サラミス少将
グリードが施設から逃亡して2日経った。
ここはその施設からもっとも近いノーザンバーグ共和国軍駐屯基地だ。
その司令官室で二人の男が会話している。一人は駐屯地司令官のサラミス将軍。30歳という若さで少将という栄達を果たしたエリートだ。
優秀な魔術師であり、名門貴族の出身でもある。まさに非のうちようのないエリート。
そんな彼に相対する男はブルブルと震えていた。サラミスは震える目の前の男を見るが、特に気にすることなく話を始める。
「報告は聞いている。まさか、ジルコニア人どもが反乱をおこし逃亡するとはね。よく生き延びて報告してくれた。君には感謝しているよ。」
落ち着きのある紳士的な口調でしゃべるサラミスに、相対する男は少し安堵した。思わず気が緩む。
「トール所長。いや、しかしこれはゆゆしき事態だ。施設にあったゴーレムと魔道具は奪われ、それを使いこなすジルコニア人が野に放たれた。そして我々は彼の行方がわからない。」
手を組み、その上に顎を乗せ、真剣な眼差しをトールに向けたサラミスの表情は冴えない。グリードがいた施設はサラミスの管轄下にある。つまり、サラミスはトールの上司にあたり、グリードの逃走、つまりトールの失態はサラミスの失態になる。
もし、こんな話が漏れれば、それこそサラミスの汚点になる。今後の出世にも影響しないとは言えない。
いや、単にグリードが単独で施設から逃亡した、という話なら大したことはない。問題は施設の従業員、つまり、軍の中でも戦闘に長じた者達の集まりとは言えないにせよ軍に籍を置く者達が所長であるトールを除き虐殺された上での逃走というのが問題なのだ。
しかも、軍の貴重な魔道具とゴーレムを持ち出し、さらに、それらを使いこなせる可能性すら秘めた状態で。
サラミスまでで情報を握りつぶすにしろ、さらに上の立場の者へ報告するにしろ、判断は迅速を求めた。そして、若きエリートは前者、つまりサラミスまでで情報を握りつぶすという選択をした。
それはつまり、サラミスが全力をもってグリードを追い、殺すか捕らえるかする、ということを意味した。
「忌々しいガキだ。 こんなことが公にさらされたら、私のキャリアに傷ができてしまう。」
ほんのわずかだが、サラミスの言葉に怒気が混じっているように感じられ、トールは委縮した。
軍におけるトールとサラミスはそれだけ立場の違いがある。年齢はトールのほうが上だが、トールの階級は大尉クラス。少佐のサラミスとは4階級も差がある。サラミスが一言、「お前は死ね」と言われれば、即刻この場で死なねばなるまい。
だからこそ、トールとしてはサラミスの機嫌を損なうことは絶対にできず、むしろどうすれば汚名挽回ができるかも並行して考えていた。
だが……
あれは自分の手に余る。
トールが職員の中でただ一人生き残ることができた理由。それはあの施設で所長のみに渡されていた移転用の魔道具のおかげだ。
これを使うと、施設の外の特定の地点に瞬時に移動することができる。
あの日、トールは急襲してきたゴーレムと戦い、何合か打ち合った結果、絶対に自分ではかなわないと判断して移転用魔道具を使用した。
部下を全て置き去りにして。
もっとも、自分の判断は間違っていないとトールは考えていたし、事実、それは軍人としては正しい判断と言える。トールが移転魔法を使わなければ、今頃トールは死亡していただろうし、こうしてサラミスに報告できる人間もいなかったはずだ。
ゴーレムで急襲してきたジルコニアの人間の顔も薄っすらとではあるが覚えている。戦闘時、直に顔を見たわけではないが、ゴーレム工房で作業をしていたジルコニア人は一人しかいない。
つまり、ターゲットの顔を知り、ターゲットが操るゴーレムの実力を知っているのはトールのみ。それがトールの現状の人材的価値である。そしてそれはサラミスも理解していた。
「トール所長。いや、今はトール大尉と呼んだほうがいいかな。 わが軍の中で唯一敵を知る君に聞くが、彼がどのように動くと考えるかい? いくら強力なゴーレムを扱うといっても
所詮は単身の身。 まさか我がノーザンバーグ領内でノーザンバーグと戦い続けるなんて真似はしないだろうから、私としては故郷のジルコニアに帰ろうとするのでは? と思うのだがね。」
サラミスの意見を聞いてトールも頷く。
ノーザンバーグには実に50万という数の軍隊が存在する。50万の軍隊に1人の人間と数体のゴーレムで戦いを挑むなど自殺行為だ。だから、相手がテロリストか自殺願望者でもない限りはあえて戦おうとはしないだろう。
そして、そう思うからこそサラミスが上への報告をためらった理由でもある。
そう考えれば、グリードはノーザンバーグに留まる理由はなく、むしろ逃亡者という状況を脱するためにノーザンバーグから脱出を試みるはず。ノーザンバーグと隣接する国はいくつかあり、その一つにジルコニアがあるのだが、ジルコニア以外にあえて向かうとは思えない。
「私もサラミス将軍と考えは同じです。ジルコニアに向かうものと考えます。ただ……」
「ただ?」
「いえ、あの基地の場所からジルコニアに向かうには、海を渡るしかありません。ノーザンバーグからジルコニアまでの直行便の船などありませんから、ノーザンバーグからジルコニアに船で向かうというのは難しい。となると、直行便が出ているサウザンバーグを経由するという考えもありますが……」
「長城だね。」
「はい。あれを突破してサウザンバーグに入るのはまず無理かと。」
ノーザンバーグとサウザンバーグ国境線にそって建てられた長城は、その名の通り万理の長城を思わせるような城壁だ。15メートルの高さと10メートルの厚さを誇るその壁はいかにゴーレムとはいえ、そうやすやすと破壊して通れるものではない。
それに、その長城は後方の軍事拠点を含め、30万という兵士で守られており、長城のどこかで事件が起これば、次から次へと兵士が駆けつけてくる。
「つまり、海に向かって東に抜ける方がまだ無難ということか。 ふむ。」
サラミスは地図を広げる。
基地からまっすぐ東に向かえば、タラス山地があり、そのタラス山地を抜けた先にやっと海が見えてくる。
ただし、タラス山地を超えられてしまうと、そもそも軍の管轄的にサラミスの力が及ばない地域になる。
「つまり、彼がタラス山地を越えるまでに殺すか、捕らえるかしないといけない、ということだね。」
方針が整理できて落ち着いたからか、サラミスは傍にあったカップを口に運ぶ。一方で、トールはサラミスの言葉に引っかかるものを感じていた。
「サラミス様。彼を捕らえるつもりですか?」
「当然だよ。君の報告にもあった、空飛ぶゴーレム。それが本当なら、そのゴーレムは戦争の在り方を大きく変えるよ。そして、彼は独力でゴーレムを製造できる能力があるということだろう? 是非、その力を我々に取り込みたいじゃないか。多少のエサでこちらに味方してくれるのなら、今回の事件は目をつぶってもいいと思っているよ。」
そう上手くいくものか?と思いつつも、トールは頷いた。
「さて、トール大尉。追跡の役目をエリーゼに任せてある。君はエリーゼの部隊に加わり、彼女をサポートしてあげてくれ。」
その人選を聞いてトールは驚いた。
いくらなんでも、過剰戦力ではないか?と。
「エリーゼ様とその部隊を派遣されるおつもりですか? 強力なゴーレムを扱うとはいえ、過剰戦力では? 下手したら地形が変わりますぞ? それに、万が一エリーゼ様の身に何かあれば……」
「最近刺激が無くて暇なんだそうだ。職場でも寝室でも文句を言われるから私も辛いのだ。それに、彼女は強い。万が一にも彼女の身に何かあるはずもないだろう?」
サラミスの部下にして恋人であるエリーゼ少佐。大軍を指揮する能力は高くないものの、その圧倒的な個人戦闘能力で軍では知らない者はいない程の有名だ。
これは下手すると大事件になる…… トールはサラミスが決めた以上、それに反対することはないが、それでも穏便にことが済むようにと願わずにはいられなかった。




