは初めてやのに。
今宵は、松陰にも茂みにも居らん。それやのに、あの嗅ぐわしさは敷き詰めらておる。何度も何度も辺りをキョロキョロ繰り返していると、我慢できんいう笑い声が頭の上から落ちてきた。
いつの間に生えてきたんろう。樅の木が一本、その千住観音さんの真ん中の腕の辺りにあの方は停まっておられる。
いじわるやわぁの声が、思わず漏れてしまったのだろうか。「そないに意地を張らず此処まで上がってきたらよろしかろう」と云う。「そないな真似」と思っていても、そない余計なものは跳ね除けての手招きが一本道に見えて、差し出してくれはった指先みつめて、一番小さくて可愛らしい梢に指先かけたら、あれよあれよの手招きする右手の先まで手繰り寄せられてしもうた。あの方の銀色に輝く絹衣が敷かれた梢にお尻を降ろしたら、あの方のお声よりほか、何もおらん中に、うちは放り込まれた。
お前様が箸の片われ持って現れてくれたときの悦びを、お前さまは測りようもあるまい。わたしは、ひとつだけ残った片われを腰に差したまま、せせらぎのたもとに立ち尽くすよりほか術はなかった。幾晩も幾晩も飲まず食わずのひが続いた。頬はこけ、あばらはきしんで鳴いた。それでも待ち続けるよりほか術はなかった。お前さまがあの日よりも一日でも遅く現れたならこの絹衣が、白骨を抱えた姿を目にすることになっただろう。
お前さまは、この私の命の恩人。
そこまで聞かされると、うちはとうに灯りの無うなった里の窪地をこうして目で追いかけていたのさえ遠い昔の心地がしてきて、この絹衣の下のお身体が、冷たい白骨なぞではのうて、ほんに暖かな血潮の流れるお姿が消えずにおられたことのありがたさよりほか染み込むこむものは無うなっていた。
・・・・・ひとつ処に同じもんが二つあっては、いかん。格子の外に二人の加奈が、加奈とナナがおってはいかん。その禁をうちは破った。朝になったら同じ夕べに二度と戻れんことは百も承知や。けれど、待ってはおられんかった。この格子の内で、朝まで、ナナが戻ってくるまで、待つことは出来へんかった。きっとナナは承知のはず。先に出ていったあと、うちが禁を破って、此処までやって来ることを。初めて納屋の屋根裏の格子部屋を探しあてた日も、あないにたぐり寄せおうたみたいに「ずっと待っておったん、やで」ゆう顔で、うちを迎え入れてくれたんやもの。
今宵が、その夜であるのも承知のはず。
あの方の元と続く同じ道ゆきなのに、今宵ばかり、何故こうも時の掛かり方に隔たりがあるのか。もう山を余計に二つの越した気がする。
それにしても、うち、そのことに、なんで気が付かんかったんやろぉ。瓜二つの顔と身体のくせに、格子はさんで鏡みとるような着替えのときに、ナナは何度も何度も下腹を庇い仕草をした。立つときも座り直すときも、どこをとっても目線の先は、うちやのうて、己れの腹の中にまだおる、うちが手出しできへんもんに注がれておった。今宵とて、うちを格子の中に入れたとき、浅葱の単衣の下腹を三度もさすり、その仔と一緒にうちに暇乞いの挨拶してくれた。
それさえも、うちは、そのとき、気づかんかった。ううん、きっと、気づきとうなかった。うちの中だけでも「終わりにしとうない」声が延々に引っ張り続けておったんや。
それ見て薄ら笑いしておったんやろぅ、「業腹いたいわ」と、そのはら余計に膨らませるよったんやろぅ。うちが知らんうちに屋根裏にもう一段高い梯子段掛けて、そこからうちを眺めておったんやろぅ。ほんに、いけ好かん娘ぉや・・・・・・・・・・・・おった、おった。二人して樅ノ木の上から、うちが駆けつけてくるの、ずーと待っていてくれた。
駆け上がってるときは、梢の中の二人を見つけるまでは、こんなうちを「高みの見物しとる」と、悪意と嫉妬しか浮かんでこんかったのに、あのお方と一緒におるナナの「お別れやなぁ、お姉ちゃん」の顔みたら、角張ったもんがみんな綺麗に抜け落ちていく。絹衣に包まれたナナは、もう用はないからと、うちの浅葱の単衣を一番下の梢に絡ませ、形見に残している。あのお方は、そのお顔は、浅葱の単衣を脱いで己れの絹衣に裸を預けている女性と、木の下で呆けた顔の女子を見ても、どちらも同じ顔かたちであっても、その穏やかなお顔のうちに波風が立つ様子は、うかがえんかった。
あのお方の、肌をとおした女子は、木の上におるナナだけであるのが、さめざめ分かった。
あのお方が抱いているナナの掌の中に、動いてジーとこちらを睨んでいるものが、既にいる。あの二人はそのことにまだ気づいていない。
生まれる赤子は、猿の云々いうより、猿の子そのものだった。その身体には赤や白といった艶やかな初々しい色は見つからず、全身を青黒い毛で覆っていた。赤子だからまだ小さい顔なのに、眼だけは、その顔の半分を占めていて此方を睨んでくる。
「早く引け。もうとっくに済んだであろう」と、この中で一番に賢く、すべてを公平に諭す者の言いようなので、わたしは、梢に掛かった単衣に着替えると、とっととそこを退散した。
戻ると、屋敷には先程まで小火があったらしく、朝霧のうちに煙たく煤けた臭いが満ちている。母屋は変わりないので、何処ぞの納屋うちにでも火が入ったのだろうと納得し、いつものように裏から入って己れの臥所に潜ろうとすると、家人総出で出迎えてくれた。
婿さんになる男も、その中に混じっていた。そして、その中で一番に最初にわたしを抱きしめてくれたのは、婿になるその男だった。わたしは、牛に抱かれ、臥所に入いらず、そのまま眠ってしまった。
それで、わたしが戻ったら言ってやろう、やってやろうと待ち構えていた家人たちのそれら全ては、きれいさっぱり溶け落ちてしまい、みんな朝の支度へと戻っていった。
焼けたのは納屋の屋根裏だった。格子をはめた中には、幼かった頃からの想いの詰まった品々がたくさんあったはずで、それらがみんな焼けてしまったと聞かされた。
聞かされると、「そんなこともあったろうか」と、まるで三日前みた夢の、他人事のような自分ごととして素直に信じられた。
父も母も、そんなわたしの穏やか過ぎる両の眼を見て、ただただ「よかった、よかった」を繰り返すばかりだった。
婿になる人は、その朝から婿さんになって、母屋で共に寝起きするようなった。祝言やら何やらのそうした諸々は、日延べ送りでどうとでもなるからと、父の一言に異論を挟むものはいなかった。今日この日からをどれだけ大切にするか、それだ一番に大切かことだとも言っていた。わたしは、父の言っていることの意図がよくは分からなかったが、周りの誰もが大きくうなずくので、きっと皆んなの腑に落ちることなのだと納得し、今だにフワフワしてる今までの経緯と今とをつまびらかに結びつけるのはやめようと決心した。そうすることが、私も含めてこの家のひとたち皆んなの願っていることだと気づいたからだ。
ただひとつ、今だに繋がりが残っているとしたら、川筋に沿って山を登るとき中腹の少し開けた平地から屋敷を見つけられる辺りに差し掛かると、そこに何か、樅ノ木のような何か、たくさんの梢で千手観音してる大木が生えていて、そこに上がったような、その中に入ったような時間の裂け目が突然に現れるのだ。
と、そんな想いに駆られる。
不思議なことであるものよと、今では心からそう思えるのだけれど・・・・・・・・