エピローグ
マティウスの街から脱出し、砂漠を歩くバウル。もはや彼を止めるものは誰もいない、アルタイルの軍勢も撤退しただろう。視線の先には壮絶なる戦いの痕跡、その真ん中には一人の少女が横たわっていた。
『……終わったんだね、バウルくん。ミカエラの気配が消えた』
「ああ、全部終わったよ。かなり、遅すぎたみたいだけどな」
少女は左肩から袈裟懸けに肉を抉られていた。負傷箇所は半ば石灰化しており、グロテスクさはなかったが無惨だった。天使核を損傷しているのだ。
『核を無くせばこんなものだね。無敵の完全生命体が聞いて呆れるよ』
「……どうにもならないのか?」
『私が知っている限りだと、無理だね』
クオイは残った右手の親指で胸を指した。
『私の核はここにある。完全に砕いて、バウルくん。お願い……』
少しだけ、迷った。
そして意を決しハッチを開き、拳銃をクオイの胸に向けた。
「……すまない。こんな結末以外にも、何かあったはずなのに」
「気にしないで。キミのおかげで私は、人間のまま死ねたんだから」
数秒後、銃声が響いた。更にその一時間後人工衛星が落下、マティウスの街に残っていたすべてを吹き飛ばした。誰もその真相を知らない。
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事件から二週間後。
アルタイル社地中海エスピル支部、社長室。
「ベルゼウスくん。今日で聴取は何回目になると思うね?」
「そうですね。この短い間に三度はやったと思いますが」
支社長とアーカムは応接机を挟んで向かい合っていた。マティウスでの一件はアルタイル社にとってある種汚点ともなりかねない事態に発展していた。
「アフリカに渡っていたはずのステラマリスがあそこにいた。それがたった一機突撃し、天使を滅ぼし帰って行った……どういうことか説明出来るか?」
「出来ませんね。私はその件に関われる立場にいませんでしたから」
「だがキミの部下……対天使隊の面々は次々と辞職している。それを受理したのは、キミだ。何らかの介入があったと考えるのが自然ではないかね?」
アーカムは口を閉ざす。支社長も。
しばらく沈黙が続き、支社長が折れた。
「まあいい、すべては終わったことだ。対天使隊は解散、実験は凍結。使い物にならないと分かっただけでも収穫だ。そうじゃないかね?」
「ええ。馬頭くんだけではサンプルが足りませんからね」
結局、天使化を引き起こす因子に関してアルタイル社は特定することが出来なかった。天使細胞と人間の細胞が完全に融合したいまとなっては、バウルを抱えておく意味はない。この事件は公式には『存在しなかったこと』であり、どちらにとっても『触れたくないこと』なのだ。
「一先ず、お疲れ様と言っておこう。順番が前後してしまったがね」
「私は何もしていませんよ」
「キミには相応のポストを用意した。これからも我が社のためにその力を」
言い掛けたところで、アーカムは辞表を支社長に転送した。
「……本気かね、アーカムくん。このタイミングで? なぜ?」
「このタイミングだからこそです、支社長。疲れてしまったんです、あの子たちの近くにい過ぎた。私はもう、こんな仕事を続けることは出来ません」
支社長は顔を覆い、仕方ないと諦め大きなため息を吐いた。
「キミは人類のために働いてくれる逸材だと思っていたんだがね」
「私には無理です。人の命を、価値あるものとしか捉えられませんから」
アーカムは立ち上がり、深々と頭を下げ退出した。
「それでは、お世話になりました。馬頭社長」
支社長――馬頭正一は困ったように笑いそれを受け止めた。誰もいなくなったし社長室、馬頭は深々と椅子に腰かけ、ひとりごちた。
「……息子が現れてから歯車が狂ったな」
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紅海の町、ビスキス。かつてこの場所は周囲を荒らし回る盗賊によって蹂躙され、半ば支配されていた。彼らは不法な税を取り立て、逆らうものを殺した。連邦の目が届かない辺境の地にあっては、よくあることだ。
一月ほど前、この場所に現れた正体不明の部隊がいなければいまも支配は続いていただろう。町の復興と再建を任されたフェネクス商会の面々は、この町を以前よりも良い場所にするために尽力した。
「……で。この資材はどこに運べばいいんだったか」
「それは西側ゲートに持ってって。防護柵を組み立てるために使わなきゃいけないから……終わったらこっちに戻って来て。水源の調査しないといけない」
「ああ、あいつら結構滅茶苦茶やってたみたいですからね……俺でいいんですか? 専門の人とかいるでしょう」
「いるけど、キミを連れてけってさ。いろいろやりたいだろ、キミも?」
アルタイル社を去ったバウルたち対天使隊の面々は、フェネクス商会での再就職を果たしていた。それぞれが特殊技能者の集まり、彼らは温かく迎え入れられた。その初仕事がビスキスの再建とは、いったい何の因果か。
「しかし、まさか自分が壊した町を直すことになるなんて」
「ははっ、複雑な気分か?」
「いや、悪くない。俺だって何かを作ることが出来るって思うと、な」
バウルとシズルが言っていると、ヘルメットを被ったイリーナが現れた。
「こーら、サボってんじゃないの。作業、ただでさえ遅れ気味なんだからね」
「了解。しかし、そんなことを言ったって仕方がないんじゃないか?」
だって、と言おうとしたところで警報が高らかに鳴り響いた。周辺に散見される武装勢力がこの町に迫っていることを表す緊急警報だ。作業員たちは慣れた様子でシェルターを開け、資材を避難させ、自分たちもそこに入る。
「これまで物資が欠乏状態だったところに、こんなおいしいのが来たらねえ」
「まったく、奴らに賠償請求でもしたいところだな」
「だからってスケジュールの遅延は許されないよー。この仕事は信頼が第一、そして信頼は誠実な仕事によってのみ築くことが出来るんだよ!」
ビシッ、とイリーナはバウルに人差し指を向けた。
「はいはい。それじゃあ実直に働くとしよう」
「おう! 頼りにしてるよ、バウルくん」
そっと、頬にやわらかで、温かい感触が触れた。
シズルが口笛を吹く。
「なっ……んっ、なななっ……」
「っし! 行ってらっしゃい、バウルくん!」
自分でやって恥ずかしかったのか、イリーナは頬を赤く染めて親指を立てた。バウルも顔が熱くなったが、それでも悪い気分ではなかった。
「……ああ、行ってくる。キミを守る。それが俺のやるべきことだ」
バウルは格納庫に向けて走り出した。
愛機、バルカーが待っている。
いろいろなことがあった。
多くのものを失った。
その代わり、大切なものを得た。
生きる意味を見つけた。
あの戦いで、バウルは生き返ったのだ。
(人として生きる。みんなが命を懸けて守った明日を生きる!)
アクセルペダルを踏み込み、機体を発進させる。
望んだ明日へと向かうために。




