竜のうろこを探しています
竜は出てこないんですが、大丈夫ですか?大丈夫ですよね?
よろしくお願いします。
「旦那、旦那。朝早くから大変だね。この島は初めてですかい?」
朝一番の船を降りて港街の目抜き通りに入った途端、小さな万事屋を営む親父に声をかけられた。
腰に巻いた前掛けに剣と盾が染め付けてあるから武器屋も兼ねているのだろう。いや、あれは鍋と包丁か?いかにも傭兵の格好をしている私に、まっとうな商売をする店主が声をかけるなど珍しいことだ。店主はわざわざ店からこちらへ出てくると、日に焼けた皺だらけの顔でこちらの格好を上から下まで何かを探すようにじろじろ見てきた。
確かに私はこの島へ初めて降りた。直ぐに山に登ろうと思って、朝一番に着く船にしたのだ。予定が遅れると途中で野宿になってしまう。面倒ごとは遠慮したいなと黙っていると、店主は話を続けてきた。
「旦那は黄金の水晶飾りを身に着けてないだろ?」
黄金なのか水晶なのか。よくわからない飾りの話だった。店主は質問しただろうに私の返事を待つことなく話を続けた。
「この島は精霊の泉が湧くと言われているが、旦那もそれ目当てだろ?その手の奴らはごまんと見てきた。別に邪魔しようってんじゃない。お互い助けになる話だ。まぁ、こっちで茶でも飲んで聞いてくれよ。」
人の善意は受けるべきであるという店主の言い分に、ありがたく店内のカウンターの小さな椅子に座った。
意外と美味しいお茶を振る舞われ、店主の話を聞いた私は、初めに声を掛けてもらえたことに感謝していた。
店主の言うことには、その水晶飾りを身につければ山の獣に襲われなくなるという。地元の人達は必ずその水晶を身に着けてから山に入る。それをこの商店街の者たちは島に来た旅人にも貸し出しているというのだ。
「ああ、金は取らねぇよ。但し、下山したら返してもらうからよ。台帳に名前を書いてくんな。ほらよ。」
店主は古びた台帳を投げて寄越した。危うくカップに当たりそうになり私は目を丸くした。店主は細かいことは気にしない質なのだろう。並べられた商品のうち、口の大きな壺をいくつかのぞき込んで、これこれ、と言いながら黄金の水晶飾りなるものを取り出した。それは小指くらいの水晶で、黄色いひび割れがいくつも入ったものだった。黄色い色は黄金と言っているが金ではなさそうだ。黄色味を帯びた土かもしれない。そこまで高価なものでもないだろうが、水晶は水晶、宝石でもある。これはさすがに投げて寄越さずに手渡しされた。水晶は細い組み紐で作った網袋に入れられストラップになって吊り下げるようになっていた。
「お金も取らず貸していただけるのは助かるが、この水晶もタダではないでしょう?」
好奇心で口を挟んでから私はシマッタと後悔した。ではレンタル料金を、と言われても困る。私はある依頼を受けてここへ来たのだ。効果の怪しいモノに経費はかけられない。
「こちらの都合もあってよ、持って行ってくれるとこちらも助かるんだ。旦那は素直に話を聞いてくれるお人で良かったけどよ。頭から俺らのことを田舎もんだと見下してる旅人は話も聞きゃあしねぇ。」
店主はお茶をもう一杯、自分と私へ注いでくれた。
「ユニコ山は精霊の泉も湧く霊峰だ。そこへ獣に襲われた旅人の死骸が年中転がっていれば穢れるだろうよ。死人がで続けりゃ、旦那のような客人も寄り付かなくなっちまう。そんで山に登って死体の処理なんて、進んでやりたいやつなんていねぇわな。」
「確かに。」
「無事に狩りや素材が採取できるならそれに越したことはねえ。余分に取れた素材を客人たちが街に卸してくれりゃこちらも山に登らなくて助かるしな。まぁ旦那も、黄金の水晶飾りのおかげで助かることがあったら、なんかお礼でもしてくんなぁ。」
商売人の店主はにやりとして言った。このお守りはよほど効果があるらしい。
私は店主に礼を言ってユニコ山へ向かった。
この島は中心に霊峰ユニコ山が聳え立ち、その裾野に街や港がある。ユニコ山は山頂に一年を通して雪の冠を戴く標高高い山だ。精霊の泉は山の中腹にあるそうだが、この山の狩人でもない私は登るだけで大変だ。今回は傭兵の装備をなるべく軽くするため、メットと胸当てに籠手、丈夫そうなブーツ等々全て皮製品だ。背中には長剣にも見えるナタを、更に野宿セットも入ったカバンを重ねて背負った。
私は精霊の泉へと続く山道を登り始めた。予定通りに行けば、二日後に到着できるはずだ。
私は傭兵の姿が面倒が少ないためこの格好をしているが、本来は依頼されたモノを探して届ける狩人、よろず請負人である。雇われということで同じようなものだ。やくざな商売をしていると身内の者たちに言われ、自分でもそう思うがちょっとした訳アリで続けている。
今回は精霊の泉に住むユニコーンの角を二本、手に入れなくてはならない。野生の動物素材は危険と手間がかかる依頼だが、精霊の泉周辺は珍しい動植物が見つかると有名である。ユニコーンの角以外にも実入りがありそうだ。しかも幻獣とくれば久しぶりに心躍る依頼だった。
山の緩やかな登山道を登ることしばらく。休憩できそうな平地の開けたところに出た。湧き水もあり一服できそうだ。船が着いてから朝食抜きで歩いていたため、食事を取れと腹も鳴り始めた。カバンを下ろして蓋を開けると美味しそうな匂いがしてきた。万事屋の店主お勧めの軽食屋で買っておいたものだが期待できそうだ。
私は期待で鳴る腹を宥めつつ携帯コンロで湧き水を沸かし、できたてのコーヒーを啜りながら肉のサンドイッチを満喫した。
休憩を終えれば後は日が暮れるまでひたすら登るだけだった。ユニコ山はなだらかな山道が多く、小鳥のさえずりや景色を堪能する余裕を持ちながら登ることができた。おかげで予定通り日暮れまでに無人の狩人小屋へ着いた。狩人小屋は無人で使えて気楽であったが、地元の狩人達の情報が得られないのは残念であった。今は夏も終わりを告げ、朝夕は気温も下がり肌寒いぐらいだ。秋の始めはユニコ山の獣たちが騒ぐ時期だそうで地元の狩人は狩りをしないそうだ。ありがたく使わせていただく。水場も設置してあり、温かいスープと携帯食料で夜を過ごした。
今朝は早朝から獣道を枝草かき分けながら登っていた。精霊の泉は精霊たちの憩いの場であって人間のためにあるわけでない。今は山道を外れ、山の奥深いところを進んでいた。
ガササッ、ガササッ、ガサッ
斜面の上10メーターほど先の茂みが大きく揺れていた。小屋に泊まらなかった狩人が先に進んでいたということなら良いのだが、狩りのプロが茂みを無遠慮に揺する理由がない。おそらく大型の獣であろう。
この山の獣がどれ程危険なのか知らない。私は緊張で手に汗をかいていた。静かにズボンで手のひらを拭い、そっと背から刃渡りが50センチ程のナタを引き出した。長剣ほど長くないが、この辺りなら振り回せる。
獣の唸り声と、草を踏みしめる音がこちらに向かってくる。こちらを伺っていた警戒から、縄張りに入られた怒りに変化したようだ。
「・・・・・・ゥグォオオオ!!!」
草むらから飛び出した獣は飛び上がってこちらに襲い掛かった!
・・・・・・が、ナタを構えた私の前に痙攣して落ちてきた。中型のイノシシぐらいある大きな狸のような獣だった。なぜ急に痙攣をおこして動けなくなったのだろう?死んでないが動けないようだ。
一般的に狸は肉も不味いし毛並みも悪い。無駄な殺生をする必要もないだろう。私は巨大狸に一方的に別れを告げて道を急いだ。
しかし何もしていないのに気を失う獣とはいかに?あの獣は死んではいなかった。飛び上がって鳴き声を出した途端、痙攣して気を失ったように見えた。
狸が起きてこないうちに逃げ出した私は、少し開けた岩場に出て休憩することにした。
「もしやと予想はつくんだけど。」
効果てき面だな、と私は独り言をこぼしつつカバンに付けた黄金の水晶飾りを触った。
精霊の泉は特殊な波長を出しているそうで、専用コンパスを使えばたどり着ける。噓くさいがホントの話だ。泉は後2時間ほど歩けばたどり着ける予定だ。そこから速やかにユニコーンも捕獲しなくてはならない。私は他の獣たちに構っている時間はこれっぽっちも無いのだ。
しかし休憩後からも先ほどの狸もどきの獣を筆頭に、種類の違う獣も合わせて5回も襲われて同じ経緯をたどっている。
「・・・・・・ゥルグォオ!ゥゥルグォオオオ!!」
ウサギの額に角が生えたユニコウサギは左右に跳ねながら唸り声を上げて攻撃してきたが、やはり私に近づけば痙攣して倒れた。確認のためユニコウサギに近寄ろうとしたら、ブーツにこつんと当たるものがあった。
「おや?何だろうこれ。ガラスのリンゴ?」
胡桃サイズの小さなリンゴのガラス細工が落ちていた。
こんな洒落た細工ものが何故?落とし物だろうが険しい山まで持ってくるものか?疑問は尽きないが、こんなところまで持ってくるのであれば大切なものであろう。落とし物なら届けてあげようと、私はカバンにそっと仕舞った。
しかしカバンを背負いなおした私は、目の端にきらりと光るものを見つけた。少し離れた木の根元に落ちていたそれは、黄金色のガラスのリンゴだった。もしやと上を見上げればその木はリンゴの木だった。
しかし、ガラスじゃない。いや当たり前だ。おかしな考えに思わず頭を振った。
野生のリンゴだからか実は小さいが鈴なりに実が成っていて、色も熟した赤いものから緑、黄色など未熟なものも色とりどりだ。なんだかこのガラスのリンゴと無関係ではなさそうな気がする。
ファンタジー的思考を落ち着かせるため、じっくりと周りを観察する。すると他のリンゴの木の根元にもきらりきらりとガラスのリンゴが数個落ちていた。リンゴの傍にガラスのドングリもあった。ここはまばらにリンゴの木とドングリの木も生えていた。
「人の手が入っている?・・・そうは見えないが。」
疑問は尽きないが、私の仕事はユニコーンの角だ。精霊の泉まで急がなくてはいけない。私は後ろ髪惹かれる思いでコンパスの針の先に向かった。落ちていたガラス細工は出来の良さに全てカバンに仕舞ってある。黄金の水晶飾りを返す時に、あの店主に聞いてみるのもいいかもしれない。
リンゴの木から1時間近く歩き、目の前の蔓をかき分ければ、突然に視界が開けた。
そこは向こう岸がもやで霞んで見えないぐらい広い湖だった。精霊の泉というから湧き水が溜まる池を想像していたが、はてさてここまで広い湖とは。ユニコーンをおびき寄せるのも一苦労になりそうだ。
ユニコーンと言えば清らかな乙女を好むといわれている。
しかし私はただの中年のおじさんだ。
それにこんな険しい山に乙女を連れてこられる伝手もない。そこは便利な世の中である昨今、ユニコーンをおびき寄せるエサがあるのだ。
「あーまいっ。匂いまで甘い!!!」
私はバニラのキツい匂いのマシュマロを籠に盛った。好奇心で一つつまんでみたが、喉を刺激するほどの甘さだった。ユニコーンという生き物はおかしな嗜好を持つものだ。清らかな乙女を好み、お菓子の甘い香りを、激しい甘味を好むらしい。まあ、人間でいえば控えめに言っても変態だな。
「そしてその角を欲しがる罪深き人間たちよっと。」
ひと昔はユニコーンの角と言えば不老不死の薬とされて乱獲されたが、現代の医学では特に素晴らしい薬効は認められていない。今回の依頼人も、楽器の装飾にユニコーンの角を使いたいからという理由で頼まれた。大金をポンと出してくれた気前の良い依頼だが、日々の糧を稼ぐのに必死な私には到底理解できない。
鹿の角じゃダメなのか?
依頼人の前で出かかった言葉は危うく呑み込んだ。
湖の岸辺は白い砂浜になっていた。ここはユニコーンの水飲み場になっていそうだと予想し、甘い匂いを放つ籠を置いた。
あとは待つだけだ。これだけ広ければ、匂いがユニコーンへ届くまでどれ程かかるのだろう。納品の期日はひと月以内としたが、野宿など長期間したくない。
「キュフン、キュフンッ」
背後で鼻を鳴らす変な鳴き声がする。足元には置いたばかりの籠がある。予想に反して早くも匂いにつられたユニコーンが寄ってきたか、または他の獣か。
ジワリと嫌な汗が沸く。
ザリッザリッと砂を踏む音が近い。
獣を刺激しないよう、警戒してゆっくりと振り向いた。ここで下手に動いては命に係わる。
ああ、あの水晶飾りをカバンごと草むらに置いてきてしまった。
今日、一番の危機だ。
ゆっくりと振り返る視界の端に白いモノが入った、と感じた瞬間、衝撃とともに身体が宙を舞った。
「・・・・・・い、生きてる?」
「おっさん、大丈夫か?ケガはないみたいだけど、吹っ飛ばされて意識が飛んでたんだ。」
白い砂の視界から聞きなれない若い男の声がした。反射で反対側に転がって逃げたが、男の声に敵意はなさそうだった。男は両手を上げて私から離れてくれた。私はどうやら命拾いしたようだった。
「君が私を助けてくれたのか?」
身を起こして声の男を伺えば、十代半ばの顔の整った白髪の少年が腕を下ろして頷いた。黒い目がまっすぐに私を見ている。
キレイな顔つきだが狩人のボロボロの服を身にまとっている。もしかしてこの山の狩人だろうか。
「いや俺は、そこにあんたを寝かせたぐらいで・・・・・・。」
少年はうつむいてばつが悪そうに言った。私を助けるよりも獣から逃げるだけで精一杯だったのだろう。
「いや本当に助かった。あのまま獣に食われていたかもしれなかったんだ。君は命の恩人だよ。ありがとう。」
「いや!アイツらは人間を食べたりなんかしねえよ!?」
少年は私を襲った獣はユニコーンで、人を食べないし、普段は大人しい幻獣だと教えてくれた。しかし甘い匂いに我を忘れてしまったらしい。マシュマロに突進して私を跳ね飛ばしたそうだ。
身体の無事を確認した私は、少年に中央大陸のアニスの町から来たジークだと名乗った。少年はこの山に住んでいる狩人でタケルだと教えてくれた。正式には違う名前だったのだが、私が彼の名前をどうしても聞き取れず、やっと言えた音がタケルだったのだ。恩人に申し訳ないと恐縮する私に、少年は気にすることなくタケル呼びでいいと笑って言ってくれた。気のいい少年だ。
「ところでジークは水に潜れるか?」
「何だ突然だな。一応泳ぎはできる。流れの早いところは自信がないが・・・・・・」
「やった!初っ端からアタリだ!!!」
突然当たり呼ばわりされたが何だろう?首を傾げてタケルを見れば、タケルは私の手元が気になった様子で手元をのぞき込んできた。
丁度私はマシュマロの袋を新しく開けていたところだった。先ほどのエサはひとつ残らず食べられたのだ。ユニコーンに相当効果有りだがあんなにすぐに寄ってくると思わなかった。もちろん袋を開ける前に水晶を腕に括り付けた。
「なぁ、ジークはユニコーンをどうするつもりなんだ?」
タケルが今度は恐る恐る聞いてきた。狩人だろうにユニコーンが怖いのだろうか。
「角が二本欲しいんだ。コレでおびき寄せたユニコーンを麻酔銃で眠らせて角だけ切るつもりだ。」
「角だけ・・・・・・。」
てっきり殺すつもりだと思ってと言われ、私は狩人だが無駄な殺生はしないと告げればタケルは目に見えて安心した。若い狩人は血気盛んで進んで獲物を揚げたがるものだと思っていたが、この若い狩人君は違うらしい。
「だったら角をやるから、代わりに水に潜ってくんない?」
「角をくれるって?水に潜るって?」
タケルはちょっと待ってろと言って森に走って行った。あっという間に姿が見えなくなった。
水に潜るとはこの湖のことだろうか?角が貰えるのなら吝かではないが、標高が高い位置にあるこの湖は水が冷たそうだ。もう秋に差し掛かって朝晩は冷える。できれば短時間で終わる依頼であってほしいが。
太陽の傾きを見れば今はもう昼を少し過ぎたぐらいだった。私は先ほどの事故で一時間ほど気を失っていたようだ。ユニコーンとタケルを待ちながら、野宿の準備も始めなくてはいけない。辺りを警戒しつつカバンから簡易テントを引きずり出した。
はたしてタケルは直ぐに戻ってきた。手には二本の立派な角を持って。
「ちょっと説得に時間がかかっちまって、待たせたな。」
時期的に切らせてくれる奴が少なくてさーと文句を言って私に向かってきた。私は彼の手元に意識を取られ、そのセリフを聞き逃していた。私の目は、極上のユニコーンの角に釘付けになっていた。
「それは、かなりの年配のユニコーンの角じゃないか!そんなに上等な角って・・・・・・、湖に潜るって相当大変な依頼なのかい?!」
年齢を重ねたユニコーンの角などベテランの狩人だって難しい。獲物は年齢を重ねるほど知恵をつけていく。私が狙っていたユニコーンだって、若いユニコーンが未知のエサで好奇心に負けて出てくるところを捕まえようと思っていた。タケルが持ってきた角は明らかに太くて長い立派な角だ。私のにわか狩人レベルでは明らかに無理な獲物だ。
「いやいや、湖でもないし、大した深さじゃないよ。でも、俺にしてみりゃ大変かなぁ? 頼みたいってのが、泉の出口が詰まってて、そこの掃除を頼みたいんだ。でも俺、水に潜るのも、掃除するのも苦手でさぁ。」
タケルは手を振り振り笑いながら言った。
「でも詰まったままだとマズイしさ。ぜひともジークにやって欲しいんだ。俺のためにも!!!」
タケルは力強く言った。彼曰く、今までも死ぬ思いで水底の掃除をしていたが、今回の詰まりは深い場所まで行かねばならず、大変困っていたとのことだった。そのためならユニコーンの角なんて大したことないお礼だと。
「私で出来ることならぜひともと言いたいが、もし出来ないことだったら断ってもいいかな。」
破格の報酬である極上のユニコーンの角が対価の仕事だ。私が果たしてできる仕事だろうか?年の割に狩人歴の浅い私ができるか分からない、と前置きしてとりあえず現場に行くことにした。目の前の報酬に釣られたともいう。
タケルは湖の脇から獣道へ入り、山の斜面を軽い足取りで登って行った。追う私は汗だくで息も切れ切れだ。若さが恨めしい。そこへタケルがクルリと振り返り、突然私の手を取り、そのまま木と木の隙間をひょいっとすり抜けた。
「は?」
「精霊の泉にようこそ!」
そこは水が湧きだす岩の皿が幾つも重なってできた鍾乳石の泉だった。
泉は様々な大きさで水が湛えられている。
ここの水は水脈となって先ほどの湖に流れ込むのだとタケルは言った。精霊が隠しているからめったなことではたどり着けないそうだ。
私は突然視界が茶色で埋め尽くされ声をなくしていた。先ほどいた湖は本当の精霊の泉でなかったのだ。
「水は結局一緒だし、あっちも精霊の泉でもいいだろ?ってことで麓の町もこちらの泉は言わないことになってる。まあ、ここは俺ぐらいしか入れないし。重要な観光資源だから、ジークも内緒な。」
タケルはニヤリと悪い顔で笑った。
山の斜面に大きい鍾乳洞が口を開け、泉の岩の皿はその奥へ続いている。
風に乗って微かに硫黄の臭いがする。
「そう、奥から温泉っての?熱いお湯が湧いてるから水もそんなに冷たくないんだ。」
そのことをタケルに問えば簡単に答えてくれた。ここへ入る時といい、精霊の泉に詳しいことといい、タケルはただの狩人じゃなさそうだ。しかし今更気が付いても後の祭りだ。自分がのっぴきならない状況に陥ったことがわかった。
「タケル。私は君の依頼が熟せるだろうか?」(そしてここから無事に帰られるのだろうか?)
私は思わず遠い目になった。おとぎ話では精霊に連れ去られ、帰ってこない人間の話が多い。
「水に潜るだけだって。こっちこっち!」
ジークは真面目だなぁ、とタケルに呆れられながら一番大きな岩の泉に案内された。この泉は大きいといっても小さな池ぐらいの広さで、深いところでも私の胸ぐらいの深さしかないそうだ。
「実は俺、小さい頃にここらの泉で溺れたらしくてさ。水に潜ってると怖くなって息が詰まっちゃうんだ。いやー、それが水から上がってもしばらく続くんだわ。だから掃除どころじゃなくなって、また水が怖くなっての繰り返し。でも掃除が終わらなきゃ精霊達も困るしさぁ。」
タケルはさらりと重要なことを語った。
「タケルにとって辛い作業なら山裾の町の人達に頼めないのかい?」
「精霊の泉って場所は神聖な場所らしくてさ。ここの恩恵はありがたいけど、近すぎるとキツイって言われた。島の人間にゃ効きすぎるんだな。」
精霊の息吹ってやつ?威圧感みたいに感じて苦しいらしいよ?とけろりと言う。
「・・・・・・私は?」
「ジークって鈍いのかな?外から来た奴だからなか?ここまで普通に居られたヒトって初めてだよ!」
あはは!と嬉しそうに笑うタケルを見て、自分の鈍さを呪った。これは断れない強制依頼だったのだ。精霊は本当に実在するものだったのだな、と思わずつぶやいた。幻獣を追いかけてこの道に入った私がいうのもなんだが、こんなファンタジー的遭遇をするとは思わなかった。
大人しく服を脱いで泉に入れば温泉のおかげでぬるいぐらいだった。これは助かる。水中の作業は水温で体力を奪われるのだ。しかも温泉ならば、浸かるほど肌つやが良くなるに違いない。私は半ばやけくそになっていた。
「ほらジーク。面白い顔しないしない。そのまま奥まで進んで。で、そこの壁際の底に穴が開いているはずなんだけど、大きなモノが詰まってさ、上手く流れていかないんだ。」
タケルの言うように端まで行ってトプリと潜れば、底で太った足がじたばたと動いていた。
「ぅおおい!!!」
ザバリッと水を跳ね飛ばし、飛び上がって大声を上げた。
「人だ!人が引っかかって溺れてるぞ!!!」
「ええええ?!」
再びざぶりと潜り、うごめく下半身を抱えて何とか引っ張り上げた。
「ぅええええ。ジークって思ってた以上に力持ちだったんだな。」
「は、はぁ、腐っても狩人、ってことさ。」
私は息も切れ切れに言った。息切れしすぎて少し情けない。
水中で男の足を持って数回グイグイと引っ張れば、すぽんっと抜けた。男は引き上げたら水を吐いたし、今も息はできていたから大丈夫だろう。
足元には引き上げた男がぐったりして横たわっている。胸は上下しているから近いうち目が覚めるだろう。因みに男は服は着ていた。裸同士で抱き合うことにならなくて良かった。本当に良かった。
男を引き抜いた後も、穴に詰まっているものがないかと再び潜ってみたが、指輪が一つ穴の奥に引っかかっていただけだった。不思議なことにその指輪を拾いあげてから、水面が明らかに下がっていった。
「やったー!流れが戻ったぞ、ジーク。」
「え?これで終わりかい?てっきりこの泉の全てを潜るのかと思ったよ。」
気の抜けた私はまたうっかり余計なことを言っていた。タケルがこちらを見て、ニヤリとした顔を向けた。
「いや、今回の依頼はこの泉だけ。ありがとうよ!」
ジークのおかげで水は流れたし、依頼以上のことは吹っかけねぇって、とタケルは笑いながら言った。
「で、この人はどうしようか。私が一緒に町に連れていくにしても、体力が戻るまで待つしか」
「息子、は、息子は無事でしょうか!」
「え?」
目を覚ました男は自分の状況よりも、ここに居ない息子を一番に心配して私に叫んだ。
私は恐ろしいことを想像してタケルに目配せしたが、タケルは首を傾げた。
「おっさんしか池に詰まってなかったぜ。精霊の泉に勝手に入ってきて、自分を泉に詰まらせるわ息子は迷子にさせるわ。そのうえ騒ぎ立てるとは迷惑な奴だな?」
だな?は私に向けて同意を得る”な?”であった。
「タケル!言い過ぎだ。子供を心配しない親はいないんだ。」
私は強く言いすぎないように注意したつもりだが、上手く言えたかわからなかった。とにかくどんな子か聞いて探さなくてはいけない。太陽もあと少しで沈んでしまう。泉から出たばかりで髪も濡れているというのに、背中には嫌な汗が噴き出した。
しかし、太った男はタケルを見ると破顔した。
「おい、*****?*****なんだな?探したんだぞ!!!」
「・・・・・・・探した?」
私の声は太った男の声にかき消された。
太った男はタケルの両肩をつかみ、安心からちょっと怒りっぽく話しながらも嬉しそうに抱きしめた。タケルはびっくりしすぎたようで、男のなすが儘になっている。私は全く状況が分からない。まさしくぽかんと口を開けて見つめることしかできなかった。
「胸の痛みはなさそうだな。無理して精霊の泉まで連れてきて良かった!父さんはこの島の精霊様を祭る一族の末裔だって言っただろ?絶対にお前の心臓も治してくださるって。」
「・・・ああ、ここの温泉が効いたんだろうな。俺はもう健康そのものだぜ。」
タケルがにこりと笑顔で言った。私は更にぽかん、だ。さっきからの即興のお芝居を見せられている、いや知らないうちに参加させられているみたいだ。
「ああ、貴方は私を助けて下さったんですね。ありがとうございました!お陰様で息子に会うことができました。」
タケルの父親?という男は私にも話しかけてきた。子の心臓の病気を治すため、一縷の望みをかけてこちらの泉に来たが、足を滑らせて泉に落ちて流され、運悪く穴に嵌ったそうだ。
「いや、間に合って良かったです。」
貴方も息子さんの病気も。とまどいながら言えば、男も涙を浮かべてタケルの肩をたたき喜んだ。
「この子は心臓の手術が必要でしたが、体の小さな子供だと無理だと言われまして。成長を待っていたら手遅れだったんですよ。もう、毎日苦しむこの子をみるのが辛くて、代わってやれるならと思わない日はなかったですよ。」
「そうですね。代わってやれるなら。お気持ちはわかりますよ。」
私は拳を握り、もう尽きたと思った感情がまた滲み出るのを静かに抑えていた。
私にも娘がいたことがある。それを人に話すことは、まだできない。
「それでここにきて。この子を抱えて、どの泉に入ろうかと覗き込んだら二人ともぽちゃんと落ちてしまってねぇ。」
男はあはは!とタケルとよく似た笑い方をした。
「父さん!恥ずかしいよ。俺は元気に大きくなったろ?精霊様のおかげでもう胸も痛くないし、友達もいる。何も心配いらない。」
なっジーク?とタケルにウィンクされた。私は何だかわからないが頷いておいた。この場がちょっとうすら寒くなってきた気がした。
「そうか。*****、大きくなったなぁ。父さん嬉しいよ。」
しみじみと頷いた男はよっこらしょと立ち上がり、先ほど穴に引っかかっていた指輪を拾ってきて私に渡してきた。男の指輪かもしれないと、横たえた男に見えるように地面に置いていたのだ。
「あなたは狩人ですね。この指輪を中央大陸の妻に届けてもらいたい。報酬は・・・息子に貰ってください。最後の親孝行だ。*****、よろしくな。」
「なんだよ、調子いいなぁ。わかった。まかせとけ!」
詳しい住所を教えてもらい、忘れないうちにと鍾乳洞を出て、近くに生えていた大きな葉に傷をつけて書き留めた。生憎カバンは湖のほとりのテントに置いて来てしまったのだ。もちろん水晶は肌身離さずつけているが。
いろいろおかしかった。それはわかっていたが、親子の再会に割って入ることもないだろうと、私は流されていた。
「いやぁジーク、思ったよりも早くコトが進んで何よりだ。ありがとうよ。」
戻ってきた私を見るなりタケルはニヤリとして言った。進んだとはなんだろうか。彼は今、父親と感動の再会をしたのではなかったか?
「指輪を届けることまで引き受けてくれてありがとよ。おかげで未練なく流れていった。」
「流れた?え、今引き揚げたところだろ?」
見回しても太った男はどこにも居なかった。実はエラ呼吸ができる種なのか?
後で思い返せば私もたいがい鈍い反応をした。二人の会話の矛盾を、積極的に考えないようにしていた。しかし私は、突然始まった感動の親子の再会に水を差すような真似もしたくなかったのだ。
タケルが答え合わせを聞くかと問うので、私ももちろんと頷いた。
しかし私は後で後悔することになった。
「俺は小さい頃、ここの精霊達に拾われたらしくてな。物心がついた時からここと下の町を行ったり来たりしていた。町では精霊達を祭る一族が俺を面倒を見てくれた。」
「タケルは父親とはぐれた迷子で、今やっと父親に出会えたと思っていたんだが?」
話の流れがうすら寒い。私は聞きたくないことを聞いているのかもしれない。
「まあ聞けよ。どうであれ、俺は狩人であり、親なしの精霊の神子でもある。」
冷静に見れば、タケルは15、6の男性に見える。
冷静に考えれば、父親に抱っこされて泉に落ちる状況が想像できない。
それに太った男が泉で溺れていたのもおかしい。波立つ水音に気が付かなかった上に、そもそも水面が動いていなかった。足はバタバタ動いていたのに?
「汚れはいつのものかわからない。長い年月で自然に流れていくものがほとんどだからな。
でも未練が強いと固まって残っちまう。
あの男は子供が無事だってわかれば未練もなくなるだろうと一芝居売ったわけ。俺も拾われた子供だったし上手く寄り添えただろ?」
「じゃ、あの男がタケルの親かもしれないんじゃ?」
「まあなぁ。でも俺、赤ん坊で捨てられてたし手がかりなんざ一つも無いからなぁ。」
もう超常現象なところは突っ込んで聞かないことにした。私は幻獣を追ってこの業界に入ったが、スピリチュアルな体験がしたかったわけではない。むしろ白昼夢であったと言われたほうが良かった。
「いつの汚れかもわからないし、汚れが溜まることは珍しくないし、今さら誰が誰だろうとキレイになりゃいいんだ。
そんなことより泉の掃除は上手く汚れを流せるかキモなんだ。ホント、ジークがいて助かった。」
ほら長いこと精霊の流れに当てられたから、キレイになっちまって・・・そこらに埋めなきゃなぁ、とタケルは足元のモノを拾い上げた。
それは水晶で出来た頭蓋骨だった。タケルの人差し指と中指が眼孔にかかり、ボーリングの玉のような扱いだ。
「!!!」
「精霊の恩恵ともいわれるのがコレ。長い間精霊の力だかなんだかに当てられると、なんでも水晶に変わっていくんだ。ジークが身に着けてるのもこの山から湧いたやつだな。」
先ほどの男は未練を残した何か、だったらしい。長年精霊の泉に囚われて水晶化したんだと言われて、私はぶるりと大きく震えた。
タケルは泉から出て、本当にソレを埋めに行くようだ。私にも出るように言ってきた。ここでの仕事は本当に終わりらしい。
「この黄金の水晶の恩恵は助かったけれど、これもヒトからできているのかい?」
恐る恐る、麓でレンタルしてきた水晶を見せて言った。確かに助かったけれど、これもヒトからできているのならキチンと供養が必要だろう。太った男、いや水晶ドクロも指輪と共に家族に帰してやるべきだろう。そう言うとタケルは呆れたように言った。
「精霊の力に当てられるとなんでも水晶化するんだ。今さらそれが何からできたかなんてわかんねぇよ。」
タケルはドクロに拳を突っ込んでクルクル回しながら続けた。
「恩恵なあ?山の動物は水晶の出す精霊の力に当てられて倒れちまう。人間は鈍いからそんな風に持ち歩いてお守りにできるんだぜ。」
「じゃあ、そのドクロを、」
「この島の現象を、そいつの受け取り手が信じりゃいいがな。ジークが頭の変な奴って思われるのがオチだぜ。」
十代の子供に正論で諭され、私は情けなくも黙るしかなかった。タケルは最初に出会った湖のほとりにたどり着くと、ドクロを深く埋めた。
私は帰り支度をし、託された指輪をカバンに仕舞ったとき、ガラスのリンゴが指に触れた。
「そうだ、コレ!」
タケルの話からすると、精霊の力に当てられたリンゴに違いない。持って帰って身体が水晶になるなんてことはないだろうか?
「ああ、精霊の通り道に出来たリンゴだな。これはなんでか幻獣は好んで食べるんだよなぁ。水晶までなってないからかなぁ。」
「幻獣?ユニコーン以外にも?」
「ペガサスが前に飛んできて食べてたぞ。人魚にあげたら海を無事に渡れたって噂も聞いたけど。」
私は心が震えるのを感じた。はやる気持ちを抑えて聞く。
「では、竜、ドラゴン、を見かけたことはあるかい?」
タケルは私の態度が変わったことに不審そうな目を向けたが答えてくれた。
「ワイバーンなら、越冬する通り道だから季節になると見かけるけど?」
ワイバーンは竜ではないのだ。トカゲの一種だ。私の望みは竜なのだ。
「・・・・・・竜は?」
「竜っていったらおとぎ話じゃねぇの?マグマのスープから生まれるってやつだろ?」
何だよ、あからさまに落ち込むなよ!?おいっジーク?」
帰りの船に滑り込んだ私は、ベッドに寝そべり葉っぱに刻んだ住所を手帳に書き写していた。残念ながら太った男の出来事は白昼夢じゃなかった。
結局、タケルから指輪を届ける依頼も正式に受け、麓の町の神子を祭る一族に少なくない依頼料を受け取った。タケルは本当に神子様だのだ。しかも太っ腹の。
そんなタケルでも竜を見たことはなかった。しかしタケルはあの後ユニコーンにも竜について話を聞いてくれた。なんと神子はユニコーンと意思疎通ができるらしい。
角も交渉して手に入れたそうだ。今の時期ユニコーンは繁殖期だ。雌(角は生えない・白馬にしか見えない)にアピールするため、雄は角を立派に見せて求愛する。そのため初めはだいぶ渋られたらしい。そこでもう繁殖期に関係ない年配のユニコーンを紹介してもらい譲ってもらったとのことだった。こちらのほうが高価でありがたいと告げれば、古くて申し訳ないと思っていたと言われた。
そうタケルは最高齢のユニコーンに話を聞いて来てくれた。ちょっと記憶があいまいなことが多いらしいが、幼少期に竜のうろこを食べて火が吐けるようになった親戚ユニコーンがいた、と聞いたことがある、と教えてくれたそうだ。
それを言うときのタケルはバツが悪そうに、おとぎ話みたいな話ですまねぇと言っていた。だがしかし、人間以外の証言が取れたのである。ユニコーンも竜という存在を認識している。それだけでも大きな収穫だった。
今回の遠征は得るものが多かった。指輪を届ける依頼もそうだが、幻獣が好むエサらしいガラスのリンゴとドングリを手に入れたのだ。人間は鈍いから持っていても何ともないとタケルに教えてもらい、安心して持ってきた。
これを使って竜をおびき寄せることができるかもしれないじゃないか!
竜のうろこを一枚、お誕生日プレゼントに欲しいの。
そしたら、私、お守りにしてパパにあげるね!
そしたら、お仕事行ってもやけどしないでしょ?
竜の出てくる絵本を読んだ後、幼い娘は興奮して私に言った。今でも覚えている。
かつて私は消防士だった。
現場に出てはヤケドを作って帰ってくる父親を心配する娘、
大丈夫、パパは頑丈よ?と宥める妻、
二人のやり取りを見て幸せだと思う私。
何もかも失って、私は娘の最後の願いを叶えたいと狩人になった。
「精霊も存在していたんだ。きっと竜だって、どこかのマグマのスープで生まれ育っているさ。」
私はそっとつぶやいた。
読んでいただきありがとうございました。