キス百合
それはある日の朝のことだった。
「ねえめぐみん。放課後ちょっと残っててくれない?」
「は? なんで」
めぐみん、は私のことだ。金谷恵美、で、めぐみん。
この気の抜けた呼び方をしてきたのが、幼馴染の町田千絵。幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもない。
と、思う。
いや、私は少なくとも千絵のことは親友だと思ってる。
確かに他の友達に比べると、付き合いが長い分、お泊まりとかしたし、比較的仲が深いけれど、普通の幼馴染だ。
「なんで……それはその時のお楽しみということで」
「隠すわけ? また何企んでいるんだか」
「大したことじゃないよ~」
それ以上は何も言わずに千絵はけらけら笑ってた。
朗らかな笑顔は見てるこっちまで元気をもらえる。今まで千絵と一緒だったおかげで、私もやってこれたなんて実感が沸く。
……いったい放課後、何を言われるんだろうか。
まるで、告白されるみたいな状況に、胸が高鳴る。
……いや、もしそんな真剣な告白されたらどうしよう、みたいな不安のドキドキであって、たぶん好きとかそういうわけじゃないと思うんだけど。
でも、付き合いは本当に長いし、幼稚園から十年来の付き合いだし、そんな無碍に断るみたいなことはできないし、まあ、まあ付き合うみたいなのもあるかなみたいな気持ちはあるかな。
あああ~~~~放課後何言われるんだろう!
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放課後、一人一人生徒が帰っていくのに、一向に千絵は話を始めない。
「ねえ、まだ?」
「まーだ。二人きりになったら話すから」
……これって、やっぱり……。
時間が経って、告白なわけない、って思ってたけど、目の前で夕陽が照って赤く見える千絵の顔を見ていると、それがやっぱり事実なのかもしれないと思えてくる。
もうちょっと時間はあるから、少し落ち着こう。
大丈夫、私は千絵がどんなことを言っても受け入れるつもりだ。千絵がその気なら、私も幼馴染の一線を踏み越えてみようと思う。
うん、うん、大丈夫。
「じゃ、そろそろ相談していい?」
「えっ!? あ、うん! もう二人きりかぁ! うん、わかった。どんな告白でも受け入れるから」
いつの間にか教室には私と千絵だけだった。
ついに、その瞬間がきたんだ。
「どんな告白でも受け入れるかぁ。心強いねぇ」
「まあ、私と千絵との付き合いだし。うん」
「じゃあ言わせてもらうけどね。めぐみん、キスしていい?」
えっ。
呼吸が一瞬止まった。いや、心臓まで止まった気がした。
千絵は私の想像を一歩踏み越えてきた。
「あー、いやいやいやちがくて。実は私ってキス魔なんだけど」
「き、キス魔!? さ、されたことないと思うけど」
「そりゃ隠すでしょ。千沙にはいっつもキスしてたんだけどさ、最近なんか妙に嫌がられてキスできてなくて」
千沙ちゃんは、千絵の妹だ。私のことをさん付けで呼ぶくらい真面目な子だけど、姉妹仲が良い風には見えなかった。だけどキスとかしてたんだ……。
「もう三日もしてないんだよ。でもこんなこと頼めるのめぐみんしかいなんだよ~。ね?」
「ね、って……それ、千沙ちゃんの代わり……」
「うん」
「帰る!」
「えっ? ちょっと待ってって」
心配して損した気分! 三日もしてないったって、それしなくてどうなるわけ!?
なのに、千絵は袖引っ張ってきてまで止めてくる。こういう、スキンシップが多いのも、誤解を招くからやめてほしいんだけど。
「お願いだよめぐみん。元気出なくなっちゃう」
「元気出なくなるの?」
「うん。学校とか休むかも」
学校に来れない、それはけっこう、大きな問題なような気がする。
「っていうか、私にキスして元気が出るの?」
「もちろん! めぐみんにキスできるなんて、むしろ千沙にするより元気出るかもだよ」
千沙ちゃんよりも……。
「い、一回だけだよ?」
「キスして良いの?」
「言わせないで」
「わーい!」
応えるとすぐに千絵は私の腕を引っ張って、強引にキスをした。
――頬に。
……なんだ、頬か……ッ!?
油断したのもつかの間、鳥がついばむみたいに、何度も何度も千絵は私の頬にくっつけてきた。
「ちょ、千絵」
「あと一分~」
「一分!?」
数えてないけど、確かにある程度の時間が経ったら千絵は離れてくれた。
でも、それが本当に一分かどうかはよくわからなかった。なんだか時間が過ぎる感覚がよく分からなかった、変な感じだった。
妙にドキドキする。キスとか、されたことないし、千絵だから、安心な気もするけど。
「ありがと! じゃ、また明日もよろしくね」
「えっ! 明日も!?」
「うん明日も。よろしく~」
千絵は平気そうに、そんなことを言ってのけた。
足早に進む千絵は全然平気そうで、なんか私だけが無駄に興奮しているみたいだった。
「どったの? 帰らないの? ……めぐみん顔赤くない?」
「夕陽! これは夕陽でそう見えるだけだから!」
「そう? ま、いいけど」
軽々と千絵は言った。
まったく、何も意識してない。
私はこんなに……。
いやこんなにって言うほどじゃないけど。ただ千絵が困っているっていうから仕方なく付き合ってあげただけで……これからも、仕方なくちょっとは付き合ってあげるっていうだけの話だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
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「ふーっ、ふーっ」
「ん、ちゅ、ちゅ……んー、めぐみん息荒くない?」
「ハァッ!? んなわけねーし!」
「気分良くないなら無理せず早く帰ったらよかったのに。熱いよ?」
「熱いって……」
「唇って敏感だから分かるんだよ。温度とか。……ん? でも最初はそれほど熱くなかったような……」
「ちょっと朝からなんか気分悪かったんだよね! うん、ごめん、今日は……」
「いいよ。ゆっくり休んで。ごめんね?」
申し訳なさそうな顔の千絵に、私はそれ以上言葉を返せなかった。
強い、罪悪感がある。私は千絵が何の気持ちも抱いていないことを利用している気がする。
私達は普通の幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもないはずなのに。
くすぐったくて、やわらかくて、あたたかい。
そんな時間を、一週間ずっと喜んで受け入れていた。
もっとしてほしい気持ちも、千絵が離れたら求めずに、もどかしい気持ちのまま、また明日になる。
こんなに切ない気持ちになることは今までなかったのに。
わたしは、千絵が……。
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「いや~今までありがとうね」
「え、なに?」
「千沙が折れたから」
「……は?」
「千沙の方からお姉ちゃんにキスしてもらわないと調子でないなんて言ってきてね~」
「はぁ……はぁ!?」
待って、意味が分かる。いや千沙ちゃんがどういうつもりかはさっぱりだけど、それは関係が変わる台詞だ。
「じゃあ、じゃああれ? もしかしてもうキスなくていいよみたいな?」
「うん。ごめんね。めぐみんそういうのうるさそうなのに」
「いや、私は平気っていうか……」
っていうか。
っていうか!
「嫌だったよね。極力私も千沙ですませるから。これからもよろしくね?」
「いやよろしくはよろしくだけど」
「わかる。わかるわかるよ~? バーガーおごるって」
「弱味とかそんなんじゃなくて!」
「じゃあなに?」
なに、って言われると、なんて言えばいいんだろう。
この一週間、ほんの少しの七分間? くらいの時間だけ、千絵にキスされて。
私はいろんなことを考えて、なに、と言われるとなんて言えばいいか分からないんだけど。
「その、いやさ、淡泊っていうか」
「うん?」
「冷たくない?」
「え~。ポテトもおごる?」
「そうじゃなくてさ!」
なんて言えばいいんだろう。
好きなのかな。やっぱり好きなのかな! うすうす気づいてたけど!
でもそれはもう決定的な最後のやつだから。それは言えないけど、それに代わる言葉はないかな。
何か探してると、千絵はみょうに楽しそうな顔をしていた。
「なっ、なに?」
「わかったよ」
「なっ! なにを分かったの!?」
私の気持ちに気付かれた――?
「千沙と同じでキスされ魔になったんでしょ~」
「き、キスされ魔?」
「キスされたい魔。キス魔の反対語。みたいなの」
――気づかれた、ということはないみたいで、全然見当違いのことを言っていた。
「なにそれ? そんなことないけど」
「嘘だ~。だって千沙と同じ反応してるもん」
「えっ」
「じゃ、早速」
千絵の顔が、目前に迫る。
息のかかる距離に鼓動が逸る。
熱い息が、滑らかな肌が眼前にまで迫って、私はついに目を閉じた。
頬をなでる唇の感触は、ああ、確かにキスされ魔になったみたいだ。
「んふっ。やたっ。これからも千絵にキスしまくるね?」
「んんー……うん」
なんか違うけれど、たぶん私が一番求めてるのとはちょっと違うけど。
……だいぶそれに近いから、これで良い気もする。
「なんか……その……よろしく」
「こちらこそ!」
千絵の笑顔を見ていると、やっぱりこれでいいやって思った。