03-区切り
ドラウムをガレージに入れて、ようやくバウルは一息吐くことが出来た。入庫の際に身分証明が必要だったのが、イリーナが手際よく誤魔化してくれたおかげでバウルまで追及の手が伸びることはなかった。せいぜいジロリと検査官に睨まれた程度だ。彼女と会うことが出来てよかった、とバウルは今更ながらに思った。
「どう? 私と一緒に来てよかったって思えたんじゃないかな?」
「心の中を勝手に決めつけるな。まあ、俺一人で来たなら面倒なことになっていただろうからな。その点に関しては、まあ、感謝しているよ。イリーナ」
心の中を当てられ、バウルはどきりとした。内心の動揺を隠しながら話したつもりだったが、イリーナはニヤニヤと意地悪気に笑いながらそれを聞いている。どうせこれもお見通しなのだろうな、とバウルは諦めた。
「宿はもう取ってあるからそこを使おう。あ、先にキャンセル入れないと」
キャンセルとは何のことか、とバウルは一瞬考えて、あのキャラバンの面々で使うはずだったのだ、と気付いた。自分が踏み付けにした人々と一緒に泊まるはずだったのだ、と。そう理解すると、またバウルの心に罪悪感が芽生えた。
(……下らない。殺したのは俺じゃない、俺が傷つく必要なんてない)
頭では理解していても、心までは誤魔化せない。横目でイリーナを見る、彼女の表情からその内心を伺うことは出来ない。彼女は手持ちの端末を要領よく操作し、キャンセル作業だか何かをやっていた。すぐそれは終わる。
「ふーっ、疲れたね。チェックインしてからにしようか、ご飯は」
「……そうだな。こういうところだと、まだ時間があるんじゃないか?」
おぼろげな記憶を引っ張り、レストラン付きの宿とはどういうものだったかを思い出す。太陽が地平線に沈んでから、しばらくの間時間があったように彼には思えた。エントランスで電子キーを受け取り、二人はそれぞれの部屋に入った。
「……なんだこれは。どういう類のだ、これ」
彼の眼前に広がったのは、信じられないほど豪華な部屋だった。ふかふかの絨毯に過剰なまでの装飾が施された調度品の数々、本当にシングルサイズかと確認したくなるほど大きなベッド。バウルはめまいを覚えトイレに避難したが、そこも彼の知るような場所ではなかった。なにせ風呂場まで併設されていたのだから。
(落ち着け、待て、有り得ない。いくら何でもこんな部屋を予め取っていたはずはない。船員同士で待遇に差をつければ反発だって起こるはずだし……ということは、イリーナは俺のためにこの部屋を用意した、とでも?)
バウルは混乱した。こんなことをする意味が、果たしてあるのだろうか? 問い詰めてみなければ分からない、イリーナに。どうしてこんなことをしたのか。一先ずバウルは荷物を整理することにした。連日の行軍ですっかり体も汚れているし、服もぼろ切れ同然に擦り切れている。このままでは、いろいろマズい。
温かいシャワー。品のいい香りの石鹸。柔らかなバスタオル。気持ちがいいはずなのに、久しぶり過ぎて逆に気持ちが悪かった。ついでに言えば、持ってきた衣類もこのホテルと比べればあまりに粗末すぎてバツが悪かった。
意を決し、バウルはレストランへと向かった。ショートパンツにモスグリーンのシャツ、野暮ったいことこの上ない服装だが彼が持っている服の中では一番マシな状態のものだった。伸びた髪を切っている暇はないので、後ろにまとめる。まとめきれないものは右目に掛けるようにセットした。
これには視覚情報を制限するという意味もある。天使との接触以来感覚が鋭くなり過ぎており、酔ってしまうこともしばしばだった。砂漠のような環境ではいざ知らず、情報の多い都市部ではその傾向が顕著だ。だから彼は片目分の情報を敢えて受け取らないことを選択した。それでも、常人が両目を開いている以上によく見えるのだが。
「お疲れ様、バウルくん。部屋、どうだったかな?」
部屋で着替えを済ませて来たイリーナの姿は、これまでとはまた違ってバウルには見えた。いままでが野趣のある出で立ちだとすれば、いまは彼女の清らかさだとか、清純さだとか、そういうものを強調しているように見えた。飾り気の少ないシンプルなイブニングドレスを着ており、深い青が白い肌との対比を作った。
「……いろいろ言いたいことはあるが、その前に食事にしよう」
バウルは視線を逸らし言った。文句を言おうと思ったが、先に腹を満たしてからでも遅くはないだろう、そう考えたのだ。色香に惑わされたのでは、多分ない。
前菜に始まりスープにサラダ、メインディッシュにデザート。カジュアルなレストランだったがそれなりに凝った作りをしていた。久方ぶりの人間らしい、まともな食事をバウルは堪能した。胸の奥に温かいものが満ちる。
「喜んでもらえたみたいで嬉しいよ、バウルくん」
「……そうだな。感謝する、イリーナ」
見抜かれたのが恥ずかしくて、バウルは赤面し頬を掻いた。
「……そろそろ教えてくれ。どうしてこんなことを、俺にしてくれる?」
イリーナははぐらかそうとした。
が、バウルの真剣な目がそれを許さない。
「……元々今回の仕事の打ち上げで使うつもりだったんだ、ここは」
「ウソをつくな。こんな豪華なレストラン、全員分なんてとても……」
「もちろん部屋のグレードは落として、だよ。集めればいい部屋二つくらいになるくらいでしかないけど……でも、大事なイベントだったんだよ」
イリーナはこれまでとは打って変わって俯き、ポツポツと話し始めた。
「フェネクス商会はそんなに大きくないところでさ。戦争で同業者が死んで、路頭に迷った仲間を集めて父さんが立ち上げた会社なんだ。ヨーロッパは大手の方が強いから儲けが出ない。だから商売の拠点をこっちの方に移そうとしたんだ」
「……けれど、失敗してしまった」
「来る前に、父さんに連絡したんだ。ごめんなさい、間違えちゃったって」
だから少し時間を欲しがったのか、とバウルは納得した。
「『生きていたんならいい。仲間の分まで頑張ろう』って、そう言ってくれたんだ。『あいつらが犠牲になったことは忘れるな』って。だから……」
イリーナは涙声になっていた。
それでも涙を拭い、話を続けた。
「いなくなったみんなを忘れないために……これは、私にとって絶対必要なことだったんだ。ごめんね、バウルくん。こんなのに、付き合わせて……」
言い終わると、イリーナはわんわんと泣き始めた。どうすることも出来ず、ただ彼は困惑することしか出来なかった。
「これは、来るタイミングがマズかったかもしれないね」
突然掛けられた声にハッとして、バウルは振り返った。背後に立っていたのは詰襟の軍服を着た若い男。その後ろには憲兵と思しき兵士が二人控えていた。




