表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

神判と司法制度

作者: ふりがな

 個人の罪を神が奇跡によって暴く神判、いわゆる神明裁判は、欧州では、元はフランク族の慣習の吸収という形で、キリスト教の拡大に伴い中世ヨーロッパ全土に広まったと言われる。

 これは、司法制度に宗教が関わった好例だ。


 その内容は、熱した鉄を手で持って怪我の程度で罪の有無を問うたり、清浄な水に身を投げ込んで罪の有無を問うたり、熱した刃の上を歩けるかで罪を問うたりとする物である。

 後にゲルマン民族の慣習を起源とする決闘制度が神判に加わり、教会による司法制度の一部の運営、また、司法制度を意図的に利用する統治者との繋がりによって、中世ヨーロッパキリスト教の権威は拡大していく事となった。

 キリスト教拡大の根拠には、今日様々な説があるが、ここでは神明裁判を焦点にあてていこう。


 というのも、この神判、指摘されないが、歴史的に見ても非常に重要な要素を担っているのである。

 当時の神判の意義は後述するとして、歴史の流れを再確認してみよう。

 11世紀以降に始まった知識層へのスコラ哲学の普及によって、神判はそれ以前の批判より一層、論理的に否定されることとなった。

 イスラム教の拡張に対抗するための神学の発展は、まず神判を否定したのである。

 結果、教会自身が世俗への司法介入の手段、即ち神判を禁じ始めた13世紀以降、神判に変わる証拠のない罪を暴く役割を負ったのは、科学的捜査の無い時代において、長い間「拷問」による自白であった。

 そう、結局批判だけが先行して、解法は存在せず、司法制度それ自体の内容は変わらなかったのでる。

 そして、行政府の拷問への批判の受け皿になったのが、私刑「魔女狩り」だったりする。


 司法介入の手段を失うにつれ、大きく収入元を失った教会は以降、免罪符の発行によって、収入を目的に、度々司法制度に介入する事となった。

 この免罪符への批判から始まった16世紀ルターらの宗教改革によって、欧州は大きく分裂するのである。

 そして魔女狩りは、宗教改革によって、教会が司法介入への手段をほとんど失ってから、近現代まで最盛期を迎える。


 つまり、科学的捜査手段の登場する現代より前までは、司法制度の証拠能力部分の役割の一部は、拷問と魔女狩りによって、行政府と個人が負うか、宗教が負うかの差しかないのだ。

 ここからキリスト教は中世どころか近現代までの司法制度において、特に重要な役割を持っていたと言えよう。

 担い手の一端にある時は、批判の対象になりながらも、司法制度における信頼の役割を負い、その担い手を終えてからは、欠陥品にしかならない近現代までの司法制度に、倫理を持って補完する役割を負ったのだから。

 先に歴史の流れを書いたのは、神判の歴史的重要性を説くと共に、宗教批判と思われる事を避けるためである。


 さて、ここからは、なろう風にある程度ぶっちゃけて書くとする。


 人類史の必然である都市化は、恩恵と共に、様々な問題を人類にもたらした。

 犯罪の増加や、貧困の視覚化、燃料問題、環境汚染である。


 人口密度が高くなり、様々な産業の選択が可能になった都市では、複雑な犯罪も同時に誕生する。

 そして、犯罪の不変原理とは、現代においてさえ、罰せられさえしなければ、加害者が一方的に得をするという厄介極まりない物なのだ。

 よって、司法制度の整備は、都市化の宿命であり、行政の頭痛の種でもあった。

 そこに、神明裁判でそんな問題もパパッとクリアなチート集団が登場するとしよう。


 もっとも、キリスト教普及を助けた大きな要因は、隣人を助けることによって、他の宗教信者より疫病を乗り越える人口比率が高かったからという説もあると置いておく。


 領主は、神明裁判を知り、こう思う。

 これで厄介な欠陥司法制度問題は棚上げに出来る上に、教会に金とか払って圧力をかければ誰でも犯罪者に出来るのでラッキー!

 犯罪してても金払えば許して貰えるかも!


 一方で、庶民は神明裁判を聞いてこう思う。

 犯罪者が解るなんて神様ってすげえや!

 見世物としてもサイコー!


 もうこんな感じである。

 我々からすれば、中世ってスゲえや!なのであるが、この代替品の登場は、現代まで待たないと、拷問による自白と魔女狩り(私刑)と決闘(私刑)くらいしかないのである。


 神明裁判を取り入れたキリスト教は、もうそれは超人気で中世欧州に広まっていった。

 そして、神明裁判を悪用したい支配者階級へと権威的に繫がっていったのである。

 さらに、いつの間にか、元のコンセプトである終末思想と救世主思想には、全く関係のない王権神授説へとキリスト教は格上げしていく。


 さて、神明裁判の一つに決闘がある。

 神様はともかく正しい方に味方するから勝った方が正義のこの超理論は、我々日本人には全く馴染みのない文化であるが、欧州では神明裁判の禁止された13世紀どころか、もう殆ど現代まで続いていく。

 彼らにとって決闘は名誉な事であり、必然的に神様は正しい方に味方する超理論は、それはもう欧州の伝統的で身近な価値観なのである。

 しかし、覇権主義の説明で、この神判から派生した価値観はどこにも書かれていない。

 もちろん、日本にも決闘制度がなかった訳ではない。

 ないが、それは司法制度でどうにもならない所は、個人責任で仇討ちしていいよとかで、神様が正しい方を決めるとかそういう価値観ではないのだ。

 かのビスマルクも決闘していたことで有名だし、法で禁止されて以降も、欧州では水面下で名誉ある決闘文化は近現代まで続いていったのだ。


 名誉と言えば欧州の死刑制度、批判され消えたこの制度も、公開死刑は貴族しか受けられないとても名誉な物であった。

 欧州の価値観はやっぱり不思議である。

 日本では名誉のハラキリがあったので、どちらもクレイジーと言えよう。


 この決闘制度には、公平性が求められたが、ちょっと考えてもみて欲しい。

 女性にはハンディキャップを与えるなどの一定の考慮はあったが、とにかく、強い奴が必然的に勝つというこの神判、例えば、なんで支配者階級が、貧乏貴族に名誉だからといって付き合わにゃならんのだと。

 騎士の中心になる封建制においては集団での決闘が重んじられたが、ここでも、何で公平に決闘せにゃならんのだと、ならば有力貴族側は否定すると、考えてみれば当然そうなる。


 なので、ルールを設けて盤外で公平じゃない決闘しようぜ、教会さんも認めてねと。

 そうなるのだ。


 これが当時の小競り合い、中世の欧州内での戦争の本質である。

 国際ルールの歴史は、後のオランダから始まる事になるが、その骨子は中世教会の権威利用からもう出来ていたのである。


 さて、ここまで読んで、皆さんは神明裁判が、歴史に与えた影響は皆無だと思うだろうか?

 基本原則として、なんらかの利権や三権、もしくは学問に繫がる事柄がなければ、宗教に政治的な意義は生まれないと私は考える。

 それが欧州では司法制度が元であったのだ。

 もちろんこれはマイナーな説であり、主流派は表面的に綺麗な所にしか光を当てない。

 例えば進歩的で、哲学的な思想による社会変革である。

 しかし、哲学的な思想による社会変革は、事象に説明を与えない。

 説明されるのは、なんとなく偉い人が偉い事を言って、結果ど偉い事が、もしかして起こったんだなくらいなのである。

 しかし、宗教には導入するに、現実的な側面が常に先にあったのだ。

 権威付けはご存知の通り大抵は後になるし、建前以上の意味を持たない。

 そして、歴史なんてのは常にそんな物なのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ